今から15年ほど前「マネーの虎」という人気番組があった。有名実業家たちの前で、自分の持っている“投資企画案”を語って事業資金を引き出そうとする番組だった。もし実業家たちが、その話に魅力を感じて“投資しよう”ということになれば「マネー成立」、誰も魅力を感じなければ「マネー不成立」となる。それによって、何人もの起業意欲のある若者たちが実際に事業を立ち上げ、或いは起業を断念して画面から消えた。その話のやり取りに“ヤラセ”はなく、ガチで勝負するということで“リアルな商談の場”として迫力があった。当時、巨万の富を持つ個性派ぞろいの社長たちが“投資家”として、応募志願者に向き合っていた。リサイクル事業の堀之内九一郎氏、外車輸入販売の南原竜樹氏、“なんでんかんでん”の川原ひろし氏、パスタチェーンの安田久氏、不動産販売の上野健一氏、創作料理の小林敬氏、“ひばりの子息”加藤和也氏などだ。このうち、外車輸入販売の南原竜樹氏は既に「しくじり先生」に出て過去の失敗経験談を語っている。今回の「しくじり先生」では、“なんでんかんでん”の川原ひろし氏が出演して、とんこつラーメン全店舗を閉鎖しなければならなくなった失敗経験談を語るらしい。実は、それ以外の社長たちの多くが成功を保つことは出来なかった。リサイクル事業の堀之内氏はホームレスからリサイクル店を立ち上げ、年商100億250店舗にまでした成功者だったが、やがて負債15億で事業破たんした。不動産販売の上野氏は年商72億だったが167億の負債を抱えた。創作料理の小林氏は年商56億だったが、20億の負債で自己破産した。なんと、ほとんどの社長が事業破たんしているのだ。当時、TV的な演出もあって“札束”をテーブルに積んでいた社長たちだが、その金がブーメランのように自分たちを窮地に追いやっていった。彼らが“ボロクソに叱りつけた”応募志願者の中には、その後、着実に成功への階段を上っている人たちもいる。「運命」は、今現在からの“単純な見通し”だけからは語れない。
石原元都知事に対しての“無意味な記者会見”は、やがて生まれて来るだろう小池現都知事に対しての“バッシング報道”を私に想起させた。マスコミは、時に持ち上げ“強力な援軍”にもなるが、時が変われば“正義の仮面”をかぶった敵にも変わる。マスコミ出身の小池百合子都知事は、今のところマスコミを上手く活用して味方につけているように見えるが、徐々に“その矛先”が自分に向けられていく時がやって来るだろう。猪瀬知事が沈み、舛添知事が沈み、石原知事が沈んだら、あと残るは彼女しかいないのだから…。そのご高齢のせいもあってか、石原慎太郎氏にかつての勢いはなかった。私が気になったのは、彼の顔貌の中で人相上“移動・移転”を示す“右こめかみ部分”に黒い斑点がいくつも見られたことである。その黒さが、単なる“老人性そばかす”とは微妙に異なっているように見えた。ただ彼の主張は、根本的に間違っているわけではない。行政の仕組みとして、担当専門家や科学者たちがOKを出し、議会でも通る見通しのものを都知事が承認するのは至極当然なことで、専門外のものに対して“権威”という立場だけで「異」を唱えたとしたなら、その方が問題である。世界中のあらゆるトップが、そういう形で“承認”を下し、行政は機能している。まあ、トランプ大統領は違うかもしれないが…。そういう意味では、問題を“振り出しに戻した”小池現知事の方が、行政の仕組みという点からいえば、理解に苦しむ“差し戻し”議論で挑んで来たことになる。何となくの印象として、確かに小池氏は“庶民の味方っぽい”雰囲気を持っているかもしれない。けれども、実質的には都政の“進み方”は必ずしも迅速とは言えず、大衆やマスコミの支持というのは案外“気紛れ”なものだ。彼女がマスコミからバッシングされる場面は見たくないが、その時期は近いかもしれない。
3月8日の「国際女性デー」を前に、政治家・野田聖子氏が朝日新聞のインタビューに応じている。そして女性たちに向けて「自分の心に素直に動こう」と発信している。彼女は今、何よりも先天性の心臓病を持つ息子の母親だ。その“母親の顔”が前面に出ているメッセージとなっている。実に、彼女は3年間で8回も“体外受精”を受けていたらしい。それくらい必死で“母親”になろうとした。彼女は明らかに「運命」に逆らったのだ。人間、誰でも“中年”と呼ばれる頃に差し掛かると、おぼろげながら運命として自分に“与えられているもの”と“与えられていないもの”とを何となく把握する。占い的にというのではなく、本能的に感じ取るものだ。少なくとも自分を“客観視”できる人というのはそういうものである。もちろん賢い彼女のことだから、自分に“子供運”がないことを本能的に感じ取っていたに違いない。けれども彼女はあきらめなかった。そうして、半ば強引に“我が子”を得た。けれども、そうやって得た息子は“先天的な疾患”を持っていた。心臓に持病を持っていたのだ。望んでいた“我が子の姿”とは違っていたに違いない。それでも、今の彼女は母親らしく穏やかとなり、とても幸せそうである。40歳までの自分を「男だった」と反省している。そうして嫌でも“弱者の眼”で物事を捉えることが出来る立場に変わったと告白している。それにしても最初は自費出版で出すつもりで『私は産みたい』を著述していたらしい。その思いの強烈さがわかる。つまり、運命とは、それだけの“強烈な思い”があれば覆すことは可能なのだ。但し、それだけの“代償”は払わなければならない。彼女のように、それを覚悟であれば、神は“強引に掴み取ろうとする”ものを引き剝がしはしない。
専門機関が「プレミアムフライデー」に関してのインターネット調査を行った結果を公表している。そもそも「プレミアムフライデー」とは何なのかというと、政府と経団連とが“消費喚起を促す秘策”として取り組んでいる「毎月最後の金曜日を午後3時で切り上げましょう」という推奨運動である。ところが、それを積極的に採用していこうという企業がまことに少ない。とても、そんな余裕などない、という企業が大半なのだ。それを裏書きするかのように、2月末の第一回目を終えてのネット調査では、実際に早く帰った人は3.7%。帰れなかった人がほとんどなのだ。その理由を見てみると「仕事が終わらない」が圧倒的で、やっぱり時間的に余裕のある企業なんて、ほんの一握りなのだ。TVでは“仕事を早めに切り上げて居酒屋で乾杯”なんて、ヤラセっぽい画像が流れていたけど、それにしても5%以下は、ちょっと少なすぎやしないか。まあ会社員じゃない私が言っても始まらないけど…。懐かしいなあ。会社員時代。今から30年以上も前だけど、私が勤めていた会社は途中から土曜日が半日に変わった。私は歓喜した。そして迎えた土曜日、私は嬉々として帰ろうとした。ところが私以外の誰一人、席を離れようとしていない。どうして、今日から土曜日、帰れるよね。そう思って周りを見渡したが、何故か、みんな私から目を逸らす。私の言葉を遮っているかのようですらあった。なぜ? 私には彼らが異星人に思えた。せっかく決まったのに…。誰も帰らないの。それじゃ、僕だけ、悪いけど、お先に帰らせてもらうよ。私は意を決して「じゃ、お先に…」とみんなに聞こえるような大きな声で言った。誰も応じなかった。会社を一歩出て、やっぱり自分は“会社勤め向き”じゃないんだなと感じたが、私には開放感の方がはるかに勝っていた。
神仏やパワースポット、願掛け、怨念、占い師としての経験や霊的体験を生かした小説6作品を掲載した合本版。
『青い怨念』~事故で母を失った渉。占い師として開業し三番目に訪れた客は母親と同性同名の女社長だった。
『蒼い刻印』~津川飛龍は自身の占い教室に通う生徒のしおりにボディーピアスを施し自分好みのM女に変えてゆく。
『霊感グラビアアイドル☆サヤカ、霊媒女が三人寄れば』~3人で東京の寺や神社を巡った夜、夢の中に顔の無い僧侶や狐が。
『霊感グラビアアイドル☆サヤカの復縁神社』~ロケで復縁神社を訪ねた夜一緒にまわった先輩グラドルから復縁成功のメールが。
『霊感グラビアアイドル☆サヤカのちょっと怖いお泊まり会』~『怖い話』をするお泊まり女子会。宇宙人、幽霊、占い師、家と引越。
『霊感グラビアアイドル☆サヤカ』~撮影の為に南の島に向かうサヤカ。
元宝塚で活躍した映美くららさんが第1子となる男児を出産したことをブログで公表した。入団3年目で“月組トップ”になりながら、その3年後には早くも退団して女優に転身、二年前に会社経営の男性と結婚し、今回の出産に至っている。何となく“元宝塚”というと結婚・出産には“縁遠い”ような印象を受ける。それだけに、こういう“元タカラジェンヌ”もいるんだな、と改めて思った。一時期、元宝塚の女優たちが脚光を浴びていた時代がある。大地真央さん、真矢ミキさん、天海祐希さんなどが代表的な存在と言える。つまり元宝塚出身は“大女優”への登竜門だった。ところが、ここに来て、元タカラジェンヌたちは“さまざまな顔”を見せるようになった。例えば、紫吹淳さんや遼河はるひさんのように“バラエティ番組”などで活躍し始める人が出てきた。その“浮世離れ”の言動が、いかにも世間知らずな“元宝塚らしい”と人気を集めている。おそらく叶姉妹と同じで“生活観がない”ところが良いのだろう。実際、近年は周りを見れば“生活観ありすぎ”の話が多い。インターネットで何か良いものを選ぼうと思っても、“安いもの”だけが意図的に表出される。“高くても良いもの”とか、“こだわりの貴重なもの”を求めても、中々それに辿り着けない。そういう時代だから、逆に“生活観のなさ”が麗しく感じることもある。そういう点で“元宝塚”は貴重な存在に浮かび上がりつつある。その一方、同じく元宝塚女優で、数年前デズニーランドで“同性婚挙式”を行って注目を集めたのが東小雪さんだ。彼女は数日前にも「同性愛者がもっと暮らしやすい環境を…」とインタビューの中で訴えていた。昔から見れば、そういう点では暮らしやすくなったと思うが、保守的な人達の生理的な“違和感”だけはどうしようもない。むしろ宝塚で21年間男役を務めて、今年から本格的な“女役”になる北翔海莉さんのように、共演の新納慎也氏から「性転換の仕方を教えてやる」と茶化され「ぜひ入門させてください」と応じるくらいの方が、日本では“生きやすい”のかもしれない。
年金暮らしの89歳になる老人が、その孫である23歳の容疑者に“鋏で滅多刺し”にされ、現金「2万3千円」が奪われた。被害者は自分の父親で、加害者は自分の息子だった。こういう場合、父親を刺され、息子が刺した現実を、被害者の息子であり、容疑者の父親である人物は、どう受け止めれば良いのだろう。しかも、その原因となっているのは、わずか2万3千円のお金である。ただ、それだけなのだ。もちろん、実際には、ただ“それだけ”ではないのかもしれない。例えば、祖父は孫に対して「お前に与える金はない」と言い、或いは「今日は1万しかやらん」と言ったかもしれない。孫は「冗談じゃねえよ、年金入ってんだろ」と言ったかもしれないし「ガキじゃねえんだよ、十万出せよ」と言ったかもしれない。どういうやり取りがあったか知らないが、結果的に祖父は孫に“滅多刺し”にされ、亡くなってしまった。容疑者は否認しているが、彼の部屋から“血塗れのジャンバー”が見つかっているというから反論の余地はない。老人は近所の人達にも、孫が頻繁に“金をせびりに来る”と言って嘆いており、途方に暮れていたに違いない。もしかすると、十代までは自ら“頻繁に金を与えた”ことが、こういう結果につながったのかもしれない。そういう意味では“甘やかした張本人”であった可能性はある。それが二十代に入り、一方は“無心が当たり前”となり、一方は“蓄え”が乏しくなって、年金から支出するように変わった。これまで笑顔で渡していたものが、しぶしぶ渡すように変わり、双方ともに小言まで言い争うように変わった。徐々に二人の関係は“借金の貸し借り”のような関係へと変わった。孫は“悪徳金融業者”に扮し、祖父は“弱みある返済者”に扮した。そういう関係が日常となり、かつての「麗しい祖父と孫の関係」は消えてしまった。最後は、双方とも“憎しみ合う”殺し合いで、力の強いものが勝利した。
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