10月, 2023年

50年前白かった「五輪」は「黒い雪」に変貌⁉

2023-10-07
札幌市が「2030年冬季五輪招致」を“正式に断念”した。元々それほど市民が“待ち望んでいる”五輪開催ではない。この“招致活動”を開始した2014年には67%あった賛同者たちが、最近の調査では24%にまで落ちている。まあ「東京五輪」の印象が、いろいろな意味で良くなかったので、当然の結果と思われる。札幌で「冬季五輪」が開催されたのは1972年だった。つまり今からもう50年も昔のことなのだ。その頃のオリンピックは各国のアスリートたちが平和を願って参加し、純粋に競い合うことに意義があった。つまり、オリンピックの“初心の目的”がそのまま継続されていた。少なくとも、そのように視えた。けれども、いまはもうそういう面影がない。なによりもオリンピックから「清潔感」が消えている。さまざまな思惑が世界各国に潜んでいる。それはただ単に会場建設などの“お金が絡む問題”だけではない。多くのスポーツが“プロ化”してしまったため、それぞれの選手たちは“企業名”を背負う形で出場している。「国」を代表して出て来ているというより「スポンサー企業」の代表として出て来ている形に近い。それは例えば大晦日の“格闘技イベント”に出場する選手たちが、あまりにも多くの企業名を着けたコスチュームを着けて登場するのと変わらない印象を与える。もはや競技者はスポンサーの協力なしでは「金メダル」を取れない時代になっている。そこで「金メダル」が少ないと、出場する選手に出資しているスポンサー企業が表彰台に上がれないケースが出てくる。そこで各競技を細かく分けて、さまざまな企業から“メダリスト”が誕生する仕組みとなっている。これは一部の国だけに“メダリストが偏らない”ようにするための方策でもある。その結果、何千名もの“五輪メダリスト”が誕生する仕組みになっている。「世界一」が何千名もいる……なんてどう考えてもおかしい。しかも、その称号を得ることで、その後の人生を保証されている国まである。ノーベル賞はほとんどの場合、70代とか80代とかになってからしか与えられない。オリンピックの方には10代半ばの学生も多い。この違いは何なんだ。スポーツというのは“先天的な素質”が大きい。努力だけで獲得できるものではない。それに対して人類共通の貴重な発見などに与えられるノーベル賞の方は“後天的な努力”に基づく方が大きい。この違いが埋まらない限り「黒い雪」を喝采で迎えることはできない。

「投資」への“誘い水”「ドコモ&マネックス」

2023-10-06
携帯電話のドコモが証券会社のマネックスを“子会社化”した。どちらも“動きそうもない”企業同士だっただけに誰もが驚いた。携帯会社はauが旧カブドットコム証券と結びついて「auカブコム証券」としてグループ化している。昔はソフトバンクがSBI証券を子会社化していたが、現在は切り離している。楽天証券はみずほ銀行との関係性を強めだした。金融機関と証券会社、携帯通信会社と証券会社、これらが結び付いたり離れたりしながら、われわれの暮らしの中に微妙に喰い込んでくる。岸田政権は意外なほど“投資の後押し”に熱心である。企業の投資に対してもそうだし、個人の投資に対してもそうだ。眠っていた“国民のタンス貯金”を「眠らせたままではいけない」という危機感が強まっているのかもしれない。これまでは“デフレ国家”であったから、タンス預金でも銀行預金でも、実質的に対して変わらなかったが、今後「国」そのものがインフレに向かって行く可能性が強まった以上、タンス預金と銀行預金とでは大いに差が生まれる。もっと差が生じるのが“眠ったままのお金”と“投資に向かったお金”だ。もし「国」自体が完全に方向転換してデフレからインフレに変ったのなら、必ず、その国の「株価」や「地価」は徐々に上昇していく。実際、日本の株価は長い眼で視れば2013年末を起点として“上向き方向”にある。今後、もしインフレ傾向が判然とすれば、この長期的なラインはますます上昇が判然としてくるはずなのだ。かつては、もうバブル期の株価など「絶対に追い越すことは不可能だ」と思われていたが、日経平均が3万円を超してきたことで、十分にその可能性が出て来ている。問題は日本の国民自体が“バブルで痛い想い”を経験し、もう投資には手を出さない、と決めている人が多いことだ。もちろん若い人たちはバブルそのものを知らない。彼らが投資に手出しをしないのは、それだけの“余裕資金がない”ことが大きい。したがって携帯電話と証券会社とが結び付き、若い人たちが入り込みやすい形で“証券口座数”が増えていくなら、徐々に日本人全体に“投資ブーム”が生まれていくだろう。そのためには日経平均などが比較的“右肩上がりの状態”が続くことが絶対条件なのだ。さらに海外の投資家たちが「日本」に向かってくること、訪日外国人たちが、そのまま「日本の株」も購入して帰っていけば、確実に上昇トレンドが築ける。ドコモ&マネックスの“一体化”はその“呼び水”としての役割を果たしていけそうな……。

骨壺への執着「生者」&「死者」双方に煩悩⁉

2023-10-05
多くの人から愛された俳優でタレントの渡辺徹氏が亡くなって、もうすぐ一年になる。昨日、彼の息子である渡辺裕太氏がTV番組で、まだ父親の「納骨」が行われていないと語ったらしい。母親であるタレント榊原郁恵氏の“想い”が強く、夫である徹氏の遺骨と「一緒に居たい」という気持ちが強く、骨壺を仏壇に置く形で供え物など欠かさぬようにし“傍にいる形”で暮らしていたいのだという。通常はそれでも49日を過ぎたら「納骨」するケースが多いのだが、どうやらそういう気持ちにはなれないらしい。もちろん、夫が急逝してしまった場合、誰もがそういうふうな気持ちに一時的にはなるだろうから、その気持ち自体を責めることはできない。けれども、古来からの風習にはそれなりの意味と意義とがある。「納骨」は“死に行く者”と“生きて行く者”との“決別の儀式”である。死に行く者は、その魂を「あの世」へと移さなければならない。生きて行く者は、その魂を「この世」へと戻さなければならない。その中間に位置しているのが「幽界」で、ここに留まっていると死者は安らぐことが出来ず「魂が浄化できない」と言われている。生者の方も通夜・葬儀から“死者”との関わりが強まっているから、そこに留まったままだと「幽界」へと引き込まれやすい。そういう意味で、もし、どうしても故人への執着が強いなら「分骨」してもらって、それを仏壇に入れて置くという形であれば、問題が生じないと思われる。そうでないと、死者も死にきれず、生者も生ききれず、心ここにあらずの日々を送ることになりやすい。つまり、49日を過ぎても骨壺を仏壇付近に置いておくことは双方にとって不幸を招きやすい。もう一つ「幽界」というのは、文字通り「幽霊の住む世界」で“この世とあの世の中間地帯”であるから、魑魅魍魎がうごめきやすい。いま現在、生と死の間を彷徨っているような“危篤状態”にある人々。それから、亡くなってはいるのだが遺体が家族の元に渡らず、きちんとした葬儀が行われていない人々。さらには何十年経っても行方不明のまま放置されている人々。そういった人々が彷徨っているのが「幽界」なのだ。だから、そういうところにいつまでも踏みとどまっているのは、いろいろな意味で良いことではない。愛情が深ければ深いほど、死者を死者たちの世界に送り出し、生者は“家族の元”へと戻らねばならない。仮に家族が居なくても、生者の住宅である「陽宅」に居住しなければならない。死者の住宅である「陰宅(墓内・仏壇内)」に居住し続けてはならないのだ。

タコスを差し出したら、クマは襲わなかった‼

2023-10-04
日本各地でも、最近は「クマ出没」のニュースが多い。特に私の住む札幌は市街地付近まで見掛けることが多くなったから、地域によっては“危険区域”が存在する。さすがに住宅の密集地には出ないが、山の出入り口付近や川伝いに沿って歩く習性を持っているから、そういう場所に戸建てで暮らしている人達は要注意と言える。日本では昔、クマに出遭ったなら「死んだふりをしろ‼」とよく言われた。もっとも、驚きで腰が抜けてしまうとか、身体が固まってしまう場合を除けば、死んだふりなど普通は出来ない。野生の動物は眼が合うと互いに“睨み合う”時間を持つ。相手を威嚇して“立ち向かおうとする”場合が多い。わたしは以前ある冒険家の本を読んだとき、クマと出くわして“睨み合い”を続けること5分、一瞬でも眼を逸らしたら襲ってくると解っていたから、死ぬ気で睨み続けていたら、やがてクマたちは静かに立ち去っていった……という体験が記されていた。ただ、そんなに長時間、自分ならとても無理だと思ったものである。昨日、ネット上に「クマがお誕生日会にやって来た」動画が掲載されていた。場所はメキシコのヌエポレオン州の公園だ。そこで行われていたのは15歳の息子のための“ささやかなお誕生日会”だ。勝ってきたタコスなどのごちそうをテーブル上に広げて、みんなで食べていたその場所に、突如、クマが「俺も混ぜてくれよ」とばかりにしゃしゃり出てきたのだ。動画はそのクマが実際に食べ始めてから去って行くまでを撮影したものだ。とにかく、家族は逃げる余裕もなかったのだろう。或いは「逃げたら襲われる」ことを解っていて、微動だにせず、そこに座ったままでいたのかもしれない。ただ当たり前だが目と鼻の先に文字通りクマがいる。クマはタコスが気に入ったのか、むしゃむしゃと食べ満足げにうろつく。家族はいずれも微動だにしない。もちろん、そうすれば襲われると解っているからだ。ただテーブルの上にのっかって食べてから、見回した時の接近度はほんとうに20㎝弱くらいで、それでも家族は微動だにしなかった。それによって、まるで家族など視えていないかのように、ゆっくりとクマが去って行ったのだ。15歳の息子は母親の掌で目をふさがれていた。あまりの恐怖に声を出しそうで、母親が機転を利かせたのだ。こうして、無事「お誕生日会」は貴重な撮影をもたらして終わった。「死んだふり」とまではいわないが「居ないふり」というのは効果的なのかもしれない。

「認知症」になって3年…「個展の絵」は完売‼

2023-10-03
「蛭子能収(えびすよしかず)」と言えばほとんどの人は知っている。彼を“漫画家”として知っているかはともかく“タレント”として、なんとなく親しみやすい“オトボケタレント的な人物”として広く知られている。その彼が「認知症」を患っていることを公表して早や3年が経った。今回、そんな彼が青山で個展を開き大変に好評だったようで、出展した作品はすべて完売したという。彼の絵に関しては、どう視てもプロの漫画家として、上手いとはお世辞にも言えない。「子供のような絵」と評されることが多いが、古典の最終日におとずれた俳優の佐野史郎氏は、認知症になって以降は「幼児のような絵」になっているという。それでも見事に完売なのだ。絵そのものは上手くはないが“ほのぼのとした温かみ”がある。それが彼の強みでもあり、売りでもある。ただ病気の方は進んでいるようで、佐野史郎氏に対して「だれだかわからないようだった」という。病気は進行しているようだ。それでも、絵を描くこと自体は“仕事”として続けているようだ。佐野史郎氏と一緒に写った写真が掲載されていたが、その顔をみると、確かに認知症として徐々に進行しているのが解かる。何となく眼には“現役”を生きているものの勢いがない。それでも旅番組などで広く知られている彼には、多数の固定ファンがいるようで、その絵は“飛ぶように売れる”のだ。わたしも「認知症予備軍」であることは間違いがないので、せいぜい彼のように年齢が行っても依頼された“仕事を継続していける”存在でありたい。4~5年前から、認知症予備軍としての“兆候”が出ている私としては、まず何よりも記憶しているはずの「名称」としての単語が出て来ない。そして致命的なのは「人の名前」や「固有名詞」が憶えられないことで、つい“あの人”とか“あれ”とか言ってしまう。だから、そういうわたしでも本を書くことが出来、それを継続していくことが出来るのは奇跡のようなもので感謝すべきことだと思う。そうであれば、出来るだけ「波木星龍」にしか書けないものを書き続けていきたい。あまりオーソドックスな占い本より、誰もがあっと驚くようなユニークな発想と経験が詰まった本を書き続けていきたい。

「時代を駆け抜けた寵児」不滅の猪木は死なず

2023-10-02
昨年10月1日に文字通り「闘病」の末に亡くなったアントニオ猪木氏の“一周忌”先行上映という形でドキュメンタリー映画「アントニオ猪木をさがして」が公開となった。会場は超満員で生前からの人気が衰えていないことを証明した。一周忌ということで、彼を慕う弟子や後輩たちの多くがコメントも寄せている。死の直前まで、自らの不可思議な病状を隠すことなく映像化していた彼は、最期まで“ドラマチックな男”であった。ドラマというのは、成功や輝きだけではつまらない。さまざまな失敗や紆余曲折、葛藤、闘争、愚行、奇行、名言、離反、罵倒を浴びるなどして“優れた完成品”となる。そういう“すべての要素”を「アントニオ猪木」は持っていた。ただ単に“強いだけの男”ではなく、むしろ“人一倍よわい男”の側面も備えていた。だから人を惹きつけるのだ。たとえば彼は何の選挙だったか忘れたが、確か都知事選だったと思うが、政界の重鎮から金を積まれて“出馬を断念した”ことがあった。肉体はめっぽう強いが、金にはめっぽう弱かった。「プロレスはショーで真剣勝負ではない」と言われるのを嫌って“異種格闘技戦”を果敢に行った。なかでもプロボクシングのヘビー級チャンピョンだったモハメド・アリとの勝負には世界的な注目が集まった。彼が世界の隅々まで名前が知られたのは、この戦いがあったからだ。もっとも、この闘いはルールがボクシング寄りに変更されていったため、事実上「もっともつまらない試合」となった。ただ常に開拓者であった彼は、誰も行かない北朝鮮でも試合を行ったし、イラク戦争の時には自らを身代わりにして“日本人たちの解放”に動いた。発明とか特許とかにも関心が深く、莫大な先行投資を行って、時代に先駆けた形での商品開発を試み続けていた。政治家として、或いは実業家としては、いろいろと批判を浴びることも多かったが、自らの本能というか、信念というか、直感というか、そういうもので動いて批判などは気にせず“アントニオ猪木としての道”を歩み続けた。こうして、強かったはずの猪木は不可思議な病気で弱くなった。それでも、その“弱い猪木の姿”を映像に曝け出し続けた。その“よわい猪木”をみれば、誰もが“強かった猪木”を想い出す。人間の“強さ”と“弱さ”を極限まで引き出し続けた男……それが「猪木寛治」だったのかもしれない。

北海道のファンは「やさしすぎる⁉」80敗目

2023-10-01
もう「パリーグ最下位」は確定したのだから、勝っても負けてもどうでもよいようなものだが、それでも球団ワーストの今季12度目の“サヨナラ負け”だったのは痛い。昨日、日ハムはソフトバンクと戦い3―2で敗れた。9回までリードしていて、2本のホームランを浴び、逆転負けとなった。これで“1点差”で敗れたゲームが31度目。80敗目でもあった。わたしは個人的には“中日ファン”で、その中日もセリーグで最下位だったが、昨日5位に浮上した。そうなると、来季も立浪監督で「まあ仕方がないか」という気持ちにもなる。その一方、日ハムの方は来季も新庄監督で、しかも「優勝を狙いに行く」と早くも宣言してしまっている。ところが終盤に来ても、一向に上向かない。もう“来季のこと”を想定して試合をしなければならないが、それが“1点差負け”“サヨナラ負け”というのでは来季が心配になる。それでも北海道のファンは優しい。今年新しく出来たエスコンフィールドに足を運んでくれた人は188万人で、この数字はパリーグでは2番目に多い観客動員数なのだそうだ。最下位で、80敗、31度の1点差負け、12度サヨナラ、それでも遠くから足を運んでくれる。去年までの札幌ドームと違って、かなり遠くなったはずなのに、球場までの駅が遠いとか、バスが40分待ちだとか、駐車場が足りないとか、いろいろ問題を抱えているのに、それでも北海道のファンは優しい。特別、目立った選手がいるわけでもない。万波選手が“ホームラン王”を狙えるかどうか…というくらいで、特別な人気選手がいるわけでもない。まあ新庄監督は確かに個性的な魅力はあるが、監督としての采配に関しては、正直それほどのものとも思えない。特に“1点差負けが多い”というのは監督の責任なのだ。大きく点差が開いて負けるのは、監督には何も責任がない。けれども“1点差”というのは、采配一つでどうにでもなる。だから来季もし本気で優勝を狙うなら、その部分を何とかしていかなければいけない。ここぞという時には“頼れる抑え投手”の獲得、及びここぞという時には“走れる”“バントが上手い”“外野まで飛ばせる”そういう切り札としての選手を獲得できれば、或いは育て上げられれば、来季に優勝は可能となるのだ⁉ Newer Entries »