3月, 2021年

NY州「大麻」合法化する米国人の“商魂”

2021-03-30

日本人で時々「アメリカ」への“憧れ”の強い人を見る。そういう人の多くは“アメリカらしい”部分が好きな人たちだ。象徴的なのは「アメリカンドリーム」という言葉、確かにアメリカでは日本に居ては得られない「夢」が買える。けれども、同時にアメリカには“闇”の部分も多い。特に近年強まっているのが“貧富の差”や“人種の差”が根本にある「差別」や「偏見」の高まりだ。奇妙なことに、彼らは“男”と“女”と“その中間”に対しての偏見はないのに、黒人やアジア系などに対する偏見は根強い。“コロナの拡大”によって、アメリカのニューヨーク州も失業者で溢れている。ニューヨークには“大金持ち”も多いが“失業者”も多い。そこで“失業者”達にも「夢」を与えるのが行政の役割だ。けれども「夢」を与えるためには、その“財源”が必要となる。財源を増やすための“魅力的な方法”がある。「大麻」を合法化するのだ。そうすれば間違いなく税収入は増えて、試算では年間384億円も増えて、しかも不足している“雇用問題”も一気に解決する。3~6万人の雇用増が見込まれるからだ。こうして、ニューヨーク州知事と州議会の上下両院トップとが全員一致して“法案可決”に合意した。早い話が、われわれは“豊かな経済”と“夢を与える行政”が目的、大麻の取り締まりは警察が、大麻による身体への影響は医療関係者が、それぞれ担当していることで任せている…という雰囲気が感じられる“合意”なのだ。日本人なら、必ず、大麻による“諸問題”も含めて議論するが、というか税収入を増やすため、雇用を増やすために、大麻合法化など考えないが、そこはそれ「アメリカ人」の“お気楽”なところで、そういう点がいかにもアメリカらしい。けれども、これはアメリカだけの発想ではない。すでにカナダでは、このような方式によって多大な繁栄をうたっている地域が存在している。さて、我が日本のトップには、このような発想をする人はいるだろうか。潔癖な日本人は、とても「大麻合法化」などとは言いそうもない。それなら、せめて「カジノ解禁」だけでも合法化してくれないと、しょぼくれていくだけなのだが…。

男性も18.4%が女性から「暴力」を受けている

2021-03-29

最新の内閣府の調査によって、驚くべき数値が出て来た。日本は“男性優位”だとか“女性蔑視”だとか言われているが、必ずしもそうとばかりは言えないことが、調査から明らかになっている。つまり、女性は男性から25.9%何らかの“暴力”を受けた経験を持っているが、同時に男性も女性から18.4%“暴力”を受けた経験を持っているというのだ。もちろん、女性の4人に1人が“暴力を受けた過去”があるのは重視しなければならないが、それと同じように、あるいはそれ以上に、男性の5人に1人弱が“女性から暴力を受けた過去”があるのだ。つまり、それほど“大きな差”ではなく、男女とも“異性からの暴力”を体験しているのだ。そして、その被害者たちの約半数が、それを誰にも相談していない。具体的には女性の41.6%、男性の57.1%が相談していない。この数字は明らかに男性の方が「相談できないでいる」ことを表している。実際、もし、相談を受けたとして、あなたなら何と答えるだろう。女性の場合と違って、例えば警察に駆け込んだとしても、それを日本の警察は、まともに取り合ってくれるだろうか。女性の場合には、さまざまな団体が“味方”してくれるように出来ている。けれども、男性達の場合には、それらにまともに“対応してくれる団体”の存在を聴いたことがない。つまり、男性の方は“泣き寝入り”するしかないのだ。こういう実態は、おそらく各マスコミも“沈黙したまま”なのに違いない。そういう部分がマスコミというのは“きわめて不平等”なのだ。政治家にしても、動こうとする人は、おそらく誰もいない。“男性優位”と受け止められている日本国では、そういうことに取り組もうとする政治家は“叩かれる”に違いないのだ。例えば、男性は女性から叩かれたとしても、蹴られたとしても、唾を吐かれたとしても、それに“黙って”耐えるしかないのか。どこか不平等ではないか。ほんとうに「男女平等」を訴えるのであれば、女性側にも、男性側にも、シェルター的な避難先があって良いし、やさしい励ましがあって良い。「男なら耐えられるはず…」って、なんかおかしくないか。日頃から「平等」という言葉を口にする人たちは、どう答えるのか。

「幸せ」は、その「目的」の途中にある

2021-03-28

考えさせられる映画が4月3日に公開される。ブータンで生まれたパオ・チョニン・ドルジ監督のデビュー作となる「ブータン山の教室」という作品だ。彼はブータンに産まれているが、インドやスイスや中東で育った。したがって、内からも外からも「ブータン」を見れる。そういう稀有な存在だ。一時期ブータンは「幸せの国」として注目を浴びた。けれども、ネットやスマホが普及した現在のブータンは“理想”と“現実”の狭間で苦しんでいる。今回の映画の主人公は、そういう現在のブータンの都会に暮らしていた“若き教師”の物語だ。彼は、将来オーストラリアに移住して音楽の道に進みたい野望を持っていた。そういう彼に「ルナナ赴任」の指令が下った。ブータンの北西部にある“秘境中の秘境”と呼ばれる標高4800メートルに位置する村への赴任だ。人口は56人。最寄りのバス停から山々を歩いて一週間もかかる。文字通りの秘境に“若い教師ウゲン”はしぶしぶやって来た。実際の撮影も、そのルナナで行われた。村人や子供達にも登場してもらい、学校も現地の校舎をそのまま使った。したがって“映画作品”ではあるがドキュメンタリー的な部分もある。ストーリー的には現地の“ヤク飼いの女性”に出逢って、主人公の“何か”が少しずつ変わっていく姿を描いている。ここで興味深いのは、このブータン出身の映画監督が決して「ブータンが良い」とか「都会が悪い」とか言っていないことだ。彼は世界各地で成長期を過ごし、台湾人の奥さんを貰い、日本の谷崎潤一郎の小説「陰翳礼讃」から多大な影響を受けた。さまざまな「眼」を持って故郷・ブータンを見つめている。澄み切った青い空は、それだけで何かを語りかけるし、子供たちの眼は無心に輝いている。ドルジ監督が「どこに居ても、幸せは見つけられます」という時、その言葉には説得力がある。われわれは往々にして勘違いしがちなのだ。幸せは“それ”を手に入れた時に得られると…けれども「(かつての)幸せの国」ブータンの映画監督は「幸福とは終点ではなく、旅の途中」だと言いきっている。

「世界2位」を“振り捨てる”勇気

2021-03-27

人は何かしらの“大きな称号”を与えられてしまうと、なかなか簡単に“それ”を振り捨てられない。もう、それは過去のことなのだ、とわかっていても、その部分から脱却できない。そういう意味で「世界2位」の“称号”を得ながら、それを見事に振り切って、もう一度「ゼロ」から学び直し、38歳で“二度目の大学卒業”を成し遂げた知花くらら氏は“立派”の一語に尽きる。しかも彼女は「これはゴールではなくスタート」とハッキリ言いきっている。その部分も素晴らしい。彼女が“ミス・ユニバース日本代表”に択ばれたのは2006年だった。「世界大会」では日本人女性として誇らしい“世界2位”を獲得した。その後は、お決まりのようにモデルとして、女優として、キャスターとして、多数のタレント活動をこなしてきた。2017年には結婚し一児の母ともなった。現在は“第二児”を妊娠中でもあるという。そういう中で、かつて上智大学を卒業している彼女は、再び京都芸術大学を社会人枠で受験し、大学生となり、妊娠中の“つわり”の中で“卒業制作”に取り組んだ。こうして38歳だが“建築科”を見事に卒業できたのだ。しかも、そのことを「スタート」と言い切っている。もちろん“建築科”を出た彼女が出発点とするのは、実際の“建築物の設計”であるのに違いない。つまり、彼女は“何か”を自分の設計・建築で建てたいのに違いないのだ。それこそが、彼女の“第二の目標”となったに違いない。だから“最初の目標”であった「ミス・ユニバース」を“振り捨てる”ことが出来たのだ。人は“新たなる目標”を見つけた時に、“過去の称号”を捨て去ることが出来る。もちろん、彼女の中で実際にそういう気持ちだったかどうかはわからない。むしろ、過去の“輝かしい称号”など意識していなかったかもしれない。人は往々にして“過去の自分”に振り回される。“輝かしい栄光”とか“輝かしい称号”とかは、一歩踏み出す“勇気”を挫けさせる。けれども彼女は違った。自分の“新たな目標”だけ見て、周りの思惑など気にすることなく、もう一度キャンパスに飛び込んだのだ。

古代ギリシャの「聖火」は、燃えているか⁉

2021-03-26

本来は“古代ギリシャ”の精神を引き継ぐのが「近代オリンピック」の“はず”であった。けれども、いつの時代からか、あらゆる部分で「参加することに意義があった」はずの“スポーツ競技大会”は汚れていった。もはや古代ギリシャの精神などみじんもない。だから昨日「聖火」が走っている途中で消えてしまったのは、むしろ当然なのだ。本来、ギリシャで採火された「聖火」は昨年3月20日に日本にやって来た時から「消してはいけない火」として点火・継続してきたはずなのに、それが一年越しに国内を走りだした“その日”に原因不明で消えてしまうなんて、すぐに点け直したから問題ない、と言えるようなものではない。明らかに、もはや「聖火」は“聖火”ではなくなって、ただの“燃える火”と化したのだ。これは、ただ単に「誰が悪い」とか「何に問題がある」とかいうようなことではない。もはや、オリンピックそのものが「古代ギリシャの精神」から大きく外れて、商業化され、プロ化され、巨大資本が動き、各国の政治思惑が絡み、科学や芸術の“押し売り”となり、何千人ものメダリストが誕生し、観光産業が手ぐすね引いていた状態が“異常”だったのだ。私は以前から“何千人ものメダリスト”を誕生させることに違和感を持っている。競技が“細分化”されすぎている。少しでも、いろいろな国に「メダリストを誕生させたい」という想いからなのだろうか。けれども結果的には、一分の国だけが“何百個”ものメダルを持っていく。それがオリンピックなのだ。競技の放送にしても、けっして平等ではない。一部の“人気競技”だけは何十回も繰り返されるが、あまり一般的ではない競技は、たとえ日本の選手がメダルを獲得したとしても実況放送されない。競技のための練習費用も、自分で賄わなければならない。大手のスポンサーが付いている選手は、たとえ敗れてもスポットライトを浴びるが、人気のない競技のメダリストはスポーツ新聞の片隅でしかない。国としての扱いも、明らかに違っている。一般的に「知られていない国」に群がるカメラマンはいない。もはや、オリンピックに「聖なる火」など、求めてはないないのだ。

「自宅では別人」に、神様は“手を貸す”

2021-03-25

昔「家政婦は見た」というドラマがあったが、確かに「家政婦」というのは、その人の“影の部分”を誰よりも知っている。女性週刊誌が最新号で、昨年“新型コロナ”で亡くなった志村けん氏の自宅に15年ほど通って“家政婦”をされていた星野初弥氏(35歳)による回想インタビュー記事を特集として扱っている。彼女によると、亡くなる前の二年くらいはかなり体調が悪かったようで“めまい”とか“ふらつき”によって歩けないようなことが何度もあったらしい。言葉遣いも丁重で、いわゆるTVの「志村けん」とは別人のように“ものしずか”であったらしい。この「仕事場」と「家庭」とのギャップは、どの分野であっても長らく“トップ”で輝いていた人たちには時々見掛ける現象であって、見事なくらいに“使い分けている”ケースが多い。著名人は“世間的なイメージ”が定着してしまうと、どうしても「外」では、それを“演じて”いなければならない。その反動のような形で、自宅内では“全くの別人”となるケースが多い。志村けん氏の場合、途中まで仕事に掛かりながら“完成”に辿り着けなかった仕事がある。初主演映画となるはずだった「キネマの神様」で、彼が尊敬する山田洋次監督に懇願され引き受けた仕事だった。山田洋次監督と言えば「男はつらいよ」で渥美清氏を“大スター”に押し上げた人物だ。この渥美清氏も“私生活を見せない”ことでは有名だった。亡くなる2~3年前には、動くこともままならないほど体力が落ちていたようだが、それでも本番になると役者根性を発揮して名演技をした。ファンの人達に取り囲まれることを嫌うようになったが、それは自分が“やつれている”ことを悟られまいと必死だったからだ。やしきたかじん氏も、亡くなる2年ほど前からは“昔の勢い”が消えてしまっていた。それでも、なるべくそれを悟られまいと、虚勢を張ってTVに出ているよう私には見えた。「世間的な顔」が定着してしまえばしまうほど、自宅における「ほんとうの顔」との間にギャップが生まれる。誰しも「ほんとうの顔」を知っているのは、心許した一人か二人だけなのだ。

「顔を変える」と「運命」も変わっていく

2021-03-24

もしも「人相(顔相)」というものに“運命・運勢”が表れるとするなら、当然その「顔」を変えることで、運命も変わっていく。多くの人は“顔の美醜”とか“容貌の変化”を意図して「美容整形」するのだが、もう一つの“要素”である「運命」を変えるために美容整形をする人は意外なほど少ない。ところが、それを意図しているかどうかには関係なく、美容整形することで確実に、その人の「歩む道」は違ったものになる。つまり、先天的に予定されていた運命も変わっていくのだ。数日前、児童虐待の容疑で元関脇嘉風の妻である「大西愛」が逮捕された。長女からの“告発動画”で警察が動き、逮捕にまで至った。通常、警察は“家庭内の出来事”“親子間の出来事”に関しては腰が重い。それなのに、今回、動きが早かったのは“証拠としての動画”が残されていて、その内容があまりにひどかったからだ。それにしても、どうして容疑者である大西愛は、実の娘に対して虐待し始めたのだろう。私には、彼女が“美容整形”し出したことと、次女が“生後二カ月で亡くなっていること”が大きく影響しているような気がしてならない。特に“美容整形”に関しては、元々“美人系”であったのに、結婚後になって「眼」や「鼻」などを整形している。それによって、より美しくはなったのだが、眼を大きくし過ぎると、日常世界から“遊離したがる”ようになる。つまり、通常の“専業主婦”としての日常には我慢できなくなってくるのだ。したがって、それにふさわしい職業とか環境を得られていれば良いが、そうではなかった場合、どうしても“つつましい暮らし方”では不満やストレスが溜まってくる。さらに次女が、生後二ヶ月で亡くなった原因が何か定かではないが、もしかすると容疑者自身のなかに、或る種“自責の念”のようなものがあって、無意識にそれと闘っていた可能性がある。本来、長女の方は“とばっちり”に過ぎないが、そうでもしなければいられないほどに、葛藤が頂点に達していたのかもしれない。「眼」を大きくし過ぎると、逆に“目の前”が見えなくなってしまうのだ。

「不起訴処分」の理由を“明確”にした方が良い

2021-03-23

昨日、札幌で“一つの事件”が「不起訴処分」となった。つまり、事件を法廷では裁かず「罪」を問わない、ということになる。それは昨年の10月、市内の路上で、歩行していた90歳の男性を、乗用車を運転していた88歳の男性が“ひき逃げした事件”である。逮捕された男性は、通常なら「過失運転致死」「ひき逃げ」の両方で“起訴される”のが当然の事件なのだ。札幌地検は、ひき逃げした人物に「適正な運転能力」があるかどうか慎重に調査した結果、おそらく「ない」と結論付けたに違いない。けれども、それならば、なぜ免許を“返納”していないのか、が問われることになる。おそらく、検察側は「返納できなかったのは致し方ない」と感じたからに違いない。つまり、免許がなくなったなら、車を運転しなかったなら、暮らしていけない事情が存在するに違いないのだ。ただ、それはわかるとしても、ひき逃げして良い、という結論にはならない。もちろん、この場合「ひき逃げ」の自覚があった場合だ。その部分でも“不起訴”になったのは、当時、ひき逃げした“自覚”が本人になかった、と捉えたからに違いない。おそらく88歳の“ひき逃げ犯”は、それすらも“自覚できない”ような状況にある、と結論したに違いないのだ。例えば、本人は無自覚ながらも“認知症”が進んでいたような場合、或いは視力・視界が十分ではなく、人をはねた感覚が得られなかったような場合、起訴しても「ひき逃げ」を認めさせることは難しいと判断したのだろう。また一方で、認知症が進んでいることを知らなかった家族が、今後は「運転させない」ことを誓うとか、別の所に引っ越すとか、二度と運転士ない“確約”が得られているような場合、などが考えられる。検事も“人の子”なので、さまざまな状況を勘案して「不起訴」を決めたに違いない。ただ、その内側について“公表”しないと、さまざまな疑問や疑いが浮上する。例えば検察の中に知人とか親戚とかが居て甘くしたとか、轢かれた方の親族が居なかったからこうなったとか、いくつもの疑問符が付く。同じようなケースを起こさないためにも、状況や事情を公表した方が、今後に役立つのではないだろうか。

「半導体の心臓部」を出火させたのは“だれ”⁉

2021-03-22

3月19日の未明に半導体大手ルネサスエレクトロニクスの那須工場の「N3棟」1階のクリーンルームから出火、600台ある製造装置の内の11台を損傷して、5時間半後に鎮火した。ルネサスと言えば、日本を代表する半導体企業である。特に自動車関連の半導体では世界の三番目に位置する巨大企業なのだ。その自動車関連の半導体が、現在、供給不足に陥っている。したがってルネサスも「猫の手も借りたいような忙しさ」の中で起こった火災なのだ。確かアメリカの車載用半導体大手も、欧州の車載用半導体大手も、稀に見る寒波に襲われ工場が一部停止していて、今回の火災で妙な形で“肩を並べて”しまったのがルネサスなのだ。今回の火災によって、それでなくても“供給不足”と言われていた車載用半導体は決定的な“供給遅れ”となって自動車産業に影響が出ることは確実となった。いま、世界的に引く手あまたの“半導体事業”で続々と新規参入があっても良さそうなのに、早急な“代替わり”が出来ない。実際にはわれわれが考えるほど単純構造でもないらしい。会社側の説明によれば、アノード電極側の配線が電流が流れている際に、何らかの理由で断線し発火した…ということになっている。つまり“断線”のところが謎なのである。半導体の「心臓部」とも呼ばれるところから出火しているだけに、或る種の疑問が生じてしまう。人技的に“断線した”可能性はないのか。最先端技術は、とかく「敵」や「スパイ」の暗躍しやすい領域だからだ。そうでなかったとしても、未来に役立つと言われる“最先端技術”だが、ちょっとした寒波や火災で完全ストップして立ち往生してしまう。「未来に生きる」ことが、必ずしも快適ではないよう感じられるのは、私だけなのであろうか。

「東京オリンピック」を“悦び”に変える方法

2021-03-21

海外からの“東京五輪競技”への“直接観覧”が見送られることが正式に決まった。いったん決まっていた“五輪会場設計案”が変更されたあたりから、この“五輪”にはケチがつきものだった。一年延期して、何とかなるかに思われたが、結局はガタガタのままで“聖火ランナー”は続々消えていき、もはや“風前の灯火”となってしまった。「オリンピックが観れる」をうたい文句にして建てられた高層マンションや高層ホテルはどうなってしまうのか、他人事ながら気にはなる。このままでは選手としての来日も、難しい国が続出しそうだが、嘆いてばかりいても仕方がないので、素晴らしい“発見”をお伝えしよう。もしも、参加国が少なくなれば、それだけ日本の選手が「メダルを獲得しやすくなる」という話だ。まあ、参加国が少ない中での“メダル”に価値はない、と思う人が居るかもしれないが、必ずしもそうとばかりは言えない。JOC(日本オリンピック委員会)はメダル獲得者に対して、報奨金を出す。「金」500万円「銀」200万円「銅」100万円だ。これに加えて各競技団体から報奨金が出る仕組みになっている。どこかの企業に所属している場合には、その企業からも報奨金が出る。これらを合わせると、複数の競技に出場して、複数のメダルを獲得すれば何千万円もの報奨金となるのだ。確かに、参加国が少なくなれば「実力世界一」と胸を張ることは出来ないが、その代わりのように“報奨金”が増えていくシステムなのだ。だから、日本のアスリートたちにとっては、或る意味では“おいしい大会”になるかもしれない。これまでにも、戦争などによって参加国が急減してしまった大会は何回もある。だからと言って、それが「まやかしのオリンピック」として語られることはない。歴史上には「正規五輪」として記録される。不測の事態で出場できなかった選手だけが悔しい想いをする。人生でも、そういうことはよくあって、それこそ「人間の持つ運・不運」を象徴している。応援する場合でも、4位とか5位になった選手を見るより、1位とか2位になってメダルを得ている選手を見る方が気持ちが好いに決まっている。絶対にムリだと思っていた「金メダル」を手に出来る“運に恵まれた”日本人選手は誰だろう。

時短命令の「都を提訴」は“連鎖”していく⁉

2021-03-20

ついに来たか…というのが私の印象だった。東京都から“時短命令”を受けて、それを“違法”として「東京都」を提訴するところが出て来た、というニュースに対してである。明確な根拠というものが乏しい中で行われてきた飲食店に対しての「時短要請」や「時短命令」。ほとんどのところはそれに応じているかに思いきや、3月18日時点で2000軒もの店舗が、それ以降も開けられ、命令に応じなかった27店舗が“罰則対象”となったらしいのだが、そのほとんどは「グローバルダイニング」社のチェーン店だった。その結果を受けて、会社側は倉持麟太郎弁護士を立て東京地裁に「違憲・違法に基づく国家賠償請求」という形で「都」を提訴するという。ただ私の勉強不足かもしれないが「都」を提訴しながら、“賠償請求”は「国」に求めているところが今一つ理解に苦しむ。もっとも“コロナ禍の不条理”を法廷で争いたい、という気持ちは十分理解できる。時短要請に応じた店舗に対しての“一律協力金”というものに対しては賛否が大きい。一方で「普通に店を開けるより金額が大きい」と悦ぶ経営者もいれば「家賃にも足らない」と嘆く経営者もいる。総じて大規模展開している経営者ほど、苦境に立たされている。だから、このような状態が続けば、いつかは経営者側と行政側とが“対決”するようになることは眼に視えていた。問題は、このような提訴が「グローバルダイニング」社だけで済むのかどうか、次々と連鎖していく可能性はないのか、飲食店だけが大きく報道されるが、実際にはさまざまな業種に影響が出ているからだ。日本人は、総体的に“行政”からの支持に対しては、素直に応じていくケースが多い。それだけに、今回のような事態は多くの方達が“我慢の限界”に来ている証拠なのだ。第三者的に観れば、どちらが正しいというのでもない。正しいとか、正しくないとかより“妥協線はどこなのか”という問題のような気がする。

「人生負け組」から“人気”を集めそうな力士

2021-03-19

世の中には“うだつの上がらない人”がごまんといる。そうして、そういう人達の多くは“ちょっとしたこと”が原因で今日に至っている。大抵の場合は“能力不足”だったわけではない。「人間」というのは元々“才能”や“素質”にそれほどの差があるものではない。けれども、すいすいと上手く世の中を渡っていく人も居れば、ちょっとしたことから、こぼれ落ちていく人も居る。「勝南桜聡太(しょうなんざくらそうた)」氏を知っているだろうか。多分、知らないだろう。現在、東序の口24枚目に居る力士だ。彼は相撲界における“一つの記録”を持っている。「89連敗」という記録だ。その自らの連敗記録に、現在、着々と迫りつつあるのだ。昨日までで「86連敗」あと三つ負ければ“並ぶ”ことが出来る。別に、新たな記録を狙っているわけではない。けれども、狙ってはいないが、達成してしまう可能性はある。普通の人なら、そのくらい続けて負けると、あきらめそうなものだが彼は粘り強い。年齢的にはまだ22歳だから、いくらでも巻き返しが出来る。もっとも、相撲界で巻き返せるかは少々疑問だが…。ただマスコミから、そのユニークな記録で注目を浴び、報道されることによって、世の中に居る“人生における負け組”の人達が応援してくれる可能性はある。昔から判官びいきで“弱い人”に惹かれやすい人たちもいる。だから意図的に記録を作ろうというのではなく、頑張っても負けてしまう形で記録を伸ばすことが出来れば、きっと徐々に人気を得ていくことが出来るだろう。そうすれば、もしかしたら力士を廃業後に“素晴らしい人生”が待っているかもしれない。実際、彼の四柱推命式もホロスコープも決して“運の悪い”ものではない。むしろ“幸運な人生”に属する。したがって22歳の今は「負け組」だが、将来的には「勝ち組」に変わっていく可能性は十分にあるのだ。将棋の「藤井聡太」氏にあやかって「勝南桜聡太」に改名したらしい。本人は、もちろん、勝ちたいのだ。

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