2月, 2018年

「AIロボット」が出勤してくる毎日

2018-02-17

みずほフィナンシャルグループが2026年までに従業員19000名の削減を打ち出し注目を集めている。どうして、そんなにいらなくなるのかというと、人間の代わりに“AIロボット”が出社してくるからだ。まあ事実上は、銀行内に四六時中ロボットが居残るのだが、それまで銀行員が行っていた業務を変わることが出来る。基本的に銀行業務には、AIロボットのような感情とか体調とかに左右されない“優秀な頭脳”の方が役立つ分野が多い。別に“みずほ”だけが切り替えようとしているわけではない。メガバンクはどこも、似たような考えを打ち出している。一番“思い切った削減人数”を打ち出したのが“みずほ”というだけだ。どうして“みずほ”が一番なのかというと、ソフトバンクとの関係性が一番強いからだ。もちろん日本の場合、“マイナス金利”の導入と“仮想通貨”普及の可能性が、これを後押ししている。けれども、“AIロボット”が出社してくるのは銀行業界だけかと言えば、そんなことはない。もしかしたら、ここが一番なのかも…と予想されるのは運輸業界である。つまり“運転手”の方々。何しろ“自動運転”が可能になるのだ。“運転免許”が不要になる。いや、もっと“感情”や“気分”に作用されて欲しくない分野がある。法曹業界だ。つまり“弁護士”とか“検事”とかの方達。或る意味で、ここがもっとも“AIロボット”に適任の業務かもしれない。“ロボット”に裁かれる人間なんて何となく物悲しいけど…。さらに“税理士”“司法書士”“公認会計士”“行政書士”といった「士」のつく職業は、総じて“AIロボット”の方が優秀になる可能性が強い。こうして、どんどん人間の“出る幕”が少なくなっていく。だから、せめてホテルのフロントにロボットが並んで「いらっしゃいませ」と無機質なお辞儀をするのだけは勘弁してほしいなあ。

狂気の「ガンマン」が“銃自慢”する国

2018-02-16

またしても、それは起こった。アメリカフロリダ州で起こった銃による“乱射事件”。舞台は3000名のマンモス高校だ。その日、校内で“消火訓練を行う”ことは事前に知られていた。予定よりは早かったが、発煙筒がたかれ、火災報知機がけたたましい音をたてた。誰もが“消火訓練”だと思い、教室から校庭へと飛び出してきた。そこで待ち構えていたのはガスマスクを着けて自動小銃を構えた青年だった。彼は校庭の生徒たち多数を撃ち殺したのち、各教室内へも入っていった。慌てて教室の扉を閉めようとした教師も犠牲となった。結局、17人が死亡し、40数名が病院へと運ばれた。犯人は取り押さえられたが、昨年トラブルを起こして退学した19歳の元生徒だった。彼は学友にも「人を撃ちたい」と言っていた。退学後、学校に対し“脅迫していた”との情報もある。孤独な生い立ちを持ち、養父母に育てられていたが、やがて二人とも死亡し、完全に独りとなって、最近は友人宅に身を寄せていた。SNSではベッドの上に沢山の銃や刃物を並べた写真を掲げて自慢していた。「自分の半自動小銃で人を撃ち殺したい」というメッセージまで投稿されている。正に「危険人物」だったのだ。しかも、アメリカが“病んでいる”のは、こういう人物が決して特殊な存在なのではない、という点だ。今年に入ってからだけでも、学生による銃撃事件は既に18件も起こっているのだ。つまり日常的に存在するのだ。1月23日にも、ケンタッキー州で15歳の生徒による乱射事件が起こっている。その時にも17人が死傷している。それでもトランプ大統領は「銃規制をしよう」とは言わない。“銃には銃で防御する”が、アメリカ人の発想なのだ。だから北朝鮮に対して「ミサイルを作るな」と言っても、ガンマンだらけの国の話など聴けるかと応ずるのも、その点だけで言えば理解できないことはない。アメリカは、どれだけ命を犠牲にすれば「武器よさらば」となるのだろう。

今日まで「前年」という“中華圏の暦”

2018-02-15

明日2月16日から中華圏の「春節」が始まる。つまりは「正月」の開始で、中華圏では「農暦」と呼ばれることが多い民間暦による“一年の開始”である。ここでいう中華圏とは、中国本土はもちろん、香港、台湾、マカオ、シンガポール、マレーシアなど華僑の多い地域全域への総称である。それらの地域も、公用暦としては日本と同じく「太陽暦」が使われているが、庶民感覚の行事のことごとくは「太陰暦(厳密には太陰太陽暦)」を現在でも用いている。だから中国人にとっては今日までは「前年」で、明日からが本当の「正月」ということになる。ここで日本人の多くは「なぜ“立春”である2月4日から“春節”にはならないのだろう」と疑問に思うかもしれない。実は、暦学的な観点から言うと、日本で採用されている“立春”=“春節の開始”という考えの方が正しいのだ。“春節”の“節”は「節気暦」から来ていて、その節気暦によれば今年は2月4日からが“節入り”だからである。ところが「太陰暦」の観点に立つと“節入り”後、最初の“新月=朔日(1日)”こそ「正月1日」だから、ここからが“本当の春節”だという解釈となる。より正確に言うと、表現的におかしいだけだが、元々「節気」という区分や捉え方は「太陽暦」に対しての概念で「太陰暦」の概念ではない。ところが日本でも昔から勘違いしている人が多いのだが「旧暦の正月」という考え方をしやすい。そうなると「旧暦」では「太陰暦」の中で、本来は太陽暦で用いる“24節気”を記載しているものだから、“立春”前後に始まる「正月」が“俗称”として「春節」と称されるようになっていったのである。まあ、この辺のところは“目くじら”を立てるようなことでもないが、天文学的には“立春こそ春節の開始”なのである。そういう観点から言うと、日本の場合には“神武天皇即位の紀元法”に基づく「皇紀2678年2月11日」からを“日本独自の春節”とすることもできる。タイ王国では「仏暦2561年」というブッタの入滅日から起算した暦が現在でも使用されているし、台湾では“辛亥革命”の1912年1月1日を起点とする「民国暦107年」という記載の仕方を現在もしている。ユダヤ教徒は“天地創造年”を起点としていて、今年は5778年になるそうだ。

アルゼンチンにヒョウが降る

2018-02-14

南米アルゼンチン、そのやや北部に位置するのがコルドバ、南半球なので現在は“秋のはじめ”くらいの季節、平均気温は23度くらい。そのコルドバに18センチ大(本当はもっと大きかったが、少し溶けたので…)の雹(ヒョウ)が降った。氷の塊だが、尖っていて危険な形状。おそらく“南米一の大きさ”であり、世界的にもアメリカの記録に次いで“二番目の大きさ”として記録に残るだろう。死傷者など被害者が出なかったことが奇跡のようにさえ思われる。アメリカでは2003年6月にネブラスカ州で47.6㎝、2010年7月にサウスダコタ州で20㎝、日本では2000年5月に千葉でピンポン玉大多数の雹が降り、162人の負傷者が出ているのだ。文字記録だけなら1917年6月には埼玉で29.5㎝、かぼちゃ大の雹が降ったという記述が残っている。またバングラデシュでは1986年4月に巨大な雹が降り92人が死亡したという報告があり、インドでも1888年4月、オレンジ大の雹が降り続き、230人もの尊い犠牲者が出た。ビー玉程度までなら日本各地で見掛けるもので、痛いとは思うが死ぬような危険は感じない。けれども、オレンジ大の大きさになれば多数の死傷者を出す“凶器”ともなり得るのだ。しかも、真冬ならともかくアルゼンチンでは初秋の季節、いや、過去の例を見てもインドやバングラデシュなど、とても雹など降りそうもないようなところで被害が記録されている。こういった自然災害には、まるで“生命体としての地球”からの“怒り”や“嘆き”、“呻き”や“叫び”が秘められているようで逆らうことの出来ない怖さが感じられる。「日本株の急落」とはまた違った意味合いでの“嫌な感覚”→「予感」。その“幕開け”でもあるかのような“次の事象”は絶対に起こってほしくない。

“自由”を奪っていく「性差別」なるもの

2018-02-13

「グリッドガール」という職業をご存じだろうか? モータースポーツであるF1レース前、各ドライバーの看板を掲げる女性達のことである。このグリッドガールが1月31日の“F1公式サイト”で今後のレースでは“廃止”することが公表された。その理由は「現代の社会規範にそぐわない」からだそうである。要するに“女性蔑視の名残”とか“性差別に当たる”ということで、その種の団体などからの風当たりが強いので、止めた方が良いという判断らしい。今後は「レースクイーン」と呼ばれる職業も“廃止の方向”で検討中とされている。これらに対して、現役のレースクイーンや過去のレースクイーンの方達から猛烈な反発が起こっている。実際、元レースクイーンだった女優・歌手・モデル・アナウンサーなども多く、誇りに思ってやって来た“過去が汚される”印象を受けている人も多いようだ。このまま進むと、ラウンドガール、コンパニオン、グラビアアイドル、CMモデルなども、“女性蔑視”や“性差別”の対象として攻撃されてしまう可能性が高い。近年、さまざまな形で“差別廃止”が謳われているが、実際には逆に“表現の自由”を規制し、それぞれの“生き方”を認めない方向へと動いている感がしないでもない。“差別”は確かにいけないことだが、本人たちが“差別”や“蔑視”などと感じず、むしろ誇りを持って取り組んできた仕事まで奪う権利が、“平等主義(?)”の人達にあるのであろうか。女性が“女性らしい姿”で、その美貌やセクシーさや可憐さをアピールすることが、なぜ男性に“屈服する姿”として映るのであろうか。逆に、そうやって男性たちを“屈服させてきた女性達”が山ほどいることは、古今東西の歴史に明らかなことなのである。

校長は、なぜ全校集会で謝罪したのか

2018-02-12

2月9日の朝、富山県の県立高校で校長が全校集会において、“服装指導”の一環として生徒44名の髪を教師6名が切っていたことについて謝罪するという“珍事”が起こった。解からないことだらけのニュースである。まず、これは一人の教師が行ったことではなく、6名もの教師が行ったことのようである。しかも、3~4名の生徒ではなく44名という数の生徒たちである。まったくもって奇妙としか言いようがない。しかも再三注意をして、それに従わなかったので、“眉に掛かる部分”や“耳に掛かる部分”などを切り揃えたということらしい。バリカンで丸刈りにしたわけではない。多分、教師たちの間での“共通認識”があったからこそ、6人の教師たちが44人の生徒たちの髪を切ったのだろう。当然、校長は事前にそれを聴いているか、少なくとも把握していたはずである。そうでなければ、単独でなく、6人もの教師たちが勝手に髪を切るはずがない。しかも、一応、生徒にもそれを事前申告したうえでの行為のようである。“服装指導”が揉めるのは大昔からのことで、今に始まったことではない。私は、個人的には“自由で良い”と思っているが、まあ、学校側が“規制しようとする”のも解からないではない。とにかく、学校内で教師たちが議論を尽くしたうえで、改善される気配がないということで、実施した“髪切り”のように思われる。そうでなければ、6人もの教師が44人もの生徒の髪を切ったりしない。それなのに、校長は全校集会において「あってはならない指導だった」と謝罪している。私が問題にしたいのは、その部分だ。なぜ、謝罪したのか。教師たちに「罪」を負わせたのか。自分は「知らなかった」と言いたいのか。誰か有力者から、詰め寄られたのか。マスコミに叩かれそうなので先手を打ったのか。いずれにしても、校長としての責務を任ずるに相応しくない。もし、自分が事前に知っていたのなら、何故、止めなかったのか。事前に知らなかったのなら、それだけで校長失格であろう。つまり、どっちにしろ、校長としての責任の取り方ではない。もし、正しいと思ってGOサインを出したのなら、それを貫けばよい。教師たちを“悪者”にするなどとんでもない。教師たちは困った挙句に決行したのだ。また、教師たちの中に「髪を切るなら、理髪師の方を呼んだ方が良いと思う」と、どうして誰も言えなかったのだろう。せめて、形良く切ってあげるくらいの配慮はしてやるのが“センスある教師”というものである。美容学校ではなく、県立高校なのだ。

「会社愛」が“幸福感”の原水

2018-02-11

奇妙な調査報告が報道された。パーソルホールディングスと東京大学の共同調査による会社員6000名を対象に行われた“残業が減らない理由”で、日本の企業の場合、管理職にある人間が積極的に残業を行い、何となくそれが社員にも伝播し、やがてそれが“当たり前のこと”として社内に広がり、その環境が自然なものとして受け入れられるようになる…というのだ。これを大学調査らしくまとめると「集中」→「感染」→「麻痺」→「遺伝」という風な“構図”として見立てているらしい。しかも、この調査によれば残業が月60時間以上に達すると「幸福感」が急激に高まる…というのだ。とても信じられない。私など会社員時代、独りだけ残業なしで帰っていたではないか。その一番の理由は“会社に拘束される”ことが嫌だったからだ。正直、会社の“奴隷”になるなんてまっぴらだった。それが、どうだ。60時間以上の残業で“幸福感”が高まる。つまり、会社に拘束されればされるほど“シアワセ”を感じてしまうのだ。相当なドM体質の会社員が多いからだろうか。だが、ここで興味深いのは、欧米ではそういった風潮は見られないことだ。欧米と日本では何が違うのだろう。日本人は「仕事」=「会社」という構図になる。その部分が欧米とは異なる。つまり、日本人は“仕事を愛する”ということと、“会社を愛する”ということとがイコールでつながっているのだ。だから、会社から“拘束される”ことは、会社から“愛されている”ことに繋がる。だから、会社から“愛されている”意識が強くなる長時間労働、残業時間の増幅を“より愛されている”と錯覚し、“幸福感”が強まっていくのに違いない。私のように「仕事」=「会社」などと考えられない人は、会社に拘束されることが苦痛に感じられるだけなのだが、「仕事」=「会社」を実感し、拘束されればされるほど“愛されている”と感じられる人は、残業にのめりこんでいくに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

街の“お店屋さん”が消えていく

2018-02-10

まだ正式決定ではないが、ソフトバンク&ヤフー&イオンによる“新たなショッピングサイト”が誕生する。既にヤフーとイオンは別個に通販サイトを持っているが、より大規模な通販サイトを誕生させることで、急速にその勢力を拡大中のアマゾン通販に対抗しようとしている。アマゾンを警戒しているのはヤフーだけではない。ネット通販の老舗「楽天」も先頃、米流通大手ウォルマートと組んで新たなサイトを立ち上げることを表明した。さらに、セブン&アイ・ホールディングスも通販大手アスクルと提携、それぞれが共同戦略によって「アマゾン」と対抗していこうとしているのだ。こうして、いつの間にか“昔の商店街”というのは、どんどん隅へと追いやられていく。個人商店ではとても対抗できない時代に入りつつある。確かに“商品”は安く、早く、手に入るのかもしれないが、その代り身近な通りへと出掛けて、それぞれのお店を巡って、お隣さん的感覚で“お買い物をする”という時代は遠ざかりつつある。そのせいだろうか、一時期、衰退していたデパートが最近、息を吹き返しているような気がしてならない。デパートの方が、昔のように対話の中で人の眼を見ながら“お買い物”が出来る。もしかすると、われわれは、やっぱり街の中の“お店屋さん”の方が、何となく“欲しいものが買えた”という実感を得ることが出来るのかもしれない。確かに、アマゾンとか、楽天とか、ヤフーとか、便利だし、安いし、早い。ただ、時々何かが違うと思う時がある。例えば自分の欲しいものがあっても、画面上にそれがなかなか出て来ないのだ。特殊な商品とか、高額な商品とか、昔の製品とか、何らかの必要性があって、どうしても“それ”が欲しいという時がある。ところが画面上では、どう書き込めば、或いは、どこを探せば、それに辿り着くのかが中々解からない。そういう時、生き字引のような店主さんとかがいれば、すぐに教えてもらえるのに…と思ったりする。便利な世の中になって、安くモノが得られるのも良いのだが、街にそれぞれの“お店屋さん”が並んでいた時の方が、何となく浮き浮きして幸せだった幻想を持つのは、私だけなのであろうか。

「スルガ銀行」が“毒リンゴ”を勧めた⁉

2018-02-09

「かぼちゃの馬車」を知っているだろうか。シンデレラの物語に出て来る。けれども、シンデレラの話ではない。“危うい投資事業”の話だ。話はかなり複雑である。ここに出て来る多くの投資家は“小金持ち”で“大金持ち”ではない。“小金持ち”なので、本来であれば“お金”に困るような人たちではない。けれども、彼らは、もう少しだけ上の“金持ち”を目指した。或いは老後の“余裕資金”を目指した。だから“危うい投資事業”に自らの財産をつぎ込んだのだ。その数、約700名に及ぶ。そういう人たちがオーナーとなっているのが「かぼちゃの馬車」という名の若い女性向け“シェアハウス住宅”だ。謹慎明けのベッキー氏が「シンデレラは夢をかなえるため馬車に乗った」とテレビCMでアピールしていた。葯900棟存在していると言われる「かぼちゃの馬車」だが、その運営・管理を手掛けているのはSD社である。つまり投資事業に興味のある“小金持ち”のオーナーたちを募って、各棟のための金融ローンを組ませて、どんどん事業を拡大していくのがSD社の方針だった。実際、この方式は見事に当たって、事業はどんどん拡張した。現在でも100棟ほどが未完成だが建設中とか更地状態にある。「かぼちゃの馬車」名義のシェアハウスは急拡大したのだ。多くの“小金持ち”たちは、そこに目がくらんだ。こんなに急拡大しているのだから、多くの人達が参加し、サラリーマンでも投資しているのだから、そしてSD社が家賃を保証してくれているのだから、大丈夫なのに違いない。そして何よりも「スルガ銀行」で“融資の審査”が通っている。年収が700万でも1億円の物件が手に入る。そして、毎月、何もしなくても家賃60万円がSD社から振り込まれ、そのうちの45万円をスルガ銀行に還していけば良い…“小金持ち”のサラリーマンにとって、理想の老後生活が夢見れるのだった。まさに「かぼちゃの馬車」のシンデレラのような心境だったに違いない。ところが、事実は、さまざまな部分で違っていた。SD社が家賃を保証できたのは、事業が順調だった場合の話だ。現在は“破綻寸前”である。もう家賃の保証はないのだ。実際には、シェアハウスはそんなに需要のある賃貸ではなく、4割ほどしか埋まらない。他の事業でも成功しているかのごとき説明は嘘だった。そうなると、スルガ銀行への毎月の返済だけが重くのしかかってくる。年収700万のサラリーマンに月々45万の支払いなど、土台が無理なのだ。つまり、ローン審査が通ったこと自体が“怪しい”のだ。もしかすると“毒リンゴ”を勧めた一番の張本人は「スルガ銀行」かもしれないのだ。

当りそうもない事象ほど的中する!

2018-02-08

昨年12月に出た『この占いがすごい!2018年版』(波木星龍著・八幡書店刊)の中に「日本の平成30年の出来事」というページがある。早い話が、2018年の日本に何が起こるか、を予測する「コーナー」だ。四つの占法を駆使して、日本に“起こるかもしれない”出来事を予測していく。これらは半年以上も前に書いている。一般の雑誌とか新聞のように、年末に執筆するわけではない。ハッキリ言うと、眼蔵めっぽう書くわけだ。もちろん、占星学、干支学、易占学、タロット学それぞれの角度から一応占って書く。ただ他の占術家たちの雑誌や新聞に発表している記録を調べなおせば解かるが、こういう形の年間予測というのは極めて難しい。もし、私以外で、具体的にその年の特徴的な物事や出来事をズバズバ当てている人がいたなら、ぜひ教えてもらいたい。来年の『この占いがすごい!』に登場して頂く。何が言いたいのかというと、そのタロットによる判断の中で「冬場は予期せぬ寒波の来襲に要注意です。局地的ですが交通手段が絶たれ、一時的に孤立するところが出て来そうです」と記されている。今まさに、福井市では一時的1400台の車が立ち往生し、身動きが出来ず雪の中で夜を明かさなければならない状態が続いている。またホロスコープによる判断では社会的な事件として「銀行や証券会社など金融機関に絡んだ事件が多くなります」と記している。言わずと知れた“仮想通貨流出事件”が年初から起こった。既に私が予告していた“日本株の急落”も起こった。こういう一般的に予期しないような出来事や事象ほど的中するように出来ている。運命というのは「一寸先は闇」という古典的な表現が、そのまままかり通る世界なのだ。だからこそ、良いことも悪いことも予め知って置けば、それに備えて準備を整えることもできる。「転ばぬ先の杖」としての役割を担うため、占いというのは存在しているのだ。

日本最初のカジノは「大阪」で決まり⁉

2018-02-07

ラスベガスなど世界27か所で「カジノ」などの“統合型リゾート施設”を運営しているMGMリゾーツ・インターナショナルの会長・ジェームズ・ボンドならぬジェームズ・J・ムーレン氏は6日「大阪の夢州でIRを実現したい」と発言。日本初のカジノ施設は大阪をターゲットとして考えていることを明言した。彼によれば、それ以外の地域は眼中にないそうだ。その理由は“人気観光地へのアクセスの良さ”と“食文化の豊かさ”だそうである。確かに、欧米人が好む「京都・奈良・神戸」に大阪は近いし、交通網が設備されている。“食文化”は大阪だけに限らないと思うが、総体的に関西風味の方が欧米人に受けそうではある。フレンドリーな性質も関西人が優っている。つまり、彼の狙う外国人とは「欧米人」を意図している。日本に来る外国人の多くが近隣諸国だということは考慮に入れていないかのようである。確かに“埋立地”である「夢州」なら広い面積が確保され、地域住民との摩擦の心配もない。要するに無駄な労力や経費を使わなくても済む。しかも、彼は日本の各企業と提携して事業を進めたいと希望している。その方が「日本らしさ」や「独自性」を打ち出せると考えているようだ。つまり、彼は世界27か国での経験は生かすが、日本では「日本らしさ」を前面に打ち出した“新しいタイプの統合型リゾート”を企画しているのだ。アメリカの方式を日本にそのまま持ち込んでも上手く行かないことを見抜いている。「日本」を愛し「日本」をよく理解している経営者なのだ。確かに、大阪は一番先に手を上げたところであり、立地的に恵まれていることは間違いがない。例えば、沖縄や北海道にもってきても、欧米人を何度も通わせることが出来るか、という点になると疑問符が付く。海外のセレブたちを飽きさせない所を最初のターゲットとすれば「大阪」こそ最適の地なのだ。

「地球温暖化」より「地球氷河期」が怖い!

2018-02-06

6日~8日にかけて、日本列島は「寒気」に抱かれる。朝方の気温が沖縄などを除くと、全国的に“氷点下”となるのだ。まあ私の住む北海道などは、冬場はいつも“氷点下”で慣れているので慌てることはないが、普段の年は“氷点下”になることがない四国や九州まですっぽりと「寒気」に抱かれる。つまり“北海道の冬”というのはどういうものかを、旅行しなくても体験できる貴重な朝方なのだ。私は北海道で、しかも2月生まれなので、本来なら“寒さ”には強いはずなのだが、大変に弱い。だから、すぐ近くで「札幌・雪まつり」をやっているのだが、見に行こうという気持ちになれない。まあ地元TVではいろいろと映してくれるので、わざわざ見に行かなくても…と思ってしまう。多分、その内、街中まで出る機会があって、通り掛かりに見ることにはなるだろう。とにかく私は、本当はもっと暖かいところで生活したい。一年中15度~25度くらいのところが理想的だ。暑すぎるのも困るが、何と言っても寒いのは困る。そう言えば、今年の1月9日《世界で「気象」が荒れ狂っている》と書いたが、そしてカナダやアメリカ東部で「爆弾サイクロン」と呼ばれる寒気団が発生し、氷点下50度に近い寒気が襲っていることを伝えた。つまり今年の“異様な寒気”は世界的なのだ。昔「地球温暖化」が叫ばれ、毎年どんどん“気温が上昇していく”という報道はいったい何だったのか。むしろ、このような冬が続くと「地球氷河期」が再び襲って来る…という都市伝説の方が現実味を増していく。徐々に気温が低下していって、やがては地球全体が氷点下50度の世界に変わって、核戦争など何もしなくても「人類滅亡」というストーリーだ。万一に備えての対策を、世界が一つにまとまって考えるべき時期に来ていると、この寒気団の空の上から「雪女的な女神」が告げているようで、怖い。

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