3月, 2024年

「レトロな店」に漂うなんとなくの「安心感」

2024-03-31
久しぶりにレトロなレストランで食事をした。この店はすべてがレトロだが、意識して作ったレトロ感ではなく、要するに「古いものをそのまま使っている」ことでのレトロ感だった。店の入り口には食品サンプルがたくさん展示してあるが、おそらく何十年も前に作られたに違いない食品サンプルが並んでいて、それをあまりじっくり見ると“美味しそう”な気がしなくなってくる。ソファーにしろ、テーブルにしろ、椅子にしろ、壁にしろ、すべてが何となく懐かしい。つくられた懐かしさではなく、古いだけの時代が舞い戻ったような懐かしさだ。ところが、そういう店なのだが、けっこう広い店内は、いつも満員だ。何も新しいものはないのに、いつも満員なのだ。お年寄りだけが入って来るのではなく、若い人たちも、家族連れも入ってくる。まあ、メニュー的には、一応何でもそろっている。それにボリュームもある。特別美味しいかと訊かれれば、特別とは言えないが、ふつうに美味しい。それに何よりも懐かしい味なのだ。この“懐かしい味”というのが実は重要なことなのかもしれない。価格設定もハッキリとしていて、必ずしも安くはないが、今時のオシャレな店に比べれば安いと思う。そして、なによりも、ゆっくりと食事が出来る。この“ゆっくり”というのも、最近の店では少ない。昼時は特に、無意識に“急がせられている”ような気になることがある。それがない。それと、もう一つ、レトロなレストランの良いところは週刊誌とか新聞とかを置いていることだ。週刊誌など昔はどの店にもあったが、いまはほんとうに少ない。やっぱり病院や美容院の待合室でもそうだが、昔はこの種の店で“そういうものを読む”ことも一つの愉しみだった。確かに今はスマホとかパソコンとかで嫌と言うほど情報は流れて来るが、週刊誌やスポーツ新聞などの“やじ馬感”が乏しい。ここに多くの人たちが集まって来ているということは、そういう“昔風な暮らし方”を好む人たちが多くいるということだ。そうなのだ。世の中にはいろいろな人が居て良い。レトロな雰囲気の中で、時間を気にせず、懐かしい美味しさの食事や飲み物で時間を過ごす。距離間のあるテーブルは他の人たちが気にならない。そういう“昭和を引き摺った店”が意外なほど繁盛しているのはとても好いことだ。

コンプレックス強い「乙武氏」の「権力志向」

2024-03-30
『五体不満足』で一躍時代の寵児となった乙武氏だったが、その後はいろいろ世間に問題を提起することが多かった。その乙武氏が衆院東京15区の補欠選挙に出るらしい。わたしは、この人の社会評論家的な才能は大いに認めるところだが、ハッキリ言って政治家はもっとも向いていない分野に属すると思う。なぜなら、もともとこの人の意識の底に“権力志向”があるからだ。そして、その権力志向は自らの身体的なハンデに由来していると思うので、簡単に変えられるものではない。そういう人が“権力”を持ってしまうとろくなことにならない。だから、そういう意味では結果として権力の座を得ることになる政治家という職業は止めておいた方が良い。あまり引き合いに出したくないが、眼が視えなくて、そのコンプレックスが“権力志向”に傾かせた麻原彰晃と似たものを感じさせるのだ。麻原彰晃も独特なカリスマ性を持ち、そのハンデを逆手に取って権力を追い求めた。社会評論家として活躍する分には、どんなに活躍しても良いのだが、政治家のような直接“権威・権力”と結びつく分野はコンプレックスの強い人は向かわない方が良いのだ。最初はともかく、何年もすれば必ず、その本来の“権力志向”が出て来てしまうし、その権力志向に手を貸す人たちが出て来てしまう。別にわたしは“権力志向”そのものが悪いといっているわけではない。ただコンプレックスを秘めた“歪んだ権力志向”は、必ず社会全体を混乱に陥れるケースが多い。たとえば彼が小学校教員になった時、結果的には彼一人では足りず、もうひとり介助の方を傍に置かなければならなかった。これが高校教員ならそれでも良いと思うが、小学校の教員が“介助を必要とする”というのはどう考えても正常ではない。その介助の方が居なくなってからなのかわからないが、彼はトイレに行くときに今度は生徒たちに介助をさせようとした。なんども言うが、それが高校生たちであれば問題はない。介助を求められた小学生は、どう対応すれば良いのか。やさしい子は応じる以外ないではないか。一見、権力とは関係ないように思えるが、教師が生徒に依頼すれば上下関係から受け入れざるを得ない状況がある。似たような状況が政治家になった時には必ず生じる。だから、彼は“権力”を持たない方が「正義の人」で居続けられるのだ。

「世界遺産」を混乱させた「杏のパリ散歩」⁉

2024-03-29
TV番組ではよくあることだが、コアなファンを持っている番組の場合、変に“弄る”と、その番組全体が“おかしなもの”に変わってしまう。ナレーションが4月から変更となることが公表された「世界遺産」などは、その典型だった。もうこの番組は相当に長いので、いつも見るわけではないが、たまに気になって観る世界遺産の場所がある。いつの頃からか、番組の終盤に「杏の世界遺産散歩inパリ」というコーナーが出来上がっていた。なんどか、それも観たが、正直、本来の世界遺産とのつながりがなく、なぜ「短い時間で紛れ込ませるのだろう」と不思議だった。そうしたら、やはり、わたしと同じように違和感を感じた人は多かったらしく、結局、その部分が不評でナレーションそのものが、杏氏から鈴木亮平氏へと4月から変更することになったようだ。2022年の夏からパリに拠点を移している杏氏が“パリの世界遺産を巡る”という発想自体が悪いとは思わない。ただ、どうしても本来の世界遺産との関係性が不明であり、どっちがメインなのかよくわからない。いっそのこと、杏氏の「パリ散歩」という新しい“短い番組”を作った方が良かったのではないか、という気がしないでもない。それと、やはりこの番組の良さは“世界遺産”そのものをメインとして、ナレーションは入れるが画像としてはタレントや紹介者が出て来ないことにあった。その方が、自分自身が視ているような感覚を持てるのだ。近年の“旅番組”の多くはタレント主体で、その街とか建造物とか情景とかを無視しすぎる。実際に自分自身が行ったような気にさせてくれる番組はほとんどない。ハッキリ言ってタレントや解説者のコメントが邪魔なことも多い。観光というのは、それぞれの視点で視るもので「ここをこう観れば良い」とか「ここではこの部分を外すことが出来ない」とか「ここでは、これを食べなきゃ、ここに来たかいがない」とか、とにかくあれこれうるさすぎる。別に観光ガイドを頼んだわけではないのだから、TVでは黙ってさまざまな視点から画像だけ流して、必要な分の解説だけ入れて、あとはそれにふさわしい音楽でも流してくれれば良い。或る意味でタレントも、街の人の声も無くて良いので“視聴者なりの観方”ができる海外ロケ番組をぜひ放送してほしいものだ。

引っ越しの「方位」と「家相」一年後の変化

2024-03-28
昨年3月18日に、わたしは今の場所に拠点を移した。だからちょうど一年とちょっとが経過したことになる。正直、その前のところに引っ越した時、ここが「終の棲家」になるのだろう……と漠然と思っていた。新築だったし、中央区だったし、風水的にも申し分なかったからだ。そう、風水的という点から言えば、あそこは確かに良かったのだ。角地のマンションで、その南東角部屋でグルリとベランダが取り囲んでいた。東側の眼下に豊平川が流れ、主要道路も走っていた。ただ引っ越して一年目は、正直、たいしたこともなかった。二年目になってから仕事上では大きな飛躍があった。新たな「占いコンテンツ」が開始されたことで、毎月、黙っていても大きな金額が入金されるようになった。結局、16年間あそこに居て、購入したときよりもはるかに高額で売ることが出来たのだから、風水としての効果は確かにあったのだ。さて、新しいマンションに越して来て一年が過ぎた。正直、良かったのか悪かったのか、まだよくわからない。引っ越し方位としては決して良い方位ではなかった。俗にいう“暗剣殺方位”だった。そのど真ん中だった。確かに、引っ越してすぐ註文していた書棚やソファーの寸法が大きく、エレベーターに入らず、なかなか部屋の中に引き上げることが出来なかった。部屋の中が片付かないこともあって、一か月近くまともな居住が出来なかった。それ以外でも、いろいろと問題が出て来て、正直「ここに移ったのは失敗だったかな」という気もした。ただ考えてみれば、前回だって最初の一年目は“綱渡り”的な部分があって、必ずしもスタートダッシュは良くなかった。わたしは何でもそうだが“慣れるまでに時間のかかるタイプ”で最初からスムーズに行くことは少ない。そういう意味では、今回も“いつも通り”の不安定なスタートだった……ということになる。むしろ、二年目のこれからが本当の意味での「風水(家相)効果」が現れて来るはずで、どういうことになっていくかわからないが、この家の「間取」はかなり特殊なので、それがどういう具合で実質的に作用するのか、愉しみながら待ちたいと思う。

「ロシア」「中国」「北朝鮮」の“一つ”と交流⁉

2024-03-27
日本から北朝鮮への水面下での交渉を、北朝鮮の金与正氏が暴露し、しかも岸田首相と金正恩氏が「会う予定はない」と通告してきた。通常、こういう水面下の交渉というものは“表に出さない”のが普通なのだが、あえて表に出して「日本」の外交の“甘さ”を指摘してきた形だ。それに対して林官房長官が「拉致問題は終わっていない」と余計なコメントを出した。すぐさま北朝鮮は反応し「終わった問題」と改めて釘を刺した。一般的な日本人の感覚からすれば、確かに林氏の発言は間違っていないのだが、こういう外交問題で、しかも水面下での交渉事で、世界に向けての発言としてはあまりに軽率な引用を持つ。こういう時は記者などから問われても「現段階で話すことはありません」と答えるべきなのだ。そうでないと、何のために“水面下の交渉”をしているのか、まったく意味をなさないことになってしまう。日本人の感覚からすれば「拉致問題は終わっているはずがない」のだが、少なくとも、金正恩政権になっての問題ではない。したがって、交渉していくには“それなりの下調べ”が必要で、そうでないと「そんなものは父親から何も聞いていない」と言われてしまえば、手の出しようがない。したがって、拉致問題の交渉をするにしても、まずは岸田首相が金正恩氏と“顔合わせ”をし、近隣国として仲良くなって、そのあとでの交渉なら意味を持つのだ。そのためには多少の“お土産”も必要で、それがないと北朝鮮としても「敵国」としている日本の首相と、なぜ“逢わなければならないのか”理由のつけようがない。北朝鮮だけでなく、外国との交渉事には“相手国側の国民感情”と“自国側の国民感情”と、その両方を睨みながら行わなければならない。自国側の国民感情だけで交渉を進めようとしても、ムリな場合が多い。たとえばロシアとの交渉がそうだった。「北方領土の返還」を求めるなら、その“見返り的なもの”がどうしても必要なのだ。それなのに、日本のマスコミは「四島即時返還」など、無理な要求を書き連ねて煽った。その結果、ロシア側は態度を変えて、交渉にはまったく応じなくなったのだ。「日本」は、さまざまな理由から「ロシア」か「中国」か「北朝鮮」のどれかの国と、文化的・経済的な交流だけでも活発化していく必要がある。特にトランプ大統領が誕生すれば、その必要性をひしひしと感じるようになるだろう。

小学生の間で急速に浸透していく「漫画授業」

2024-03-26
最近、書店でいつの間にか人気沸騰している書籍コーナーがあるという。それも小学生の子供たちでいっぱいなのだ。「人気漫画」本かと思いきや、微妙に違う。科学を“漫画で教えていく”ストーリーの書籍シリーズであるらしい。しかも原作は韓国で、言ってみれば韓国で人気を得ている“教育漫画”を日本向けに翻訳化したシリーズなのだ。その漫画を描いている作家たちの多くは“日本の漫画”で少年時代を過ごした韓国人たちだ。したがって、元々作風として“日本的な画風”を持っている。考えてみれば、手塚治虫氏の漫画などは一応ふつうの漫画雑誌に掲載されていたが、いま思うと“科学的”だったり“医学的”だったりして、この韓国の“教育漫画シリーズ”に近い。だから、いまの日本の小学生たちも違和感なく受け入れて「面白いし、ためになる」という感覚で人気となっているのだ。若い人達は「本を読まない」とか「本を買わない」とか言われているが、面白くて、ためにもなれば、小学生であっても“教育科学漫画”を購入しようとするのだ。考えてみれば、いまや授業でも、文字を黒板に書いていくだけの授業というのはほとんどなくなった。いまの子供たちは“文字だけ”だとついてこれないのだ。或る意味で、アニメや漫画から学ぶ癖のようなものがついているから、そういう“視覚的なもの”からでないと吸収できないようになっているのかもしれない。現在は“科学漫画”が主体のようだが、日本の場合には、歴史ものなどが比較的早くから“漫画化”されていたような気がする。これからは難しいかもしれないが“数学”とか“語学”とかも、漫画で憶えていくようなシステムをつくれば、愉しみながらいつの間にか身に付いているというような時代になっていけるのではないだろうか。もし、漫画でが難しければ、ゲームを通じて憶えていく、という方法もある。実際、ゲームをするだけでも頭脳は鍛えられる。本をほとんど読んでいないのに、優秀な学力を備えた人たちが出て来る……もはや“そういう時代”が近づいていると認識していた方が良いのかもしれない。

「危ないアナリスト森永卓郎」のギリギリ路線

2024-03-25
この人の話はいつも面白い。正しいかどうかはともかく、常に“危ないこと”を言うので、さまざまなところから締め出しを食らっているらしい。それでも“守り”に入らず、がん闘病に入っても、そのギリギリ路線は変わらない。正直に言うと、わたしは森永卓郎氏は経済アナリストというよりも、或る種“経済タレント”として貴重だと思うし、死ぬまでギリギリを貫いてほしいと思っている。ただ最近は特に、言っていることが滅茶苦茶になりつつある。いまの日本経済は「恐慌前夜」だというのが最近の主張で、それと同時に「定年後に株投資を始めてはいけない」と叫んでいる。彼の主張が理解できないわけではないが、いろいろな部分でデフォルメされていて、最近は特に“危ない部分”が強くなった。おそらく彼は、自分がもうそんなに長く生きられないかもしれないから、そうであれば十年後、二十年後になって起きてくる可能性のあることを言っておいて、自分が亡くなって以降に「偉大なるアナリスト」としての称号を得たいのかもしれない。最近は息子さんも経済アナリストとして活躍し始めていて、それに対しての或る種ライバル意識のようなものも出始めているのかもしれない。そういえば亡くなる数年前から、同じように過激なことを多く言い出したのが、女優の樹木希林氏だった。そのせいで娘の内田也哉子氏の出番が増え、いつの間にか世間的な認知度が高くなっていった。奇妙なもので、若い頃は似ていなかったが、母親が亡くなって出番が増えた頃から、その話し方や表情など「似ている」と思うことが多くなったものだ。同じように森永卓郎氏の息子である森永康平氏は、同じ経済アナリストでもどちらかと言えば“健全派”とでもいうか、あまり“危ない発言”はいまのところ見受けられない。それに、そんなに「似ている」とも思わないが、もしも父親が亡くなったなら当然その時にはいろいろな形で“引っ張り出されるはず”で、そうなった時、これまでは似ていなかったはずの顔貌や話し方や表情が徐々に似ていって、いつの間にか話すことにも“危ない部分”が出て来ることが増えて来れば、世間の人たちは口にこそ出さないけれど「やっぱりねぇ…」と誰もが納得してそのTV画像に手を合わせたりするのだ。

日本でも毎年「数十件」もある「婚前契約」⁉

2024-03-24
わたしが“そういうこと”に対して疎すぎるのか、いまの時代的変化が“そういうこと”を行うように変わってきているのか、とにかく“大昔を行く私”には理解しにくいニュースが飛び込んできた。大谷翔平氏と妻・田中真美子との間で「婚前契約書」が交わされていたというのだ。しかも、それを行った大手法律事務所から、そのニュースが“漏れた可能性”が指摘されている。そして、わたしがもっと驚いたのは日本でも毎年“そういうこと”は密かに行われていて、年間では数十組もあるらしい…という話だ。確かに、欧米人などは“契約事”が好きだ。なんでも事細かに契約したがる。わたしのような大雑把な人間には信じられないような“細かなこと”まで契約事項に盛り込もうとする。わたしは昔から“細かな契約事”というのが苦手で、ほとんどなんでも“どんぶり勘定”だが、アメリカ人などに言わせると、そういう“日本人的発想”は国際社会から観て“経済に無知”な証拠として糾弾されやすいという。近年は日本人のアスリートとかアーティストとかも海外に進出することが多くなったから、そういう人たちはイヤでも“契約書”と付き合わせられるに違いない。日本人の場合、保険関係とか不動産関係とかは“細かな契約書”を必要とするが、それ以外の分野では“国際取引”以外ではほとんどそういう契約をせず生きて行くのが一般的ではないだろうか。というか、わたしの場合には“細かな契約書”を必要とした企業とは長続きしていない。あとになって「あの複雑な契約書は一体何だったのだろう」と思うケースが多い。とにかく、大谷夫妻が結婚前から「契約書」を取り交わしていたとすれば、田中真美子さんという女性は“良く言えば国際人”であり、悪く言えば“ちょっと怖い人”のようにも思える。大谷翔平氏の方から、この話を出したとは何となく思えない。もし彼からだとすれば、その代理人弁護士からのアドバイスに従っただけだろう。まあ、今回の“借金肩代わり”問題のようなこともあるから、婚前契約は仕方がないのかもしれないが、日本人同士でも“そういう契約”を交わす時代になったんだなあと、改めて時代の変化というか、生き方の変化というか……感じることが多い。

「インフレ」だから「株&住宅」上がって当然

2024-03-23
数年前まで「何とかデフレを克服しなければ…」と言ってきた「日本」だが、いつの間にかインフレ社会が到来していた。入れ替わりのように「中国」がデフレに突入しようとしている。もちろん、インフレになるとモノの値段が上がっていく。だから「日経平均」が上がり、首都圏などの「住宅価格」が上がっていくのは当然なのである。そして、なによりも生活用品の価格が上がっていく。もちろん会社勤めの人たちの多くは給料も上がっていく。ところが奇妙なことに最近の調査では、どれもこれも“前向きな声”はあまり聞こえてこない。内閣府が公表した最近の世論調査でも「経済的なゆとりや見通しが持てない」という人が63%にも上っていて、この数字はこれまでで最多なのだという。どういうことか。答えは簡単で、ひとつにはモノの価格の上昇率と個々の人たちの収入増の比率が合っていないのだ。だから給与が上がっても、上がっている実感が得られず、ゆとりが持てない。もう一つ、だれもが収入増となっているわけではない。実は大企業と中企業、そして“小企業の三分の一くらい”は収入増となっているのだが、それ以外の人たちに“その恩恵”はない。日本の場合“小企業”とその下の“零細企業”というのが圧倒的に多いのだ。多くの場合、パート社員やアルバイトと称されている人達の多くも、似たような状況にある。また“年金生活者”も同じような状況にある。したがって63%の人たちには「インフレ」は“不安な将来”を予想させる社会でしかない。少なくとも“80年代のバブル期”とは全く違っている。だから「日経平均」が史上最高値更新とか、都心のマンションが1億円越えとか言っても、自分たちには関係のない話ということになる。ただ確実に「日本」がインフレに舵を切ったことだけは事実で、そうであればそれを象徴する「株」と「土地(住宅)」は確実に上がっていく。インフレであれば徐々に上昇していって当然なのだ。ただ今は急激に上がり過ぎた点もあり、一時的に必ず調整する。その“落ちてきたとき”に購入すれば、間違いなく“安い買い物”が出来る。

「高収入」で重症化した「ギャンブル依存症」

2024-03-22
だれでも“依存症”の素質は持っている。アルコール依存症が一番わかりやすいが、それ以外にもさまざまな依存症が存在している。簡単に言えば、それがなければ“生きて行けない”のが依存症だ。だから、極端なものでなければ大方の人は多少なりとも“依存症体質”なのだ。俗に何でも「嵌まりやすい人」というのは居る。そういう人は、それに対して“夢中になること”“お金を出すこと”をいとわない。そういうものの一つとして「ギャンブル依存症」もある。ただ、この依存症の質が悪いところは、金額がどんどん増えていくことだ。金がなくなると、借金してでもギャンブルをしようとする。そういう状態になると、もうなかなか“そこ”から抜け出せない。大谷翔平選手の専属通訳として同行していた水原一平が、大谷選手の銀行口座からギャンブルで膨れ上がった借金を送金していたとして、代理人弁護士から告発され、即刻、ドジャーズから契約解除となった。その金額6億8000万円とも言われ、ギャンブルの借金としては相当に巨額である。通常、これだけの金額を“貸し付ける”ことはしないはずなので、明らかに彼が大谷選手の通訳と知っての“貸付”でなかったかと思われる。つまり、ギャンブル組織から狙われていたのだ。水原一平は元々日ハムの外国人選手のための通訳だった。その当時の年収は600万円くらいである。現在の年収は6500万円くらいとも言われる。つまり日本の時から比べると十倍以上なのだ。したがって、彼自身の言う如く「ギャンブル依存症」以外のなにものでもない。そして、アメリカに行って収入が十倍以上になったので、その賭け金も十倍に膨れ上がったに違いないのだ。大体がこういう“病気的なタイプ”は収入が増えると、その病状も悪化する。もし彼がギャンブルに強ければ問題ないのだが一説によると「負け続けていた」らしい。そうであれば、適度なところで切り上げれば、こんな“深い傷”を追わずに済んだことだろう。結果的に、簡単には返すことのできない“借金”を大谷選手から借り受けたことになる。ホロスコープで観ると、水原一平には水星と天王星の0度一体化が見受けられる。つまり、何らかの発明・発見・企画・異才によって才能を発揮する素質を持っている。もし「大リーグ専門観戦ツアー」の旅行社を立ち上げるとか、「eスポーツの選手養成会社」を立ち上げるとか、自分の過去を回想しながら「転落の記」を書き上げるとかすれば、立ち直る可能性と“借金返済”のめどが立つのではないだろうか。

「日本」は51位だけど「幸福度」って何なのか

2024-03-21
「世界幸福度ランキング」なるものが今年も公表された。それによると、去年よりも4つ順位を下げて今年の日本は51位となるらしい。だれがどういう基準で採点しているのか知らないが、1位には7年連続でフィンランドが択ばれ、続いてデンマーク、アイスランドと北欧勢が続く。これらの国は“福祉が充実した国”として知られている。つまりは、そういう部分が重要なランキングのようだ。極端なことを言えば、頑張らなくても「そこそこの暮らしは出来る国」としてのランキングなのだ。イギリスは20位、アメリカは23位、シンガポールは30位、台湾は31位、韓国は52位、中国は60位という順位となっている。いまの日本は「福祉国家」という基準で言えば、この程度の順位は致し方がない。まあ、目標として言えばイギリスとアメリカの間くらいには入って欲しいが、前にも書いたが、少なくとも“アメリカの高額医療制度”などに比べれば、まだ日本の医療制度の方が良い。北欧諸国の福祉が充実していることは事実だが、とびぬけて優秀な企業家とか科学者とか芸術家とかが出て来ていないよう感じられるのは私だけだろうか。奇妙なことに、北欧の諸国は“若い年齢層の人たち”が政治の世界を担っている。それに女性政治家も多い。そのことが多少なりともこのランキングには関係しているような気がわたしにはする。若い人達や女性たちが“国の在り方”を決めていくとき、福祉とか、子育てとか、環境とかに配慮しやすい。それはそのまま国際機関が目指す“幸福な国”であるのかもしれない。ただ、よくよく見てみると北欧の諸国の政治や行政は、必ずしも安定しているわけではない。もちろん、福祉国家を目指すのは良いことだし、そうでなければならないとも思うが、それだけが“幸福の基準”なのかは微妙で、なんとなく私には「それだけでは……」という想いが抜けない。もっと根本的な何かが“幸福度”には必要な気がしてならないのだ。たとえば“健康面”とか“愛情面”とかで充実していることが“幸福度”には欠かせないような気がする。そして、それらは“福祉”が充実しているだけでは得られない。もしかすると、北欧諸国に辿り着いても、ほんとうの意味での「幸福」はまだまだ遠いのが実態なのかもしれない。

「小さな望み」を叶えてあげれば……殺傷せず⁉

2024-03-20
多くの人たちにとって「えっ、そんなことで⁉」と思うようなことでも、本人にとっては“生きるか、死ぬか”のような出来事と言うのはある。ただ多くの人は一応、そういう時でも我慢というものを知っている。だが、ときどき“我慢できない人”というのが居る。そういうときに、事件というのは起こるのだ。2月25日の早朝、札幌市北区のコンビニで事件は起こった。宮西浩隆容疑者(43歳)がコンビニ店員たちを次々に刃物で襲ったのだ。その結果、40代の男性店員一人が死亡し、60代の男性店員と、58歳の女性店員の二人が、大怪我を負った。容疑者は刃物を3本持って、そのコンビニを襲撃している。ただ計画的な犯行かと言えば、そうとも言えず“衝動的な犯行”というのが本当のところだっただろう。それなりの理由はあった。そのコンビニで物を購入したのだが、その時、直前まで女性店員が対応していたのに、彼が品物を出そうとすると、声掛けがあってレジ対応が、別な男性店員に変わったのだ。要するに、それだけだった。だが、それだけのことなのだが、宮西容疑者には許せなかった。なぜなら、彼はこれまで何度も“そういうかたち”で、レジを女性から男性に入れ替わる対応を受けていたからだ。「なぜ、自分の時だけ、レジが入れ替わるんだ」それは、もしかすると単なる偶然が何度か続いただけであったのかもしれない。コンビニのような忙しい店では、いちいち客によってレジ対応を変えるほど暇ではない。ただ、宮西容疑者にはそういうふうには感じられなかった。その日、彼は深夜の長距離バスで函館から札幌へと戻ったのだが、その函館のコンビニでも同じような対応をされていた。女性店員から、やさしい対応を受けることが、彼の“小さな望み”だった。40代半ばで無職である彼には、ふだん女性と接する機会がなかった。唯一コンビニでのレジ対応だけが、女性と接するチャンスなのだ。別に、だからと言って、その女性と親しくなろうとなどしていない。ただ笑顔で「ありがとうございます」と言ってもらえると幸せな気分になれる。そういう“ささやかな望み”を打ち砕かれたことが悔しかったのだ。彼はいったん、そのまま自宅に戻った。そうして刃物を三本用意して、そのコンビニに向かった。もし、もっと自宅に近いコンビニに立ち寄っていれば、そっちの方で事件が起こった可能性もある。身勝手すぎる犯行だが“小さな望み”が叶えられていたら、彼の人生も、殺傷された人たちの人生も、違ったものになったに違いない。 « Older Entries