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今日の迷言・余言・禁言

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「時代を駆け抜けた寵児」不滅の猪木は死なず


昨年10月1日に文字通り「闘病」の末に亡くなったアントニオ猪木氏の“一周忌”先行上映という形でドキュメンタリー映画「アントニオ猪木をさがして」が公開となった。会場は超満員で生前からの人気が衰えていないことを証明した。一周忌ということで、彼を慕う弟子や後輩たちの多くがコメントも寄せている。死の直前まで、自らの不可思議な病状を隠すことなく映像化していた彼は、最期まで“ドラマチックな男”であった。ドラマというのは、成功や輝きだけではつまらない。さまざまな失敗や紆余曲折、葛藤、闘争、愚行、奇行、名言、離反、罵倒を浴びるなどして“優れた完成品”となる。そういう“すべての要素”を「アントニオ猪木」は持っていた。ただ単に“強いだけの男”ではなく、むしろ“人一倍よわい男”の側面も備えていた。だから人を惹きつけるのだ。たとえば彼は何の選挙だったか忘れたが、確か都知事選だったと思うが、政界の重鎮から金を積まれて“出馬を断念した”ことがあった。肉体はめっぽう強いが、金にはめっぽう弱かった。「プロレスはショーで真剣勝負ではない」と言われるのを嫌って“異種格闘技戦”を果敢に行った。なかでもプロボクシングのヘビー級チャンピョンだったモハメド・アリとの勝負には世界的な注目が集まった。彼が世界の隅々まで名前が知られたのは、この戦いがあったからだ。もっとも、この闘いはルールがボクシング寄りに変更されていったため、事実上「もっともつまらない試合」となった。ただ常に開拓者であった彼は、誰も行かない北朝鮮でも試合を行ったし、イラク戦争の時には自らを身代わりにして“日本人たちの解放”に動いた。発明とか特許とかにも関心が深く、莫大な先行投資を行って、時代に先駆けた形での商品開発を試み続けていた。政治家として、或いは実業家としては、いろいろと批判を浴びることも多かったが、自らの本能というか、信念というか、直感というか、そういうもので動いて批判などは気にせず“アントニオ猪木としての道”を歩み続けた。こうして、強かったはずの猪木は不可思議な病気で弱くなった。それでも、その“弱い猪木の姿”を映像に曝け出し続けた。その“よわい猪木”をみれば、誰もが“強かった猪木”を想い出す。人間の“強さ”と“弱さ”を極限まで引き出し続けた男……それが「猪木寛治」だったのかもしれない。
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