“女性は強い”と思うことが時々ある。タレントの相原勇は細身であるが巨漢の曙を見事に寄り切っていた。一年以上前に放送された“対決番組”の中で、現在はハワイで夫と暮らしているタレント相原勇氏が、元横綱で現在はプロレスラーとなっていた曙氏と“因縁の対決”をしたのだ。番組では20年前の“婚約騒動”を取り上げ、相原氏が曙氏に謝罪を迫った。曙氏は“約束が違う”と怒り出し、番組は破たん寸前まで行った。関係者が何とかなだめて、結局二人は“和解”した格好で番組は終えた。だが、どこをどう見ても、あの番組は相原勇の“寄り切り”勝ちだった。それから間もなく、曙氏は体調を崩し、心不全で意識不明、病院に窮境搬送された。そして、その後、彼の報道は消えた。今回、彼が注目を浴びたのは同時代に活躍した貴乃花親方が“辞める”と言い出したからだった。兄弟である元若乃花にも注目が集まったが、彼は何故か入院・リハビリ中の曙氏を見舞った。そうして久しぶりに曙氏の近況が明らかになったのだ。210キロあった体重は140キロとなり、記憶障害が残っていて会話も十分には出来ない。そういう曙氏に対して元若乃花(花田虎上)氏はエールを送った。兄弟である貴乃花氏には状況的にコメントが難しい。せめて曙氏にエールを送ることで、自分は“冷たい人間ではない”と言うことを、元若乃花氏は示したいような気がした。親子・兄弟間は大人になって境遇が変わると“親愛の情”をストレートに表すのが難しい。ましてや、マスコミに追われてきた二人であれば、直接的には弟を支え難い。けれども、心の中では“幼い頃”と変わらない情愛が潜んでいることを示したいような気がした。そして同時に、昔の“同僚”ともいうべき曙氏に対しても、“良き同僚・良きライバル”としての親愛の情を表わそうとした。そこには、どこかに、自分も“女性には苦労をした”というアピールが含まれているようにも見えた。確かに、別れた最初の妻(花田美恵子氏)は、現在タレントとして時々TV番組に出ている。そうして養育費などのことを話したりしている。しかも、相原勇氏と同じハワイに在住している。昔の同僚以上の“仲間意識”を持ったとして無理はない。考えてみれば、貴乃花も曙も若乃花も“横綱”として君臨した人たちだった。けれども、いずれも女性達には弱く、すぐに敗れるのだった。
“闇の中”を抜けたという感じで、ドル円相場も、日本株も、力強い上昇が始まっている。当面の“課題”が一応クリアされた格好だからだ。特に、私が注目するのはドル円相場で、ここに来て明確に“ドル高方向”へと舵を切ったかに見える。前から言っているように、なんだかんだ言っても、日本株は“円安”に傾かないと勢いづかない。なぜなら外国人は“ドル換算で日本株を見る”からだ。したがって、円安方向に動かないと、ドル換算では上がっていても、円換算では上昇できない。一時期ほどではないが、ドル円相場と日経平均とは“相関関係”にある。極端なことを言えば、円安方向にさえ動いて行けば、黙っていても日本株は上昇するように出来ている。輸出企業の多い日本株は、基本的に円安が進んだ方が利益が出やすい。しかも、今は“原油価格”も丁度良い水準にある。原油が1バレル大体60ドル~80ドルの範囲内にある時が世界的な“相場上昇”を促す時なのだ。この点は日本株にとっても重要で、ヨーロッパからの資金の多くは、この価格に左右される。つまりヨーロッパとはいうものの、実際には“中東”からのオイルマネーが長期資金で日本株を買うかどうかに掛かっているからだ。オイルマネーに余裕が出て来ると、必ず日本株は買われる。原油価格が50ドル以下になってしまうと、中東からの資金はいっせいに引いていく。そういう意味では、サウジアラビアからのオイルマネーを自由に使えるソフトバンクの“投資枠”は徐々に拡大される可能性もある。今年8月まで、ドル円相場は“もみ合い状態”だった。年初は1ドル113円だったが、4月には105円まで円高が進んだ。それと歩調を合わせて日経平均も大きく低迷した。今年7月には一時的に113円まで戻したがすぐに切り返された。そして8月には109円台まで巻き戻しが起こった。そこから徐々に挽回し、9月半ば以降は明確に“ドル高方向”に動いて7月高値も抜け、現在は113円台後半にある。日経平均の方も9月上旬に22250円まで低迷したが、その後に切り返し24250円(28日高値)まで丁度2000円も一気に急騰していたことになる。しかし、急騰はこれで終わりではない。いったん動きを止めるかもしれないが、再び2000円分急騰して一気に2万6千円に“王手をかける”ことになるだろう。その場合は、必ずドル円相場も連動して117円まで上昇していくに違いない。
静かに流行しつつあるものとして「セカンドパートナー」というものがネット上で紹介されていた。何となく訊かなくても解りそうな感じの名称だが、一応、その定義があるらしい。つまり、既婚者にとっての“友達以上不倫未満の関係”を「セカンドパートナー」と呼ぶらしい。ナルホド。この場合、当然のことながら“不倫未満”なので、性愛関係に至らない男女の仲ということになる。それでいてパートナーと呼ぶくらいだから、“精神的な一体感の強い相手”と言うことになる。大抵は既婚年数が5年以上で、互いの“自由”を認め合う夫婦間に発生する。したがって、基本的には“家庭を壊さない”という暗黙の条件を持っているようだ。ただ名称こそ新しいが、こういう関係は昔から存在していた。要するに“愛人関係”や“不倫関係”の一歩手前までで留まっている関係。おそらく、セカンドパートナーがじわじわと浸透して“市民権”を持ってきたのは、一つには近年のマスコミ報道が大きく関係している。政治家や芸能人などが“不倫騒動”で徹底的に世間からバッシングされる。昔は、或る程度まで大目に見られていた“不倫や不貞の行為”が、まるで“犯罪”でもあるかのように徹底的に世間から叩かれる。日本人は元々潔癖感の強い人が多く、本来なら仕事とは直接関係ないはずなのに、今後の仕事や職場を奪うようなペナルティを課さなければ気が済まないかのようである。そういう社会的な風潮もあって、今や仕事上で“汚点”を残したくない人は、身綺麗さを守り通さなければならない。昔のように、社長だから愛人が何人もいる…とか言ってはいけない時代なのだ。そこで本来なら“不倫関係”にまで発展しそうな場合でも、面倒なことになりたくないから「セカンドパートナー」に留めておこう、ということになる。心身とも賢く贅沢な人達が選択する“大人の関係”と言えるのかもしれない。若い人たちのアンケートで最初から“sexに興味がない”人達が意外なほど多くなってきている。その内、日本では「ファーストパートナー」と「セカンドパートナー」を、それぞれ持つことがステータスになっていくかもしれない。
10月8日の新宿公演を前に“新作の舞”「果し合い」の練習を“幽鬼”のように続けている人物、それがギリヤーク尼ケ崎氏だ。今年の新宿公演は、彼の“街頭デビュー50周年”の記念公演でもある。齢88歳。大道芸人であり創作舞踏家。誰もが一目で記憶に残る“独特の風貌”。現在はパーキンソン病で手足が震え、脊柱管狭窄症で背骨が曲がり、車いすが無ければ遠くへは行けない。ハッキリ言って“踊り”を踊れるような身体ではない。それでも、なぜか踊る時だけは手肢も震えない。今回披露するのは“新作”である。もっとも、この人の“踊り”に本当の意味でのストーリーはない。気合で踊っているからストーリーなど重要ではないのだ。私が、彼を見たのはまったくの偶然だった。たまたまお祭りの“出店”を見に行ったときに、裏手に回ったら、彼が裸で黙々と踊りの練習をしていたのだ。今からもう40年以上も前の夏である。彼の周りには誰もいなかった。独り、ひょうひょうとふんどし姿で踊っていた。私には、それが異様に見えた。すぐ傍を離れようと思ったが、なぜか身体がいうことを利かないのだ。そのまま5分以上、私は立ち尽くしていた。彼は黙ったままで、黙々と練習し続けた。私の方を一瞥したが、それだけだった。裏道なので狭く、大胆に動き回ることなど出来ない。多分、彼は踊りの順序的なものを確認していたのだろう。まだ、当然だが、彼は若かった。それまで私は彼のことを知らなかった。それなのに風貌は独特で“路上で踊り続けている人”であることが一瞬で判った。「私には出来ないな」というのが、率直な感想だった。同時に「何かが憑依しているな」とも思った。その当時、私はアルバイト的に“占い”を行っていたが、路上で行ったことはなかった。お祭りのイベントで誘われ「路上鑑定」を初めて行ったのは、確かその翌年だったような気がする。私が直接彼を見たのは、それが最初で最後だった。今回の「果し合い」には、俳優・近藤正臣氏から譲り受けた“刀のつば”が使われるという。この人の十八番は“大きな数珠”である。赤いふんどし姿で数珠を振り回しながら、飛び跳ねて踊る。もちろん、今は飛び跳ねるなど出来ない。気合だけで“幽鬼”のように踊りながら、観る者すべてに“生きるとは何か”を問い掛けるに違いない。
今年9月17日を最後に閉館した“六角形のコンサートホール”がある。47年前に建てられた「北海道厚生年金会館」→「現・ニトリ文化ホール」である。“雪の結晶”をデザインした建物で、だから“六角形”なのだ。北海道を代表するコンサートホールで、その舞台は“総ひのき”で出来ているが、北海道へと来た場合は、この舞台に上がることが“一流芸能人の証”とまで言われた。老朽化により閉館したのだが、この建物には出演者を人目につかず“逃れさせるための抜け道”があると関係者の間で囁かれ続けてきた。実は舞台で使う“せり”を使えば隣接するホテルのボイラー室へと入ることが可能であるらしい。そのボイラー室は駐車場へとつながっている。“噂”では、世界のYAZAWAなどもここを使って出入りしたらしい。このホールには私個人も“想い出”がある。なんと今から40年も前に、この舞台に上がっているのだ。なぜ上がっていたのかというと「北海道作詞大賞」の栄えある第1回目の受賞者となっていたからだ。もちろん「波木星龍」という名前ではなく、ちょっと恥ずかしいので出せない名前でだ。何んと、あの北島三郎氏によって歌唱された曲である。その様子はTV放映もされ、スポーツ新聞にもでかでかと載った。(日刊スポーツ新聞社の主催なので当然なのだが…)お恥ずかしい話、私は賞金目当てで応募してみただけだった。その当時、私は或る女性と恋愛し、婚約までしたが、結局、別れた。私の繊細なハートはひどく傷ついていた。そのせいもあってか風邪をひき、会社を休んでいた。(これでは、まるで「男はつらいよ」の寅さんではないか)その時、ラジオから流れて来たのが「北海道をテーマにした歌詞募集」のお知らせだった。風邪が治りかけていたせいで、布団にくるまりながら作ったのが「流氷の愛」という“変てこりんな歌”だった。まさか北島三郎氏が歌うなど想像もしていなかった。若い女性歌手が歌うための歌として作ったのだ。誰が北島三郎氏に“女性の悲恋歌”を差し出したのか。あの時、北島三郎氏は「他の奴はみんな“女ごころ”を歌ってヒットしてる。今度はオレの番だと思うんだ」と言っていたけど、評判が悪かったのか、翌月になったら「風雪ながれ旅」を大々的に売り出し、私の“変てこりんな歌”はヒットしなかった。そういうわけで、トロフィーは受け取ったが“哀しい想い出”の舞台となった。
最近は仕事では滅多に札幌から動かない。その私が珍しく動いた。あまりにも熱心に天童春樹先生や天晶礼乃先生から何年もの間、大阪で“占いの講習会”を開くよう勧められたからである。まあ、ハッキリ言うと断り切れなくなっただけなのだが…。考えてみれば、最近は私のところへ関東や関西の遠方から、熱心な占いの生徒さんや鑑定希望者がやって来る。たまには私の方も出向いてあげるのが“礼儀”というものかもしれない。そういう気持ちもあって“重い腰”をあげた。それに、いつも“マンツーマン”で教えているが、たまには多くの人を対象に講義するのも良いかもしれない。その前日に企画された《大宴会》というのにも興味があった。ただ私は普段、あまり“おしゃべり”な方でなく、むしろ“無口”なので、来て下さる方達が積極的に訊いてきてくれると良いが、そうでない場合は白けてしまう不安もあった。まあ、こちらは天道先生に任せておこうと決めた。《大宴会》で驚いたのは、熱心な“占星術研究者”が多く、私の『占星学秘密教本』を持ってきた方が3人もいたことだ。宴会なのに私の分厚い本、それももう23年も前の本なのに、持ってきてくれるなんて感動ものである。その内、占星学の本も“新たな本”を出そうと思った。私はこれまで手相の本、占星学の本、四柱推命の本、易占の本、風水の本、占い全般の本などを出してきたが、あまり“同じ占術分野”の本を何冊も出していない。通常の執筆者というのは、同じ占術分野の本を、似たような感じの本を、何冊も続けて出すものだ。私の場合は“同じ分野”の本でも、出来るだけ“違った形の内容”で出したいので、そういうことをしていない。大昔、私は手相家・門脇尚平氏の本を、彼が新たな本を出すたびごと購入していた。ところが、彼の本は手型だけは入れ替えてあるが、その中身としての内容はまったく同様なのだ。正直、やや不満だった。それで、彼から電話が来た時に、そのことを話してみた。そうしたら、彼は「出版社の編集者の頭が固くてね。今回など原稿の三分の一くらいは減らされてしまっているんだ」と言い訳した。私は、彼が手相以外の“余分な原稿”を入れようとしたに違いない、と思った。なぜなら、彼の本でいつも違っていたのは手相とは直接関係のない部分だったからだ。そうではなくて“手相そのものの原稿です”と言いたかったが呑んだ。彼は、手相そのものに関しては30年間ほとんど“発見”がなかったのかもしれない。私は、自分が感じたのと同じ印象を読者に持たれないよう“新たな内容”の占い本を書きたいと思っている。
新日本プロレスのエース・棚橋弘至氏が主演する映画であることは知っていた。その内容も、棚橋選手が“悪役レスラー”として登場する映画だということも知っていた。ただ、その原作が人気絵本の『パパのしごとはわるものです』だったとは知らなかった。映画の方では『パパはわるものチャンピオン』のタイトルで昨日、初日の舞台挨拶が行われた。もちろん、主演した棚橋弘至氏も登壇し「こんなに大きな劇場で、多くの皆さんの前であいさつできると思っていなかったのでうれしい」と語り、映画スタッフから手紙や寄せ書きを贈られ涙していた。この映画は、いろいろな意味で価値がある。まずプロレスが題材の物語であるが、実際のプロレスラー、しかも新日本プロレスのエースが主演していること。通常、こういう設定だと、誰か“覆面レスラー”に“悪役の覆面レスラー役”を依頼しそうなものである。その方が、本来は自然なのだ。実際、新日本には何人かの覆面悪役レスラーもいる。ところが、そうではなくて“正義の味方”ともいうべき棚橋弘至氏に“悪役”を依頼した。そして棚橋選手も、それを快諾した。その経緯については知らないが、選抜した方も、それを受け入れた方も、両方とも素晴らしい。昨今、スポーツ界では“正義”が“悪”を裁く構図が多い。この映画では「パパはわるもの」なのだ。多分、“悪者”になった棚橋選手は、日頃、誰よりも“悪者”と闘っている。悪者レスラーの覆面は剥ぎ取らないが、剥ぎ取らなくても、その中に“どんなパパ”がいるのかを知っている。だから“悪者”を演じることに躊躇がなかったに違いない。そして、今の子供たちは、どういう仕事であれ“悪者を演じる”父親を理解しようとする。ぼんやりだが“正義の味方”だけが仕事ではないことを感じ始めている。だから『パパのしごとはわるものです』という絵本が人気となったのだろう。私は幼い頃、漫画で“般若の仮面”を着けられてしまうと、もう“悪者”としてしか生きられないストーリーに何故か興奮した。子供たちは、自分の中にも“わるもの”がいることを気付いているのだ。
さまざまな分野で“奇跡の療法”と呼ばれるものが存在する。正式な“医学療法”もあれば“民間療法”もある。ただ、どちらの療法にしても人によって“合う・合わない”はあって、誰にでも“確実に効く”と言う療法は少ない。そういう中で、今最も注目されている療法の一つに、がん細胞をピンポイントで攻撃する「光免疫療法」と呼ばれるものがある。アメリカの国立衛生研究所の主任研究員・小林久隆氏は、2015年から既に治療実験を開始し、脅威の研究成果を掲げている。簡単に言えば、15人のがん患者のうち、14人のがん細胞が縮小し、そのうちの7人は完全にがんが消滅したのだ。この療法のすごいところは、がん細胞だけをピンポイントで攻撃できることで、副作用がまったくない。がん細胞以外まで弱らせるということがない。しかも短時間で済む。高額な治療費にならない。患者自身の“免疫細胞”自体が復活するので、再発することが少ない。その“奇跡の療法”を小林久隆氏指導の元、日本の国立がん研究センターでも今年3月から本格的研究に着手した。このところ著名人が立て続けにがんで亡くなっているが、この療法はかなり病気が進行している状態でも“手遅れ”とはならないことで、そういう意味でも理想的な治療法なのだ。具体的には①抗体にIR700という色素を一体化させ静脈注射で体内に入れる。②1日~2日で抗体はがん細胞と結合する。③結合した抗体に“近赤外線”の光を照射する。④IR700は“近赤外線”を受けると化学反応して、がん細胞膜は壊れ始める。⑤1分~2分経つと、がん細胞は膨張し過ぎて最終的に破壊されていく。⑥がん細胞により機能が停止されていた“免疫細胞”が蘇る。再発を防ぐ。以上のような過程を経ることで、この療法は成り立っている。したがって、体内に注射して1日待たなければならないが、その後はTVのリモコンと同じ“近赤外線”と言う光を使って、ピンポイント照射するだけなので、痛みもなく、化学反応してくれるのだけを待てばよい。但し、私はデータ研究で、15人の内で1人は“効果がない”ことに注目したい。別に“消えて”しまわなくても良いが、全員が縮小していないのは理論上からすると奇妙である。もしかすると、その部分が、今後、意外な“落とし穴”として浮上するかもしれない。
永年、日本人をやっているが、時々、未だに“知らなかった言葉”に出くわして面食らうことがある。今回は「宥恕=ゆうじょ」だ。決して「遊女=ゆうじょ」ではないので、念のため。さて「宥恕」とは何だろう。辞書には「寛大な心で罪を許すこと」と記されている。ナルホド…それにしても聴き慣れない言葉だ。普段、使う人などいるのだろうか。実は、昨日、元夫人で女優の松居一代氏を“名誉棄損”で訴えていた俳優・船越英一郎氏の代理人弁護士が、彼の言葉として「今回に限り、松居一代氏を宥恕することにしました」と述べたのである。そこで、初めて、私は「宥恕」なる言葉を聴いた。いや、もっと前から聴いていたかもしれないのだが、初めて聴いたような“違和感”を憶えた。どうして「宥恕」等という難しい言葉を使うのだろう。そうして、調べたところ、この言葉は、主に“示談の時”に使う法律用語に近い言葉であることが判明した。つまり、19日に松居一代氏は“不起訴処分”になったのだが、それは捜査段階で被害者と加害者との間で、示談書が交わされた可能性が強かったからのようである。つまり、示談が成立したので、不起訴処分になったのだ。だから、松居一代氏の方もブログで「新しい人生がスタートします」と更新している。つまり、松居氏側が起訴されたくないので“示談”を持ちかけ、船越氏側がそれに応じたということである。まあ、元妻が“手切れ金”のようなものを元夫に渡したということである。どっちがストーカーだかわからないような“最終決着”だが、何にしろ、一件落着、メデタシ、メデタシの事件ではないか。それにしても、松居氏の“迫真の演技”は素晴らしかった。さすがは「2時間ミステリーの帝王の妻」だけのことはある。そして、これでようやく、船越氏は“自由な恋愛・結婚”が出来ることになる。バイアグラでも何でも自由に使うことが出来る。それにしても示談の「宥恕」は、何と多くの人々に“明るさ”と“希望”を取り戻させる言葉だろうか。
9月18日発売『新潮45』10月号の特集では、8月号で問題となった自民党・杉田水脈氏の論文《「LGBT」支援の度が過ぎる》に対して、擁護する趣旨の論文を掲載。《そんなにおかしいか「杉田水脈」論文》として寄稿者7人に語らせている。これに対して、同じ出版社である新潮社から「新潮社出版部文芸」という形で、もう批判を展開しているのだ。つまり、同じ出版社の人間同士で、特集記事というか、杉田水脈論文というか、それに対して“擁護する側”と“批判する側”に分かれて論争し合っている状況なのだ。通常、こういう思想的な論争は、出版社とか雑誌社が中に立つ形で、双方の論文を掲載したりする。或いは、左翼系の雑誌と右翼系の雑誌とが対立する形で、それぞれに特集したりする。しかし、今回は、そのどちらでもない。同じ出版社の中で、謂わば“報道系”編集者たちと“文学系”編集者たちが対決し合っている印象なのだ。それに対して、一般からのネット反応だけでなく、異なる出版社からもエールが届いている。例えば「岩波文庫編集部」や「河出書房新社」といった“別企業の編集者たち”が個人としてではなく集団として「新潮社出版部文芸」の『新潮45』特集批判にエールを送っているのだ。中々にややこしい。つまり、総じて“文学世界の関係者”たちは「杉田論文」を“許しがたい”と思っているようなのだ。そして、それは現代においては“世界的傾向”であり『新潮45』の編集者たちやその支持者たちに、間違いだと認めさせたがっているように見える。その一方、世間的に指弾された格好の『新潮45』では、社会的識者たちにも「杉田論文」の支持者はいるということを伝えたいに違いない。どちらの主張が「正しい」とか「正しくない」よりも、私はこのような特集が雑誌で組まれ、堂々と発売され、それに対して自らの社内から“大いなる批判”が寄せられる、さらにはライバルのはずの他社からもエールが送られる、そういう日本という国は“なんて素晴らしい国だろう”と思ってしまう。そうなのだ。これこそが「自由の証」ではないか。あらゆる分野で、こういう“自由”がなければならない。近年は、全ての人が“一つの方向”を向いていないといけないかのような風潮が強まりつつある。そういう日本であってほしくない。思ったことを自由に言えない国にだけはならないでくれ!
今年は“自然災害”が多い。日本だけではなく、世界的に多い。次から次へと報道されていくことで、或る種の“マヒ”のようなものが起こる。なんとなく、大した災害ではなかったかのような“錯覚”が生まれるのだ。半月ほど前に起きた「北海道地震」も、それを体験した私自身でさえも、大したことではなかったかのような記憶にすり替えられつつある。けれども、それは私が室内のランプや陶の置物や大きな置時計などを壊した程度で済んだから言えることで、同じ札幌でも、液状化現象が起きた清田区や道路が陥没した東区では、未だ復旧のめどが立たない地域も多い。住宅の崩壊だけで言えば、札幌市が厚真町などよりはるかに多い。清田区里塚で自宅のリフォームを地震の1週間前に終えたばかりの人物がいる。彼は最近、足腰に不安の出てきた奥さんのため、20前に購入した自宅をバリアフリーへと670万円をかけてリフォームし、8月30日に完成したばかりだった。その日は仕事でタクシー会社の営業所に居る時間帯に地震に遭った。すぐ自宅へと駆け付けると、奥さんは家の中で寝たままの状態であったらしい。玄関が地震により開かないので、庭の窓から奥さんを戸外に救出した。これで二人の生命は確保された。この時点では、家は見た目だが傾いていなかった。ところが、それから徐々に“家の傾き”が始まる。液状化現象で陥没と土砂流出が始まったからだ。そうして半日くらいの間に、完全に自宅は役所の係員から「危険」の赤紙を貼られる住宅へと変わった。もう、とても住める状態ではない。こうして被災者用の公営住宅が与えられることになったが、今、空きがあるのはエレベーターのない4階や5階が多く、障碍者手帳を持たない奥さんは“足腰が悪い”と言っても通用しないのだ。自然災害には、このような一般報道だけからではわかりにくい“運・不運”がある。よく火災に遭って“焼け太り”するような幸運な人もいれば、わずかの違いで“命を落とす”とか、すべての“財産を失う”人もいる。そして“不運”な人は「悪魔の爪痕」にもがき苦しみながらも、どこにもそれを訴えることが出来ず“爪痕”と共に生きていくのだ。
夫婦生活が長くなると、時々、相手の兄弟などから“頼まれ事”を受けることがある。或る新聞記事によれば、先日亡くなった女優・樹木希林氏は夫である内田裕也氏の実姉から頼まれ事をされていたらしい。その頼まれ事とは「もし、先に死ぬときは裕也の首を絞めて死んで行ってよ」という恐ろしい話だ。もちろん、冗談なのだろうが、それくらい齢をとっても“我が弟”の素行を心配していたらしい。同時に、それくらい樹木希林氏の“手綱さばき”を信頼してもいたのだろう。もっとも、この夫婦は40年以上“別居婚”で一緒に暮らしているわけではなかった。だから実際には“手綱さばき”といっても、年に一度会うか会わないかの関係の中では無いに等しい。それでも、どこかで“二人は繋がっているのだ”と、実姉らしい本能的な感覚で頼んでいたのに違いない。近年、樹木氏は、全身がんで“夫の面倒をみれる”ような状態ではなかった。それでも“役者魂”で仕事だけは死の直前まで辞めなかった。一方の内田裕也氏も、昔のような破天荒さは影を潜め、大人しくなったが“ロック魂”は継続していて年末恒例のロックフェスティバルには出演したいと頑張っている。但し、高齢で足腰が弱り、現在は“車いす生活”である。妻である樹木希林氏の葬式には参加したが、常に支えを必要とし、一人では歩くことも出来ないようである。ショックが大きいということでマスコミへのコメントもなかった。昨年の夏、転倒して骨折するなど、もう身体はボロボロなのだ。奇妙なもので、夫婦ともにここ何年か急速に衰えていた。たまたま今年7月、フジテレビで内田裕也氏の特集番組を放映したが、そのナレーションを担当したのは樹木希林氏であった。まるで夫婦としての“最期の役目”であるかのように、それを引き受けた。さて、樹木希林氏は逝ったが、義姉との約束である「首絞めて」を実行するだろうか。少なくとも、ロックフェスティバルが終わるまでは実行しないだろう。それ以降に関してはわからない。今年、4月、女優の朝丘雪路氏が亡くなり、その4か月後、その夫で俳優の津川雅彦氏が亡くなった。時々、そういう現象が起こる。「首絞めて…」と頼むのは、考えものなのかもしれない。
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