秋篠宮さまも今日でもう53歳。だから、もう白髪で良いのだが、それにその方が“お似合い”なのだが、なぜか今回のお誕生日会見での秋篠宮さまは“黒髪”だった。それが私には一番気になった。完全な白髪と白髭を生やし、和服姿でサングラスをかけ、長いステッキなど持って現れたら、何となくみんな黙りそうなのだが…。“白髪”から“黒髪”と言えば、元NHKの「麿さま」こと登坂淳一アナも、先日出演した道内番組では白髪から黒髪へ変身し始めていた。こちらは、どうも自然な変化のようで、フリーとなって緊張感が解けたせいなのか、黒髪に変わり始めていたが、この人も白髪の方が“お似合い”であった。秋篠宮さまの場合、眞子さまの結婚が近づいて、海外にも映像が放映される可能性があり、“祖父”に間違えられる可能性を嫌ったからなのであろうか。その“眞子さまの結婚”だが、どうも暗礁に乗り上げたまま身動きが取れなくなっているような印象が強い。私の勘では、世間のバッシングさえなければ、ご両親としては「娘の意思を尊重してあげたい」気持ちが強いように思われた。つまり、一部週刊誌が騒ぐほど、親子間の“亀裂”が深刻なわけではない。親が娘の結婚を心配するのは当然のことであり、そういう意味での“相克”はあっても、親子間で全面的に衝突しているわけではない。もしかしたら、結婚に対する一番の反対者は「宮内庁」なのかもしれない、という印象を私は持った。秋篠宮さま自身は、国民が皇室に対して抱く“普遍的イメージ”を取り払いたい気持ちの方が強いよう感じられた。だから、あえて新天皇誕生に即して行われる「大嘗祭」に掛かる費用を、国費で賄うことに対しての疑念を口にされた。確かに、長きにわたって続けられてきた仕来りだからと言って、宗教行事に20億以上の予算を計上するのは純粋に言えば問題がある。「身の丈の在った形でやりたい」という意見を、ここでも宮内庁は黙殺したらしい。どうやら「宮内庁」というところは古式のまま継承していくのが自分たちの“責務”と認識しているらしい。そうであれば、当然、眞子さまの結婚相手にも口を出す。何分、血統がよろしくないからだ。これを一般庶民として考えると、娘の結婚に対して親そのものより、親戚一同が許さない状況に近い。運命学的には“相性の良い”組合せなので、結婚させた方が良いと思うのだが…。
世界的に見ると“日本のホテル”というのは今一つ知名度に乏しい。いや日本国内であっても、いかにも“高級”といった外観や雰囲気を備えているホテルのほとんどは外資系だ。純粋な日本のホテルで誰もが高級と感じられるのは「帝国ホテル」「ホテルオークラ」「ニューオータニ」の“御三家ホテル”のみだ。最近では「星のや」などが加わってきているかもしれないが…。これだけ外国人観光客が増えてきているのに、外資系ホテルばかりが次々建ち並んでいくのはなんとなく寂しい。そこで日本を代表する「帝国ホテル」が“新たな手”を打とうとしている。京都の祇園にある国が指定した“有形文化財”の一つ「弥栄会館」を改修して“高級ホテル”に様変わりさせてしまおうというのだ。この会館は1936年に建築された建物で、欧風建築と日本建築を見事に融合させ、地上5階、地下1階で独特の外観を醸し出している。もっとも、現在は“文化財”であるから勝手に建て直すことは出来ない。各方面との調整が必要だが、老朽化していることもあり、内部改修そのものは許可されるだろう。「帝国ホテル京都」とするのにふさわしい外観なのだ。京都の場合、建物の“高さ制限”があるので、ホテルであっても高層建築が許されない。そういう意味では、こういう“文化財的な建物”や観光対象でもある“遺跡的な建物”を上手く活用して、ホテル化していくのが、大胆な投資が難しい日本のホテル業界“にとって望ましい方向性”であるよう私には感じられる。もし、ここが成功すれば、各地に眠っている“文化財的な建物”も次々とホテル化していくのが良い。ここは場所的にも八坂神社に近く、夜でも日本情緒を愉しめる散歩が出来そうである。こういう一等地は、京都の場合、既に何らかの建物が建っていて、簡単に立て直すことが出来ない。そういう意味でも、この戦略は望ましいのだ。京都なのだから「リッツカールトン」とか「フォーシーズンズ」とか「ハイアット」とかの外資系ではなく、日本らしい品格の「帝国ホテル」を現出させてほしい。
ときどき「格」というものを考える。ここでいう「格」とは、四柱推命などで用いる「格局」の「格」ではなく、人間の「器(うつわ)」的な意味合いが強い“人間としての「格」”だ。よく「格が違う」等という言い方で使われる。この「格」だが、本当のところどういう基準から言っているのか、言っている本人にもよく解からない。なんとなく、感じてしまう時に無意識で用いることが多い表現だ。なぜ、こんなことを言い出したのかというと、最近、日産自動車の社長である西川広人氏の画像がTV等に映ることが多いからだ。また三菱自動車の社長である益子修氏の画像も時折出る。この二人、どこか似ている。両者ともに、額が狭く、額の横ジワが目立ち「八の字眉」なのだ。謂わずと知れたカルロス・ゴーン会長の下で社長職を続けた。本来なら、社長の方が、それこそ「格」が上なのだが、両社の場合にはゴーン会長がすべてを取り仕切っていた。実際、ほとんどの日本人はカルロス・ゴーンの名や顔を知っているが、西川社長や益子社長の名や顔は、そう言われれば…と思い出す程度の知名度しかなかった。特に、西川氏の顔は、世界に名だたる自動車会社の社長職にありながら、今一つ“社長っぽい顔”ではない。もっとも、観相学的角度から見れば西川氏の顔貌も決して“悪い顔”ではないのだが、多くの人が思うように“大会社の社長”をイメージさせるような“お顔立ち”ではない。ゴーン氏とは、それこそ「格」が違う印象を受ける。やはり、ゴーン氏の顔貌は良くも悪くもインパクトが強く、“格上”の印象を持つ。しかも、これらは人相学的な評価ではない。ごく普通の日本人の多くが持つ評価である。ここが問題なのだ。つまり、彼らは「日産」や「三菱」を、“世界の一流企業”として、大会社の社長として、これからも継続・繁栄させていけるのか、「八の字眉」の人は“部下・後輩”を重んじる。目上との関係には気苦労が絶えない。まさに、そういう形で、これまでは来たに違いない。さてカリスマを失って、彼らはどうリードしていくのか。世界に羽ばたく“大会社の経営者”としての「格」が乏しい彼らは、それでも子会社や協力会社も含め、何千、何万といる部下・後輩のため、今度は大株主・フランス政府に対して“気苦労”絶えない日々が続くことだろう。
最近は何でも「平成最後の…」という触れ込みが付く、確かにその通りだが、こういうものにまで使うのかと首をひねるケースが多い。そういう中で、文字通り「平成最後の新橋芸者」としてお披露目デビューしたのが“小夏さん(23歳)”だ。現役芸者・小喜美さんに火打ち石を打ってもらい置き屋「菊森川」を出発。おひいきどころの料亭など挨拶に回る。小夏さんが髪に挿したべっ甲性のかんざしは、小喜美さんが50年前デビュー時に使った思い入れある品。それだけ減を担ぐ世界が花柳界だ。と書いて来て、実は私自身は“このような世界”にはトンと“縁”がない。ただ興味はある。実は「新橋」というのは、東京の花柳界の中で「芸の新橋」と呼ばれ、もっとも格式が高いらしい。東京には、新橋、赤坂、神楽坂、芳町、向島、浅草の“六花街”があり、京都には、祇園甲部、宮川町、先斗町、上七軒、祇園東の“五花街”があるのだそうだ。昭和50年ごろには新橋の芸者だけで250名もいたらしい。それが現在では50名余りに減った。アイドル志願の女性は多いが、しつけの厳しい芸者志願の女性は稀らしい。本来は格式が高く、一般人は“覗く”ことを許されない「新橋芸者」の世界だが、昔から「東をどり」と呼ばれる舞台だけは一般公開していて、昭和初期には「まり千代」という大スターを生んだ。連日、その姿を一目見たいと押すな押すなで大変だったらしい。現在も年に2回「東をどり」は行われている。昔から、日本を象徴するものとして海外に知れ渡った「歌舞伎」「相撲」そして「芸者」に「侍」だ。まあ「侍」を求められても困るが、それ以外のものは今に伝わり、伝統的に継承されている。私は、以前から“日本独自の占い”も何とか継承したいと思っているが、実際にはなかなか難しい。そういう意味でも、平成最後の新橋芸者・小夏さんにはぜひ頑張って、アラビアの石油王を虜にしてほしい。
この時期になるとタレントたちの「カレンダー合戦」が始まる。その何番目なのかは知らないが、タレントの壇蜜氏が2019年向けカレンダー発売イベントを行った。壇蜜氏と言えば“過激なハダカ”で知られるが、近年はきわめて大人しく、ファンからの要望で“どこにでも飾れるもの”としてのカレンダー写真なのだそうだ。確かにフルヌードはリビングには飾りにくいのかも…。そう言えば私も、十代の頃、今でいうグラビアアイドルのカレンダーを壁や天井などに貼ってたっけ。自分の部屋で、文字通りハダカに囲まれて生活していたのだ。懐かしいなあ。それを見て母親がひどく恥ずかしそうだったのを今でも忘れない。なぜ自分のハダカでもないのに母親が恥ずかしそうだったのか、きっと「こんなハダカばかり天井に貼ってどういうつもりなの」と嘆いていたに違いない。でも我が偉大な母親は“恥ずかしそうな顔”をしたが、私のすることに文句を言わなかった。何んと“素晴らしい母親”であったことか。ところで壇蜜氏は、今年の誕生日もクリスマスも“デートの予定”はないそうで、クリスマスは3年連続で“人間ドッグ”に入るそうだ。しかも、いまは“恋愛”よりも“雑誌連載”が欲しいらしい。う~ん、これは重症だな。雑誌連載を望むなんて、私と同じじゃないか。今年から始めたのは“ヘビを飼う”ことだそうで、自宅の中でコーンスネークと言われるヘビを飼育しているらしい。う~ん、これはますます重症じゃないか。ヘビを飼うようになった女性で、すぐに恋愛とか結婚に突き進んでいった女性を私は知らない。つまり、ヘビを飼うようになると女性の“結婚”は何故か遅れるのだ。実際、よほどの男性でないと、独身でヘビを飼っている女性の部屋を訪れようとはしないものだ。そう言えば、お祭りの見世物小屋で“ヘビを食べる女”を見たことがある。生きているヘビをその場で殺して生のまま食べるのだ。あれには度肝を抜かれた。そのうち壇蜜氏も「可愛いものですよ」と言ってヘビを身体に巻いて出て来たならご用心。「ヘビ女」として、生きていくよう変身し出した合図だからだ。
「赤ちゃん本舗」が実施している新生児の“命名ランキング”によると、何故か3年連続で男子は「蓮(れん)」、2年ぶりに返り咲く形で女子は「葵(あおい)」がトップとなった。以下、簡単にご紹介すると、男子は「大翔(ひろと)」「陽翔(はると)」「樹(いつき)」と続き、女子の方は「結菜(ゆうな)」「陽葵(ひまり)」「咲良(さくら)」と続いていく。一時期、世の中を席巻していた「キラキラネーム」は完全にランク外だ。まあ、ストレートに読める名前はまだまだ少ないが、それでも一時期の“まったく判読不可能な名前”はなくなった。実際、判読不可能な名前は、成長後の子供がかわいそうである。誰にもまともに読んでもらえない。必ず、訊き返されたり、書き間違えられたり、呼び間違えられたりする。つまり最初からハンデを背負った“名前”なのだ。もっといけないのは“特殊な当て字・難しい漢字・バランスのとりにくい字”を用いる名前だ。幼い頃は、どうしても“画数の多い漢字”は書きとりにくい。それが自分の名前なら、嫌でも“その名前”を書いてから、答案用紙に取り組まなければならない。特殊な当て字やバランスのとりにくい文字は、大人になっても“見た目良く書く”のは難しい。こうして、どんどん自分の名前が嫌いになっていく。自分の名前が“嫌い”なのは、運勢的にも良い影響を与えないものだ。これは「姓」も含めてそうであるが、自分自身が嫌いなのに、他の人が好きになってくれるわけがない。だから、そういう人は“改名”した方が良い。画数だけでなく、“自分に合わない姓名”は、似合わない洋服や髪形と同じで、その人を引き立てない。人は、本能的に“自分に合っていない名前”を嫌うものだ。戸籍名を変えるのは難しくても、“通用名”を変えるのはそれほど難しいわけではない。現代は「性別」さえも比較的簡単に変えられる時代なのだから、戸籍上の姓名も、もう少し簡素な手続きで変えられるようにした方が良い。そうして、親からの最初の“贈り物”である“名”を成長過程で変えていく“戦国時代方式”があっても良いのではないか。もし犯罪防止の観点から難しいなら、第二の“別名制度”を導入しても良いような気がするのだ。気に入らなければ、名前も変え“気分一新”で、救われる人たちが多数出て来るような気がする。
11月の第4金曜日、アメリカでは「ブラックフライデー」と呼ばれる。その7日後の最終金曜日は「プレミアムフライデー」と呼ばれる。この両方の「フライデー」が今一つ盛り上がらない。というか、もうマスコミ以外、誰も関心を示さない。少なくとも日本はそうなのだ。アメリカの場合は、ブラックフライデーが一年で一番“モノが売れる日”なのだそうだ。クリスマス商戦の前哨戦とでもいおうか。きっと、今年も“大盛況”だったに違いない。けれども、日本では、これをマネて導入しているお店も増えたのだが、それを目当てに来る客はほとんどいない。一つには「フライデー」そのものが、特別な日として認識しにくいからだ。日本企業の多くは実質“完全週休二日制”が定着していない。いや土日休みでも、その分、金曜日は残業となるケースが多い。金曜日に多くの企業が半日とか、午後3時終わりとか、せめて5時までとか、そういう風に変われば、その後、ゆっくり買い物をしようか、飲みにでも行こうか、という気分が生まれる。ところが、日本の企業の場合、11月の今頃というのは年末に向けてラストスパートをかけている時期で、定時上がりの企業は少ないのだ。さらに、もう一つ、宗教的な問題もある。日本では金曜日を「特別な日」とは考えないが、イスラム教国では「金曜礼拝の日」で休日としている国も多い。ユダヤ教国では「安息日」前日として夕方から外出する風習も多い。日本人の場合、音の響きとしても「ブラックフライデー」は“暗い金曜日”のようなマイナスイメージが強い。元々は“黒字になる日”で“ブラック”なのだが、“ブラック企業”等のイメージで定着している日本は、仮に安くなっても、何となく“まともな商品ではないのではないか”と勘繰りやすい。そういうわけで日本人にとって、金曜日は必ずしも“プレミアム”なイメージではない。それなのに強引に結びつけ、押し付け的に「プレミアムフライデー」を広めようとしたのだが、結局、腰砕けの状態で、何となく口に出すのも「恥ずかしい言葉」に変わってしまった。いっそのこと日本では「フライを食べる日」としてキャンペーンを張った方が、はるかに普及しそうな気がするのだが…。
近年、国と国との衝突が“ささいな出来事”をきっかけに始まるケースが多くなった。しかも、それには必ず“SNS上の拡散”が絡んでいる。上海で11月21日に開催予定だったイタリアのブランド「ドルチェ&ガッパーナ(D&G)」のファッションショーが中止となった。ドルチェ&ガッパーナ側がSNS上に投稿した動画が中国文化を侮蔑していると批判が拡大し、出演予定だった俳優やアイドルが相次いでショー欠席を表明、中止せざるを得なくなったからだ。問題の動画とはどのような内容なのかというと、アジア系女性がピザなどを箸を使って不器用に食べる様子を短く捉えたもので、二つの観方ができる。その一つは、確かに“ちょっと見下した感じ”の「それでも欲しいんでしょ」的なアピールの仕方。もう一つは「それぞれご自由に…」という感じのジョークっぽい宣伝の仕方。どちらにしても、それほど“悪意”に満ちているように私には思えない。ただ「侮辱している」と言えば、確かに侮辱している。中国人の多くは、これを「文化を見下している」と捉えたようだ。ただ、その中国も最近アフリカの諸国に対して「見下したような発言があった」ということで世界的に批判を受けた。近年、金満家となった中国は、アフリカや東南アジアに対し“札束でいうことを利かせる”場面が目立っている。今回の出来事も、捉えようによっては、中国を見下せばどういうことになるか教えてやる的なSNS批判の拡散と思えないこともない。多くの批判を受けたステファノ・ガッパーナ氏が、その後SNS上に“汚物の絵文字でののしった”という画像も出てきたが、これはガッパーナ側によれば彼らのSNSがハッカーに乗っ取られて行われたものだと説明している。果たして真実がどこにあるかはわからないが、SNS上の“拡散”は人口の多い国に“さまざまな弊害”をもたらしやすい。一瞬にして“真実かどうかもわからないこと”が世界に広がるのは、新たな時代の“大きな落とし穴”になるようで怖い。そして、近年、国同士の「プライド」がぶつかり合うことが多くなった。互いを“認め合う精神”を培って行かないと、小さな小競り合いの絶えない地球になる。
「未開の島」という表現が、よくTVや雑誌などで使われる。21世紀の今日、もはや“そういう島”などないのではないかと考えられがちだが、実は違う。それを証明したのが、昨日飛び込んで来た“信じがたいニュース”だ。アメリカ人の若者が“未開の島”とされているインド東部アンダマン・ニコバル諸島の一つ「北センチネル島」への上陸を試み、弓矢の放射を受け、その後、首に縄を巻かれて引き摺られ、翌朝、死体姿で沿岸に放置されていたのを近隣漁民が発見した。実は彼は11月14日にもその島への到達を試みたのだが上手く行かず、いったん引き返した。そこで止めておけば事件は起こらなかった。ところが、若者は入念な準備をして再度チャレンジした。彼は地元漁民に金を渡して接近できるところまで船で案内され、その後、単独でカヌーを使って島へと近づいた。おそらく、地元漁民は警告したはずだ。「これ以上接近するのは危険だから止めた方が良い」しかし、好奇心旺盛の27歳ジョン・チャウ氏はきかなかった。実は、その地域はインド政府でさえも手を焼いてきた地域で、海軍用のへりにさえ強大な弓矢を打ち込んでくる。“実態がつかめていない島”なのだ。先住民であるセンチネル族の人口がどれくらいなのかさえ判然としていない。外界との接触を拒否して、誰も立ち入らせないからだ。仕方がないので現在は「保護政策の対象地域」として、その区域内に人が立ち入ることが無いよう海軍が周辺を巡回している。その内部へと向かったのだから、自己責任が問われる案件だった。一説に、この周辺の島民は、日本人の縄文人とY染色体のDで共通性があるとも言われ、最古のアジア人の血統を継ぐ人種とも推測されている。そう言われると、日本人も“鎖国時代”は同じような行動をとっていたわけで、彼らが特別“野蛮人”なわけではない。その成果として、われわれは日本独自の文化を多数今日まで継承し続けることが出来た。そして今また世界のさまざまな国で“グローバルな繋がり”を拒絶し始めている。そう考えると、彼らが“外敵”を弓矢で襲うのも、日本の鎖国時代が続くような地域として、Y染色体が近いわれわれは理解すべきなのかもしれない。
誰にでも多少の「正義感」はある。だから深夜に「助けて‼」とか「もう止めて‼」といった若い女性の大声が聞こえてきたなら、その場に駆け付けてあげたい。すぐに助けてあげたい。本能的にはそう思うのだが、いざ実際にそういう場面に出くわして、すぐ駆け付けられるかというと、そうはいかない。第一、どんな場面なのかがわからない。相手が複数で凶器を持っているような場合、助けに向かって殺されてしまう場合だってあるからだ。11月19日の午前3時、札幌のススキノにある立体駐車場から、その悲鳴は聴こえた。丁度、後輩達とその場を通りかかったのが、長与千種氏だった。80年代「クラッシュギャルズ」として一世を風靡した元女子プロレスラーである。彼女はすぐに、現場に駆け付け、若い女性に馬乗りになっていた男性の身体を引き離した。「何やってんのよ、止めなさい」無意識に相手の両腕を抑え込む形になっていた。相手は長与氏の力に驚いたのか「もう、暴れない」と抵抗をやめた。そこで長与氏が手を離した瞬間、男は彼女の髪を鷲掴みにして後ろに引き摺り倒そうとした。ここで一般人であれば拳や膝で対抗できる。けれども、プロ格闘家は手出しができない。プロ格闘家の手足は“凶器”をみなされるからだ。仕方なく、長与氏は倒されまいと踏ん張った。相手の手を抑えようとしたが、逆にその手指もひねられた。すぐに後輩たちが男を取り押さえたが、少し遅かった。その結果、長与氏は大量の髪の毛を引き抜かれ、小指を骨折したのだ。改めて“正義の使者”としての「長与千種」の存在を知らしめる結果になった事件だが、彼女だったから軽傷で済んだ。もし、一般人であれば“小指の骨折”くらいでは済まなかったかもしれない。しかも、この事件、馬乗りの男女は“夫婦”であったことが後に判った。たまたまススキノ警察が近く、警官がすぐ駆け付けたから良いものの、もし犯人が逆上して暴行され、夫婦とも逃げ出せば“傷だらけ”のまま放置されることも十分あり得る。「正義感」は、ほどほどにしないと…。
もう何年前のことだろうか。私は何気なく、その記事を読みながら「どうしてこんなに差があるんだろう」と不思議に思った記憶がある。カルロス・ゴーン氏の役員報酬が、他の経営者たちに比べて突出して多かったからだ。確かにゴーン氏によって“日産”は復活した。それは誰もが認めるところだ。けれども、他の大企業の経営者達と比べて、あまりにも“差”があり過ぎる。別に何の根拠もなかったが、私は“何かのからくり”があるのかな、と自分を納得させた。ところがである。事実は小説よりも奇なりで、彼の役員報酬は、もっと多かったというのだ。彼は約20年間にわたって、日産のトップにあった。今回、東京地検が問題としているのは、そのうちの5年間の報酬額である。つまり、本当はもっと前から行われていた可能性があるのだ。役員報酬だけで、しかも捜査対象の5年間だけで、実際は99億9800万円だったのを、49億8700万円に過少記載していたというのだ。早い話、100億だったのを50億にしていたという話。実際には、もっと貰っていたのだ。実は東京地検が動いているのは、それだけではないからだ。“虚偽投資資金の支出”及び“会社経費の私的流用”の二つも、捜査線上に上がっているからだ。もしかすると、こちらの方が本丸かもしれない。もし、全面的にこれらが暴かれると、何百億もの“黒い金”が動いていたことになる。しかも、その使い道が“闇”に包まれている。ゴーン氏は日産だけでなく、フランス・ルノーの会長も兼ねている。フランスでは以前から、彼の“高額報酬”が問題となっていた。やはり、ここでも彼だけが突出してその報酬額が大きかったからだ。早い話「どんだけ儲ければ気が済むの」という思いを、洋の東西で感じていたのだ。日産は今頃になって、ゴーン氏独りだけに権力が集中し過ぎたと反省している。同じ自動車業界で頑張っているトヨタの豊田章男社長でさえもやっと3億円になったばかりで、日本企業の場合、本来はその辺が“妥当線”なのだ。まあゴーン氏の言うごとく“グローバル企業”の年間報酬として10億円を得ても問題ではない、という認識が間違っていないにしても、それなら何故“本当の金額”を記載しなかったのか、という問い掛けになる。いずれにしても、私のささやかな“救い”は、去年まで持っていた日産の株を、もう所有していないということだ。ゴーン氏が社長を辞めたので“売った株”だったが…。
鳥取県には「弥生時代」の大量の人骨が手つかずで残っている遺跡がある。大体は2世紀ころの人骨が多いとされているが、それらのDNA分析を進めた結果に対する中間報告が行われた。それによると弥生時代前期、日本に早くから定住していた“縄文系”人種の数は乏しく、そのほとんどは朝鮮半島や中国大陸から渡って来た“渡来系”人種に属する骨が占めていたというのだ。早い話、現在の日本人のルーツを調べたら「純日本人」と言える人は少なくて、その多くは“海外からの流れ者”であり、それも朝鮮とか、中国大陸から“渡ってきた人達”だった、という驚くべき結果なのだ。キムチが好きな人や麻婆豆腐が好きな人は要注意(?)。実は祖先は「朝鮮人」や「中国人」かもしれないのだ。そう言えば私も「周易」が大好き。これは、もしかして“中国→周王朝”からのDNAではないのか。しかし待てよ、西洋占星学も好きだ。バビロニアからの“回し者”なのか。いや、やっぱり家具・インテリア・ファッション等のデザインはイタリア好みだ。きっと中世イタリアの遺伝子が入っているに違いない。というわけで、私は誰でしょう。大丈夫か、私の祖先。実は韓国のSNS上で「もし中国・日本・韓国が“一つの国”になったら、どう変わるのだろう」という問い掛けがあったそうだ。それに対して、多くの人達は「ありえない」と返したそうだ。確かに、顔かたちは似ているけれども、中身というか発想の根本が違うからなぁ。その問いかけに応えるかのように、今度は中国メディア東方網で「もし中国、日本、韓国が一つの国になったら」という記事が組まれた。もちろん、ここでも「ありえない」という前提付きながら「新しい国は、スーパー超大国となってアメリカを抜き、世界をリードしていく国になる」と結論付けている。う~ん、“スーパー超大国”か。実は、古代の“邪馬台国”がそうだったってこと、中国や韓国には黙っていた方が良さそうだな。
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