4月, 2024年

「街の小さなパン屋さん」が次々と消えて行く

2024-04-06
世の中には誰でも比較的簡単に始められる“お店”というものがある。その代表的なものの一つが“パン屋さん”だ。パン屋さんの場合に“修業時代”というのはあまり聞いたことがない。素人からでも比較的“小資本”で簡単に始められるのが“パン屋さん”というお店だ。もちろん、それなりの店舗が必要だし、それなりの設備も必要だ。ただ小さなお店なら“作る側”と“売る側”の最低2人が居れば良い。だからケーキ屋さんなどと同じく、立地さえ良ければ、狭い店舗でも十分に採算がとれる……はずであった。ところが、ここにきて原材料である輸入小麦が高騰している。それに作る時に必要な燃料費も高騰している。コロナ禍が終わって、テイクアウトブームも去った。そうなると、よほどの数を捌かないと商売として成り立たない。ということで、2023年4月~2024年3月の倒産件数が前年度比85%増となってしまったのが“パン屋さん”なのだ。倒産したところのほとんどは、俗にいう「地元の小さなパン屋さん」で名の知られた大手ではない。大手の場合は原材料費の高騰を価格に転嫁できる。デパートとか、スーパーとか、コンビニとか、道の駅とか、そういうところに卸しているようなところは価格転嫁しても「売れなくなる」ということはない。けれども、街の小さなパン屋さんはそれに右習え出来ない。周辺住民が“お客さん”だからだ。みんな“その味”と“その価格”で買いに来ている。もちろん、実質的には赤字販売できないから、ほんの少しだけ、気持ちだけ値上げしたりする。そうすると地元のお客さんというのは、いつも四個買うのを三個に控えたりする。それをされると、やっぱり値上げできない、と思ったりする。こうして悪循環となり、街のパン屋さんは自分で自分の首を絞めていく。今回、倒産しているところのほとんどが、データ的には負債1億円未満の“超零細企業”なのだ。つまりは、元々が“儲けの乏しい”商売をしてきている方達だ。中には永年の“夢”を実現させる形で、街のパン屋さんを始めた方達も居るだろう。確かに特別な修行はいらない。けれども、その代わりのように“時代的な運”に恵まれなければ、成功できないのがパン屋さんなのだ。

「規制だらけ」になっていく「令和」って何⁉

2024-04-05
最近、テレビとか、雑誌とか、ネットとか、いろいろのもので“新しい言葉”や“聴き慣れない表現”に出逢うことが多い。たとえば昨日「グルテンフリー」なる言葉を初めて知った。食品類から“グルテン”を除去した食事法のことらしく、そういうものがあることを知らなかった。この種の“新しい言葉”とか、表現とか、文字とか、とにかく“そういうもの”が、ここ最近になって多すぎるような気がする。人それぞれ“多様な暮らし方”をするのは良いことだとは思うが、あまりにも“初めて接する言葉や生き方”が多すぎて、どうして急に“いろいろなもの”が溢れ出てきたのか、新しい時代の“怖さ”のようなものを感じざるを得ない。最近“レトロなもの”にも人気復活の兆しがあるというが、別に“レトロ”と表現しなくても、自分の好ましく思うものを暮らしの中に取り入れていけば良いだけの話で、とにかく「令和」になってから“細かな規制”が多すぎるような気が、わたしにはする。「自由奔放」という言葉があるが、わたしなどはほんとうにそういう意味では“自由”に育ち“自由”に暮らしてきた。ハッキリ言えば、自分が何を言っても、どう行動しても、咎められることのない時代を通過してきたのだといえる。いまの方達は、或る意味では不幸だ。なぜなら公の場においては、常に言葉を択びながら話さないと、批難されたり、時には逮捕されたりもする。自分の思ったことを、思ったまま話せない社会って、何かが“違う”ように私は思う。或る意味では、さまざまな人たちを“思い遣って生きる”のが今なのかもしれないが、じゃ昔はそれがなかったかと言えば、そんなことはない。むしろ、昔の方が自然なカタチでの“思い遣り”があったと、わたしは思う。時には無遠慮に相手に踏み込んで、それが相手を傷つけることもあったが、だからといって、そこに率直な想いがあれば、傷つきながら“抱き合うこと”だって出来るのだ。いまの社会は、確かに表面上は“思い遣っているよう”に視えるが、それはあくまでも見せかけであって、要するに“本音で暮らしていない”というだけに過ぎない。大体、愛情て伝わるもので、言葉や表現が悪かったとしても、だから憎むようになることはない。わたしは中学の時の担任から「お前みたいにPTA会費も払っていないやつが、上の学校へ行けるわけないだろ‼」と皆の前で怒鳴られたものだ。いまなら告発ものだが、わたしは、あの頃があったことで、忍耐強い人間になれたと思っている。結局、自由奔放に言い合える時代の方が、人は人を信用できるのだ。

結局「運」だけが「選択の鍵」を握っている⁉

2024-04-04
台湾東部の地震被害がどんどん拡大している。能登半島地震でもそうだが、自然災害の最初の数というのは、必ず膨らんでいく。最初に報道された数に捉われると、自然災害の実態が掴めなくなる。今回は実際に建物が崩壊する直前の映像などもあって、そういう点で災害時の“瞬時の判断”とか“本能的行動”を起こすうえでの参考となる。傾いたビルの一階は店舗である場合が多く、空間が大きかった。その上部の建物がガッチリとしているので、大きく揺れてしまうと、その比重バランスがおかしくなって崩れてしまうのだ。だから個人の住宅などでもそうだが、だだっ広いガレージなど、一階ばかりに広い空間をつくるのは考え物なのだ。よく「風水」というと、すぐ“方位がどうの”“インテリアがどうの”という人がいるが、それ以前の問題として、建物全体の中でバランスや調和はどうなっているか、その辺がまずは重要なのだ。それらに問題があれば、風水以前の問題として“良い風水設計”とは言われない。元々「風水」というのは“自然と調和して生きること”を目的とした都市設計学から始まっている。古代の人々は、どうすれば自然界と調和しながら生きて行けるか、その部分を大切にした。だから風水原理というのは、現代のような“街中の建物”で捉えてはいないのだ。したがって、なんでも風水思想に基づけば良いか、と言うとそうではない。都会というか、街中には街中の「風水」の在り方があるのだ。地震のような1秒の動きで、生死を分けるような災害の場合、瞬時の本能というか、潜在意識というか、そういうものが大きく作用する。日頃から「潜在意識」というものを意識した暮らし方をしていると、瞬時の時には“それらが働く”ようになっている。普段から信仰とか瞑想とかヨガとか座禅とか鍼灸とか整体とか……とにかく潜在意識と繋がりやすい暮しを心掛けていれば、とっさの時にはそっちの方にスイッチが切り換えられて“助かる方”へと動くようになっている。まあ、そういうものと無縁でも、先天的に「運の良い人」は“良い方”へと動く。日頃から「運が悪い」と思っている人は、災害時には“考えないこと”だ。考えると、潜在意識は働きにくいからだ。地震とか台風に関して言えば、大体が“同じような場所”が標的にされる。だから、国際間の垣根を払っての“合同研究”が絶対に必要なのだ。医学以上に、各国が力を合わせないと“自然界の脅威”から逃れられない。

ベンチャー企業「元アナウンサー」が広告塔⁉

2024-04-03
最近、多く見かけるのが、TV局アナとして活躍していた人物が、その局を退社し“フリー”になるのではなく、ベンチャー企業の「顔になる」という“新しい選択”だ。元テレビ東京で今年の3月いっぱいで退局し、4月から「SCOグループ」というあまり聞いたことのない企業の“広報担当”となった福田典子氏(33歳)なども、そういう転職組の一人だ。昔は“転職組”と言えば、フリーアナ専門集団の企業に入るか、他局から声が掛かってフリーとは言いながらも実質“新たな局入りするタイプ”か、だいたいどちらかに決まっていた。ところが、ここにきて急速に多くなりつつあるのが、ベンチャー企業への転職組である。もっとも中にはベンチャーではなく“新たな分野”を開拓中の世界的な大企業という場合もある。いずれにしても、アナウンサーという職種としての入社ではなく、福田氏のようにベンチャー企業にとっては、ひとつの広告塔として、起業そのものの“仲間の一人”として向かって行く場合もある。確かに、新興の企業にとって、名を売るという意味でも、手慣れた広報マンとしても、重要な役割を担う存在となっていくのに違いない。特にテレビ東京などは経済番組などが多く、さまざまな企業や組織と何らかの形で関わって来ている場合も多い。したがって新しい集団にとっては、既に各種企業と接点を持つ“仲間”は貴重な存在なのだろう。元局アナの方にしても、安定感はないが、新規企業には“可能性”があり、自分もその一翼を担えるという高揚感もある。TV局というのは、毎年新人が入って来るから、長期にわたって表舞台で活躍できる人はそうそう居るものではない。或る程度の年齢になれば“育てる側”に廻らねばならない。TVでいくつかの番組を持っているアナウンサーというのは、或る意味ではタレントと同じような感覚で、多くの人気を得られれば大切にされるが、どんなにアナウンス力があっても人気がでないと、出番は少なくなる。そういう点、ベンチャー企業では、自分の広報としての役割いかんで、その企業の未来が左右される可能性もあり、報酬的にも上手くいけば局アナでは得られないベンチャー企業特有の大金と将来の役職が舞い込む可能性だってある。今後ますます野心あるアナウンサーは、可能性あるベンチャー企業と結びつくケースが増えていくのではないだろうか。

「あなたが嚙んだ⁉」双方「傷害容疑」で逮捕

2024-04-02
大昔「♬あなたが噛んだ小指が痛い…」という大ヒット曲があった。あの頃は“傷害容疑”など、訴える人はなかったのだろうか。若い男女だから、痛くても大丈夫だったのだろうか。とにかく3月31日の午後8時過ぎくらいに、その事件は起こった。47歳の妻が74歳の夫の指を思い切り噛んだのだ。夫は「殺されるかもしれない」と恐怖を感じて、妻の顔面を思いっきり殴った。これによって、双方とも“軽傷”を負った。だから、警察が来たとき、どちらにも傷跡があり、それぞれが「傷害容疑」を認める形となって、双方とも逮捕されるという珍事になったのだ。事件の発端は、夫がリビングに防犯カメラを設置したことにある。自宅リビングに防犯カメラって、TV番組でもあるまいしって感じなのだが、夫が内緒で取り付けたそのカメラに、妻が気付いてしまったようだ。そして、妻が夫に対して猛抗議する。それを取り外すよう要求したのだ。ところが、夫はそれに応じようとしなかった。だから口論となり、嚙みつきに至った、というわけだ。う~ん、わかったようでわからない事件だ。推理ドラマ風な展開だと、夫のいない時間帯に何者かがリビングに来ている可能性があるということか。そうでもなければ、指に噛みつくような抵抗を示すはずがない。この場合、どっちが悪いというよりも、ふたりとも逮捕されて、世間に公表されて、ちょっと恥ずかしい。結局、それで防犯カメラは外されたのか、それとも設置されたままなのか、まあ、どうでも良いことだが……ちょっと気になる。妻が夫の指を嚙み、それを外そうと夫が妻の頬を殴り、推理ドラマの展開としては、この後何かが起こらないと面白くないのだが、果たして、このご夫婦はこの後、どんなドラマを展開してくれるのか、ありえないドラマ展開を期待する昨今の視聴者が多いので、主役たちも、警察の方も、困っているようで、その家の周囲にはやじ馬たちが秘かに“新たな展開”を期待しているというし……兵庫県警は苦々しく思いながら捜査を継続している。

2024年4月の運勢

2024-04-01

親の教育が素晴らしかった「結合双生児」結婚

2024-04-01
ときどき、この種のニュースが報じられる。そして、改めて「生きるとは何だろう」と誰もが思う。今回はアメリカで1990年に産まれていた結合双生児の話題だ。既に34歳になっているが、その「アビー」と「ブリタニー」のヘンゼル姉妹のうち、アビー氏の方が結婚していたというニュースだ。お相手は子持ちの退役軍人らしい。そして、いまのところ“4人での暮らし”は順調のようだ。一卵双生児の二人は、頭は2つ、心臓は2つ、肺は4つ、胃は2つだが、ここから下の臓器を共有しているため、身体を切り離すことが出来なかった。そこで、どうなるかと言えば、常に協力し合って動く以外にはない。アビーが右側をコントロールし、ブリタニーが左側をコントロールする。それが出来れば、行動そのものには問題がないらしい。歩くことも走ることも、水泳も、ソフトボールもピアノを弾くことも、或る意味では“ふつうの人たちと同じように”できるのだ。そこで二人は大学の教育学部を出て小学校の教師となった。実質的に“ふたりで一クラス”しか持てないため給与は1人分らしい。ふたりの洋服の好みは違っているため、お互いの好みのものを交代に着るようにしているそうだ。アビーの方が結婚したことによって、事実上、ふたりは子持ちの退役軍人と“一緒に暮らす形”を採っている。何しろ、身体は別々に出来ないから、そうするしかないのだ。わたしが何よりも感心したのは、彼女たちを育てたご両親、特に看護師でもあった母親のことだ。彼女は娘たちに対して「結合双生児であることを言い訳にしないこと」という教育方針を徹底した。その結果、彼女たちは自分たちだけで車も運転し、学校でふつうに子供たちを教え、だれの世話にもならず欧州旅行にも出掛けている。そして、今度は結婚だ。子持ちの男性との結婚だが、その娘さんとの仲も良いらしく、四人で出掛けることに中途がない。だが、ここで、アビーの方は良いが、ブリタニーの方はどうなのか、と誰もが思う。もし、理解力のある男性が居れば、もう一人のブリタニーとの結婚を望む男性が居ないとも限らない。その時の生活形態はどうするか、それはその時に決めれば良い。人生というのは「言い訳にしなければ…」何でもできるのだ。 Newer Entries »