7月, 2020年

もはや「温帯気候」ではない日本列島

2020-07-07
日本の場合、やはりと言うべきか「防ぎようのない自然災害」の“新しい波”は「集中豪雨」で襲ってきている。それが異常な“今年だけの現象”になるのか、それとも“その後も続く開始年”になるのか見極めは難しい。ただ確実に言えるのは、日本の気候が90年代以降に大きく変化し始めている、という事実だ。それまでは「温帯気候」として、誰もが教科書で教えられ、実際に“その通り”だったのだが、どうも2000年代に入って純粋な「温帯気候(厳密には温帯湿潤気候)」とは言えなくなってきた。このことはデータ的にも、ある程度は証明されていて、毎年、雨の降る日数そのものは減ってきているのに、豪雨の発生頻度はじわじわと上昇しているのだ。もちろん、ちょっとだけよの雨の日が増えるより、短時間で集中豪雨としてやってくる方が災害に繋がりやすい。実はこれは“日本の南側”だけと考えられがちであるが、実際にはそうでもない。日本の北側というか、北西側というか日本海側は冬場にそれがやってくるのだ。つまり“大雪”“ドカ雪”が“集中豪雨”の代わりとなる。したがって夏は“雨による災害”が多くなり、冬は“雪による災害”が多くなる。それも、地域によって南東側は「雨」、北西側は「雪」という感じにバランスが取れる。と言って喜んでいる場合ではない。明らかに、日本列島の「気候」そのものが本来の「温帯気候」から“離脱”し始めている証ともいえるのだ。気温そのものも、ざっくりいうと2度~3度くらい上昇しつつある。上昇度合いは北の地域の方が高くなりやすい。それに対して沖縄などは気温そのものはそんなに大きく変化しないのだが、高温日数が増えていく。つまり、真夏状態が長く続く。もはや四季のハッキリした日本列島ではなくなってしまいそうなのだ。「夏」と「冬」が長くて「春」や「秋」の短い日本列島に変わってゆく。そして、集中豪雨とドカ雪が増えて農作物にも変化が出てくる。動物などの生態系にも変化が出てくるはずで、もしかしたら、近年、クマの出没が多くなったのも、このことと無関係ではないかもしれない。日本人の気質も、平安時代のような優雅さは消えて、戦国時代のように殺伐としてしまうのか…まあ21世紀後半だけどね。

「先住民族」に勝てない「文明」という“錯覚”

2020-07-06
われわれはどうしても「先住民」とか「原住民」という言葉を聴くと、アフリカの人々を連想しがちである。けれども、実際にはアフリカのほとんどは“文明社会”である。けっして弓矢を持って生活していない。そこへ行くと南アメリカのアマゾン流域には文字通りの「先住民族」が今も“弓矢を持って”暮らし続けている。彼らは「文明」に“乗り遅れた”のではない。「文明」を“拒否し続けて”今日まで来ているのだ。或る意味では、アマゾン川流域という自然環境が、それを択ばせたともいえる。熱帯雨林は通常の文明生活が役立ちにくい。例えば服装なども、湿度が高いので裸の方が楽なのだ。幼い頃から“狩猟民族”として育つと、文明社会の“変な仕事”であくせくするなんてまどろっこしい。食べたいものがあれば、射止めれば良いのだ。そのための“弓矢”だ。それに、何よりも「文明人」は弱い。その証拠のように、エクアドルのパスタサ県に暮らす先住民族は、いとも簡単に“二人の警察官”“二人の兵士”“二人の民間人”を捕まえた。この六人を“人質”として、新型コロナウイルスで亡くなった首長の「遺体を俺たちに引き渡せ」と要求したのだ。自分たちには、自分たちの“やり方”がある。首長の遺体は“神聖呪術”によって葬らなければならない。それが古代から続く「掟」なのだ。六人の人質を取られて、なすすべもなく、文明人たちは先住民族に、文明的なやり方で埋葬してあった“感染者の遺体”を掘り起こし、彼らの言う通りの場所へと運んだ。そうして、人質になっていた人々は解放された。ここで注目すべきは、そこに“二人の警察官”と“二人の兵士”とが含まれていたことである。われわれ文明人の警察官や兵士は、いとも簡単に拉致された。要するに弓矢を駆使する先住民族に、歯が立たなかったのだ。まるで宇宙人に拉致された地球人でもあるかのように、いとも簡単に拉致され、そして目的を果たされた。「文明」とは何だろう。われわれは「感染症」にも勝てないし、地震や豪雨や火山噴火にも勝てない。要するに勝てるものがない。そして先住民にも勝てない。宇宙人が来たら多分勝てない。先住民が「文明」を拒否したのは当然だったのかもしれない。

「西之島」は、やがて「日本のムー大陸」になる⁉

2020-07-05
「西之島」と言われて、それがどの場所にあるのか即座に答えられる人はそんなにいない。まあ、太平洋の“小笠原諸島”の辺りと答えられれば大正解に近い。とにかく、その辺なのだが、2013年11月にその付近から大噴火が起こった。そうして、それはずーっと断続的に続いていて、ここ数日、より大きく噴煙を噴き上げている。なんと噴煙高度は8000メートル超にまでなっているらしい。もう少し高くなると、航空機の飛行にも支障が生じるようになる。もちろん、噴煙だけを噴き上げているだけではない。大量の火山が河口から噴き出すので、島の領域がどんどん広くなってくる。最初は太平洋の中で米粒のように小さかった島が、徐々に大きく拡大中なのだ。かつて太平洋には「ムー大陸」と呼ばれる大きな島があった。それが伝説上では「沈んで消えた」とされるが、アトランティス大陸と同じで空想の域を出ない。ただ、沈んだ大陸があるなら、新たに誕生する大陸があってもおかしくはない。そういう意味では、小笠原諸島を貫いている火山帯はまだ若く、勢いが良いらしい。つまり、今後も活発に活動を続けて島を大きくしていく可能性は十分にある。とにかく、今年は「ヘンな年」である。地球大変動の“前触れのような年”なのだ。新たな島が誕生・拡大していったって驚かない。この島の拡大は、我が日本にとっては朗報で「日本の領土」を広げることになる。正確に言うと、日本の領海を広げることで、大きくなればなるほど、黙っていても日本の領域は大きく拡大していくのだ。これは自然現象なので、どこからも文句が出ない。どこにも訴えようがない。まあ、日本が先祖からの“不動産としての財産”をちょっぴり増やすのに良い機会なのだ。戦争に負けたことで、日本はそれまで所有していた“多くの領土”や“占領地域”を失った。「金持ち国」から「貧乏国」に変わってしまった。けれどもそのお陰で、或る意味では“日本民族の純血性”は守られれた(⁉)ようなところもある。日本列島は“資源の乏しい国”だったが、もしかすると夢のような話が、どんどん「西之島」が拡大していくことによって、海底資源などが大量に眠る国へと変化していく可能性もあるのだ。

「手相の線」に“名前”が無くなったら…

2020-07-04
何日か前、手相の方で名前を知られる「にしけい」こと西田圭一郎氏が、私の元を訪ねてきた。彼は手相の本を矢継ぎ早に何冊も出している“新進気鋭⁉”の手相家である。鑑定の方ではなく「占い教室」という形で私に対し、いろいろと質問したい、ということだった。彼は最初に「録音しても良いか」とまず尋ねた。私は、どなたに対してもそうだが、録音を拒んだことはない。何をどういう風に公開されてもかまわない。私は、そういう点、元々“無防備な性質”である。私が占いを教えた方の中には、私の“無防備さ”にあきれて「先生、特許申請とか、転載禁止とか、波木流占いの“発見”を守らないと、利用されちゃいますよ」と親切にご忠告くださる方もいる。だが、そんなものは、どうでも良い。私は、私の占いの研究成果が、少しでも“後世”に伝わって、私の研究や発見を深化・普及させてくれる人が出てくれば良い、と思っているだけだから。さて、にしけい氏は私が予想したよりも“まともな人物”であった。もう少し“奇異”なところを持っている人物かな…と思っていたので、少しだけがっかりとした。ただ才能は十分に感じられた。同時に、迷いも感じられた。彼は、自分の“方向性”を少しだけ見失っているようにも思えた。彼の述べて来たことの中で「私は手相の“線”に名称があること自体ナンセンスだと思っているんです、名称なんてすべて無くした方が良いと思う」と述べた。手相の線の名称は、あくまでも「仮称」である。そんなことは手相の探究者なら誰でも感じる。まるでご自身だけの主張でもあるかのような言い方をされたが、昔から欧米の一部研究者は同じような主張をしている。けれども、それでは解かり辛いのだ。生命線を「A線」とか、結婚線を「F線」とか言っても、解かり辛い。伝統的名称を使ったからと言って、困ることはない。元々「名称など、在って無きモノのようなもの」と捉えておけば、その名称に惑わされることもない。無理に名前を無くして、解かり辛くする必要はない。にしけい氏はメモを見ながら、多数の質問をしてきたのだが、どういうわけか時間が余ってしまった。私が思うに、本当はもっと質問を用意していたのだが、途中で、いくつか省いていったような気がする。彼のような“真摯な研究者”がもっとたくさん出て来てほしい。そうすれば、もう少し、占い業界も活発に議論が戦わせられるのだが…。

「米」最多の雇用者数&「日」最悪の下落幅

2020-07-03
世界で、経済の先行きが混とんとしている。アメリカでは昨日、6月の雇用者数が出て1939年に統計を開始して以来最多の480万人増を記録した。一方、日本では「日銀短観」が出て、6月の大企業製造業における下落幅が「-34」となった。中小企業ではもっとひどく「-45」だ。要するに企業として半分くらいしか稼働していない、ということだ。アメリカの雇用者数が急激に膨れ上がったのは、もちろん失業者数が膨れ上がったことに比例している。経済が崩壊しないように、トランプ大統領も、必死なのだ。日本だけでなく、世界の経済は、嫌でもアメリカ経済の影響を受ける。だから、ニュースでも大きく報道する。本来であれば、アメリカ国内のことなのだから、そんなに大きく報道しなくて良い。ところが、アメリカの経済が回らないと、我が日本の経済も回らないように出来ている。しかも、日本というのは、その影響をもろに受ける。大企業のほとんどがアメリカ、もしくは中国との関りを持っている。今やアメリカと中国は“世界経済”の両輪で、この二つが崩れていくと、その中間に挟まれている我が日本は、嫌でも崩れ落ちるように出来ている。しかも今年の場合は、世界的に経済が落ち込んでいるので、互いに助け合う、ということが出来ない。だから奇妙にも「自国ファースト」をみんなの国が貫いていて、国内経済の立て直しに必死なのだ。日本の場合も、数か月前までは「命が最優先」ということをみんな言っていたのに、なぜか政治家たちは全員認知症になったかの如く「命が最優先」とは言わなくなった。経済でも人は死んでいく、という“当たり前のこと”にようやく気が付き始めたからだ。私はいちばん最初から「どちらも大切だ」と言っている。ここに来て、再び「感染者数」がどんどん増えだしている。日本から消えていったはずの「新型コロナ」は執拗にへばりついていたということか。日本人は慎重なので、夜の飲食店やカラオケ関係、フィットネスジム関係はいずれも“要注意ポイント”となって、しばらくは客足が遠のくに違いない。病院もクラスターの発生しやすい場所として、患者数が減るだろう。本来なら病院に行かなくても良い人まで、病院に通っていた証なのだ。私は、子供達が必要以上に感染症を怖れて、人と接しないような方向に流れることが怖い。マスクをかけっぱなしの人生に“笑い”は無い。

2020年7月の運勢

2020-07-02

「アリサ」&「リン」が、お・も・て・な・し

2020-07-02
今年は完全に「お・も・て・な・し」が“肩透かし”を食らった格好だが、我が日本の原点は奈良県。そこで…というわけでもないのだろうが、何故か奈良市の「近鉄大和西大寺駅」のホームに登場したのが四か国語を話す22歳の女性達だ。う~ん、素晴らしい。ただ何かが違う。この女性達、なんだか動きがおかしい。それもそのはず親切な“女性人型ロボット”だったのだ。なあ~んだ、と思うなかれ。彼女たちには「アリサ」と「リン」という名前が付けられていて、22歳という年齢設定迄ある。もちろん、日・英・中・韓の四か国語を話せる。多分、どの女性駅員よりも語学に優秀なのだ。言葉だけではない。神社仏閣に関する知識も誰にも負けない。駅前付近の“お買い得情報”だって、すべてを知っている。時々ちょっとしたことが解からなくて「お役に立てず申し訳ございません」というかもしれないが…。それにしても、全国に先駆けて日本の“原点”ともいうべき奈良市において登場した、というところが素晴らしい。どうせなら、男性型ロボットと女性型ロボットと一体ずつの方が良いような気もするのだが…。こうして、いずれは日本全国の駅とか空港とかで、人型ロボットが出迎えてくれるようになっていくのだろうか。さらに泊まるホテルでも、人型ロボットがチェックインを受け付け、部屋まで案内してくれて、いろいろ説明してくれて、最後に掌を差し出し“チップを要求する”ようにもなっていくのだろうか。部屋に呼ぶマッサージ師もロボットで黙々と作業し、併設するお土産屋さんでもロボットが接客し、大浴場では女性ロボットが清掃中で視られてしまうではないか。とにかく、たくさん「お・も・て・な・し」してはくれるのだが、なんだか癒されなくて、地元に戻ってコンビニに立ち寄って、生な人間を見てホッとするような…そういう時代は、ちょっと御免被りたいなと…。

事務所退所は「世界に挑む」ゴーサイン⁉

2020-07-01
最近、芸能事務所を退所する芸能人が増えている。柴咲コウ、米倉涼子、栗山千明、長谷川潤、原千晶、菊池桃子、手越祐也…といった面々だ。さらに、昨日、ローラ氏と神田うの氏が加わった。どうして、今年に入って、一気に退所する人たちが増えたのだろう。昔は、芸能事務所を辞めるのは、何らかの不祥事を起こした時だった。けれども、今は何も問題はない。神田うの氏の場合は、31年もの長きにわたって所属した事務所である。ここに名前を挙げた人達は、その事務所にとっても、失いたくないような“大物たち”ばかりである。なぜ退所したのかの答えを米倉涼子氏の新しい個人事務所名が教えてくれる。「Desafio(デサフィオ)」という社名だ。これはポルトガル語やスペイン語で「挑戦」を意味する言葉だ。つまり、独立した人たちは「世界を目指したい」のだ。確かに、どの人たちも、国内だけに留まって“与えられた仕事”のみしていくタイプではない雰囲気を醸し出している。日本の芸能事務所の場合、特に一流の芸能人は、海外に長期間出向いていて、国内の仕事を“受けられない状態”に遭っては困るのだ。例えば海外の映画とか舞台とかに出演するために、半年とか、一年とか、長期にわたってスケジュールを空けることは出来ない。けれども、海外オーディションなどの場合、そのスケジュールが空けられていないと、応募資格が与えられない場合もある。また、近年は日本の映画に出た場合、TVドラマでもそうだが、どうしても“宣伝”のためTV出演に駆り出される。それもバラエティー番組が多い。そういうものが、あまり得意ではない女優も多い。けれども、事務所に属して仕事をしている以上は出演しないわけにはゆかない。本来、役者とか、歌手とかは、総合タレントとは違って、個々の作品のみで勝負したい、と思う職人肌の人も多い。けれども、日本の芸能界は“総タレント化”を要求する。本来からすれば、自分のライブで、歌っているよりも話している方が長い歌手の方がおかしいのだ。「歌しか歌わない」という歌手がいたって良いはずなのだ。特に、役者の場合は、TVに出過ぎると、どうしてもTVでのイメージが強すぎて、“役柄の人物”として観れなくなる。「悪役」は「悪役」のままいて欲しいのだ。今年、独立した人の中から十年後に何人が「世界的俳優・アーティスト」に変わっていくだろうか。 Newer Entries »