1月, 2017年

韓国の食卓から“キムチ”が消えたなら…

2017-01-07

このところ“再び”というか、“またしても”というか、日本と韓国との間が“険悪”になっている。かつて「ヨン様ブーム」で日本中の奥様族に“韓国が愛されていた”のが嘘のようですらある。それにしても韓国民は、どれだけ“従軍慰安婦像”をつくれば気が済むのか。まあ韓国内だけなら、どれだけ作ろうと自由だが、各国の大使館付近は実質“外国”扱いとなるので、日本の大使館前には建ててはいけないのである。それにしても韓国の人々には“感情家”が多い。日頃は優しくても、いったん感情的になると極端に“敵意剥き出し”となる。あれだけ最初、国民から愛されていた朴槿恵大統領も今や嫌われ者で“蔑視の的”となってしまった。在日の方たちにしても、普段は冷静穏やかでも、時に驚くほど激高されてビックリする場合が多い。私は密かに、あれは“キムチ”のせいではないか、と思っている。韓国の方達には“キムチ”を愛してやまない方たちが多い。確かに“スタミナ源”としては有効だが、あの食品には“喜怒哀楽を強める”作用もあるようで、感情激高型の人には人一倍食している方が多いような気がするのだ。ところが、近年、韓国ではその国民食である“キムチ”を食べない若者も増えてきているという。そういう方たちが多くなれば、もう少し日韓の問題も冷静に捉えることが出来るようになるのではないだろうか。それにしても、ユダヤの民が“毒ガス犠牲者”の象徴となった“アンネ・フランクの像”を各地に建てようとはしていない。昔から“象徴としての像”というのは、時代が変わると“破壊される運命にある”ことを知っているからであろうか。私は以前、朴槿恵大統領はかつての日本の“英霊達”からの“恨みを買った”のだと述べた。実際、慰安婦像が増えるごと、大統領は窮地に陥っていった。韓国民はだから“怖いもの知らず”で建て続けるが良い。

日本では「カジノ」の隣に「占いの館」がある?

2017-01-06

何年か前、注目を集めた事件に大王製紙会長の“カジノ借金による横領事件”があった。2013年7月に懲役4年の実刑が下った元会長・井川意高氏だが、12月半ばに仮釈放となっていたらしい。カジノで106億円の借金を作った井川氏だが、俗にいう「カジノ法案」には無関心らしい。受刑中に“カジノ法案”に反対する各種団体から面会を申し込まれたらしいが、一切会わなかったようだ。彼の行動とは矛盾しているが“ギャンブルはすべて自己責任”だと割り切っているらしい。その彼に対して“カジノ”取材を試みるのもどうかと思うが、日本では成功しないだろう、というのが彼の観方だ。シンガポールやマカオでは“借金の取り立て屋”を配備できるが、“闇の勢力”と距離を置く日本では難しいというのが理由だ。確かに、マカオのカジノなどでは上階に「VIP室」を用意している。私は昔、間違えてそちらの方へ行ったら、鋭い眼の警備員に制せられた。井川氏に言わせると、カジノ経営が儲かるのは、VIPの客が億単位のお金を落としていくからだ。確かに、私のように“数千円の儲け”で喜んでいる客相手では豪華絢爛なホテルは成り立たない。さて、本題はここからだ。日本が目指すのは“統合型リゾート”で、親子連れや恋人同士でも楽しめる“テーマパーク的なカジノ”である。欧米をまねる必要はない。日本の誇る「パチンコ」を組み込めば良いのだ。欧米の単純なスロットよりも、ずっと楽しめる。近年、パチンコ業界は衰退しているが、パチンコ本来の“遊戯性”を強め“大当り”の確率を上げ、本格カジノへの“入り口用マシン”として導入すればよい。但し、北朝鮮との関係が疑われる業者は排除する。カジノの隣に併設すべきものとして「占いの館」を導入するのはどうだろう。もちろん、訪日外国人相手の“各国語の通訳を常備した占い”を主体とすべきである。台湾や香港などでは“観光客相手・外国人相手の占い街”が存在する。日本にも、それがあってよい。それが必ず“カジノの隣にある”ものとして定着するのが理想だ。日本の占いレベルを引き上げることが出来れば、必ずカジノの隣には「占いの館」と世界に知れ渡っていくだろう。

長期の「ゴールデンクロス」がやって来た!

2017-01-05

1月4日、日本の経済は東証の「大発会」で始まる。正月休みをはさむので、相場の方向が“その日”を境として大きく転換することになりやすい。昨年末、日本株は“ややもたついた形”で一年を終えた。年明け後の変化に注目が集まっていたが、出足は上々で480円高で取引を終えた。久しぶりの“上昇スタート”である。それも大幅高だ。単なる“ご祝儀相場”でなく、海外からの大口が断続的に“買い”を入れて来たらしい。こういう“買い方”で始まる時には、大いに期待して良い。もう少し“ドル高”に傾けば、数週間は海外勢が“買い上げてくれる”ので大きく下落する心配がない。そうすると日経平均の20,000円越えは“ほぼ確実”となった。問題はトランプ政権が“腰砕け”してしまわないうちに、どれだけ“買い上がって”くれるかなのだ。実はテクニカル的にも、日経平均の相場曲線は長期の「ゴールデンクロス」と呼ばれる位置に来ている。同じサインは2012年の年末にもあった。実際、その頃から日経平均は1年近く大きく上昇した。この「ゴールデンクロス」と呼ばれる指標にはいくつかあって、一般に広く知られているものは信頼性が乏しい。10年間の長期スタンスによるサイン、或いは5年間の中期スタンスによるサインでないと意味がない。それも、クロスする二本の線が“両方とも上昇していること”が絶対条件である。これは日経平均だけでなく、個別の日本株にも当てはまる。実は現在、個別の金融株や商社株やIT関連株に長期スタンスの「ゴールデンクロス」が出現している株が散見される。これまでどちらかと言えば“長期低迷していた株”に多い。つまり、これまで“相場で泣いていた人たち”が、ひょっとしたら“笑顔になれる”そういう半年になりそうなのだ。

「法令線」の不思議

2017-01-04

たまたま必要性があって或る方の画像を検索していて、笑顔であっても“鼻脇から出る法令線”が全く出現していないことに気付いた。ネットでは“職場内におけるマスコット的存在”という風な表現で周囲からの悪い評価はない。ただ“熱愛記事”が週刊誌にスクープされて以降、目立つような仕事分野からは外されてしまったらしい。その記事では、今となっては「寿退社」以外の道はないという風な辛辣な予測まで示されていた。ナルホド。確かに、この法令線では“仕事で残る”のは難しそうだった。女性の場合、法令線が若いうちから“クッキリしすぎる”のも問題なのだが、法令線が“影も形も見られない”のも問題なのである。観相学上での「法令線」は、通常、鼻脇から口の周りを取り囲む筋で、一般的には中年期に差し掛かると目立ってくるケースが多いが、そうでない場合もある。男女別では、男性の方が判然と刻まれやすいが、そうでない場合もある。仕事別では独立自営の方がクッキリ出現しやすいが、そうでない場合もある。つまり、一概に“これこれだからクッキリ”とは言いきれない微妙な筋なのだ。ただ“職業意識・使命感”に関係が深いこと、“本人の管理領域”に関係が深いこと、“社会的な自立意識”に関係が深いこと、“自分に従う者達”に関係が深いこと…などが判明している。一般的にいえば、だから“社会的にそれなりの役割を果たしている人たち”にクッキリ刻まれている方が多い。そして、本人の職業意識がそれほど強くないとか、自分の管理や管轄の意識がないとか、自立という感覚をもっていないとか、あまり人を従わせる気持ちがないとか…いう場合、基本的に法令線はクッキリとは刻まれない。そういうわけで、法令線=職業線ではないのだが、自分の社会的役割を“自覚”している方が、判然としやすい線であることは確実である。そして、その方が世間一般は“きちんと仕事をしている人”とみなしてくれやすい。そういう私自身は、昔から法令線乏しく、未だに判然としていない。

「無事」ということの大切さ

2017-01-03

今年は十七年ぶりに自宅以外で正月を迎えた。そして、こんなにも多くの人達が温泉ホテルで“正月を迎える”ものなのだということを、初めて知った。それに“何事もなく”ということ、“無事に…”ということ、その意味合いを、改めて噛みしめながら正月を迎えた。そして“何事もなく”元日を終えた。ただ“それだけのこと”なのに、正直なところホッとした。「一年の計は元旦にあり」というが、まさしく“そう感じる”ような一年間を過去に嫌というほど体験していた。だから、私にとっての「元日」は“特別な日”なのだった。昨年は、そういう意識が薄れていて、たまたま家族が入院中だったので、元日に見舞いに行った。そうしたら、まさに“病院通い”の一年になった。今年は“初めて訪れた温泉地”での元日となった。事前にあった“いくつかの心配”も一応クリアでき、のんびりとした元日となった。それは“平穏な一年”であること、“何事もなく過ごせる一年”であること、奇妙な言い方だが、そうなっていく可能性を暗示していた。今の私にとって、それはとても重要なことで、そうあってくれるのであれば、それだけで十分だった。昔の私なら、ただ“平穏”なだけの一年、ただ“無事”なだけの一年など、とても考えられないことだった。そんな“消極的な一年”など、我慢がならないことだった。けれども、ここ数年の“家庭的な出来事”が、私の願いを“つつましいもの”に変えたのだった。それまで“無事であること”など当たり前のことで、“願い”でもなんでもなかったのに、今はそれが“最大の願い”になっていた。今年の終わり、来年の始まりは、緊張感を持たずに“年越し”が出来て、もっと気楽な元日を過ごせたなら、どんなに良いだろう。

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