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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


時代は「ふなっしー」を“変貌”させたのか


数日前に録画したTV番組で「ふなっしー」を観た。どう表現したら良いのだろう。何かが変わった。昔の「ふなっしー」ではないような気がした。私の記憶違いなのかもしれないが、その“着ぐるみ”自体が変わったような気がした。なんと表現してよいかわからないのだが、初期のような“可愛らしさ”が感じられなくなっていたのだ。もしかしたら「眼」のデザインが違っていて、今は“バラの花⁉”を「眼」としているのだが、昔は“ごく普通の眼”だったような気がする。体型も“細く”なってしまったようで、それも“可愛らしさ”を失わせていた。また、前ほど、飛び跳ねなくなっていた。椅子に座った「ふなっしー」は見たくなかった。とにかく、全体的に“全盛期のふなっしー”とは明らかに違っていた。もはや「ゆるキャラの時代」ではなくなってしまっていることを妙に感じさせた。2012年の頃、或る意味で「ふなっしー」はアイドルだった。それが正規のタレントになったころから、色褪せていったのかもしれない。丁度、デビュー間もない頃のアイドルが“世の中の垢”に染まっていなくて、透明なオーラを放って初々しく輝いていたのに、十年近く経ってステージ衣装はぎらついているのに“輝いて視えない”のに似ていた。時代は、あれよ、あれよ、という間にスターを生み出すが、時代的な変化は“その輝き”を奪いもする。自分を見失わずに居られる人だけが、スターとして生き残り続ける。情報化が進んだ現代は、その時代的変化が激しい。「ふなっしー」の自宅が公開されていたが、なぜか「日本刀のコレクション」をしていて、それも何となく妙な気がした。MCのひとり指原莉乃氏が「ふなっしー」に冷たかった。それはもう“ふなっしーの時代”ではなくなっていることを、改めて印象付けた。或る意味で「AKB48」から“ただ一人生き残ったタレント”である彼女は、もはやスターではなくなった「ふなっしー」を冷たくあしらうことで「もう、あなたの時代ではないのよ」と囁いているような気がした。

 

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