2月, 2024年

計算が合わない「前々任校」からの盗んだ金額

2024-02-06
ときどき“やるせない事件”というものが起こる。学校の教師が“盗み”で捕まる。最近であれば、それほど驚くようなことでもない。けれども、今回はちょっと違う。盗んでいた期間が“5年半の間”と長いのだ。本人の供述だけでも“16回以上”と多いのだ。しかも、それは「聖なる職場=学校内」において行われていた。しかも早朝からで、5年半もの間だから“出来心”などというものではない。常習犯だったのだ。38歳で大阪の市立小学校教諭である。ここで驚くのは、その学校に赴任してきた後のことではなく、その前の学校でも、またその前の学校でも、同じように続けて来ていた……という告白の方だ。まるで、どの学校へ行っても最初から、朝早く出勤して、人気の少ない時間帯に“盗み出す”ことを仕事と感じていたかのようですらある。盗むのは職員室とか更衣室とかで、同僚の財布から「数枚だけ抜き取る」手法であったらしい。数枚だけ抜き取るので、なかなか気付かれにくかったらしい。けれども、相手はどこでも、こういう言い方は失礼だが「高給取りとは言い難い」教師たちの財布内だ。そんなにたくさんの現金が入っているはずもない。したがって、数枚の千円札が無くなっても気付く人は気付くのだ。今回の学校では、被害者たちから“それとなく名前が挙がっていて”その最終確認を校長自身が行った。その結果、逃れられないと覚悟したのか、すべてを白状したらしい。ただ本人は16回以上で総額17万1000円くらいと供述しているのだが、これがおかしい。なぜなら本人は一回当たりの金額について「数千円が普通で、たまに一万円札を抜き取ることも…」と言っている。そうだとすれば、16回で17万円にもなるはずがない。16回で17万円なら、一回につき1万円は抜き取っていないと計算が合わない。したがって、この回数にしても、その金額にしても、おそらく“本人の意識の中では”という数字で、実際のものとは違っているに違いない。おそらく、一回当たりの抜き取り金額の方は、そんなに違っていないと思うので、そうすると、もしかすると5年半ではなくて、もっと前から行ってきている可能性、或いはもっと回数的に多かった可能性がある。とにかく、学校には“盗みのアルバイトをする”目的で働きに来ていた可能性が高いのだ。もちろん懲戒免職になったが、こういう教師に教えられた子供たちはきっと「反面教師」として真面目に働き出すことだろう。

「雪像作り」でも大活躍する「日本の自衛隊」

2024-02-05
一時期、日本には「自衛隊」のような“軍隊”はいらない、と主張する人々が居た。けれども今は誰からも、そういう声は出ない。当然だろう。災害時にもっとも活躍しているのが日本の自衛隊なのだ。言ってみれば「災害時のヒーロー」と言っても良い。海外の“軍隊”と同様な扱われ方をする“自衛隊”だが、実際には日本の自衛隊は“戦場”で活躍することは滅多にない。戦場に駆り出された場合でも、すぐ対応できるような訓練は日頃から行ってはいるが、よほどの事態がない限り、海外も含めて直接“戦場”に赴くことは少ない。その代わり、地震や津波や台風や大雨などの“災害現場”に駆り出されることは多い。むしろ実践現場として活躍しているのは、そういう場面での方が圧倒的に多い。もしも日本に自衛隊というものがなければ、どうなっていただろうと不安になる。文字通り“日本と日本人とを守ってくれている”のが自衛隊なのだ。その自衛隊のひとつの“お仕事”に「雪像づくり」というものもある。北海道では札幌を始めとして各地域で、冬になると「雪まつり」的なイベントが行われる。今回も“コロナ禍”から久し振り“本格的な雪まつり”が三会場を舞台に行われている。いまや“世界的なイベント”として知られる「雪まつり」だが、海外から訪れる人たちの何人が“日本の軍人たち”が作っている…ということを知っているだろう。芸術度の高い雪像づくりは、或る意味で“規律に慣れている”自衛隊員だからこそ完成させられるので、一般人ではなかなか巨大な雪像を形作ることはできない。いちばんの問題点は共同作業として“相当数の人員”が必要なのだ。そして、それらの人たちが主として“夜間に重要な作業”を行っている。これを外国人がマネできないのは“共同作業”を時間をかけて一律の指揮のもとに行う…という作業が難しいからだ。つまり“軍人”だから出来るのだ。そして、この事実はある行為を、わたしに想起させる。古代エジプトのピラミッド作りだ。ピラミッドも共同作業として“相当数の人員”が必要なのだ。昔、それは「奴隷によって築かれた」という説があったが、現代では否定されている。そう“軍隊”ではないにしても、規律に慣れた人たちでなければ完成させられるものではない。冬用のイベントで培った団結力を、今度は北海道の“夏イベント”で発揮するのはどうだろう。たとえばピラミッドのように石を切り出して“各種の石像を作成する”祭りごとを行ってはどうだろう。自衛隊が主役となる「石像夏祭り」で、世界の人々を呼び込むのだ。

「恵方(東北東)」だけが「幸運方位」ではない

2024-02-04
「節分」とか「立春」とかの行事があると、だれでも一応それなりのことをする場合が多い。たとえば「恵方巻を食べる」とか「豆まきをする」とかの慣習行事だ。特に人が居なくても出来る“縁起もの”としての恵方巻は売れ行きが良いらしい。「恵方巻」にはほとんどの場合、その“食べ方”が記されている。つまり、今年の「恵方(運勢的に恵まれる方位)」に向かって一気に食べる……というようにだ。今年の場合、その方位とは「東北東」という方位だ。どうしてこういう中途半端な方位なのかと言えば、これは八方位基準ではなく“24山方位”と言って“八方位”をさらに“三分割した24方位”から選別された方位だからだ。この24山方位の内訳は、十二支の方位である“12方位”と十干の方位である“12方位(戊&己の方位は2か所ずつ)”の合計“24方位”から成り立っている。最初はこのように配布されていたのだが、途中から現在の風水盤などで用いる「24山」に変わった。「戊」と「己」の方位を外して、そこに“八卦”から「艮」「巽」「坤」「乾」を借りて来て挿入した。したがって、現在は奇妙な十干十二支方位となっている。ともかく、そういう感じの24方位の「歳徳方位」が俗に「恵方」と呼ばれている。だから“歳徳方位”には同時に“歳徳合方位”と呼ばれるものもあって、それは本来「艮」の北東方位と「坤」の南西方位に位置していた「己」方位がそれに当たる。その他にも「天徳方位」に当たる北北西(壬)方位や“天徳合方位”の南南西(丁)方位も幸運な方位なのだ。その他「六合方位」としての真西(酉)方位や「生気方位」としての東北東(寅)方位も年間における幸運方位と言える。世間には「九星気学」だけが方位学だと思っている人が多いが、そればかりが方位の占術ではない。本来の“気学九星方位”とはまた違った「24山方位」に基づく“幸運方位”も試してみる価値はあると言えるだろう。

「豊洲」と「ニセコ」が“5年後の日本”を象徴⁉

2024-02-03
ニュースを観ていて、1日にオープンした豊洲市場隣「千客万来」と、北海道ニセコの飲食店街に共通のものを感じた。ニセコの方は“もはや外国”のような雰囲気で日本語表記すらなかなか見つけられない。何もかもが道内各地域の価格に比べ極端に高い。そのせいなのか日本人を見掛けることが少ない。いまやニセコは“外国人居住区”のようですらある。豊洲市場隣に出来た60店舗ほどが入っている「千客万来」の方は、外国人観光客であふれている。オープン時でこうなのだから、あっという間に世界に伝わり、あと5年後くらいになれば、ニセコと同じように「外国人しか見掛けない街」へと変貌していくかもしれない。7000円の海鮮丼を「リーズナブル」という感覚は、残念ながら今の日本人にはない。けれども、そういうような状況になって、日本人全体が“お・も・て・な・し”の商売人に変わったと認めてしまえば、常にどこに行っても外国人観光客であふれている「観光大国」に変身していけるかもしれない。それを見越して考えるなら、いっそのこと“インバウンド用”の価格と、国内者向け価格と最初から“観光地などでは二つに分ける方式”を採用するというのも、ひとつの方法かもしれない。そうしてしまえば、どんなに円安になっても生活者を脅かすことはなく、海外からの観光客も満足して帰るのなら、問題はないような気もするが……。住宅価格にしても、国内居住者と海外国籍者とを分けて価格販売すれば、たとえ実際には“投資用”で居住していなくても、そちらの方だけが値上がりして、国内居住者用の価格帯は“抑えられる”ようにならないものだろうか。観光が目玉のタイなどで感じるのは、明らかに観光客向けと国内向けとを、さまざまなもので区別して販売していることだ。とにかく資源の乏しい日本は、これからは“何かしらの目玉”になるものを必要としている。遅ればせながら“半導体投資”に舵を切った日本政府だが、それだけではあまりに心もとない。やはり“観光立国”としても、世界へのアピールはどうしても必要なのだ。そうであれば、その先駆け的な“在り方”を今後の「豊洲」と「ニセコ」から学んでいくべきなのではないだろうか。

米吉「花嫁姿」で「花婿」としての結婚報告⁉

2024-02-02
いかにも“役者”らしいウイットに富んだ“結婚報告”だ。歌舞伎役者の中村米吉氏が昨日、自らの“花嫁姿”の写真を掲げながら、入籍・結婚の報告をSNS上で行った。歌舞伎役者で“女形”である米吉氏にとって、タキシードなどによる写真より舞台上で見せている「女形の花嫁姿」の方が判りやすく見栄えが良いと思ったのだろう。ちゃんと最後に《花婿でありまして花嫁ではありません》と付け加えている。こういうウイットに富んだ“結婚報告”も良い。近年は、自分のプライベートに関して、極端に“開けっ広げにすべてを伝えていくタイプ”と、逆に“ひた隠しにして詳らかにしないタイプ”の二つに分かれるような気がする。或る意味で有名人の場合、完全ガードはかえって好奇心から何かの時に拡散されやすい。だからと言って何もかもあけすけすぎるのも、その後の展開によっては後悔するような事態になりやすい。その点、こういう或る意味では“伝えている”ような“隠している”ような「微笑ましい報告の仕方」は誰からも指弾されない。役者なのだから、大いに変身した“普段の姿”で伝えれば、みんなそれなりに納得してくれるのだ。入籍は既に1月22日に行い、挙式は5月を予定しているようだ。挙式をする人は、嫌でも“公的に知られる”のだから、前もって一般に伝えておいた方がトラブルにならなくて良い。昔から「結婚」が仰々しく行われる人は、そのあと不幸になってしまうケースが多いし、だれにも秘密で入籍している人は何かが生じた時に“ややこしい問題”が降りかかってしまうようなケースが多い。したがって、結婚報告というのはあまりに秘密主義に行うのも良くないし、あまりに仰々しく派手に行いすぎるのも汚点を残しやすい。その中間で、適度な形で、適度な時に、無理なく行うことで、変わらぬ愛を継続できるような気がする。昔のように“披露宴”まで行う人は本当に少なくなった。世の中が「結婚」をそれだけ“重要視しなくなった”ということで、それ自体は“良い変化”であるよう思うが、誰ひとりからも“祝われる”ことのない入籍も少し寂しいような……。

2024年2月の運勢

2024-02-01

「両親ともウクライナ人」でも「ミス日本(⁉)」

2024-02-01
「何人⁉」という定義の根本はどこにあるのだろう。時々わからなくなる。先日、両親ともウクライナ人の女性が「ミス日本」に輝いた。5歳の時からずっと日本に居て、現在も“日本人モデル”として頑張っているのだから「ミス日本」でもおかしくない……という評価のようだった。そうだろうか。どうしても私には引っ掛かる。5歳の時、離婚していた母親とともに来日し、その母親が日本人男性と再婚をし、国籍も日本人になっているから、本人の中では“日本人”に違和感は持っていないらしい。美しく聡明な女性なので「ミス日本」で勝ち残ってきた女性たちの中でも、ひときわ目を引いた。だから、そういう意味では「ミス日本」に選ばれたことは少しも不思議ではない。それはそうなのだが、この選考会は“未婚の日本人女性”として“最も美しい女性”を択んでいく大会ではなかったか。そうだとすれば、本来は彼女がグランプリでも「純潔日本人女性」をグランプリとし、彼女を“準グランプリ”とする方が妥当なように、わたしには思われる。そうでないと、もし何人も彼女のように両親とも外国人で“日本国籍を有している女性”が出てきた場合、毎年「ミス日本」なのに、日本人の血は「半分も含まれていない女性」がグランプリとなってしまう可能性が出て来る。別にそれでも良いが、国際的にも“日本を代表する女性”として、日本人の血が半分も含まれていない女性が「日本女性とは彼女のような女性です」と紹介される可能性もあり、なんとなく哀しいというか寂しいというか複雑な気持ちになる。じつは週刊誌が彼女の近況を追っていて、日本人の既婚医師との“度重なるデート”“お泊り熱愛”を問題視しているのだが、問題視すべきは“そこ”ではなくて、いや、そこも多少は問題かもしれないが、それよりも“両親ともウクライナ人”という“その部分”の方に、わたしは或るような気がしてならない。 Newer Entries »