3月, 2026年

「流されて生きる」のと「自らの肢で泳ぐ」違い

2026-03-07
「♬川の流れのように…」という歌があったが、確かに人生は、川の流れのように“流れていく”ものだ。黙っていても流れていく。けれども、自らの意志を持って“流れの中で脚をばたつかせる”ことも出来る。人生の初期というか、前半というか、ほとんどの人は自らの意志で、自ら“目指しているところ”へ向かって足をばたつかせる。けれどもだんだん、人は自ら目指すところを見失い、あまり“脚をばたつかせなく”なる。ばたつかせなくても、なんとなく流れていくし「そっちで良いか…」というような気持になる。だから時々そうじゃなく、自らの意志で“脚をばたつかせている人”を視ると奇妙な気持ちになる。何となく「このままで良いのか」というふうな気持ちになるのだ。特に今3月というのは、そういう意味で、さまざまな人たちが自らの意志で“足をばたつかせている姿”を視ることが多く、自分自身でも流れの中で“流されている自分”に「このままで良いのか」とどこからか問いかけられているような気持になりやすい時期だ。さて、どうして人は人生の後半になると、自らの“ばたつかせ”を止めてしまいがちになるのだろう。その理由は簡単で、なんとなく怖いからだ。いまの状況に100%満足しているわけではないのだが、それでも“新たに踏み出す第一歩”には、勇気がいる。どうしてかというと、若い時ほどの無謀さがないからだ。自ら足をばたつかせるには“勇気”が必要なのだ。もう一つ「目的」が必要なのだ。この目的がハッキリしていればいるほど、自ら“足をばたつかせる”勇気は得られやすい。目的がハッキリしていないと、ちょっとだけ脚をばたつかせても、ちょっとの逆流でめげてしまう。ただ今3月というのは周りにいくらでも“脚をばたつかせ始めた人たち”が居る。だから、そういう中に加われば、あまり目立たず、若い人たちと紛れて、一緒になってバタバタしていても、だれも咎めない。そう3月だから“許されること”も世の中にはあるのだ。そうして一歩自らの意志で足を踏み出せば、意外にも自分に“まだまだの余力”が残っていたことに気が付く。そうして、自分と同じように“余力を振り絞っている人達”が意外にも沢山いたことに、改めて気付かされホッとしたりもする……。

「日本」金融市場の“上下運動”が激しくなって⁉

2026-03-06
このところの世界情勢が反映して「日本」の金融市場が“落着き”を失っている。その上下運動が極端に激しくなってきているのだ。たとえば「日経平均」は前日2000円以上も下げたのに、昨日は1000円以上も上げた。だが今朝はニューヨークが“大荒れ”で「ダウ」は1100ドル以上も下げている。それに伴なって今日の日本株も再び1000円以上も下げそうな雰囲気なのだ。ドル円相場の方も落ち着きがなく、日銀の“利上げ”が「歯止めになる」ともくろんでいた人たちは“大外れ”で、どんどん円安の方に傾いている。わたしが注目するのは「恐怖指数」と呼ばれる指数で、普段、この指数は動きが乏しいのだが、世の中に“大きな出来事”が起こる(又は起こりそうな…)と感知すれば一気に上昇してくる性質を持つ。その指数が「25」と急上昇し始めているのだ。日本の場合、イラン戦争で直接的な影響は“石油の輸入”に関連するものたちだ。何しろ備蓄が乏しい。資源の多くを“世界”に頼っている「日本」は、どことどこが戦っても、そのとばっちりを受ける。もし自国の中で“すべて賄える”のなら“高みの見物”が出来るのだが、残念ながら「日本」はさまざまな国の“和平を願って”生きるしかないように出来ている。そういう意味では今の「日本」は自国にはあまり関係がないような“国同士の争い”であっても、経済的には影響が大きいのだ。ましてや今回の場合、石油という大動脈なので、どこを支持するとかしないとかではなく、ほんとうは“お願いだから早く仲良くしてほしい”というのが本音なのだ。もしも、この戦争が長引けば、ガソリンや灯油はもちろん、日本の食料品価格が高騰し始める。今でも高騰しているのに、これ以上高騰したなら、せっかく高支持を得ている現政府だが、一気に怪しくなっていく。そればかりではなく、高市政権で急騰してきた株価が急落しかねない。日本人にとって、トランプ大統領というのは“物騒な大統領”だが、経済面では特に日本とアメリカとの関係性が強まっている時期だけに、どっちに転ぶのかがますます不透明になって来ている。「平和」だけが、今後の日本経済を押し上げてくれる特効薬なのだ。

「政府・警察」まで加担する韓国「大学受験病」

2026-03-05
国民性というのはいろいろなところに出るもので、韓国の場合、もっとも象徴的なのは“その大学受験風景”において出る。日本人であっても、大学受験が“その後の人生”に多少なりとも影響を与えることは認めるところだが、かといって、それで人生のすべてが決まってしまう……などという愚かな考えを持っている人は滅多にいない。ところが韓国の場合は“そういう考え方”が、あたかも正論のようにまかり通っている。韓国ドラマでは、そういう感じの場面がしばしば描かれるが、ドラマとして視る分には大変に面白い。ただ本気でそういうふうに考える人たちが大多数なのは、ちょっと心配になる。まあ、インドのように受験生の親や兄弟が受験している学生たちに、ビルを攀じ登ってカンニングペーパーを手渡しする映像は論ずる以前の問題で、そういう点から言えば、まだ韓国の方が救われる。とはいうものの、韓国の方も受験日の一定時間は、騒音の響く仕事はストップするとか、交通規制が掛かるとか、遅れそうになった受験生をパトカーが先導するとか……よその国では考えられないような“超過保護ぶり”が際立つ。そういう形で“大学受験”というものを或る種“神聖視”している。なぜ、こういうような“いびつな発想”が生まれるのかというと、韓国社会は学歴重視社会で“名門大学を出ていること”が、その後の人生を決定づけるような仕組みになっているからだ。しかも、それを正そうという気風が視えない。大学でトップの成績が、そのまま社会でトップの成績や人生となるかは大いに疑問であり、日本の場合には高卒であるとか中卒であるとか関係なく、社会的に成功している人はいくらでもいる。実際、頭が良いとか成績が良いとかが、そのまま仕事上での成績や結果に比例するとは限らないし、幸運な人生とも限らない。韓国の大学受験生への過保護ぶりは、或る意味で“人間性を軽視している”ことの証しで、そのせいかどうかは断言できないが、若者の自殺者が多い特徴がみられる。人生は長い。十代後半とか、二十歳前後での一時期で、それも学力だけで、人生のすべてや幸福など決まるものではない。むしろ、学力だけで評価しすぎると、人間性が育たない弱点が生じやすい。実際、韓国のトップである大統領には、その後になって犯罪者として摘発された人物があまりに多い。教育ということの本質を忘れると、成功の階段を駆け上がることは得意でも、いざ何かに躓いた時、どうすべきか知らなすぎる人物になってしまうのではないだろうか。

もう帰れない⁉「祖国=日本」の海外在住の人々

2026-03-04
戦争とか何かの予期せぬ災害とか……そういう時に「日本人」という表現が出る。海外で暮らす人々への表現だ。確かに、われわれは忘れがちだが、さまざまな事情から、海外で暮らしている日本人は、どこの国であろうと存在する。それも想像以上にたくさんの数がいる。人それぞれ海外で暮らす事情はさまざまだ。「日本」に暮らしている外国人だって、その事情はさまざまだ。考えてみれば、われわれの多くが、自分の“生まれ故郷”にそのまま在住し続けているわけではない。「日本」国内であっても、いつの間にか“自分が生まれ育ったところ”から、はるかかなたで暮らしているケースは多い。たとえば私は現在、札幌で暮らしているが、生まれたのは同じ北海道でも室蘭という地域だった。そこで30歳過ぎ迄暮らし続けていた。それで暮らし続けていたが、漠然と「早くここから脱出したい」という気持ちを常に抱いていた。どうしてなのかはわからない。わたしが20代の時、いつも、わたしに占いを依頼していた女性が「星の先生(私のこと)は札幌か東京に出て仕事をされるべきです」と口癖のように言った。それは私自身も感じていることだったので、まるで彼女の方が“占い師”のようだった。「どうしてですか⁉」と訊くと「ここに居るような人ではないからです」と真顔で答えた。わたしは困って「そうなれたら良いんですけど…」と濁していた。いま海外で暮らしている人の多くも、どうして今“その国”に居住しているのか、明確に答えられる人は少ないような気がする。人は最終的に“運命の導き”のようなモノで、その地で暮らし始める。ほんとうは“そこ”ではなかったはずの場合もある。だが、そういう人であっても、ヘンな言い方だが、中身が日本人の人は、時折、戦争や急変などが起こると、一気に「日本人」になる。或いは「日本人」であることを意識させられる。そして「帰国せざるを得ない」場合も出てくる。帰る筈のなかった「日本」の地を踏んで、自分がもう「日本人ではない」ことを意識する日本人もいる。海外で暮らしていれば、感じないはずの“居心地の悪さ”を感じる人もいる。その人にとっての“ほんとうの居住地”は、その人本人にとっても“わからない”場合が多いのだ。

「季節」と「株価」と「白髪の数」の連動性は⁉

2026-03-03
3月というのは“12か月ある季節”の中でも、なかなかに微妙な季節だ。まず天候が、よく判らない。真冬のように思える日もあれば、完全なる“春”がやって来たかに想える日もある。特に、わたしが暮らす北海道の場合、その両方を想わせる変化が日々順不同で繰り返され、よく判らないうちに、いつの間にか“春が近づいて来ている”という印象を受ける。日経平均の株価もちょっと似ていて、上がったり、下がったり…を微妙に繰り返しながらも、やがて“一つの方向性”に向かっているのが感じられる。実は、わたし自身の白髪なども、同じようなところがあって、微妙に増えたり減ったりを繰り返しながら、それでも確実に“増えていく方向”に向かっているのが感じられたりする。まあ、わたしの場合、その変化は緩やかだ。確か最初に白髪を発見したのは、わたしの娘だったと思う。その当時、まだ娘は7歳くらいだったが、毎日のように“私の肩とか膝とかに載って遊ぶ”のを日課にしていた。そうして、遊びながら「あれっ⁉」という感じで、わたしの白髪を発見したのだった。そうして、わたしの返事も訊かず「抜いちゃおぅ」という感じで、それを引っこ抜いたのだった。それが初めての“銀色に輝く白髪”だった。それからも、娘は私の白髪を見つけると、容赦なく“それ”を抜いて来た。ところが、離婚して、娘も居なくなって、白髪を抜く者も居なくなったのだが、奇妙なことには、それから数年、わたしには“見ため上の白髪”が視えなくなった。つまり一時的かもしれないが、白髪は消えたのだ。それから、たまに見掛けることはあっても、それは目立つほどではなく、あまり気にもならず日々が過ぎていった。ここ数年、再び、今度はしっかりと集団で“白髪軍団”が出現するようになってきた。今度の出現は、年齢的に言っても、当然“切り替わりの時期”に来ているから、一気に増えてもおかしくはないのだが、それでも“徐々に”という感じで全体的に出現し始めている。ただ多くの人達と比較すれば、わたしの白髪など、まだまだ“増えたという領域”には入っていないのかもしれない。入浴した時に髪の毛が浮くが、その髪の毛が、何本かに一本くらいの割で白髪になっている。これが白髪の方が圧倒的に多くなった時、わたしは自分自身の“衰え”を全身で感じるのかもしれない。季節も、その日によって上手に前後を繰り返しながら「春」に向かっていくように、日経平均のチャートも、上下を繰り返しながら「6万円」に向かっていくように、わたしの白髪の数も、微妙に増減を繰り返しながら、確実に“白い方”へと進んで行くに違いない。

「眉間中央の深い縦ジワ」ハメネイ師の危い人生

2026-03-02
多分、そういうことは誰も言わないし書かないだろうから、少し観相学的な観点から死亡されたイランの最高指導者ハメネイ師の“眉間”について書いておこう。彼のような眉間中央に“深い縦ジワ”を持っている人がときどき居る。この“深い縦ジワ”は必ず眉間のほぼ中央に立つもので、両サイドの縦ジワよりも、深く、長く刻まれるのが特徴だ。そして、こういう人達は例外なく、その道の“第一人者的な立場”にある人物が多い。彼らは、その道に関しては“絶対的な自信”を持っていて、自らの仕事に対しては“妥協することがない”のが特徴だ。したがって生きていくうえでの敵を持ちやすい。ハメネイ師の場合には、もうイランの最高指導者と言われるようになって相当な月日が経つ。したがって自国そのものには、表面上は敵が居なかったようにも視えるのだが、実際には頑固一徹で少しの妥協も示さないところから、組織内部の中には反感を持つ人たちもいたには違いない。実際、最近は国内のデモなどを力で抑えていたようだ。宗教的指導者でも、政治的指導者でも、敵対する人たちを“力で強引に抑える形”を取り出すと、やがては崩壊が始まっていくのが歴史上の常だ。現代は情報戦が進んでいて、それぞれの国のトップが通常どこに拠点を置いているか、どこで暮らしているかなどは隠し通すことが難しい。そういう意味ではトップを“狙い撃ち”することは、そんなに難しいことでもないようだ。もっともイスラムの指導者というのは、どこでも、どんな時代でも、単純に一人だけが全権を握っていて、その人物がいなくなれば、すべてが丸く収まるほど単純ではない。イスラム教徒は「聖戦」という名の戦いを好むが、そこでは“死後生命”の存在性と、生前行為による賞罰性とが暗黙の中で教えられていく。つまり、宗教的な要素を持った戦いには“神の祝福”が与えられ、特に“聖戦の結果に基づく死”に対しては、聖戦士として“天国の扉が開かれる”というご褒美が待っているのだと教えられる。だから彼らは「死」というものを恐れないのだ。しかも自らの死は、自らの子孫に“輝かしい誇り”を与える行為として記憶される。彼らの“血族意識”は異様なほどに強い。だから、彼らは自爆行為などする時、必ず「イスラムの神(アラー)は偉大なり」と称賛しながら自爆していく。それが、もっとも神から“称賛される行為”だからなのだ。

2026年3月の運勢

2026-03-01

日本でも「神の石→ラピスラズリ」が産出された

2026-03-01
これまで「日本」は、地下資源などの“恵み”が乏しい国のように捉えられてきた。ところが各地でさまざまな研究開発や資源探査が行われていくうち、必ずしも“資源の乏しい国”ではなかったかもしれない……という希望が見え始めている。その一つとして、文化庁が27日に興味深い事実を公表した。新潟県の糸魚川市内でラピスラズリを含む鉱石が見つかったというのだ。姫川支流付近で発見されていた鉱石が国立科学博物館の松原總氏などの研究によって、日本では産出されないはずのラピスラズリを含んでいることが確認されたのだ。和名“瑠璃”と呼ばれるラピスラズリは藍色に輝く宝石だ。大昔から世界各地で珍重されたが原産地は限られ、アフガニスタンとチリくらいでしか大量には採掘・輸出されていない。古代エジプトのツタンカーメン黄金のマスクで、眼の淵を彩っているのがラピスラズリで、実際にファラオはアイラインとしてラピスラズリを混ぜた顔料を使っていたという説がある。なぜならラピスラズリには「神の眼」という異称があり、神々の王とされた「ラー」の“完全なる眼”がラピスで出来ているとも言われた。実はラピスという石にはいくつかの種類があるのだが、特に貴重とされたのが、その藍色に輝く石の中から“金色が放散されている”ラピスだ。これはラピスラズリの中にパイライトという別な宝石が混じっているからだが、観ようによっては、まるで濃い藍色の夜空に無数の星々が輝いているかのように視えるのだ。しかも、この宝石の奇妙なところは人間が肌に長時間、身に着けていることによって、よりその藍色の中の金が輝きを増して来る……と言われていることだ。このような“奇妙な宝石”がラピスラズリなのだ。わたしが見た限りは、日本のラピスラズリにはこのパイライトは含まれていないような気がするが、それでも“藍色の宝石”であることには違いない。そして、これまで古代から使用されたものに関して“海外産”だと思われてきたのだが、案外、国産品が使われていた可能性が一気に高まった。日本では古代から、自国の「神の石」が使われていたかもしれないのだ。 Newer Entries »