あまり知られていないニュースだが、先月から今月にかけ、韓国と中国とで相次ぎ「半導体」の“国産化”と、そのための“国策方針”とが打ち出されている。まず韓国の方は「Kー半導体戦略」と銘打って、2030年までの10年間に49兆円を投資して“半導体世界一の国”を目指すという目標らしい。一方の中国は“米中対立”を受けて「半導体の国産化」を余儀なくされており、2025年までに“国産化比率”を7割以上まで引き上げる目標を掲げている。両国とも、どうしてそんなに国を挙げて「半導体」に力を注いでいるのかというと、要するにそれが“科学的な分野”でも“経済的な分野”でも「世界」をリードできる“一番の力”であると認識し始めたからだ。かつては日本も「日の丸半導体」と呼ばれて、世界をリードした時代があった。その結果、日本は1980年代“バブル期”を生み出し、文字通り“世界をリードしていた”のだ。ところが“有頂天になった日本国”は完全に足元をすくわれ、いまや中国や韓国や台湾から、大きく水をあけられている。慌てた日本の政府や財界は今頃になって「半導体産業に投資しよう」と言い出しているのだが、もはや完全に出遅れてしまっている。ところが、先日、注目すべき記事が中国の報道機関から出て来た。実は中国は、ほんとうは2025年までに“完全国産化”を目指したいのだが、目指せない理由があるという。同じ「半導体」の分野の中でも、“半導体材料”の分野だけは日本からの輸入に頼らなければならない、というのだ。彼らの表現を使えば《半導体の材料分野における日本の実力は恐ろしいものがある》大絶賛なのだ。つまり、当分の間、自分達にはまねが出来ない、と告白しているようなものだ。韓国でも同様に日本の“半導体材料の実力”は認めていて、そのため彼らは“難易度の高い技術製品”を生み出す企業には“税の優遇措置”を与えるとまで言っている。日本の“半導体材料”の中でも特に「フォトレジスト」の評価は高い。この分野では「東京応化工業」や「信越化学工業」や「JSR」の技術が世界をリードしているのだ。他にも「リードフレーム」の分野で「新光電気工業」や「三井ハイテック」が世界をリードしている。少なくとも、これらの分野はすぐ追い抜かれる心配はないようなので、こういった分野に“集中投資”して、国家としての「日本国」を蘇らせるべきではないだろうか。
夏場は朝が早く来る。午前3時頃でもけっこう明るかったりする。実は姉妹は前の晩から計画を練っていた。どうすれば、両親に知られることなく「夏の冒険」が出来るか。そして「地下室から表に出れば良いんだ‼」と気付く。そうすれば両親が寝ている間に車でカリフォルニアのビーチに行って「イルカと一緒に遊ぶことが出来る」姉妹は大喜びして、早めにベッドに入った。そうして翌朝3時、実際に姉の方が起き出し、まだ眠いという妹を「約束でしょ」と強引に起こして、ふたりで地下室へと向かい、そこから音を忍ばせ、外まで出ることに成功した。もちろん、昨夜から車の鍵も用意していた。もちろん姉は初めての運転だったが、助手席の妹にもきちんとシートベルトをさせた。いつも母親がセダンを運転する順番をしっかり見つめて記憶していた。だから車が動き出した時「これで冒険が出来る」と確信したのだ。もちろん、どの道を進めば良いかは解かっている。意外なほどスムーズに車は目的の広い道へと辿り着いた。午前3時を択んだのは、万一おかしな運転をしても、他に車がいなければ、大きな事故にはならない、と思ったからだ。実際、対向車には合わなかった。ところが16キロほど走ったところで、小さなトラックが横道から出て来た。予期していないことだった。このまま減速すれば「ぶつからずに済むかな」と思ったが、あっという間にぶつかってしまった。こうして二人が乗ったセダンは立ち往生し、すぐトラックの運転手から警察に通報されてしまった。すぐ警察が駆け付けた時、ふたりは車の中でシートベルトをしたまま座っていた。誰にもケガはなかった。警官は“本当の運転手”を捜そうと試みたがいなかった。9歳の姉が運転して来たからだ。こうして姉妹の「夏の冒険」は途中まで成功しかかったが、残念ながら実現しなかった。
日本の国会やマスコミは連日「ワクチン」や「オリンピック」関連の問題を繰り返し論じているが、アメリカでは今月、昨年末に前大統領であるトランプ氏が“法案署名”している「UFO」に関する米国家情報長官室からの調査報告書が、米国議会へと提出されるということで注目を集めている。そのタイミングに合わせたかのように、ドキュメンタリー映画の制作者として知られるジェレミ・コーベル氏が、巡洋艦USSオマハから2019年7月15日に撮影されたという“UFO動画”を投稿した。この動画そのものに関してはアメリカの国防総省も「実際に巡洋艦からサンディゴ沖で撮影された」ことを認めている。もっとも「UFO」という表現は用いず「UAP(未確認航空現象)」としてなのだが…。但し「進行中の調査」であるとして、それが“どのようなもの”であるかについては論評していない。問題の動画については、私も観て観たが、正直、これまでいろいろなところで撮影された“UFO動画”とそれほど大きな違いはなく、やや不鮮明な印象で、それ以上の感想はない。これを投稿したコーベル氏がどこから入手したのかは明らかではないが、あまりにもタイミングよく投稿されていることと、コーベル氏が映画製作者で“UFOファン(⁉)”でもあるという点が、私には気になる。つまり「手を加えた可能性はないのか」という点が引っ掛かるのだ。米国会議へと提出される“調査報告書”がどの程度のものかは知らないが、少なくとも米国の議会が“UFO問題”を「表舞台」まで“引き摺り出した”ことだけは間違いがない。もっとも、この種の報告書には“黒塗りの部分”が多くて、実際には何が何だかわからない場合も多い。それでも、少なくとも、アメリカでは議会で“宇宙”との関係を論じようとしている。そこへいくと日本では、あまりにも“身近なこと”だけに右往左往しているような気がしてならない。ここ2~3日、ようやく「半導体の国家戦略」などと言うことが言われ出した。遅すぎるのだが、それでもようやく「未来」に眼が向きだしたのは良いことのような…。
この人が“54年ぶりの主演”になるというのは感慨深い。つまり、それくらい前が、この人の“絶頂期”だったということになる。女優・加賀まりこ氏のことだ。今回、77歳にして主演を演じる。それも「占い師」役なのだ。ただの占い師ではない。中年となった自閉症児を抱えて、古民家を改造した場所で“占い”を行っている母親役なのだ。確かに、そういう風に言われれば、そういう風に視えないこともない。どこかに“昔華やかだった面影”を残している占い師女性はいる。実際に、自閉症児ではないが、障害児を抱えている占い師女性もいる。この映画作品が描こうとするのは“占い”の方ではないが、自閉症児を抱えて、その地域の“壁”を取り払おうと奮闘している女性を私は知っている。この映画「梅切らぬバカ」は今年の「上海国際映画祭」新人部門作品賞にノミネートされていて、そういう意味でも注目すべき映画と言える。それにしても、若き日の加賀まりこ氏の活躍については、私はそれほど鮮明に憶えているわけではない。まだ子供だったからだ。けれども、週刊誌の見出しに踊った「小悪魔・加賀まりこ」の文字と、妖しい半裸写真は強く記憶している。和製ブリジット・バルドーとして登場した彼女は、当時としては数少ないボディに自信ある“洋風の美女”だった。ところが、いつの間にか彼女は表舞台から消えたように見えた。そうして再び注目を集めた時には、TVのバラエティ番組で“気風のいい年上姉御”として人気を集めていた。ただ私には何となく、この人は黙っている方が魅力的だな、と思ったものだ。今度の占い師役では、どういう感じの「占い師」として登場するのだろう。がっかりしないために、視ない方が良いのかも…しれないのだが。
京都の“お座敷”と言えば「芸舞妓の宴席」と決まっているが、その芸舞妓たちがピンチの状態にあるという。2019年までは訪日観光客で埋め尽くされていた“花街”であるが、事実上“接客”“おもてなし”の出来ない京都のお座敷は、2020年、2021年と、二年続いて「北野をどり」は中止となっている。実質的には“休業状態”が続いているのだ。実は私も知らなかったが「芸舞妓」は“芸妓”と“舞妓”に分けられるそうで、その内より困っているのが“芸妓”の方らしい。その違いは、“舞妓”は雇い主から“報酬”を貰って生活する形、“芸妓”の方は既に“独り立ちした舞妓”で、一般的に言う「個人事業主」として生計を立てていく形になっている。謂わば“夜の店”で、ホステスとして雇われているのが“舞妓”の方で、小さくても“自分の店”を経営している形が“芸妓”の方なのだ。したがって、客足が途絶えてもろに応えるのは“芸妓”の方で、昨年は例年に比べて“10分の1”に年収が落ち込んだという。それが二年も続くようでは暮らしていけない、ということで「花街を去る人たち」も表れているらしい。この現象は、夜の街ススキノでも同様で徐々に“店をたたむ”人達も増えつつあると聞く。長期間「自粛期間」が続いてしまうと、誰もがそれに慣れ、すぐには客足が戻らないのが普通だ。ススキノは飲食店や風俗店が集中している区域なので、夜の灯りが消えていると、文字通り“真っ暗”となって静まり返る。それでなくても北海道は秋以降になると夕方から寒くなるので、会社勤めの人は“家路”に急ぎたくなる。秋口までに収束してくれないと、事実上、寒い地域はおしまいなのだ。話戻って「芸舞妓」の場合、単なる“飲食”や“風俗”の女性達とは同等に語れない部分もある。「京都の花街」は、それ自体が“伝統文化”の一翼を担っている。今や裕福な日本人より、裕福な外国人観光客などの方が、日本の伝統文化を支えてくれそうな状況にある。あの“白塗り”の姿を、どうして外国人観光客が“受け入れられる”のか、私は理解に苦しむのだが…。
政治や芸能やプロスポーツが、もっとも“記者たち”に取り囲まれるケースが多い。そこでの受け答えの一挙手一投足は今や“映像”や“活字”で世界に流される。現代とは、そういう時代である。プロテニスの全仏オープンで2回戦に進んでいた大坂なおみ選手が、今大会の2回戦を「棄権する」と表明した。元々、試合後の記者会見を嫌いがちだった大坂選手だが、今大会は試合前から“それ”を拒否し、実際に会見をボイコットした。その結果として“罰金”が科せられたが、それでも拒否の姿勢を変えない、というのが今回の棄権表明に表れている。さまざまな元プロテニス選手などが、これに対して意見を述べている。総じて、気持ちは理解できるが会見は行うべきだ、という意見だ。もっともな見解である。最初にも書いたように、記者会見を行うのはプロテニス選手だけではない。政治家とか、芸能人とか、各種アスリートとか、実業家とか、嫌でも記者会見に応じなければならないことがある。事実上、世間的に表立った形で仕事をしている人は、何かしらの問題発覚や公的な場で記者会見することが習わしとなっている。当然、ほんとうは「会見したくない時」もある。それでも、表立った形で仕事をしている人には、その任務を果たさなければならない義務がある。もちろん、くだらない質問とか、揶揄するような質問をしてくる記者もいる。それでも、きちんと応じることが出来るのがプロなのだ。なぜなら、有名芸能人やプロスポーツ選手の場合、スポンサーがついている。本人に対して多額の報酬が支払われているのだ。それら企業の「顔」として、世の中に出ていることを忘れてはならない。言ってみれば、彼女のイメージが、そのまま“スポンサー企業”のイメージとなる。「私とは関係ない」とは言えないのだ。関係のないものに、人は報酬を支払わない。私は、ほとんどの日本人が、まだ「大坂なおみ」の名前を知らなかった時に、この女性はやがて「大活躍するだろう」ということで、彼女に関してブログで書いた。それから半年くらい経ってから、マスコミに注目され出したのだ。そういう意味では、私はその人の“才能”を見抜く眼は確かなことが多いのだが、ときどき才能は豊かでも崩れ去っていく人物がいる。どんなに「才能」と「運」とを持っていても、人間的に成長しなければ、世間の“荒波”は容赦がないのだ。
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