何でも凝り過ぎると「病気」の一種として“世間”は扱う。例えば「合コン」などでも、2500回以上参加しまくった…と聞くと「そりゃ病気だね」ということになる。そう確かに彼女は病気だったのだ。それも「乳がん」で“ステージ4”という重い症状だった。にも拘らず「病気」の彼女は「合コン」への参加を止めなかった。その結果、いつの間にか「がん」の方が退散していった。こうして「乳がん」を克服(?)した彼女は、それを漫画本にまとめて『乳がんステージ4だった私が、それでも合コンに行きまくって救われた話』(白戸ミフル著・キノブックス社刊)という長いタイトルの本を出し、漫画家としてのスタートを切った。職業はいろいろだった。化粧品関係とか、広告関係とか、メディア関係とか、とにかく「合コン病」である彼女は、どんな仕事の時にも「合コン」を忘れたことはない。それで特定の男性をゲットするのが楽しいのではなく、男女のさまざまな反応が垣間見られるのが楽しい…というちょっと変わった性質なのだ。それにしても、普通“がん宣告”を受け、それも“ステージ4”と訊けば、大体は落ち込んで「合コン」どころではなくなる。けれども、彼女の場合は違った。「この状況を愉しまないと…」と前向きだったのだ。もっとも、そうでなければ「合コン病」は続けられないし、“乳がん”も克服できなかったことだろう。物事、何でも“死ぬ気”で取り組めば、その道の王道を極めることが出来る。結果「合コン病」の方が強かったので「乳がん」は徐々に敗退していった。こうして、現在のところ再発の兆候は見られない。昔、がんになってしまった人が、どうせ死ぬならということで“世界旅行”を試み、あちこちとまわっている内に何故か「がん」が消えてしまった、という話を読んだことがあるが、もちろん、全ての人に通用する法則ではない。ただ「人生楽しまなきゃ損」という発想は、どんな逆境でも跳ね返すパワーを秘めているのかもしれない。
自分の子供が途中から“思いがけない方向”に向かい出してしまうことがある。そんな時、親は、どう捉え、どう受け止め、どう見守ることが正しいのか。その一つの回答を二人の“親”が証明している。その一人は片岡鶴太郎氏だ。彼自身、いろいろと職業を変遷してきた人物だが、その彼の息子(次男)で洋画家である荻野綱久氏の個展が11月17日~30日まで六本木のモンテカルロギャラリーで行われる。綱久氏は元々ミュージシャンとして活躍していたが、5年前に“予知夢”のような夢を見る。自分が画家になった夢だった。そうして気付いてみれば父親と同じ“絵を描く”道を選んでいたが、まったく父を意識したことはないと言い切る。その息子の個展ギャラリーの開催前日に駆け付けた父親は「一生をかけて追及できる仕事を見つけたんだな」と一人前となった洋画家を眩しそうに見つめる。もう一人は昨年タイで“性別適合手術”を受けて話題となったGENKING「元輝」→「沙奈」の“母親”である。16日、息子だった「元輝」が「沙奈」として里帰り報告する密着番組が放映された。母親は息子から娘に変わった子供に対し「私自身は双子を産んだと思っています。元輝と沙奈を私が産んで、運悪く元輝の方は亡くなってしまった。そう考えた時、スーッと自分自身が納得できるようになった」と語っている。そして、現在の「沙奈」に対しては「女らしく生きることを勉強しなさい」と母親らしい言葉を贈った。どう変わろうと、自分の子供であることに変わりはない。そして、その子供の幸せを願わない親はいない。親にとって、子供はいつから“別人格”になるのだろう。親の手を離れた子供は“生まれ変わって”帰って来る。さまざまな“生まれ変わり方”があり、親の手が届く場合もあれば、届かない場合もある。届かない場合には「双子だったのか」と自分を納得させる方法がある。幼い頃の“幻影”にしがみつくのは、親子双方のために良くないのだ。
最近はちょっとやそっとの“変わり種ホテル”では人々は驚かなくなった。それでも地上から地下15階まで“降りていくホテル”というのは、かなり珍しい。“地下のホテル”というと、窓が無く景観が失われた暗いイメージを持つが、ここはそうではない。何しろ“豪華な五つ星ホテル”、その外観から内部まで“五つ星”に相応しい要素が揃っている。大きな窓からは魚たちの群れが見える。まさに“竜宮城気分”を味わえるホテルなのだ。もちろん、反対側からはリゾート感覚の美しい中庭や下界も見える。どうしてこういう不可思議な景観が楽しめるのかというと、元々ここが上海郊外の広大な鉱山跡地だったからだ。だから山を丸ごと刳り抜いた印象の地形を利用し、莫大な予算を投じリゾート開発を行ったのだ。そうして出来上がったのが地上2階、地下16階、高さ88メートルの奇妙な“五つ星”ホテルなのだ。2009年に着工して予定よりもだいぶ遅れ、9年かかってようやく完成の運びに至った。正式には11月20日から正式開業するらしい。竜宮城気分を味わえるホテルやレストランは確かドバイにもあったが、上海なら一度は見てみたい気もする。本当は泊まってみたい気もするのだが、その地下15階のスイートルームの一泊の料金を聴くと誰もが尻込みする。一泊170万円也。ちょっと高すぎるんじゃないの。いくら中国人が好奇心旺盛で、金持ちが多いといっても、ドバイの超高級ホテルよりも高すぎるのは問題かも…。それに向こうは超高層界の景色を眺められるからまだ良いけど、こっちは奇妙な“地下世界”だからなあ。“おさかなさん”たちと戯れるのも、最初の2~3日は良いけど、5~6日目なんなは飽きちゃいそうだし、何となく気分も沈んじゃうよ。かなり大きいホテルだから、或る程度、客室が埋まらないと投資分が回収できないような気もするのだが、果たして現在の“予約状況”はどうなっているのか。まさか、我が家の占いと同じような“予約状況”だなんてことは…⁉
人は誰も“争い”の中で暮らしたいとは思わない。それなのに世界のどこかで常に戦闘がある。争いごとの多くは互いの“主張”と“利害”に基づく。双方の主張がぶつかり、利害が交錯するから争いごとに発展する。どこかで妥協し合うことが出来れば、争いは収まり、互いに共存し合うことが出来る。そんなことは解かっているのに、それがなかなかできない。特に「国」同士は、妥協線を見出すことがなかなか難しい。その代表者は「国民」を背後に主張し合うからだ。けれども、そこは人間同士、何回も会って気心が知れて来ると、この個人としての“良好な状態”を“国同士”としても何とか築き上げられないか、と思うものだ。その代表的な二人が日本の安倍首相とロシアのプーチン大統領だ。二人はもう何度も逢っていて、互いに、その性質や考えを十分に知り尽くしている。日本的な表現を使えば“阿吽の呼吸”で意志が通じる間柄なのだ。特にプーチン氏はロシアの政治家では珍しく日本通である。だから、日本の国内事情も熟知している。もし、自分たちが“二国間の問題”を解決できなければ、その後に続く国のトップに上手くバトンをタッチできる自信がない。安倍首相としても、基本的に思いは変わらない。彼だからこそ“交渉できる”が、彼以外であれば交渉のテーブルにさえつかせてくれないだろう。9月の記者会見の時、プーチン大統領は唐突に「前提条件なしで平和条約を締結しよう」といったが、あれは日本人に向けてというよりも、ロシアの政治家や国民向けに言い放ったように、私には感じる。今回は「1956年の日ソ共同宣言を基礎として」という踏み込んだ内容で「平和条約交渉」を加速させることで一致した。そして、そのあと二人だけで“突っ込んだ議論”もしている。これは二人の間に“信頼関係”がなければできないことである。実際、こういう形で世界の歴史的な“平和条約”とか、“二国間協定”は結ばれてきている。政治外交でも、事業交渉でも、最終的には“相手を信じる”ことからスタートする。信頼のないところに締結や協定はあり得ない。そういう点で安倍首相は、実にさまざまな国のトップと締結や協定を結んだ。つまり、多くの国から、そのトップから“信頼されている”ということだ。その決断力、行動力、忍耐強さ、柔軟な交渉能力は、政治家としてもっとも必要な要素である。世界でもっとも多くのトップ政治家と握手した政治家として、ギネスに認定されるだろう?
既に25万人が“避難生活”を強いられている。竜巻でもなく、豪雨でもなく、地震でもなく、津波でもなく、火山噴火でもない。とにかく、もう44人が亡くなったことだけはハッキリとしている。そして6500棟の住宅が失われた。228人の行方不明者がいるとも伝えられる。“悪魔”の正体は森林火災だ。11月8日、カリフォルニア州の三か所で発生した山火事は強風にあおられ現在も広範囲で延焼中である。三か所で発生したのだがパラダイス地区の火災がもっとも激しい。本来はミサイル攻撃に備えたシェルター内に逃れた避難者は1400名にも達する。消火活動は航空機を使って消火剤を散布する方法などで行われているが、あまり効果が無いよう見受けられる。既にいくつかの町が丸ごと壊滅して廃墟と化した。おそらくは地図上から消えてしまうのだ。いつも思うことだが、アメリカは科学の最先端を行く国だが、自然災害にはからきし弱く、そして脆い。最先端のIT技術も、AI知能も、全く歯が立たない。生命体としての「地球」がアメリカに対して「神や地球に歯向かうな」と警告しているかのようである。トランプ大統領はアメリカの威力を世界に対して誇示している。けれども、しょせん地球大自然には勝てないのだ。生命体としての地球の前では、赤子の手がひねられるように崩れ落ちていく。私は20代の頃、近隣から出火した火事の巻き添えを食らって住宅を全焼してしまったことがある。ものを失ったことよりも、精神的に“焼き尽くされてしまった”というショックは大きいのだ。子供の頃、大雨による住宅の床上浸水も経験しているが、じわじわと水かさが増してくる部屋に居るのはいたたまれないものだ。大自然の威力をいやというほど見せつけられて育つと、人は誰でも地球大自然を崇めるようになる。本能的に跪くようになるのだ。そして、その大自然と共存するためにはどうすれば良いかを考えるようになる。太古の人々は、そうやっていくつものつらい経験の中から“風水”の原型や“素朴な占い”を見つけ出したのだ。
「判読不明の数字が書かれていた」「なぜ北海道沿岸で多数が目撃されるか解からない」「誰も乗っていないことが多い」「漂着した遺体からは国籍も性別も解からない」このようにニュースの一部だけ書くと、何となく“謎のUFO目撃事件”と重なっている部分が多い。けれども実際には空の話ではなく、海の話だ。日本海沿岸を漂流する木造船の話で、今年は特に11月に入って北海道の日本海沿岸に漂着するケースが多くなった。11月だけで23件、その多くは何故か誰も乗っていない。乗っていた5隻からは12人の遺体も回収された。ところが、これらの遺体には身分を明かすものがまったく残されていない。洋服は着ている場合と着ていない場合がある。遺体の多くは損傷が激しく性別すらも判然としない。それで、どこの誰ともわからぬまま火葬される。たまに船体の一部や衣服の一部からハングル文字が確認されることがある。辛うじて、それらが北朝鮮からの漂流船であろうことを窺わせる。冬場が近づくと、日本海では西からの季節風が強まり、その結果として簡素な木造船は押し流されてくるケースが多くなるのだという。やって来る目的や乗員が解からぬまま目撃されるものとして、時々撮影されるUFO映像がある。彼らもなぜやって来ているのか未だに判らない。いまさらと思う人がいるかもしれないが、1986年11月17日、JAL1628便でボジョレーヌーボの大量輸送を行っていた寺内機長など3名は、パリから東京へと向かう高度10600メートル上空で午後5時5分、アンカレッジの管制塔とコンタクトを取った直後、2機のUFOに遭遇する。2機のUFOはまるで並走するかのような状態で4分ほど目撃されたが、その後消えていった。何のことはない。それだけの話である。あの頃は、そういう話が頻繁にあった。無くなってみると妙に懐かしい。やがて北朝鮮からの漂流船も同じように“幻の存在”となってしまうのだろうか。海上保安庁から出される調書には、必ず「心当たりがある方は申し出てください」と記したのち火葬している。どこの誰とも判然としない遺体を写真も載せずに「心当たり」と記すのはどうしてなのだろう。
近年、海外で活躍している日本人は多い。特に芸術やスポーツの分野でそれが著しい。たまたま海外からのニュースの中で二人の人物が登場した。その一人は永久メイさん。まだ18歳の少女だが、中学1年で親元を離れてモナコのグレース・アカデミーに留学。そこを最優秀で卒業して後、今年5月ロシアの名門マリインスキー・バレエに正式入団、11月から日本への凱旋公演をする。3歳の時からバレエを始め、正にエリートコースで頂上を極めようとしている。もう一人はサッカー界から久保木優氏だ。さて「久保木優」という名をどれだけの人が知っているだろう。多分、これを読まれる人は一人も知らないに違いない。なぜなら、日本ではほとんど知られることもなく、当然、活躍するチャンスもないまま“海外プロ”を目指した人物だからだ。現在、日本には相当数の“サッカーチーム”が存在するが、そのどこからも彼には声が掛からなかった。通常なら、そこで“プロ選手”はあきらめてしまう。けれども、彼は違った。それなら海外のプロチームはどうだろう。彼はタイのチームを目標にし、入団テストを受け続けた。けれども、彼はとびぬけて才能があるわけではない。ハッキリ言えば、どこの国であろうとプロになれるだけの素質はなかった。それでも、タイ3部のクラブでならギリギリ拾ってくれるチームが存在した。日本には、その程度の力量の選手は山ほどいるだろう。その入団の後、彼は人一倍の努力をした。何しろ、タイでも使い物にならなければ、もう行く当てがない。大学を卒業して、2年以上も経っているので、普通の就職さえも難しい。ただ、彼にはプロ選手としてやっていけるという「根拠のない自信があった」と語っている。ここが重要なのだ。人は自分自身を見つめる「第3の眼」を持っている。誰でも持っている。その眼を信じることが大切なのだ。もちろんそれは根拠などなくて良い。ただ無理に“言い聞かせる形”で培った過信であってはならない。何となくの「確信」何となくの「未来」何となくの「予感」であれば良いのだ。彼はサッカー技術は優れていないが“得点すること”に関してだけは優れている自信があった。だから、その部分を必死で磨いた。実際に得点を重ねれば、見掛けよりも優れた選手として誰もが認める。実際、彼は得点数を増やし、2015年には“19得点”で「得点王」にまで輝いた。やがてタイを離れオーストラリアに向かった。ここでも得点を得る技術だけは他の選手よりも優れていた。さらに今年、彼はインドに向かった。現在は「ミネルヴァ・パンジャーブ」というチームに属している。そして、自らさまざまな企業に働きかけ、5社からスポンサー契約を得たのだ。日本では無名でも、海外で5社の企業スポンサーを持って活躍しているのは、彼が頑なに「自らの眼」を信じた“おかげ”なのだ。
北国の「雪」には、どこか“もの悲しい雰囲気”が漂っている。だから“冬”など無くなってしまうのが本当は良い。完全になくなってしまうのも少し寂しい気がするので、2週間くらいだけ“冬”がやって来て、足早に去っていくのが一番良い。いつも、この季節になると、そういう気持ちになるのだが、今年の神様はそういう私の気持を少しだけ汲んで“雪が降る”のを遅らせてくれている。ということもないのだが、どうやら今年は132年前(1886年11月18日)の歴史的な記録に次ぐ“遅い初雪”となりそうだ。北海道の初雪は、いつもなら10月下旬には降っている。そうして、また何日か経って雪は解け、いったん秋に戻ってから、再び11月の下旬とか、12月の初旬とかに“本物っぽい雪”が降りだす。そういうのがいつものパターンなのだが、今年はまだ降っていない。予報では、どうやら13日以降に降る予定らしいが、もう少し遅らせてはくれまいか。街がクリスマス一色になる12月半ばくらいが良いんだけどなあ。夜が明けると、辺り一面真っ白の“銀世界”に変わっていて、狭い煙突から真っ黒に汚れたサンタクロースさんが出て来て「今年はどんなプレゼントが欲しいですか?」と訊きに来る。サンタクロースさんは「ついでにシャワー貸してくれませんか」というんだけど、北欧の言葉だからよく解からなくて、おにぎりを一つだけ与えて追い出してしまう。私がまだ少年の面影を残していた頃、アダモの「雪が降る」という歌が大ヒットした。雪が降る街かどで愛する人をじっと待ち続けているという“切ない歌”だった。それこそ雪が降る季節の北国にはピッタリな歌で、どうも北国の冬をテーマにすると“寂しい歌”“別れの歌”“もの悲しい歌”しか思い浮かばない。私が20代まで過ごした室蘭は、同じ北海道でも北風が強く、雪が吹き飛ばされて積もらない。街角で人を待つなどとてもできない。その点札幌は、白い雪がしんしんと降り積もるので「雪が降る」の曲にピッタリな街の情景が出現するのだ。私は札幌へ来て初めてしんしんと降り積もる白い雪を見た。こういう街で育ったなら、焼き鳥をかじりながらの恋ではなく、もっとロマンチックな恋が出来ただろうに…と思ったものだ。
「あじさいの花」という名称はとても良い。いかにも障害者に優しそうな印象を与えるからだ。けれども、そういう“優しい名称”や“可愛らしい名称”の企業は大体が長続きしない。今「企業」と書いたが正確に言えば企業ではない。「就労継続支援A型事業所」と呼ばれる“福祉サービス事業”で、障害者に働きながら技術を身に付けてもらう施設と言って良いだろう。少なくとも、そういう“ふれこみ”で誕生させた事業所なのだ。大体、多数の障害者を雇うという事業所は、とても心優しい事業家か、又は悪だくみの得意な事業家か、どちらかしか手を揚げない。通常の事業家は、障害者を雇うこと自体“尻込み”しがちな点がある。それは或る意味でもっともなことで、一般の企業は“福祉事業”として事業を展開しているわけではない。それなりの収益を伴わなければ、企業として存続できない。余程、その企業にとって有益な技能とか知識とか体力とかを備えていないと、他の従業員の“お荷物”となってしまう可能性もある。雇い入れたくても、現実には難しいのが“障害者の雇用”なのだ。「あじさいの花」は岡山県倉敷市で開設していた就労継続支援A型事業所であったが、経営難から12月15日をもって事業所2ヵ所を閉鎖し、雇用してきた障害者130人を解雇する旨、通達した。実は“A型”に属する事業所は、どこも経営難に陥っていて、昨年から次々と閉鎖されている。元々障害者ばかりを集めて“仕事を与えよう”とすること自体に無理があるという指摘もある。確かに、その通りなのだが一時的には多数の事業所が誕生した。なぜなら事業所開設には都道府県からの“許可”が必要なのだが、福祉サービス事業ということで役所の審査が甘い。加えて、この事業が国からの“報酬”が与えられることになっているからだ。しかも、最初は“働いている”実態が無くても、与えられていた。極端な話、障害者さえ集めておけば、国から報酬が貰えたのだ。そこで法規が改善され“収益を得る労働”を行っていることが条件となった。その結果、次々と経営難に陥る事業所が出て来たのだ。どのような仕事であれ、ひと1人が生活していくための技術や知識や作業を身に付けるのは健常者であっても容易ではない。本当に心優しい経営者であれば、障害者ばかりを集める形式などとらずに、健常者に対する比率を高めていく企業努力こそ必要なのではないだろうか。
「二之湯智」→「山東昭子」→「佐藤ゆかり」それぞれの国会議員秘書を十年以上にわたって務めていた。それなりの能力が無ければ務まらない職務である。その一方で、密かに“強盗致傷”を繰り返していた。それが昨日再逮捕された上倉崇敬(かみくらたかゆき44歳)という人物である。「ジキルとハイド」という二重人格者の物語があるが、同じ時期に議員秘書をするかと思えば、強盗致傷の主犯格だったのだから、誰もが混乱する。実は、この犯罪、8年も前のことで京都市内の会社社長宅に強盗が入り、ナイフを突きつけながら両手を縛り、現金1億円を盗んで逃走した事件だ。なぜ8年も前の事件が、今頃になって犯人が割れたのかと言えば、2年前に起きた“強盗傷害”と手口が酷似していたからだ。そのことに気付いて再捜査したところ同一犯である上倉崇敬容疑者が浮上したのだ。彼は既に2年前の事件で刑務所に収監されていた。したがって再逮捕の形となった。それにしても、国会議員の議員秘書というのは、結構忙しい職務のはずである。収入も年間では1000万円近いのが普通だ。かなりの高収入である。その忙しい職務の間を縫って、彼は強盗に励んでいた。誰かに誘われたのではなく、むしろ彼が主導して行っていたとされる。良くない意味での“凄腕秘書”だったわけだ。実際、秘書時代には真っ赤なポルシェを乗り回し、佐藤ゆかり議員に対しても種々指図していたらしい。他の秘書のいうことなど聴かない佐藤氏が、彼のいうことだけには従っていたという証言まである。その割には、一人の議員に長く仕えていないのが特徴だ。通常、有能な秘書は議員の方が手放したがらないものだが、そうではなかったという部分に、彼の本性を垣間見る気がする。彼に関しては、同じ秘書仲間から、高級料亭で飲み歩いていたとか、いろいろな企業の社長名が話の中に出て来たとか、議員秘書らしからぬ振る舞いが見られたようだ。どうも、この「ジキルとハイド」君には、他にも隠された事件や繋がりが、もっとあるような匂いがするのだが…。
時々、怖いような計画が密かに実行されていく。昨日、日本産科婦人科学会に“子宮移植計画”が提出された。つまり、子宮のない女性に“子宮提供者”からの子宮を移植するための研究・実験を本格的に取り組もうという提案である。まずわれわれ(特に男性)が驚くのは、“子宮のない女性”が実際に存在しているという点である。私などは単純に女性は全員、子宮を備えて産れているものだと思っていた。ところが、そうではない女性達がいるのだ。生まれつき子宮のない女性を「ロキタンスキー症候群」と呼ぶらしい。それとは別に、がんなどの病気によって子宮が失われてしまう女性達もいる。何んと、その両方を合わせると、日本国内だけでも推計5~6万人もの“子宮のない女性”がいるらしい。すごい数ではないか。それなのに、われわれは最初から「私、子宮が無いんです」と言われても、真剣には取り合わず「冗談はやめてください」と言ってしまいそうなのだ。中には「えー、じゃぁ、元は男性だったんですか」と失礼なことを言ってしまうそうである。そういう女性達のために、日本でも“子宮”の臓器移植を行おうというわけだ。ただ、ここでいくつか疑問が起こる。ここで取り上げる“子宮”は人工物ではない。あくまでも成人女性から“提供された子宮”のことなのだ。そうすると当然、提供者たちは“子宮”が無くなる。もちろん、妊娠・出産のための臓器なのだから、50代以降の女性のものでは困る。若々しい女性達の子宮である必要があるのだ。そうすると、誰かの身体から、取り出さなくてはならない。「私はまだ若いけど子宮は要りませんから…」という女性達から譲り受けなければならない。献血と違って、与えても、また新たに生じて来るものではない。表現として相応しいかどうか疑問だが「腎臓」臓器の提供と似ている。一応、それが無くなっても生活に支障はきたさない。但し、ホルモンなどで多少の身体的変化は生じるかもしれない。欧米などではすでに実用化されていて、54例が報告され、そのうち13人の女性が新生児を得ている。大昔、赤ちゃんはコウノトリが運んでくるといった“大嘘つき”がいるが、子宮の売り買いによって、神様はまた一つ、尊厳を傷つけられることになる。
中米グアテマラの治安の良くない地域に日本人女性2人が暮らしていた。報道が正しければキリスト教系「エホバの証人」の普及活動を目的とした滞在だったようだ。映像で見る限り、とても若い女性達2人が暮らしていけるような地域ではない。夜になると真っ暗で、近所には商店も住宅も見当たらない。家も粗末な作りで、どうしてこのようなところで二十代の若い日本人女性2人が暮らそうとしたのか理解に苦しむ。極端なことを言えば、襲われること覚悟でないと暮らせないような地域なのだ。しかも、死亡した木本結梨香さんの方は、地元メディアによると最近複数の男たちから付き纏われていたという。11月5日、複数の男たちが深夜に窓を壊して、外から鍵を外して押し入った。明らかに“集団レイプ”を目的としていたのではないかと思われる。集団で来られた場合、このような暗くて人里離れた住居では近所に助けを求めようがない。おそらく彼女たちは必死に抵抗したに違いない。その結果、面倒になった男たちは殺してしまったのだ。もう一人のモロサワ・チエさんの方も重症だが命は救われたらしい。強盗ならば金品を持っていくが、今回の賊は何も奪っていない。カラダだけが目的だったのだ。それにしても、現在の中米は危険すぎる。トランプ大統領でさえも、中米から集団で押し寄せて来る移民たちを、兵士4800名を使って防ごうとしているのだ。貧しく危険なグアテマラは、その集団移民たちの先頭集団である。そういう“危険地帯”に20代の若い女性2人だけで乗り込んだのだ。いや、正確に言えば、教会側から布教のため“派遣”されたに違いない。そして多分、危険さの伴わない日本育ちの彼女たちは、まさか“襲われる”などとは夢にも思わずに“神の教え”を説こうとしていたに違いない。実際、彼女たちは村の若い男性達に接触していたのではないか、と思われる。特に木本さんはフルート奏者であるから、もしかしたらボランティア的に演奏活動をしていたかもしれない。彼女自身はそのつもりが無くても、美貌でスタイルも良かった彼女は若い男性達の性欲を刺激したのだ。おそらく、彼女の周りに集まった男性達は、彼女のフルートの音色を聴くのでもなく、彼女の神の教えを聴くのでもなく、彼女の魅惑的な容姿に惹き寄せられていただけなのだ。「神」の存在しない地域で、あまりにも無防備に彼らに接近し過ぎたのだ。
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