12月, 2023年
2023-12-18
世の中というのは意外なところで、意外な人が活躍している。たとえば演歌歌手でありながら、今や「通販女王」と呼ばれている人物がいる。俳優から“通販業界”に転身した保阪尚希氏や、モデルから“通販業界”に転身したアン・ミカ氏などは誰でも知っている。それならば歌手からの転身組があってもおかしくはない。とはいうものの、その名前はなかなか出て来ない。だれだろう。保科有里(ほしなゆり)氏だ。と名前を聞いても、実際には想い出せない。そのはずだ。ぜんぜん売れていなかった演歌歌手だからだ。けれども今や「通販女王」と呼ばれるようにまでなったのだ。だから実質的には“通販タレント”といっても良いのだが、その彼女の“通販番組”では、あくまでも「歌手」としてテロップが出る。そこが興味深いところだ。名前は知らなくても、多くの人たちは、彼女の顔を知っている。通販番組の「夢グループもの」では石田社長とタッグを組んで必ず“歌手”として登場しているからだ。そして社長に対して「もっと安くならないんですか」などと甘える。ほんのちょっとの“さわり”だけ、歌を歌ったりもする。何となく“昔のキャバレー”に居たタイプの女性だ。そう、この奇妙な“甘え方”がお年寄りたちに妙に“受けて”いる。それによって、この「夢グループ」という“妖しい感じの企業名”は、不思議にもグーンと売り上げを伸ばしているのだ。元々は、現在ほど“もろな甘え方”はしていなかった。ところが“甘えて…ねだる”何となく“昭和の愛人風”がヒットにつながったのだ。だから最近では、むしろ“そういうふうな雰囲気”をつくって最初から売り込む。演歌歌手としては、正直、あまりぱっとしなかった彼女は、たぶん自分でも意識はしていなかった“愛人キャラ”みたいなものが奇妙に設けて、それが通販の“妖しい商品”と妙にマッチし、売れに売れ始めたのだ。だから、人は、どういう形で“世に出る”か“成功を掴む”か誰にも解からない。彼女は、もちろん歌手として、その実力は優れていた。けれども歌手としてのヒットは得られなかった。もし、それで“歌手人生”をあきらめていたなら、現在の62歳まで続けて来ることは出来なかったに違いない。どういう仕事でも、歌手としての成功につながると信じて引き受け続けた結果の「遅咲き通販女王」なのだ。
2023-12-17
「冬が来る前に…」と希望していた新著『「結婚」占星学の奥義』(波木星龍著・八幡書店刊)が出来上がった。年末ぎりぎり、もしくは年初に入ってすぐ、一般の書店にも並ぶことになる。占い師が、占いの本を執筆することは珍しくないが、その“占い分野”がそのつど違っていることは珍しい。通常は、あの先生は手相とか、あの先生は占星学とか、あの先生は四柱推命とか……決まっているものだ。わたしの場合は、そのつど違っていて、前回の『全身観相術』の次に続いたのは西洋占星学の本となった。実は“占星学関連の本”は、これで4冊目に当たる。その最初は“共著”という形で著した『ホロスコープ・リーディング』で、その“第4章”のみを執筆している。だから実際は“自分の本”という気がしない。次が『占星学秘密教本』で、この本によって波木星龍の名は広く知られるようになった。三冊目は『古代エジプト守護神占星術』で、その後しばらく間を開けた形で、今回の『「結婚」占星学の奥義』となった。装丁などは“エジプト守護神”の本も見栄えが良いが、今回の本がいちばん整っているような気がする。九州にいる実姉などは“エジプト守護神”の本が出た時「占いのことは解からないけど、こういうわかりやすい本が、わたしは良いと思うわ」と言ってくれたが、実際にはぜんぜん売れなかった。じわじわという感じで売れていったのは“秘密教本”で、いまだに求めている人たちは多い。今回の本は、その続編かに思われがちだが、実際にはまったく異なる。“結婚”をテーマにしているせいもあるが、オーソドックスな占星学の教科書とは雰囲気的にかなり異なる。著名人に関するホロスコープを150例ほど入れて解説しているからだ。それも、結婚や離婚に関してのみ扱っている。だから、だれでも知っている人物の結婚を解説しているので、その点身近な感じがして興味深いと思う。それに誰でも、この本の法則に従えば「結婚年月を知ることが出来る」という資料の公開ともなっている。自分が何歳のときなら結婚できるのか、占い師でなくたって、自分のホロスコープを調べれば“発見できる”のだ。結婚したいけど出来ないでいる多くの人たちにとって、まさに“救世主のような本”といえるのではないだろうか。……と、自分で自分を褒めておこう。
2023-12-16
最近、どういうものか私には「アイドル」と呼ばれる人たちと「お笑い芸人」と呼ばれる人たちの“いま売り出し中の若手たち”の区別がつかない。どっちがアイドルで、どっちが芸人なのか、若い男性の場合には特に見分けがつかない。或る意味では、どちらも“似たような暮らし方”をするようになったからだろうか。それだけ「芸人」の“格”が上がったからであろうか。年末年始になると、新人で“売れっ子”の場合、そのどちらもが忙しくなる。同じようなTV番組に出ていることも多い。むかしのアイドルはあまりしゃべらなかったが、いまのアイドルは“しゃべり”も含めての“アイドル稼業”のように視える。だから、実質的に“やっていること”は「アイドル」も「芸人」もほとんど変わらない。パッと見の印象が良く、瞬時の反応が鮮やかで、頓智が効いて周囲を笑わせ楽しくさせられれば、TVやネット関係者からも好かれ、若い女性たちが支持してくれる。したがって、ファン層もいまの場合は、ほとんど重なり合っているように視える。収入だって、いつの頃からか新人アイドルより、若手芸人の方が上回っているかのような“暮らしぶり”が稀ではなくなっている。もっとも、アイドルや芸人の誰もが、そういう恵まれた“若手時代”を経験しているわけではない。どうみても、もう“若手”とは言えないようなアイドルや芸人も多い。そういう方達は、当たり前の話だが徐々に年齢を重ねて、徐々に若さを失い、徐々に人生に疲れて来て、アイドルとしての“輝き”も、芸人としての“笑い”も、もはや失われている。昔と違って、人気が出るのも早いが、その人気が下火になるのも早い。だから、当然、多くの人たちに知られるようになる以前に“消えてしまう”アイドルや芸人が多い。大衆というのは、パッと見で憶えても、数週間もすれば忘れてしまう。パッと見であっても、それが何回も続けば人々の記憶に残り、いつの間にか「この人見たことあるな」というレベルまで達する。そこまで達すれば半年くらいは忘れない。けれども、十年以上の記憶に残るためには、半年間くらい“TVなどに出ずっぱりの期間”を持っていなければならない。そうすれば、人は、いつまでも、その人を忘れない。そうやって、一人前ともいうべきアイドルや芸人が誕生する。この年末年始に“クタクタになるほど使われた新人”なら、そのアイドルや芸人は、きっとあと十年は生きて行けるのだ。ただし、アイドルだったか、芸人だったか、見分けがつかない形になる可能性はあるが、ともかく芸能人として生き残る手立ては得られたのだ。
2023-12-15
日銀総裁の発言以来、ドル円相場は大きく動き、わずか数日間の間に10円近くも「円高」方向へと動いた。このような極端な動きは昨年もそうだったし、今年もそうだったが「円安」方向への動きの時には見当たらない。為替相場の動きというのは、本来、微妙なものが普通で“一日で一円動く”ことですら、滅多にない。それが国際間における本来の為替相場の値動きというものだ。だから、本来であれば“数日間の間に十円近く動く”というのは「大ニュース」なはずなのである。にも拘らず、ほとんどすべてのマスコミが、このニュースに対しては素通りである。国際的にも、歴史的にも、金融市場としても珍しく重要な動きのはずなのに、マスコミは沈黙のままだ。なぜかといえば、多くの人たちにとっては“直接的影響”がないからだ。だが、そんなことを言ったら「円安」だってないようなものだ。なぜ「円安」のときだけは声高となるのか。それは“輸入品”に対して直接“値上がり”の影響が出て来るからだ。それでは「円高」の場合はどうなのかといえば、こちらは“輸出品”に対して“値上がり”の影響が出て来る。しかも、日本の場合には圧倒的に輸入企業より、輸出企業の方が多い。つまり、輸出企業で働く労働者たちの方が多いのだ。したがって本来で言えば、多数派で“そういう人たち”が声を上げそうなものであるが、そうならない。なぜかというと、輸出企業は製造業が多く、企業としては損失になるが、個人としてそれが“給料に影響して来る”までには時間がかかる。輸入品は、その影響が来月から表れるが、輸出品はその影響が給料にまで反映するのに来年まで掛かる。だから、多くの人にとっては自分たちの働く企業にとってマイナスな「円高」にも、声を出さない。実際には企業全体の収益に大きく影響する「円高」だが、直接個人に関わらないのでマスコミは報道したがらないのだ。けれども、輸出企業が多いということは、日本の“国益”として考えても、ほんとうは「円安」の方が潤うことは間違いがないのだ。実際、だから今年度は税収が潤い、政府としても低所得者層などに分配できるのだ。税収が潤っていなければ、だれにも還元できない。そういう意味では「円高」は、その誰にも還元できなくなる……という点で重要なニュースなのに、報道各社はこの事実を解っているのだろうか。
2023-12-14
「人間不信」という言葉があるが、極力、そういうふうにはならず生きて行きたい。多くの人がそうだと思うのだが、ときどき“自分が人間不信であること”を公言するような人がいる。女優の遠野なぎこ氏といえば、結婚・離婚を繰り返す“お騒がせ女優”のイメージが強い。過去にいろいろとあって「人間不信」なのかもしれないが、或いは“病的な性質&体質”なのかもしれないが、近年は特に情緒不安定な面が目立つ。自身が出演する情報番組で、2週間ほど前まで、結婚、結婚と騒いでいた年下の相手に自分の方から「別れを告げた」と公表した。しかも、そのあとすぐマッチングアプリを利用して「3人の人とデートをした」とまで付け足している。この人は、これまで3度結婚している。そのこと自体は、いまの世の中だから特別なことではないが、その“結婚期間”というのが、いずれもあまりにも短い。今年も2月に3度目の結婚をしたばかりで、そのときにも一か月も持たずに3月に離婚している。そんなに短く別れるのなら、入籍などしなければ良さそうな気がするのだが、この人はすぐに、結婚、結婚と口にする。今回も、結婚、結婚と口にしていたのだが、その入籍の前に自ら破局させてしまった。その理由が、一日に一度は「連絡し合う」ということだったようだが、それが相手が仕事で忙しく“一回だけ”連絡をしなかったことで「もうダメ‼」となったらしい。少女漫画の読み過ぎじゃないかと思うぐらいの良く言えば“潔さ”である。彼女に言わせれば「わたしの価値観に合わない」ということになるようだが、どんな身勝手な価値観を持っていることか。もちろん、約束を破るのは良くない。良くないが、人はだれでも“完璧”ではない。一度や二度の謝りを、どうして許せないのだろう。どうも彼女は、相手に“完璧”を求めすぎているような気がする。相手には求めるが、ご自身の方はどうなのだろう。少なくとも客観的にみる彼女は“完璧な女性”になど視えない。本来、愛情というのは、それぞれの“不足を補い合う存在”となれた時、もっとも良好な関係となる。そして長続きする。自らに関してはお構いなしで、相手の“完璧さ”のみ求めるのでは、どんな相手とであっても長続きするはずがない。女優だから「お芝居としての結婚がしたい」のかもしれないが、それなら役者を相手に結婚すればいい。一般人に対しても手を延ばすのであれば、結婚というものは本人だけでなく身内家族も巻き込むものだと気付かなければならない。
2023-12-13
なんでも「世界で初めて」ということには意義がある。日銀による“新しい紙幣”の発行開始日が決った。それが来年の7月3日。そして私が最も興味を抱いたのが、世界で初めてホログラムによる“肖像画の浮き上がり”という技法を用いた紙幣という点だ。それぞれの紙幣の「顔」が浮き上がる。もちろん、これは“ニセ札防止”を意図してのことと思われるが、運命学的には「世界で初めて」ということには必ず意味がある。どういうことかというと、それぞれの人物が“世の中に浮き上がって来る”ということだ。つまり、実際には1万円札では“渋沢栄一氏”が、5千円札では“津田梅子氏”が、1千円札では“北里柴三郎氏”が、それぞれ浮き上がってくるようになる。そうするとどうなるのかというと「日本」は過去に渋沢氏が行なってきたように“さまざまな分野で新しい企業”が次々勃興して来る可能性が強い。また津田氏が行ってきたように“社会における女性進出”がどんどん加速していく。さらに北里氏が行ってきたように“新たな医薬の発見や発明”がどんどんなされていく。そういう「国」へと徐々に“生れ変っていく”可能性が強いということを暗示している。これはホログラムで“顔が浮き上がる”から生じる作用であって、もし、ふつうに顔の肖像だけ描かれているなら、そのようなことは起きない。あくまでも「世界」に向けて“日本の新しい紙幣”として出回ることによって、流通することによって生まれてくる出来事なので、徐々にそうなっていくのが特徴だ。特に渋沢栄一氏は、日本が「近代日本」に生まれ変っていくうえで、無くてはならない重要な存在だった。彼が生み出した企業の中には、多少、その姿や名称は変っても現在でも継続している企業・団体もある。それらは、いま現在の状況は停滞気味であったとしても、この紙幣が出回っていくことで“新たな息吹”を与えられ、大きく蘇っていく可能性もある。「日本」が経済的に低迷している今だからこそ「渋沢栄一の一万円札」は不可思議な生命力を得て、徐々に日本の国力を高めていくに違いない。
2023-12-12
TVのBSで「ローマの休日」を放映していたので録画して観た。もう、これで三度目か四度目の「ローマの休日」になる。したがってストーリーに関しては解かっているのだが、それでも“惹きつける力”を持っている。見終わってから、なにが良いのだろう……と自問自答した。たぶん何よりも物語として矛盾がないのだ。最近の映画を見て感じるのは、作り手の側の「映画だから許される」というストーリー構成の“ムリ”が感じられる作品が多い。この作品には、そういう部分がない。この作品だけではなく、60年代から70年代にかけての作品には、まずストーリーにおいて矛盾のない作品が多い。それに単純な構成が多い。人はだれでも、単純で解りやすいほど、その作品の中に入っていける。自分を登場人物に投影しやすい。複雑な構成は、それを理解するまでに時間がかかり、なかなか没入できない。この作品は、外遊した王女のアンが宿泊先を抜け出し、記者と出逢って、丸一日“普通の娘”として“ローマの休日”を楽しむ物語だ。時代的に白黒の映像で、現在であればコンプライアンス的に許されないような場面もある。けれども、王女が庶民となり、記者が王女と気付いて“特ダネ”を得ようとするのは、ごく自然な発想で、その中で一緒に過ごすうち“互いに惹かれ合っていく”のも矛盾がない。けれども、王女には王女としての役割があり、記者は“特ダネ”よりも大事なものを胸に刻む。そのふたりが“記者会見の場面”で“素知らぬ風”を装うのが実に好い。もし、これが映画ではなく現実だったとしても、このような対応をしあうであろうと思われる場面が実に好いのだ。それは、多くの人々が実生活の中で「許されない関係性」を“何らかの形”で体験して、自らの身に置き換えることが出来るからだ。オードリーヘップバーンという女優は、後年、自らが飢餓に苦しむ地域などに出向いて慈善活動に熱心な人生を歩んだ。そういう人物が“王女”を演じていたことも無縁ではない。日本でも宮城まり子という女優は映画で関わった福祉との関係が深まって、やがて「ねむの木学園」の創設者となった。人はときどき、それまでの人生をかなぐり捨てて“新たな世界”に飛び込んでいく。それが“正しいこと”であるのかどうかはだれにも判定が出来ない。ただ最終的には、そこに“自分の魂”を見出せるかどうかなのだ。
2023-12-11
現在G7出席のため来日しているイギリスのトゥーゲンハット安全保障担当相が、一つの可能性として、今後の日本企業は海外の犯罪グループから“狙われる危険性”が高まっていると警告している。つまり現在の「生成AI」の性能は素晴らしく、他国言語をきわめて正確に模倣する。それゆえ、これまでは“言語の壁”によって守られ、企業攻撃などから排除されがちだった「日本」だが、今後は狙いのターゲットとして急浮上していく可能性が強いと警告した。確かに最近の「生成AI」の発達は目覚ましい。これまで日本は言語の組み立てが複雑なので侵入がしにくく、たとえセキュリティーが強固ではなくても、日本企業のホームページ等をターゲットとするのは適切ではないと判断されてきた。ところが善悪の判断を持たない“生成AI”を手に入れたことによって、これからは世界的なネット犯罪グループにとって“格好のターゲット”として日本の国や企業が浮上してきたというのだ。もっとも、ほんとうに生成AIの“日本語使い”が巧かというと、それは怪しい。アマゾンの日本語対応などでもそうだが、海外の言語では“おかしな表現”とはならなくても、それをそのまま日本語化すると“奇妙な表現”となってしまう。そういう意味では、まだまだ“日本語”の牙城は固く、そう簡単ではないと思うが、それでも確実に“狙われる日”が近づいていることだけは間違いがない。これからは家電製品などでも、どんどん“生成AI的なもの”が組み込まれていく可能性もあり、もはや日本語だけではなく“言葉の壁”そのものが取り除かれていく時代がやってこようとしている。最近は、日本人でも「日本語の表現がおかしくなっている」だけに、生成AIから“正しい日本語を学ぶ日”がやって来ないとも限らない。実際、昔の日本のアニメを見て育った欧米人などは“日本語学校”で学んだ人達よりも、はるかに日本語の表現が巧である。むかしは“難しい”と言われた日本語だが、幼少期のアニメや漫画から入ることで、日本人以上に自由に話せる人が多くなってきた。犯罪者にさえも“お手軽”に使えるように変わった日本語は、これからどう「日本」を守っていくのだろう。
2023-12-10
いつも思うのだが「時代」というものは個々の運命に大きく作用する。先日、政府が2025年度より子供が3人以上いる世帯に対して「大学(短期大学や専門学校なども含めて)の授業料や入学金など」を無償化する方針を固めたという。少子化対策と教育費の家庭負担軽減と、たぶんその両方を兼ねての政策であるらしい。世間的には歓迎されているようだが、わたしは“弊害”の方が大きいと思う。まず、誤解をされる人がいるといけないので、わたし自身の過去を曝け出そう。あれは、わたしが中学1年生のときだったと思うが、当時、わたしの担任教師は「ギャング」というあだ名を持っていた英語教師だった。彼は、その時、それぞれの生徒の将来の進学希望と目指す仕事を訊いていったのだが、わたしのところでストップした。そうして「お前のところは給食費もPTA会費も払ってないよな。そういうとこで大学とか、なに夢見てんだよ」彼は、クラス全員の生徒の前で威嚇的に私を睨みつけた。突然のことで、わたしはうろたえ、そして黙った。沈黙が静かに続いた。教師は少しバツが悪くなったのか、次の生徒に話を移した。もちろん、これは「時代」的にそういう時代だったので、必ずしも、教師が悪いとばかりは言えない。けれども、少なからず、わたしは傷ついたものだ。せめて、私一人だけ呼び出して言ってほしかった。ただし、この件も含めて、わたしは“良い時代”に育ったと思っている。実際、当時の私はそんなに勉強熱心とは言えなかったし、学級委員だったのに、バザーにおける金銭管理でその教師に迷惑をかけていた。だが、ここで言いたいのはそう言うことではなくて、要するに学問は身銭を切らないと、ほんとうには身に付かない、ということだ。子供たちにとって、親が負担しなくても学校に行けるということは、事実上「国が勝手に決めたこと」ということになる。そういう中では、勉強そのものに対して“血のにじむような努力”はしないものだ、ということを言いたいのだ。人は追い込まれている状況の中で必死に努力する。自分の親が身銭を切って進学させてくれたことを身近で感じていれば、無意識に勉強に対して真剣に取り組もうとする。だから、もし無償化をするなら、成績が“学校の成績順位で何位以内なら”という条件を付けるべきだ。本来、勉強への意欲が乏しい者に対してまでも、無償化するのは賛成できない。
2023-12-09
わたしはときどきTVで放映している“昔の映画”とか“昔のドラマ”とかを観る。その時に必ず「問題の場面が登場するが、当時のまま放映する」旨のテロップが出る。要するに、現代の場合にはコンプライアンス(法令や社会規範)重視で、言葉、行動、映像、表現にかなりの規制が掛けられているが、当時は“自由に表現していた”というふうな意味からだ。確かに、意識してみれば、当時の映画やドラマには“過激なシーン”がいろいろと出て来る。その方が解かりやすいし、視る側にも訴えかけやすい。ハッキリ言えば「自由が許されていた時代」ということだ。そのせいか、当時の映画やドラマはとても解りやすくて面白い。「時代だから仕方がない」と言ってしまえばそれまでだが、現代はあまりにも“規制をかけ過ぎている”のではないだろうか。先日、三重県議会でのやりとりが、ネット上での注目を集めた。平田武県議(69歳)が、女子高生が参加したイベントに関して「女子生徒の作ったスイーツがひじょうに美味しかった。その女性もすごくきれいな二人で、もう完璧に100点だなと味も含めて思った」というような感想を述べた。ところが、そのあとで議場に立った小島智子県議(62歳)から「一人一人はそのまま認められるべき存在で、外見至上主義的な今の発言は、特に今の子供たちが、顔立ちや背格好にとらわれ過ぎている実態を踏まえれば、払拭する側に県政は廻らなければいけない」と注意を促す発言をしたという。この女性県議の言うことは確かにその通りなので、別に悪いわけではないのだが、ただ世の中全体が「ちょっとの失言をも許さない風潮」にあることの象徴のような気がして、なんとなく憂鬱になった。どうして今は“ちょっとした表現(失言)”をも許そうとはしないのだろう。おそらく失言をした平田氏は普段から“そういう表現”をしがちな人なのだろう。そして、世代的にも“そういう表現”で育ってきた世代といえよう。確かに“外見至上主義”はいけないし、現代の子供たちが、ともすれば“そういう風潮”を持っていることは事実だ。けれども、それは大人たちの日常会話の“変化”で無くなっていくものだろうか。そういうものとは別なところから“そういう風潮”は来ているような気がする。たとえば韓流アイドルの影響などだ。極端なことを言えば、外見的に優れたものを“優位としてマスコミが扱う風潮”から正していかなければ、子供たちは気付かない。高齢者の発言など、子供たちには関係ないのだ。
2023-12-08
海外沿いに多数の海産物が打ち上げられることはそれほど珍しいことではないが、これほどの大群になると話は別だ。昨日、北海道函館市の浜町から日浦町の海岸沿いに大量のイワシが“打ち上げられて”来た。目を疑うほどの数だ。イワシだけでなく、サバも少しだけ混じっている。その理由が判然としていない。実は、先月にも、同じ北海道の稚内やオホーツクの網走港や斜里町に今回ほどではないが大量のイワシやサンマの大群が押し寄せたことがある。どうも、ここにきて魚たちが自らの“ホームグラウンド”を失ってしまったかのような現象を起こしがちである。海中でなにが起こっているのか。何かが生じて環境に変化が起きたから、魚たちは迷い始めたのだ。地震とか、海底火山とか、海流汚染とか……何なのかがわからないだけに不気味な印象を憶える。むかしから、魚の変化は“その地域の変化”と密接に結びついている。何かの前兆としての現象として、そういうことが起こることがあるから不気味なのだ。或る意味では、その状況をうたった歌が「石狩挽歌」だ。あの歌の歌詞には、ニシンの大量で賑わっていた頃と、完全に寂れてしまって漁場そのものが風化してしまった状態と、その対比が年老いた老女の視点で見事に語られている。小樽の“ニシン場御殿”は今では廃墟となったものもあり、観光保存物となった場所もあり、改修して高級旅館に変貌したところもある。観光地としての小樽は、どこか懐かしい雰囲気を持っているが、それは未だに“ニシン漁場”として栄えていた頃の小樽が、そこかしこに残っているからだ。今回イワシが大量に打ちあがった函館も、そういう意味では同様で、どこか懐かしいレトロな雰囲気が街のあちこちに残っている。わたしも室蘭の海岸沿いに近い場所で育ったが、海鳥の鳴き声というのは妙に哀愁をそそる。奇妙なもので、たくさんの人たちが訪れているようなときにはあまり鳴かない。人気がなく波の音だけが繰り返しているような状態の時、海鳥たちは一斉に飛び回って鳴き始める。それが波の音と混じって、妙にもの悲しく、人恋しく、こだまのように聴こえてくるから不思議だ。
2023-12-07
「結婚秒読み」となんども言われた深田恭子氏と実業家・杉本宏之氏の交際が“破局した”と報道されている。資産100億ともいわれ女性に対しても大変にやさしいことが窺われる“先天運”を持つ杉本氏に対し、その“先天運”の部分で、こと結婚に関しては注意信号が点滅し続ける深田氏の場合、その注意信号を活かせなかったようだ。報道が真実なら、ふたりは結婚を前提とした“両家への挨拶”も済ませた後で破局したようだ。破局の原因は、深田氏の方のTV関係者との度重なる密会であったらしい。わたしは同じようなケースをグラドル熊田曜子氏にも感じたことがある。若い頃からTVと深く関わり“アイドルとして輝いていた”時代を持っている彼女たちは、その輝きが失われていくことを極端に恐れているような節が視られる。輝きを維持するために必要なのは“TVに出続けること”という意識が強い。だから、そういう意味でTV番組で実力を持っているプロデューサーとの関係を必要以上に重視するのだ。求められればカラダさえも与えかねない。今年は“ジャニーズの問題”がやり玉に挙がったが、芸能界には“関係性が居場所を確保する”という暗黙の法則が根付いているよう感じられる。深田恭子氏の場合、その四柱命式は、陰干日生れで月干「傷官」表出する形で、この干支配合は女性の場合、結婚に関して支障が生じやすい。またホロスコープの方でも太陽と月とが180度で向かい合っている。こういう配置の場合、女性は“仕事”を採るか“家庭”を採るかで悩みやすい。どちらかを手にすると、どちらかを失うようなことになりやすいのだ。深田氏は“女優としての輝き”を失ってしまうことが怖かったのではないだろうか。だから結婚後も“自分の居場所”を確保したい気持ちが、TV関係者との密会を続けた一番の理由と思われる。彼女の場合、これまでにも“結婚”が間近に迫ると何故か破局した。ただ彼女は太陽と金星とが“0度一体化”して生まれている。こういう人は著名人とでなければ「結婚」が成立しない。したがって世間的に名の知られていないTV関係者とは恋愛は出来ても結婚は出来ないのだ。そして彼女にはもう一つ、水星と土星の0度一体化もある。こちらの方は彼女の“適応障害”と大いに関係がある。ものごとを突き詰めて考えやすく適当に処理するということが出来ない。うつ的な要素を先天的に持っているのだ。ほんとうは、だから杉本氏のような“どういう時でも受け止めてくれる”男性が必要だったのだ。
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