11月, 2022年

「運」は“3方向”から「運ばれる」という回答⁉

2022-11-06
タレントのアンミカ氏がTV番組の中で「運」というものについて、一つは「自分の努力で運ぶ」もう一つは「人様が運んできてくださる」さらには“天”など「視えない力から運ばれてくる」の“3方向”から「運ばれていくものだ」という考えを披露している。まったく、その通りであると思う。ここで大切なのは、最初に語った部分「自分の努力で運ぶ」を、まったく何も行わないような人と、逆に“そればかりに頼って”それ以外の“二つの運”を認めようとしない人と、その“両極端の人たち”が意外なほど多いよう見受けられることである。自分の努力だけしか信じない人は、予期せぬ障害とかトラブルとか災難によって、努力だけではどうしようもないことがあると気付かされた時、途方に暮れ、身動きが出来なくなる。それから「天運」のようなものばかりに頼って、自らの努力を行わないような人は、ちょっとした問題や障壁にも躓いて、すぐに諦め後戻りしてしまう。自分の経験だけでなく、多くの人たちの“さまざまな人生”を見聞きすれば、間違いなく“3方向からの運”というものがあることに気付かされる。多くの人生の達人は、それを経験的に知っているのだ。だから、努力というものを何一つしないでの“天運待ち”はチャンスが少ないし、人生全体が流されがちになる。逆に“自分の努力”以外を信じない人は、予期せぬ災難などでいったん大きく躓くと、そこから這い上がって来ることが難しい。こういう人は、たとえ“人さまが運んできてくれた”としても、それを拒否しがちな傾向がみられる。人様が運んできてくれた「運」に乗るかどうかは考えどころだが、そのすべてを否定・拒否するのは感心しない。半信半疑でも、その時の状況によっては「試してみる価値はある」という考えに立つ方が“運”は掴めるものだ。さらに「天運」に関しては、人間というのは自分自身でも、或る程度まで現在が“良い運”のときか“悪い運”のときか、なんとなく感じ取っているものだ。大切なのは、その「運」の上り坂の開始時期付近で始めたことの多くは成功する。そして「運」の下り坂の開始付近で始めたことの多くは、やがて失敗する、という事実だ。だから良くなり始めた時には“次々手掛けても良い”のだが、悪くなり始めた時に“手を広げる”のや“誘いに乗る”ことは墓穴を掘りやすい、と憶えておいて欲しい。

「新紙幣」量産開始で「バブル経済」が再現⁉

2022-11-05
今年の9月までで終了していたものがある。現行流通している“福沢諭吉1万円札”等の紙幣の製造だ。その代わりに2024年度から登場することになっている“新紙幣”が量産され始めた。渋沢栄一の1万円札、津田梅子の5千円札、北里柴三郎の千円札だ。日本経済の今後を担う“お三方”だ。現在の千円札に描かれている野口英世氏が“借金王”だったのに対して、今回の渋沢栄一氏は“大実業家で大金持ち”だった。やっぱり紙幣は“金持ちの顔”が良い。現在の紙幣が流通し始めたのは1984年だが、この年以降の5年間、日本では“バブル経済”が急拡大していった。株価も急騰し、土地不動産も急騰した。それまで投資などに興味なかった人たちまで、マスコミが騒ぎ立てたせいか、誰もがいっせいに株を買い、土地を買い漁った。もし、あの時、新紙幣が誕生していなかったなら、バブル経済は同じように生まれただろうか。新たな紙幣を大量につくって巷に流通させたことで、人々の気持ちに変化が生じ誰もが「投資行動に走った」とは言えないだろうか。仮に、そういう要素が少しでもあるなら、新紙幣が量産され出した今後、徐々に“バブルの兆し”が生じてくるような気がするのだ。実際、外資系アナリストの中には「数年以内に日経平均(日本株)は5万円を超える」と断言する者もいる。かつてのバブル期でも4万円を超えていないのだ。けれども、過去の株価頂上を超えていないのは「日本株」くらいで、少し前まで、ほとんどの国が過去の株価を“大幅に上回っていた”のが実情なのだ。株価というのは、その国における“先読みの経済指標”なので、株価が上昇していけば、必ず“実体経済”がその後を追う。そういう風に出来ている。だから、そういう意味では80年代の“バブル期”を追い抜けないでいる日本の見通しは厳しい。ただ「日本株」には世界の経済の“先行指標”となる部分もある。したがってアメリカの株よりも、実は“先を読む”という点からは日本の株の方が“世界経済の行方”を敏感に察知しやすい。いまはまだ「新紙幣」が流通する前なので、いわば“夜明け前”のような状況だが、もしかすると「バブル再現」は密かに準備中かもしれないのだ。

古代の人々にとって“恐怖”だった「皆既月食」

2022-11-04
11月8日の夜に「皆既月食」と「天王星食」が“同時に視られる”ということで派手に騒がれている。日頃、あまり“明るい話題”が少ないので、天文学になど興味のない人たちまで巻き込んで「夜空を見上げよう」ということらしい。「天王星食」の方は、肉眼観察は不可能なので、あとから専門家が撮影した画像で確かめるのが良い。「皆既月食」の方は、特別珍しいものではないが、比較的“観やすい時間帯”なので、興味深い天文現象として視ておくのが良いかもしれない。そうして、古代の人々が、このような現象を視ながら「どのように思ったか」を考えてみるのが良い。どの古代文明の地域でも、たいへんに重要視されたのが「皆既月食」と「皆既日食」だった。特に「皆既日食」の方は、別に空など見上げなくても、それまで明るかった空が急に暗くなっていく。真っ暗闇になっていく。そして、思わず空を見上げると、それまで輝いていた太陽が徐々に欠けていく。明らかに“欠け消えて”いく。それはまるで何か異様な天空生物に“太陽が飲み込まれていく姿”のようにも視えた。だから人々は怖れたのだ。太陽が消えてしまうと、生きてはいけないことを古代人たちは本能的に知っていた。だから、太陽を“飲み込む”のは天空に潜む「巨大な龍」に違いない。古代人たちはそう考えて「皆既日食」や「皆既月食」が生じる地点を「龍の頭=ドラゴンヘッド」として捉えた。日食や月食が起こるのは、地球上から視た時に「太陽」と「月」とが“ほぼ同じ大きさ”をしているからだ。太陽系の創生期にそういう位置関係が“偶然”に作られたのだと思われる。そういう意味では、まさに奇跡の惑星が「地球」だったともいえる。昼間の太陽がわれわれの公的な生活を支配し、夜間の月がわれわれの私的な生活を支配する。われわれはこの二つの惑星(天文学的には恒星と衛星)から両手を伸ばされ、父親と母親に挟まれた子供のように、地球人としての生命を謳歌していく。日食や月食は、その事実を改めて地球人に教えるために、仕組まれた天文ショーなのだ。

「空飛ぶ車」より「完全自動運転車」の開発⁉

2022-11-03
「空飛ぶ車」のニュース記事を読んだが、どうも今一つ「最新の車」という印象を受けない。「エアタクシー」として「大阪万博」の時に活躍する予定らしいのだが、乗客が自分で運転するのではなく、パイロットが別にいて、その人が操縦して飛ぶ、という構造らしい。つまり簡単に“自在に空飛ぶ”という類いのものでは現段階ではないらしい。トヨタが主要株主となっている開発企業の車は、プロペラ型でヘリコプターのように垂直の離着陸型で6個のプロペラが付いている。パイロット1人と乗客4人が乗り込むことができ、航続距離は240㌔。一方、スズキが出資している企業の方は、12個のモーターを附けていて、時速100㌔、パイロット1人と乗客2人が乗り込むことができ、航続距離は10㌔と短い。パイロットが必要とか面倒な割にまだまだ試験段階のようである。われわれが空想するスイッチを入れればすぐ飛び出す“快適な空輸マシン”とはなっていないようだ。イメージ的にも現在のヘリコプターとそんなに変わらない。大きなプロペラが内部に凝縮されただけのような気がしないでもない。空輸を目的とするなら、既にドローンが商品輸送などで活躍し始めている。もしかするとヘリコプターとドローンの中間的な存在として「空飛ぶ車」が位置しているのではないだろうか。それならば、かえって“完全自動運転”の車の商業化に力を注いでほしい。完全自動運転で、現在の街中に出回り始めた“シェア自転車”のような存在として並べて、多くの人が勝手に利用する形にすればいい。免許などなくても“目的地”さえ打ち込めば、黙っていても“連れて行ってくれる”それこそが「夢の車」として誰もが待ち望む“未来車”のような気がする。交通事故なども、そういう車だけに変われば、極端に減っていくのではないだろうか。それらとは別に、公共機関としての電車やバスがあればいい。そうすれば地球温暖化の問題も一挙に解決できるのではないだろうか。

黒髪&眼鏡なし&スーツ姿「別人」水道橋博士

2022-11-02
そのニュース自体よりも、その“議員姿”の画像が何より違いすぎていて「別人」にしか視えない。もしかすると、マスコミがこれまであまり報道しなかったのは“別人”過ぎて判りづらいと判断されたためだろうか。参院選に「れいわ」から立候補し、当選した水道橋博士氏が「うつ病」と診断され、議員活動を年内休止することが山本太郎代表から公表された。その報道には写真が添えてあったが、わたしは最初それが「水道橋博士」本人であるとは気付かなかった。だから、報道の内容を読みながら「この人は誰だろう」と思ったくらいだ。よくよく視たら、国会議員として登院した時の写真画像であるらしい。それまで知っていた水道橋博士は金髪で黒縁の眼鏡をかけていて派手な柄物シャツを着ている印象しかなかった。だから眼鏡を外して、金髪から黒髪に変え、普通のスーツ姿になってネクタイを結ぶと「別人」だった。あまりにも違いすぎる。これが芸能人でも女性なら、派手なファッションから地味なスーツに着替えて一瞬では“判らない”ケースもあるが、通常、男性の場合には、スーツ姿でも判別がつく。けれども、この人だけは“まったくの別人”にしか視えない。これは本人の希望だったのか、それとも「れいわ」側からの指示だったのか判然としないが、観相学的な判断からすると、美容整形と同じで「別人」のように変わると、当然のように運命も変わる。どう変わるのかというと、この人の場合には“派手な外貌”の印象から“地味な外貌”に変わったことで、その発言や行動は自然と“地味で目立たないもの”になる。もちろん政治家であるから、その方が“一年生議員”としてはふさわしいのだが、もしかするとこの人は、最初から“華やかに活躍する”ことを夢見ていた部分があるのかもしれない。名前も本名の「小野正芳」では、だれだかわからない。芸能界で生きてきた人は“目立つ”ことは得意だが“地味に生きる”ことは得意でない場合が多い。もし、どうしても「小野正芳」として“生きる”のが難しければ、別人の姿から本来の姿に戻って“議員活動休止”ではなく“議員辞職”の方が、リラックスして生きられるかもしれない。

2022年11月の運勢

2022-11-01

「才能ある若者」が「日本」を見捨てていく⁉

2022-11-01
「日本」という国が“曲がり角”に来ていることは誰もが認める。経済的な成長が止まってしまっているからだ。以前は、後進国と思われていた「中国」や「インド」や「韓国」が……いや、もっと遅れていると思われていた「タイ」や「インドネシア」や「ベトナム」や「フィリピン」などが急成長を遂げている。あらゆる部分で、成長や変化が速いのがアジア各国だ。ただ単に“成長が止まった”だけでなく、むしろ“円安基調”に変わったことで、海外から視ると“経済力が後退し始めた国”と変わりつつある。もちろん、その結果として“観光の国”に生まれ変わる可能性もないではない。ただ「日本」の場合、島国で“欧米から遠い”という弱点がある。さらに言葉の問題もあり、観光面でも欧州や東南アジアに比べて“不利な条件”が多い。未来に“輝かしい展望”が描けないので、少子化はどんどん加速する。「日本」の良いところは“経済的な格差が少ない”ところだが、あまりにそれに固執しすぎた結果“格差はないが成長もない”国になってしまった。結果的に日本の「平均賃金」は現在アメリカの“二分の一”にも足りない。もっとも、インフレが加速するアメリカでは、いくら収入が多くなっても物価が高騰していくので、暮らし向きとしては「日本」とそんなに変わらない。ただ、これが続くと“成長が止まった日本”と、今後も“成長が加速する国”との間で開きが大きくなることだけは間違いがない。そこで、どうすべきかというと、日本ではもっと幼い頃からの“英語教育”に力を入れなければならない。海外でも暮らせるようにすべきだからだ。日本に留まっていては、どんなに才能があっても、その報酬や評価には限界がある。実際、ここに来て、日本を飛び出す若者たちが徐々に増え始めている。有名人でも海外に拠点を移す人が多くなった。もっとも、わたし個人は「日本」を“愛する者”として、ちょっと哀しい。日本の“輝かしい未来の展望”を語れる政治家や実業家は出て来ないのだろうか。「全世界」から注目を集めるような政治家や思想家や起業家たちがたくさん出現することによって、30年後の「日本」が再び“輝き出す国”となっていくだろう。 Newer Entries »