12月, 2023年

エンタメ「75歳定年制」の導入を考える時期⁉

2023-12-30
タモリ氏が永年MCを務める「Mステ」が生放送を行い、既に78歳となっているタモリ氏が“5時間立ちっぱなし”状態となっていたことに視聴者たちから心配の声が集まっているという。タモリ氏が担当しているTV番組には“長寿番組”が多く、この番組もその一つだが、別に誰であっても“5時間の立ちっぱなし”状態は辛い。ましてや78歳であれば、じっと立っているだけでも相当な負担になる。生番組とするなら、どうしてスタッフはそれに対する配慮を行わなかったのだろう。もしかすると、この番組のスタッフは“若い人達だけ”で構成されていて、高齢者の身体に対して“負担となる”ことに気付かなかったのではないだろうか。近年、さまざまな分野で“新陳代謝”ともいうべき入れ替えが進んでいる。ところが、TV業界のエンタメ部門には“著名人としての高齢者”がそのまま残っているケースが多い。その著名人が残っていることで視聴率が保たれている番組もあるので致し方ない部分はあるが、近年はどの分野でも“IT化”“AI化”が進んでいるので、わたしも含めて或る程度の年齢以上の人たちは、その変化というか、進化というか、それらについていくことがなかなかできない。TV番組なども、昔とはいろいろな面で違ってきているに違いない。もちろんMCのようなものは経験的なものが必要で、だれにでも代わりを務められるようなものではないが、音楽そのものが“入れ替わりの激しい分野”だから、そのMCを高齢になっても務め続けることは容易なことではない。いっそのことエンタメ業界そのものに「75歳定年制」を導入してはどうだろう。業界そのもので取り入れれば、何の問題もなく“MCの変更”は可能となるのではないだろうか。中には番組そのものとか、MCそのものとかで“ギネスブック入り”を狙っている場合などあって、そういう意味でも止められないケースなどもあるかもしれない。そうであればなおのこと、それらへのこだわりを捨てる意味でも「定年制」を導入した方が良いと思う。もし高齢のタレントを使う場合は、労働時間の制限とか、ギャラ設定の変更とか、それなりの基準を設けるというのが良いかもしれない。一部の人たちに仕事が集中しすぎる状態だけは、改めるような“働き方改革”が、この業界にこそ必要なのではないだろうか。

「過ち」だけど「これ赤ちゃんです」が救い⁉

2023-12-29
人はだれでも“過ち”を犯す。社会的な“人としての知識”は、その人の過去や履歴によって相当な違いがある。ただ、それが人としてどうなのか……については何となく本能的に解かっている。この女性も、きっと、それは解かっていて、だけどどうすることも出来なくて、結果的に「こうするしかなかった」に違いない。埼玉県本庄市の警察署に27日、タオルケットで包まれた出産児の遺体を抱いて、27歳の風俗店従業員の女が自首してきた。自ら「自首しに来ました」といってタオルケットに包まれた遺体を差し出し「これ赤ちゃんです」と手渡そうとしたのだ。容疑者はたぶん一人でアパート内の浴槽で出産し、出産はしたのだが誰にもそれを言えなくて、そのあとどうして良いかわからず、そのままにしてしまっていたら、出生児が死亡してしまった……ということであるらしい。風俗店従業員なので、出産が近くなって以降、仕事はどうしていたのか気になるが、おそらくここ一か月近くは“休み”を採っていただろう。もしかすると、経営者は気付いていたのかもしれない。小さな街の風俗店で、出産したアパートは“従業員の待機場所”として使われていたらしい。容疑者は住所不定なのだ。もしかすると、そういう事情も呑み込んだうえで、経営者が“その部屋”を提供していた可能性もある。風俗店に勤めながら、妊娠・出産に対しても“確かな知識”を持たず「浴槽の中で産んだ」という部分だけが、本能的な行動としては良かったと思うが、その後、どうすれば育てられるか、本能では補えなかったらしい。それでも、きちんとタオルケットでくるんで遺体を抱いて自首してきたのは、元々は母性本能の発達した女性であることを物語っている。おそらく、自ら殺したのではなく、そのままにしていたら死んでしまったに違いない。或いは母性本能が“生かす知恵”を授けていた可能性もあるが、もし児が育った場合、自らが“働けなくなる”と感じて育児放棄してしまった可能性もある。いずれにしても、容疑者が自ら自首をしてきた部分が私には、この女の救われるところだ。27歳なのだから、まだまだ出直せる。刑務所の中で“何らかの技術”を身に着けて再出発を計れば良い。

「刺青」はハードル高いが「女体書道」なら⁉

2023-12-28
昨日、溜まっていたTV録画番組を観ていく中で、ちゃんと視ようという気でもなかったノンフィクション「女体書道」に強く惹きつけられた。大体「女体書道」そのものについて、わたしは知らなかった。いや、わたしだけでなく、多くの人が知らないと思うが、或る種、新しいジャンルの“アート”といって良い。プロの書道家が、女体の背面……つまり背中から腰、時には肢までも使って“言葉”と“画像”を筆だけで描いていく。そして、その画像を“写真映像”として残し、そのあとすぐ拭き取っていく。だから、刺青のように後々まで残ることはない。謂わば“一瞬のキャンバス”として自分のハダカの背面を差し出す。そこに描かれる文字や言葉の内容、或いは画像も含めて、十分に書道家と打合せの後に行うので、本人の希望を入れるので、書道家の方はあくまでも「依頼者側に寄り添った書道」をして写真に残す。「女体書道」としての個展も行っているので、他人に視られる可能性はあるのだが、基本背面だけで“正面を向かない”ので「顔」を知られることはない。背面の写真は、文字だけを写すのではなく、アートとして“身体全体”というか“下半身には衣装などまとった姿”で写すとか、或いは髪に花飾りをつけて“色を添える”とか、さまざまなパターンがあるらしい。要するに「刺青」の女体版で、書が主体ということ、すぐに拭き取ることが可能で“一瞬のアート”であること、古典から抽出した言葉とか、自分の人生を物語る意味での言葉とか、詩の一節とか……その部分は何でも良いので、昔の『耳なし芳一』が全身にお経を書いたのとは微妙に異なる。異なるのだが、その本質は同じかもしれないように、わたしには思えた。たとえば自分自身が“生きる指針”としている言葉を書いてもらうことで、その画像を残すことで、それに沿った生き方が出来る。少なくとも出来るような気がする。そう思うから多くの女性たちが真摯に、自らの背中に文字を描かれようとするのではないだろうか。実際、これまでの画像はどれも、書だけとは思えないほどに“美しく肉感的”である。そういう意味では、やはり「刺青」と共通するものがある。男女平等でなければ気のすまない方達からは“攻撃”されそうだが、背面だけの映像は“女体”の方が絶対に美しい。一瞬でも文字を自らに描くことで、その文字が背面から内部に入っていくような錯覚が、彼女たちを“強く”変えていくのかもしれない。

6000名配する吉本「松本人志」性加害で窮地⁉

2023-12-27
所属する芸人が6000名とも言われる吉本興業。その“看板”ともいうべき存在がダウンタウンの松本人志氏(60歳)だ。ところが、遂にというべきか、ようやくといいうべきか、その松本人志氏に対して“文春砲”が襲っている。彼が後輩芸人たちを使って女性たちを集めさせ、超一流ホテルの客室で「俺の児を産めや‼」と迫っていたというのだ。多数の証言が集まっているとされ、その“悪質な手口”も、ジャニー喜多川氏の“それ”に近いものを感じさせる。彼が後輩芸人たちに女性を集めさせるとき、けっして名前を知らせずに「ものすごいVIPとの飲み会」とだけ伝え、事前に女性たちの携帯電話さえも取り上げている。ここに良く言えば“用意周到”を感じさせるし、悪く言えば“悪質な手口”を感じさせる。彼はこれまで、吉本興業の“看板”として、さまざまな番組などで事件とか社会問題とかに対してコメントを発表してきた。ところが、今回は文春からの問い合わせに対しては沈黙のようなのだ。やはり、ここは看板芸人らしく自らをコメントして、笑いを取らなければいけない。それが取れないようでは、6000名に及ぶ“吉本芸人たち”が泣く。彼は「M-1」の審査委員長なのだ。確かに今は誰でも携帯電話を持っているから、さまざまなものが記録として残りやすい。ただ最初に名前を伝えずに女性たちを集めれば、彼に関しての記録は残らない。万一、告発する者が出て来たとしても、証拠がない、ということになる。ところが、今回は多数の証言者たちが出て来たらしい。ジャニー喜多川氏の問題があって、もはや女性たちも、告発して干されることを怖れなくなったのだ。わたしは前から、この種の問題はあちこちの芸能事務所が“抱えていた問題”だと思っている。いや、芸能事務所だけの問題でもなく、日本だけの問題でもなく、世界各地で古くから“似たようなケース”が踏みつぶされてきたに違いない。韓国などは、それが起因するとみられる事件や自殺が何度も起こっている。ただし、こういうものは時代と無関係ではない。時代によっては“それら”が許される時代もあった。少なくとも現代は“許される時代”ではない。そして、かつては“暗黙の了解”となっていたそれらが次々と告発される現代が“正しい時代”なのかどうかは、だれにも判断が下せない、と思うのはわたしだけなのであろうか。

わたし個人の「十年後」って何しているのか⁉

2023-12-26
世の中のことばかり取り上げていても面白くない。たまには“わたし個人のこと”も書いてみることにしよう。と思って、過去を振り返ろうとしたが、その“過去”がいっこうに頭に思い浮かばない。たとえば十年前だ。十年前、わたしは何をしていたのか。これがまったく思い出せない。要するにたいしたことはしていなかったに違いない。なぜ、過去を想い出そうとしたのか。「歴史は後ろ向きの予言者だ」という言葉がある。だれが言ったか知らないが、確かに、そう言われれば「そうかな」と思うようなところはある。だから、自分の過去を振り返れば、つまり「十年前」を振り返れば「十年後」が判るのではないか、と思ったのだ。けれども、その十年前が霧に包まれている。要するに思い出せない。となれば、未来としての十年後も、要するに“特別大きなこと”は無いに違いない。というか、まず、第一にわたしは「生きているのだろうか」という大問題がある。全てに楽観的な私は「生きている」前提で考える。基本的に、いまとほとんど変わらないような健康状態として考える。病気になっていることを想定するにしても、どんな病気かが思い当たらないから、想定しづらい。一応、生きていて、一応、健康であることを前提とした場合、仕事をしているかどうか、が問題となる。わたしは昔から、自分の顔の中で“法令線が乏しい”ことがコンプレックスだった。もう少し法令線がクッキリしていれば、威厳の在りそうな顔になれたのに…といつも思った。そして、この“法令線の乏しい”ことは、自分の仕事への意識が“それほど強くないこと”を表しているような気がする。正直、もし経済面が許すのなら、もう仕事なんかしたくないなあという気持ちが根底にはある。ただ「仕事をやり切った」という感覚はまったくない。むしろ、まだまだやり切れていない気持ちの方が圧倒的に強い。特に“本を書く”という部分に関しては、まだまだ半分くらいしか“やり切った感”がない。けっこう書いて来てはいるのだが、それなのに充実感はない。それはたぶん“そんなに売れていない”からなのだ。もし、わたしが既にベストセラーと言わないまでも、10万冊くらい売り切った本があるなら、こういうふうには思わないことだろう。占いの個人鑑定とか、占い教室とか、そういうことに関しては正直もう良いかな的な感覚がある。イベントも好きではないし、TVとかも若い頃ならともかく、いまからではもう良い。だから、あと仕事として“やり切った感”の乏しい“本を書くこと”だけは需要があれば続けたい。そうして、少しでも後進の人たちの役に立ちたい。そういう感じで、満たされないまま十年後も執筆をしているのが、わたしのような気がする。

「被害者10万人」脱毛サロン「前受金70億円」

2023-12-25
“美容関連のビジネス”には或る種の共通性がある。その企業なりお店なりが急拡大していくところほど“危うい”ところが多いという事実だ。奇妙なことに“美容関連”は広がる時には一気に広がるが、その反面、何かしらの“悪い噂”が流れると、これまた一気に客足が減っていく。或いは客足が減らなくても、資金繰り悪化でストップが掛る。もともと美容関連の経営者には、経営能力そのもので発展させたというよりも、或る種のブームによって事業が軌道に乗って急拡大していった…というようなケースが多い。脱毛サロンとして知られる「銀座カラー」が今月15日に突如「破産手続き開始」を宣言した。その負債総額は58億円で、債権者(被害者)数が10万人と極端に多い。どうしてそんなことになっているかといえば、常連客の多くが「前受金」というものを収めて、それによって“永久に脱毛を受けられる”保証を得る形となっているからだ。つまり、実際にはまだ“支払っている分の施術”を受けていない客がごまんと居る。その前受金のほとんどは“回収不可能”となりそうな雲域である。美容関連のビジネスでは、この種の方式がしばしば使われる。いったんローンを組んでしまえば、倒産しようが破産しようが“その借入金”は戻って来ない。それなのにどうしてローンなど組むのかといえば、その方が“はるかにお得なカタチ”となっているからだ。女性は、特に美意識の強い女性は、この“はるかにお得”という部分に弱い。しかも、永久脱毛などとは言っても、実際には“永久”ではないことを誰もが感じているから、なんどでも足を運べるシステムを“好ましいところ”と勘違いしやすいのだ。ところが、実際にはいったんローンが成立した客は、黙っていても毎月引いてくれるから、極端なことを言えば施術しなくても大丈夫ということになる。だから必ず、それ以降は「待たされる」ようになる。ほんとうは補償金を入れているのだから最優先しなければならない客なのに、何か月も先でないと施術してもらえなくなる。これでは客離れしていくのは当然だ。したがって、あっという間に不評となって経営が傾く。急拡大路線の美容関連ビジネスのお店は「危ういところ」と思っていた方が良い。

「クマ」だけでなく「サメ&ワニ」も人間襲う

2023-12-24
前から言っていることだが「地球」は変った。いや、変わりつつあるというべきか……自然環境の変化は“人間”の暮らしを変えているだけではない。当然のことながら、他の“生き物”たちにとっても、その暮しぶりに変化をもたらしつつある。たとえばクマだ。昨年あたりから、急速に“クマによる襲撃”が増えて来ている。本来なら、人間世界には近づかなかったはずのクマたちが、冬眠もせず、人間たちの“暮しの領域”に迷い込んできている。だから、急速に目撃例が増え、山道だけでなく住宅街でも襲われるケースが増えている。温暖化で“冬眠”し辛くなって来ているのか。或いは食料となる木の実や魚などが減って来ているのか。さらには繁殖しすぎている可能性もある。われわれはどうしても陸上のことのみを考えがちだ。けれども、気球環境の変化は陸上のみにもたらされているわけではない。当然のことながら海や川の中でも、その環境は変化してきている。その結果、海岸沿いにおいてもサメやワニから襲われることが多くなった。つい最近も、メキシコ湾でたまたま母娘が渚で戯れているところを父親が撮影していたところ、その動画に遠方で海から助けを求める外国人男性の姿が映し出された。遠方だったため、判然とした姿ではなく気付くのが遅れたのだ。その結果、救助されたときにはもう意識がなく、海中でワニによって下半身を食いちぎられてしまっていた。同じようなことはオーストラリアでも起こっていて、今月8日、不意にサメの襲撃を受けた20歳の男性が死を覚悟しながら動画を撮り続けた。家族へのメッセージを遺したかったらしい。同じオーストラリアでは昨年2月にもサメに襲われた35歳の男性が居た。ニューカレドニアでも今年2月、観光で来ていた59歳の男性がサメに襲われ亡くなっている。さらにエジプトでも、昨年7月、68歳の女性が多くの人たちが視ている眼の前でサメに襲われ食いちぎられた。今年6月にも、観光で来ていたロシア人(23歳)男性が父親の眼の前で食いちぎられた。日本では、さすがにサメやワニは出て来ないが、クマやシカなどの被害が後を絶たない。自然環境が急速に変化していくと、当然のことながら、動物たちも本拠地を移さなければならない。その結果として、人間居住区が“安全”ではなくなってきているのだ。その境界線付近に暮らすのは、今後ますます危険と“背中合わせ”になっていく。

大谷&山本で「日本人の評価」が高まった年⁉

2023-12-23
日本人というのは国際的にみると“奥ゆかしい性質”の持ち主が多い。したがって、あまり“お金の価値”によって人物評価をすることは滅多にないが、国際基準ともいうべきものとしては“金銭価値”による評価が解かりやすい。そういう意味では“投打の大谷投手”が10年間で1015億円、そして“投手のみの山本投手”が12年間で462億円という評価は、或る意味で日本人アスリートの評価が近年、世界的に高まって来ていることの証明のような気がする。国際基準という点では、アスリートが“数字として出て来る”ので解かりやすく評価しやすい。数字として出て来ない芸術とか芸能とか文学とかの分野でも優秀な日本人は沢山いるが、国際的には“日本語を用いること”がネックとなって世界的な認識や評価がまだまだ得られていない。日本の漫画やアニメは文字よりも“絵の世界”に近く、しかも子供たちの柔軟な頭脳に働きかけるので世界的に人気が高い。近年はノーベル賞などの科学的な分野での評価も増しているが、実際に授賞するのは海外居住者や帰国者が多い。ただ全体的にみて日本の文化そのものは間違いなく浸透しつつある。それにしても最近の「世界価格」は何んと高額なことだろう。アメリカの物価が高いから、それに合わせる形で契約金も高騰しているのは間違いないが、何百億という金額は、通常の人が一生かかっても使いきれる金額ではない。その昔、芸術家は“貧乏であることが真の芸術家の証し”とされていた時代もあった。確かに、売れてから、その作風や芸能が見劣りしていくケースは多い。或る意味でがむしゃらに“我が道”を突き進むかのように芸術や芸能に取り組む姿勢が、大金を得ることで失われてしまう可能性もある。実際、アスリートや芸能人の中には大金を得て以降、急速に本領を発揮できなくなっていく人物もいる。あまりにも若い時に“大金を得てしまった”サッカー選手とか映画スターとかは総じてその晩年が良くない。もちろん“才能の評価”として、今後も日本人が大金で契約合意するのは素晴らしいことなのだが、そのため後々崩れ去って“みじめな晩年”とならないよう精神的な強さを磨いていくことも忘れないで欲しい。

「北海道の大雪」と「北陸の大雪」の違いは⁉

2023-12-22
今日から明日にかけ北海道と北陸の両方で“大雪がやって来る”と予報されている。北陸の方はともかく、北海道での大雪というのはこの時期としては珍しい。通常、北海道で大雪となるのは1月下旬からが多い。だから毎年「雪まつり」が雪不足となることは滅多にないのだ。もっとも、大体がクリスマスが終わった頃から1月初旬にかけても、大雪ではないが“大寒波”がやって来ることは珍しくない。北海道の冬は、それからが本番なのだ。もっとも、わたしが現在暮らしている札幌は、30代半ばくらいまで暮らした室蘭に比べれば、まだまだ“暖かい方”で、同じ北海道でも海岸沿いの地域ほど強烈な北風を伴うので真冬の寒波は厳しい。そのいちばんは稚内に近い留萌地方かも知れず、ここは年中強風が吹き荒れている。その点、札幌は北風がそれほど強く吹かないので、雪の量が多くなっても目の前が視えなくなることは滅多にない。風の強い地域は、目の前が視えなくなって、しかも前向きには歩けなくなって“後ろ向きのまま”歩くようなことが多い。留萌、網走、室蘭、苫小牧、釧路など、強風が吹く地域で暮らしていくのは容易ではない。もう一つ、強風の吹く地域で特徴なのは“雪が硬くなる”ことだ。積もった雪が硬くなって“雪かき”そのものが重労働となる。湿った雪も重くなって“雪かき”が大変なのだが、氷のように固まった雪の方が大変な作業となる。だから、北海道では屋根の雪下ろしを行っていて滑り落ちて毎年何人もの人たちが亡くなってしまう。固まった雪を砕くような感じで“雪かき”をしていくので、どうしても“滑り落ちてしまう”危険がある。ただ積雪の量だけで言えば、たぶん北陸地方の方が上回っているに違いない。それに北陸地方の雪は水分を含んでいるので重い。どんなに降っても、水分が多いのでいったん溶け出すと早いが、重さがあるので屋根の上など何日間もそのままにしておくのは危険だ。とにかく“屋根の雪下ろし”で毎年、高齢者が亡くなっていく。滑り落ちやすいことはわかっていながらも、屋根がつぶれてしまってはいけないと、お年寄りが単独で“雪かき”をする姿を観ることも多い。わたしはいつも思うのだ。IT化が進んで、AIが活躍して、暮しが便利になったとは言うが、大自然の猛威に対しては“人間の科学”は極めて非力で脆い。肝心の部分ではぜんぜん大自然に太刀打ちできていない。実際の暮らしに役立たない科学では、大自然に太刀打ちできない科学は何の意味もない。少なくとも、大自然の驚異から“人を守ってくれる科学の時代”には永遠になれないのだろうか。

34年前から「174の項目で不正発覚」だけか⁉

2023-12-21
最近、ニュースを観ると、必ずといっていいくらい“自民党の裏金疑惑”に関する報道がある。それはそれで“不正なこと”なので追及するのが悪いとは言わないが、そういう追及をしている報道各社には“一点の曇り”も無いのだろうか。いや報道各社だけでなく、大企業の多くに“裏金”とは言わないまでも“表には記載されないお金”が存在しているよう私には思えるのだ。昨日、改めてダイハツ工業が“不正なデータ”を使って、国の認証を得ていた事実が発覚した。第三者委員会による調査で、1989年の34年前から、64の車種で、総計174の項目で“不正が見つかった”ということで謝罪会見が開かれた。ダイハツ工業というのは、トヨタ自動車の完全子会社で主に“小型車”を製造販売、及びトヨタなどに“部品提供”している企業だ。したがって、全世界で34年間もの間“不正な車”が走っていたことになる。少なくとも乗用車企業というのは“命を預かる企業”の一つだ。そういう企業で、国の認可を“不正”で得ていたというのは、どう考えれば良いのだろう。親会社のトヨタという企業は、今や“日本の企業”というよりも“世界の企業”で、日本の製品が“世界的に優秀であること”を証明している企業の代表的な存在だ。ところが実際には「174の項目で不正があった」というのでは親会社としての責任まで問われることになる。そして、ここからが重要なのだが、果たしてこれは“不正なデータ”だけの問題なのだろうか。別にトヨタがどうというのではなく、日本が“バブル景気”に沸いていた頃から、世界に進出していった日本の大企業の多くが“表沙汰にできないお金”というものを秘めてきたのではないだろうか。つまり、税金として納めた利益とは別の“収入=裏金”的なものが存在して来たのではないだろうか。むかし「叩けば埃の出るカラダ」という表現がよく使われたが、そういうふうな部分が世界に進出している企業にはあり得るのではないかと私は思う。国内だけでの企業には帳簿操作が難しい部分も、海外を経由している企業であれば“可能となる操作”がいろいろとあるような気がするからだ。もちろん、多くの企業には“裏金”的なものなどないと信じたいのだが……。

「個人」が良いか「組織」が良いかは運命の謎

2023-12-20
ジャニーズ事務所を2018年の時点で退所していた渋谷すばる氏(42歳)が、その翌年に設立した個人事務所を先月になって“廃業していた”と報道されている。近年は、歌手でも俳優でも続々と芸能事務所を退所して、自らの個人事務所を立ち上げていくケースが多い。ただ設立の話は沢山聴くが、そのまま継続しているかどうかは微妙なところで、必ずしも独立した人たちが順調に経営されているところばかりではない。これは芸能事務所だけの話ではなく、一般の企業においてもまったく同様である。人には、それぞれ“生まれ持った星”というものがある。会社・企業や役所のような“組織”というものの枠の中で実力を発揮していく人と、それらから飛び出して“個人”としてでも十分に実力を発揮していける人と、人には大きく分けて“二つの型”があるからだ。そして、それは本来の“仕事の能力”とは、また別なものなのである。言ってみれば“経営手腕”のようなものが備わっているかどうかの違いであり、それは先天的な資質・運命によるところが大きい。経営手腕とはいうものの、実際のところは能力そのものより“運命としての先天運”で決められている部分が大きいのだ。だから、それに気付かず、無理をして独立しフリーとなっても、元々が“組織型”の人は上手くゆかずに“振出し”に戻って勤め直していくケースが多い。その“見分け方”は難しいのだが、一つには組織の中に在っても「単独で何かをやっていた」ような人は、独立しても上手くゆくケースが多い。また何に対しても“自分のやり方”でないと上手くゆかないような人も、個人プレーヤー型で独立して成功できる確率が高い。逆に、常に周りから“お膳立てしてもらって”スムーズに物事が進んでいくタイプの人は、独立すると苦労している場合が多い。それと、本来、独立型の人は比較的早くから“独立の気を窺っている”もので、年齢的には早い場合には20代から、或いは30代から独立していくもので、40代半ばを過ぎてから“そろそろ独立”とか考えるような人は、本来は“組織”に留まった方が成功の確率が高い。もっとも、世の中には、完全に自営型でしか生きて行けない人、逆に組織型で勤める形でしか生きて行けない人もいる。さまざまな先天運は無視できないもので、自分が「どういうタイプなのか」解かったうえで“働く形”を見つけていくのが“賢い生き方”になる。

警察官が「仲の良い同僚」からカードを盗む‼

2023-12-19
最近は警察官の犯罪も多くなってきたので「またか」という感じの事件だが、それにしても「警察官が警察官の財布からキャッシュカードを盗んで現金を引き出す」という内容の事件は、嘆かわしいとしか言いようがない。まあ、この事件が起こった大阪府警は、よく“身内内の事件”を隠さず公表したものと、その点だけが“救い”になる。もっとも、この種の容疑者を“逮捕する側”であるはずの警察官が、あっさり御用となったのだから、やっぱり、この容疑者警察官は“事件の担当”が根本的に向いていなかった、と思うしかない。しかも、この容疑者警察官は、別に生活に困っていたわけではない。遊ぶ金目的で、仲が良い同僚の財布からキャッシュカードを防犯カメラが設置してある場所で盗んだのだ。どうしてかといえば「仲が良いので、自分は疑われないと思った」と供述している。小学生じゃあるまいし、しかも、警察官だし……。つまり、彼にしてみれば“軽い気持ちの犯罪⁉”だったのかもしれない。この警察官はまだ21歳である。自分が盗んだカードの被害者警察官とは、警察学校当時からの知り合いで仲が良かった。実は、もう一人の警察官と三人でボーリング場にやって来ていたのだ。そうして、三人でボーリングを楽しみながら、その仲間の財布からカードだけ抜き取ったという。そして、すぐに現金を50万円引き出している。暗証番号は警察学校時代から変わっていなかったので、難なく引き出せたのだ。つまり、それくらい“仲が良かった学友だった”ということになる。もうひとりの方はたぶん、そんなにお金を持っていないことを知っていたから盗まなかったのだろう。よく欧米の映画などでは“ワルの仲間同士”では、そういうシーンが描かれていることがある。けれども、今回は“警察学校時代の仲間同士”で、本来なら“捕まえる側”の窃盗犯である。大体“疑われない”ならやって良い、という犯罪でもない。被害者警察官はいつの間にか残額が50万円減っていることに気付いて、上司に相談したという。警察官だからといって自分で捜査したわけではない。自分で警察署に向かったわけでもなく、上司に相談したのだ。もしかすると窃盗被害に遭っていたこと自体、警察官として「恥ずかしかった」可能性が強い。もうひとりの同僚も、窃盗には気付いていなかった。まあ、三人とも、あまり警察官向きではないのかも……。 « Older Entries