8月, 2021年

100年後に「西之島」&「月」で暮らす日本人

2021-08-20

“遠い未来”のことは誰にもわからない。もちろん「占い師」にもわからない。100年後、200年後、300年後の“未来”のことだ。まず、われわれの住む「地球」が今と同じように“住みやすい場所”であり続けるかどうかさえも、解からない。今から20年前くらいに同じことを言っていれば「あなたは何を言っているのか」と言われただろうが、いまなら誰からも“それ”を言われない。そのくらい、最近の「地球環境」は“ちょっと”おかしい。東京から約1000㌔離れたところに位置し、2013年に大噴火した「西之島」はその後も噴火を繰り返しながら、その面積を拡大し続けている。一時期、噴火がやんで一部で草花も生い茂った。ところが2019年に再び大噴火が起こって、再び“溶岩だらけの島”となってしまった。現在は当初の十倍以上の面積となって、面積だけで言えば“居住者”が出て来ても不思議ではない。おそらく今後も噴火と鎮静を繰り返しながら面積を拡大し、やがて草花が本格的に自生する「暮らせる島」へと変化していくだろう。現在の状態であっても、既に“そこ”を拠点に定めた“5種類の海鳥”が確認されている。多分、海鳥の本能で“そこ”が「暮らせる島」になっていくことを予知しているに違いない。ところで、改めて言うまでもないが、ここは「日本列島」の一角となる。つまり、日本人は一円も出すことなく“大きな島”を手に入れることになる。東京から「西之島」までは約1000㌔だが、それは東京から福岡までの距離とそんなに変わらない。未来を語る人たちの中には「月」や「火星」こそ、やがて“第二の故郷”となっていく移住地だ、と主張している人々もいる。それを意図して、巨費をかけて「居住空間」を作ろうとしている人たちが居る。けれども、やがては「人を運ぶ」と夢を語る民間ロケット「MOMO」は何回も失敗を繰り返している。とても怖くて、そんなのに乗れない。東京から1000㌔なら“移住”も怖くない。そうだとすれば、案外、宇宙よりも“南の島”への移住の方が、“未来の日本人”にとっては現実的な気がするが…。

中国で日本の「JK制服」ファッションが大流行

2021-08-19

日本のアニメが“世界の子供たち”の心をつかんで離さないのは今に始まったことではない。40年以上も前から欧州を起点として徐々に世界に広がりを見せた。それが高じて若者たちの間で世界的に「コスプレ文化」を生み出していった。つまり80年代後半以降に産まれている経済的に豊かな家庭の子供たちは、幼い頃から「日本のアニメ・漫画」を観たり読んだりしながら育っている。言葉は“現地の言葉”に翻訳されているのが普通だが、画面の変更は滅多にない。ただ地域によっては“現地風な顔立ち”に変えられているところもある。そういう中で育つと、日本の「漫画・アニメに登場するファッション」に“違和感”を持たない。だからこそ彼らは“コスプレ”をするのだ。けれども、もっと日常的なファッションの場合は、文字通り「アニメの衣装」そのものを日常的に着たがる。中国において「日本の漫画・アニメ」が公開されたのはそれほど早くない。日本のアニメなどにも影響されている世代を「Z世代(1995年以降の生れ)」と呼ぶ。その中でも女子たちが「日本のJK制服」つまり“女子校制服ファッション”に飛びついた。経済的にも豊かな家庭に生まれ、一人娘として大切に育てられていることが多い彼女らは、年齢的には現在15歳~25歳くらいなわけだが、昔の中国では想像もつかないほど、ファッションでは流行に敏感である。現在、彼女らが好むのは「三坑少女」と呼ばれている“三流行パターン”のどれかだ。つまり「JK制服」「漢服」「ロリータ服」の三つ。このうち、当然のことながら「JK制服」が“日本の女子校制服ファッション”で、彼女らの基本は“ミニのプリーツスカート”である。実は中国の通販サイトで昨年売り出された“制服風プリーツスカート”は約1700円という“お手頃価格”であったことも手伝って、飛ぶように売れた。20分間の間に30万着も予約が来たのだ。それを売り出した企業は前年比225%増益となった。当然、中国であるから、すぐに追従する企業が現れる。こうして“JK制服市場”だけで昨年の売り上げ3400億円に達している。現在は「今日JK」という名称で“高級品(⁉)路線”との二極化が始まっているらしい。

 

22歳の牧師は「復活」のため「埋葬」され死去

2021-08-18

何んとも“哀しい事件”だ。宗教的な書物には“奇跡の物語”が多い。強い信仰心が“奇跡を呼ぶ”と語り継がれている。例えばキリスト教では、亡くなったはずのイエスが、その三日後には墓から蘇っていた……と記されている。その根源にあるのは“強い信仰心”である。前にも何かで書いたことがあるが、荒涼とした荒野では“強い信仰心”が育まれやすい。「神」を信じなければ、生きていかれないような“不毛の大地”だからだ。アフリカの南部ザンビアでシオン教会に属する22歳の若き牧師ジェームズ・サカラ氏は『聖書』に記された“奇跡の物語”をそのまま信じ込む強固な信仰心の持ち主だった。彼には単に“牧師”としてだけでなく“ヒーラー”や“呪術師”としての「顔」も持ち合わせていた。したがって、彼には数として多くはないが、熱心な信徒たちがついてきていた。彼は日頃の“説教”だけでは、より多くの信仰者たちを引寄せられないことを自覚していた。そこでパフォーマンスに出る。「キリストの奇跡を自分も体験してみよう」日頃から呪術で“それなりの奇跡”は実証済みだった。彼には自信があった。精霊が宿っている“我が身”をもってすれば、埋葬されても三日後には蘇ることが出来る。だが手伝ってくれる人が居ないので、自分で事を進めた。インチキだと思われないよう地下深くまで“墓穴”を掘ったのだ。これを成功させることで「神は奇跡を起こす」「信仰の力は偉大である」「信仰が足りないからコロナなど怖れるのだ」ということを対象に解からせよう。その日、集まった信者たちに「あなた方はみな信仰が足りなすぎる」「この目の前に居るサカラを埋葬するがよい」「わたしは死んだ人々の間から蘇り、息を吹き返すだろう」こう宣言して彼は、自らが用意した「墓穴」に入った。そして信者たちに、その上に土をかけ、完全埋葬するように頼んだ。最初、躊躇していた信者たちも、強く指示されるので、祈りを唱えながら“その言葉”に従った。それぞれが顔を見合わせ、指示されていた通りの方法で「儀式」を終えた。誰もが半信半疑だった。だが、どこかで“奇跡”を信じていた。けれども、奇跡など起こらなかった。三日後になって掘り起こされた彼は、血反吐を穿いたような形でなくなっていた。警察は事件に関わった“信者たち”を追っている。

「0を10にするのは…」というフジモンの正論

2021-08-17

芸人の藤本敏史氏が14日、自らのYouTubeチャンネルを通じて「週刊誌記者さんへの大切なお願い」という呼びかけをした。彼の素晴らしいところは、こういう“お願い”をするときでも、ちゃんと「記者さん」と書いていることだ。彼は、自分がそれまで誰にも一言も言っていないことが「関係者」の言葉として語られ、まるで自分が周囲にそう言っているかのように書かれることであるという。つまり、雑誌報道で前夫人である木下優樹菜氏に“新しい恋人”が出来たことが報道され、それと合わせ「復縁を願っている元夫」として自分の名が取り上げられたことにあるようだ。しかも、それは“関係者の言葉”として出て来る。藤本氏は「関係者って誰やねん」と怒っている。つまり、自分は周囲の誰にも「復縁したい」などと言ったことがないと断言する。もし、これが誰かに、そういうふうなことを話していたなら、引っ張り出してきて書かれても仕方がない。「芸人」という“人目に立つ仕事”をしている以上「1を10にして書かれるのはやもう得ない」と彼は言うのだ。けれども、誰にも言ったことがないことを“関係者の言葉”として勝手に書かれるのは、許せないというのだ。「0を10にして書くのだけは止めてくれ」と頼んでいる。それは当然だろう。元夫婦の“子供たち”までが関係してくる話なのだ。自分や元夫人は“芸能界に居た”人間だから、その辺のところはそれなりに見過ごすことが出来る。けれども、子供たちはそうではない。さらに“新しい恋人”とされるサッカー選手も、芸能人とは微妙に異なる。彼は、そういう免疫性の乏しい人たちまでも「巻き込まないでくれ」と言いたいのだ。おそらく、そういう記事のことを知ったなら、もし“結婚”を意識しているなら、当然、“新しい彼”は慎重になるだろう。子供たちにしたって「新しいお父さん」として接近しにくくなるだろう。おそらく藤本氏は、その辺のことまで考え、記者たちに“お願い”しているのだ。なんと優しく、すばらしい「元夫」ではないだろうか。「0を10にして書く」のは“記者”ではない。

新たな「世界」を発見した『地球の歩き方』

2021-08-16

旅好きの人でなくても、名前くらいは知っているのが『地球の歩き方』シリーズだ。世界各地の詳細なガイドブックを出すことで定評がある。もちろん、コロナ禍の状況で通常の“海外旅行”は未だ制限が掛かっている。海外旅行に関する分野は、雑誌・書籍の分野でなくても苦境にあえいでいる。そういう中で「地球の歩き方」編集部が“希望”を見出したのが「旅の図鑑シリーズ」と名付けている分野だ。この春『世界の魅力的な奇岩と巨石139選』『世界246の首都と主要都市』『世界の指導者図鑑』の三冊を同時発売した。オリンピックに重なったこともあって大きな手応えを得た。そこで夏場には『世界のグルメ図鑑』『世界のすごい巨像』『世界のすごい城と宮殿333』をシリーズに追加した。その中では特に「グルメ図鑑」の“売れ行き”が良いらしい。こうして、海外旅行に行けない状態の中でも“新たな旅行気分”を味合わせてくれれば、読者は支持してくれることが確実となった。同じような感覚で発刊された『東京で楽しむフランス』『東京で楽しむ韓国』『東京で楽しむ台湾』の三冊も好評であるらしい。確かに、これらであれば海外に出なくても、東京の中を歩くだけで“その国の雰囲気”は味わえるのだ。東京シリーズが終わったなら『国内で楽しむフランス』とか『国内で楽しむ韓国』とかに広げていけば良い。先の「世界のすごい」という方向で続けるなら『世界のすごい寺院・教会』とか『世界のすごいスラム街』とか『世界のすごい博物館』とか『世界のすごい奇祭と呪術』とか…いくらでも企画が出てきそうだ。世の中が大きく変貌するとき、人は“新たなる発想”で商売・事業を展開してきた。さまざまな発明品や発見がもたらされるのもこういう時なのだ。文字通り、ピンチはチャンスなのかもしれない。

時代は「ふなっしー」を“変貌”させたのか

2021-08-15

数日前に録画したTV番組で「ふなっしー」を観た。どう表現したら良いのだろう。何かが変わった。昔の「ふなっしー」ではないような気がした。私の記憶違いなのかもしれないが、その“着ぐるみ”自体が変わったような気がした。なんと表現してよいかわからないのだが、初期のような“可愛らしさ”が感じられなくなっていたのだ。もしかしたら「眼」のデザインが違っていて、今は“バラの花⁉”を「眼」としているのだが、昔は“ごく普通の眼”だったような気がする。体型も“細く”なってしまったようで、それも“可愛らしさ”を失わせていた。また、前ほど、飛び跳ねなくなっていた。椅子に座った「ふなっしー」は見たくなかった。とにかく、全体的に“全盛期のふなっしー”とは明らかに違っていた。もはや「ゆるキャラの時代」ではなくなってしまっていることを妙に感じさせた。2012年の頃、或る意味で「ふなっしー」はアイドルだった。それが正規のタレントになったころから、色褪せていったのかもしれない。丁度、デビュー間もない頃のアイドルが“世の中の垢”に染まっていなくて、透明なオーラを放って初々しく輝いていたのに、十年近く経ってステージ衣装はぎらついているのに“輝いて視えない”のに似ていた。時代は、あれよ、あれよ、という間にスターを生み出すが、時代的な変化は“その輝き”を奪いもする。自分を見失わずに居られる人だけが、スターとして生き残り続ける。情報化が進んだ現代は、その時代的変化が激しい。「ふなっしー」の自宅が公開されていたが、なぜか「日本刀のコレクション」をしていて、それも何となく妙な気がした。MCのひとり指原莉乃氏が「ふなっしー」に冷たかった。それはもう“ふなっしーの時代”ではなくなっていることを、改めて印象付けた。或る意味で「AKB48」から“ただ一人生き残ったタレント”である彼女は、もはやスターではなくなった「ふなっしー」を冷たくあしらうことで「もう、あなたの時代ではないのよ」と囁いているような気がした。

 

やがてアメリカの白人は「少数民族」になる⁉

2021-08-14

ワシントンポスト紙に興味深いデータが公表された。アメリカの国税調査局が10年ごと行っている調査で“2020年人種別統計”が出ているのだ。それによると調査を開始して初めて、アメリカ合衆国の“白人比率”が57.8%で6割を切ったのだ。20年前は75.6%だったのが急激に減ってしまっている。それでは黒人が増えたのかというと、そうではない。黒人は20年前が11.7%で今回12.1%だから、ほとんど変わっていない。増えているのは、メキシコなど中米からやって来たヒスパニック系人種の9.0%→18.7%と、中国や東南アジアからやって来たアジア系人種の2.8%→6.1%の二種類の「黄色人種」たちだ。両方ともに20年前から約二倍強に増えている。つまり「アメリカ」が、かつての「アメリカ」ではなくなってきているという現実だ。われわれは何となく「アメリカ人」という言い方をするが、実際のところ“純粋なアメリカ人”は減少の一途なのだ。おそらく、この傾向は今後も続きそうで、そうなるとやがてアメリカの白人種は“少数民族”に変わってしまうだろう。というか、何国人なのか、よく解からないのが「アメリカ人」ということになってしまいそうだ。そう考えるとトランプ前大統領が「アメリカファースト」と言っていたのは、実際には「アメリカ白人ファースト」と言いたかったのだということが解かる。白人が7割以上を占めていた“昔のアメリカ”に戻したかったのだ。さて「我が日本」はどうなっていくのだろう。徐々に外国人種が増えては来ているが、まだまだ他の国に比べると、その比率は低い。これは良いことなのだろうか。悪いことなのだろうか。「ヤマトダマシイ」を守るという意味では、重要なことのようにも思うが、いまの日本の“少子化現象”は簡単に変わりそうもない。それが続くと、確実に日本は弱体化する。純粋「日本人」の比率を低くしないと、経済が活性化していかない。「日本」は島国で孤立しているので、黙っていても或る程度「純粋日本人」は継続するように出来ている。それでいながら、資源の乏しい「日本」は“鎖国”では生きられない。何国人であろうと、迎え入れなければ、世界に太刀打ちできなくなっていくのだ。

「美しい地球」はやがて「炎の球体」となる⁉

2021-08-13

各地で“熱波”が報告されている。各地というのは“地球上の各地”だ。カナダでは「49.6度」などという尋常ではない“暑さ”が報告されている。そうなると、どうなるか。山火事が発生するのだ。アメリカのカリフォルニア州北部の“森林火災”は既に一か月以上も燃え続けている。日本の大阪府を超える面積が焼失した。もうすぐ東京都を超える面積が焼失していく。何しろ、次から次で消火し切れないのだ。既に1000棟以上の建物が焼け落ちているが、現在16000棟以上の建物が危険にさらされている。もちろん、カナダでも森林火災は起こっている。北アフリカのアルジェリアでも起こっている。アルジェリアの場合は“放火説”もあるのだが、50か所以上で同時に発生するなど、頭を混乱させるような事態となっている。北アフリカの場合、消火設備が十分ではないため消防士の命も多数犠牲となっている。ギリシャの場合にはアテネ近郊で燃え上がっていて、都市に近い地域での火災だけに人命を第一に考えなければならない。それでなくても、今年のギリシャは暑く、北部では47.1度を記録しているのだ。ギリシャと共に、リゾート地の森林が燃え出しているのがトルコ南西部だ。既に30か所以上の山火事が起こっていて、手の付けようがない。しかも、トルコの場合「火の災害」だけがやって来ているのではない。ほぼ同時に「水の災害」にも見舞われているのだ。こちらは北部の方で黒海沿岸のカスタモヌという所だ。川が氾濫して、次々と車が流され、木造の家が壊れている。日本も、今年はいろいろな意味で大変だが、世界各地を見渡せば、まだ“良い方”のような気がするのは私だけだろうか。そして、同時に「美しい地球」はこのままで大丈夫だろうか、と心配になる。私は普段、どちらかというと何事にも楽観的なのだが、さすがに地球のあちこちで“炎が上がっている”とか“大洪水で流されていく”とかの画像を見ると、地球の未来に暗然たるものを覚えずにはいられない。「火」と「水」を怖れて、あちこち逃げ惑うような“未来の人々”とならぬことを願うばかりだ。

最近のクマは、スーパーで「お買い物」か⁉

2021-08-12

だんだん「人間の住む世界」に、クマが近づいてきていることだけは間違いがない。そうはいっても、ぬいぐるみではないのだから、接近されると、やっぱり怖い。日本各地でクマの目撃例が増え始めている。日本特有の現象かと思ったら、そうではなかった。アメリカのカリフォルニア州はロサンゼルスのスーパー「ラルフス」にも、8月7日にクマはやって来ていた。スーパーマーケットにやって来るなんて、最近のクマは“買い物上手”なのだろうか。ただ午前中だったので買い物客は少なく店内は閑散としていた。それにアメリカの店舗はだだっ広い。通路も広い。だからこそ太っている者同士でもぶつからずに済むのだが、クマが来た時だって、すれ違わずに済む。奇妙なことに、誰一人として接近していないのだ。もし、これが日本なら店自体が狭いので、同じ店舗内の接近した場所に、魚とか、肉とか、野菜とか、クマが好みそうなものが置かれてあるので万事休すだったのだが、店内が広いのでクマの通路付近には臭いのする食料品がなかった。そこで、せっかく買い物にやって来たクマだったが「美味しそうなものが何もないじゃないか」と毒づきながら、店舗の正面玄関を見つけると堂々と出ていったのだ。ちなみにクマは、人間を食べに来たわけではないから、誰も襲っていない。もし、人間の方から誰かが接近したなら、反射的に襲ったのかもしれないが、何しろ「お買い物」に来ているのだから、美味しそうなものが見当たらなければ、手ぶらで帰っていくのは当然なのだった。それにしても、ロサンゼルスには、クマが出没するような所に郊外型スーパーが存在していることに驚く。今回は美味しそうなものがなかったから、黙って出ていったが、もし美味しそうなものを見つけたなら、そこを陣取って動かなくなるに違いない。どうするロサンゼルス⁉

もはや「徳光和夫」は崖っぷちのギャンブラー

2021-08-11

世の中に「ギャンブル好き」な人は多い。“競馬”“競輪”“競艇”“麻雀”“花札”“パチンコ”“パチスロ”“宝くじ”“ロト”“カジノ”“暗号資産(仮想通貨)”“デイトレード”等々……要するに「一攫千金」を好む人たちが集うのが“ギャンブルの世界”だ。いつの頃からかタレント・キャスターとして有名な徳光和夫氏を語る代名詞として「ギャンブル」が出て来るようになった。徳光和夫氏といえば「ズームイン朝」で一世を風靡し、大きな財産を築いたはずの人物だった。ところが、近年はその財産を「ギャンブルで無くしつつある」話しか聞かない。最近のTV番組内で、インターネットによる“馬券購入”を覚えてしまったことで、あちこち地方競馬の馬券も購入しながら、ギャンブル競馬を楽しんでいるらしい。そのこと自体は“趣味を楽しむ”良いことなのだが、ただ単に“競馬”そのものを楽しむのではなく、“賭け事としての馬”が好きなので、お金がかかると嘆く。既に「定期預金」三つを解約し、現在は「生命保険」の解約を始めてしまっているらしい。この先、大丈夫だろうか。ギャンブルというのは「適度に愉しむ」というのが、なかなかに難しい。つい、のめり込んで、持ち金ぜんぶを注ぎ込んでしまうようなことになりやすい。有名人でも、ギャンブル好きで「借金を重ねている」ような人物は多い。もちろん、ギャンブルであるから、負けるばかりではなく、勝つこともある。だいたいがギャンブルにのめり込むような人は“大博打”を打ちたがるので、“勝つ”時には“派手な勝ち方”になる。つまり少額を投じて“信じられない大金”を手にするのだ。この時のスリルと興奮は味わった者でなければ分からない。そこで、どうしてもそういう“危ない勝ち方”を好むようになる。ギャンブルには“堅実な勝ち方”もあるのだが、のめり込み型は、それを嫌う。或る意味では、だから滅多に勝てなくなる。“堅実な勝ち方”を続ければ、派手さはないがトータルでは“そんなに負けない”のだが、それが出来ない。或る意味では「そんなのギャンブラーとしての生き方に反する」とでも思っているようである。そうこうしながら“借金”だけが確実に増えていくギャンブラーは多い。基本的にギャンブルには先天的に“強い人”と“弱い人”とが居ることは事実で、自分が“弱い人”だと思う場合、“のめり込み型”にだけはならないよう注意しなければならない。「生命保険」の次には「持ち家」が待っているのだから…。

「氷り水」屋さんの“お店”は、どこへ行った…

2021-08-10

夏になると「氷り水」屋さん、冬になると「焼き芋」屋さん、季節はよく解からないが「お豆腐」屋さん、そして「納豆」屋さん、さらには「お花」屋さん、それから「お茶」屋さん、あと「お薬」屋さん……いろんな人たちが、子供の頃には“売り歩いて”いた。考えてみると、一時期は完全にすたれてしまっていた「売り歩き型の商売」が都会では“復活”し始めているような気がする。或る意味では今流行りの「出前館」のような“宅配型”サービスだって、もともとの“売り歩き型”の現代版とみることも出来る。ただ違うのは、現代の場合には“宅配してくれた人”と世間話をすることはないが、昔の場合には土間に腰かけて、世間話などしながら“売り買いする”のが普通だったことだ。今年は珍しく、わが札幌の地も、暑さが続いた。そういう時に、子供の頃の赤文字で描かれた「氷り水」の独特な“のれん”や“のぼり”を思い出す。そういえば近年「氷り水」の大きな文字を見掛けない。もしかすると「氷り水」屋さん自体が無くなってしまったのか。それとも、いまは「氷り水」自体はあっても、それを看板にはせず、夏場メニューの“一品目”に変わってしまったからなのか。考えてみれば、昔は、暑いときの定番として「氷り水」以外はなかったから、それだけで商売が成り立ったのか。私は自分が初めて“真夏の東京”で暮らした一時期を想い出す。北海道から東京の真夏に“飛び込んだ形”であったので、とにかく暑かった。だから私は、毎日、十条の辺りの「氷り水」屋さんをはしごしたのだ。とにかく、それ以外は口に入れたくなかった。あの頃は瘦せていて、ある意味、痩せこけていて、真っ黒に日焼けした顔で眼だけが異様にぎらつき、4軒目の「氷り水」屋さんを見つけようと必死だった。いま考えると、一軒目で何倍もお替りすれば良いものを、北海道から出てきたと見透かされるのが嫌で、痩せこけた獣のような風貌で探し続けていた。だいたいフラフラするのは暑さのせいばかりではなく、氷り水以外を口にしていないせいかもしれなかった。なぜか真夏になって、暑い日が続くと、私は“あの頃の自分”をナデナデしてあげたいような妙な気分になる。

26年前の「未来予想」カプセルの願望が実現⁉

2021-08-09

基本的に大人よりも子供の方が“想像力”や“発想力”は豊かだ。人は大人になっていくにしたがって“常識”や“既成概念”を身に着けていくので、自由な発想がしにくくなるのだ。愛知県の一宮市は今年で「市政100周年」となる。それを記念して26年前、市内の子供たちに「2021年の一宮市の未来」について書いてもらった。そして市内の光明寺公園内に「タイムカプセル」として埋めた。今年「市政100周年」となって、市の担当者たちが、その埋められていたタイムカプセルを掘り起こし、中身を開封するという行事を行った。ところが、市の担当者は張り切っていたのだが、実際にそれを書いていた“当時の子供たち”が名乗り出てくれない。広報誌で呼び掛けたり、駅前商店街に尋ねたり、FMラジオで呼び掛けたりしても反応がないのだ。それでも、ようやく自分で書いたと名乗り出てくれた女性が一人だけ出てきた。当時小6で現在は38歳の武藤久美子さんだった。彼女は、カプセルに書き入れた内容の原稿(文集)そのものを保管していた。それによると、一宮市をもっと活性化するため2021年には、駅ビルの中にデパートだけでなく「図書館」や「病院」や「温泉」が入っているのではないか、と自らの願望も込めて予想していた。彼女自身は、現在の駅ビル内がどうなっているか、知らなかったというが、9年前に建て替えられていて、その5階には新たに「図書館」が加わっていたのだ。それも46万冊もの蔵書を誇る本格的な図書館になって居た。正直、私は一宮市がどういう街なのか知らないのだが、26年前の少女の「提言⁉」ともいうべき予想は、一部見事に的中していた。「病院」や「温泉」が入っていなかったところを見ると、あくまでも“偶然の的中”なのだろう。実は個人的な自分自身の「未来予測」でも、その一部だけが的中するというケースは多い。今回のオリンピックなどでも「金メダルを取る」と子供の頃に文集などに記して、それを実現させた人もいる。われわれの“未来予測”は邪念のない子供の頃の“予測”の方が実現させやすい。ただ「その全部が現実化する」とは限らず、多くの場合「その一部が実現化していく」。言葉でいうよりも文字として「一行で記せる未来」が現実化しやすい。潜在意識は、単純な未来の方が「形」として実現化しやすい仕組みに出来ているからだ。

 

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