普段、天気予報などをあまり気にしないような人であっても、この時期になるとさすがに確認してから出掛けようとする。私の住む札幌などの場合、四季折々の気候がハッキリとしていて、特にこの時期は天候の変化が激しく移り変わる。朝に曇っていて、昼近くになって日差しが出て、まぶしいばかりの陽光に照らされ、晴れたと思っていると午後になって急に雲行きが怪しくなって、雨が降り出し、それが夕方になると霙から雪に変わっている、などと云った目まぐるしい変化が一日の中でも起こる。そういう場合、当然と云えば当然なのかもしれないが、前日までの天気予報は外れている。そういう変化の多い日であれば天気予報が外れても、誰もそれを恨まない。ところが単純に晴れたり、雨が降ったりする、それだけの日に天気予報が大きく外れると、人は天気予報の外れをちょっとだけ恨んだりすることがある。特にそれが休日の前日だったり、イベント前日だったり、旅行前日だったりすると尚のことだ。例えば連休の前に天気予報を確認して出掛けて来たはずなのに、雨や雪にたたられたりすると、妙に人は天気予報を呪ったりするものだ。
札幌のような北国の場合、雪が降り路面が凍ると車もそうだが、人の歩行でも滑りやすくなるので、滑り止めのある防寒ブーツが必要になる。その意味でも出掛け前の天気予報は当たっていてほしいのだ。私は元々北国育ちではあるが凍った路面を歩くことは得意ではない。幼い頃からいったい何度滑って転び、痛い目にあったことか。私の母など12月31日の午後に路面で転び、腕を骨折している。病院がどこも終わっていたので、骨折の痛みのまま年を越したものだ。その記憶があるせいなのかどうか、私は滑り止めのある防寒ブーツにだけは出費を惜しまない。先日も新しい防寒ブーツを買った。イタリア製のブーツで靴底の厚さが一般のものより多少厚い。正直滑り止めは物足らなかったが店主が「この靴は滑りません」と太鼓判を押すので、その勢いに押される格好で購入した。この店主は私が靴底の厚さを黙って確認していたら、ひょいと勝手にイタリア製のブーツを出してきて「これなら底は高いですよ」と手際が良かった。私が履いて見て、その後でもう一度滑り止めを確認していたとき「滑りません」と太鼓判を押したのだ。
中々うまい商売の仕方をする。それはともかく二日前に試し歩きをして、なかなか履き心地の良い靴であることを再確認した。私はイタリア製の靴は正直好みではない。なぜなら細く出来ているからだ。日本人の足と比べて、イタリア人と云うのは足がスマートなのか総じて幅が足りない。恰好は実に良いのだが履きづらいのだ。しかも高い。私はインテリアやファッションなど、イタリア人のデザイン能力を高く評価しているが、ときとして実用性と云う点から問題のあるものもある。
それでもデザインが私の好みに合うのと良質なものが多いのとで、テーブルや椅子、コンソール、ランプ、絵画、コップ、コーヒーカップ、花瓶、写真立て、置時計、腕時計、ベルト、名刺入れ、レターボックス等々、身の回りの多くのものがイタリア製品で占められるようになっていた。う~ん、これはやっぱり誰かが言っていたように、私の前世はイタリア人なのか…。しかし、私の顔はどう見てもアンパンマンだしなぁ…。
ところでTVなどの天気予報も、最近は随分と変わった。大体、昔は1日の内でこんなに何回も天気予報を行っていなかったような気がする。しかも、天気予報は声だけで「天気予報お姉さん(稀にオジサンもいるが…)」は顔出しをしなかった。顔出しどころか最近は世間話までするようになった。中には写真集まで出す「お天気アイドル?」もいるらしい。すごい。時代は変わった。その割には天気予報の的中率は占いの的中率と同じように進歩していない。長期予報に関する的中率は決して褒められたものではない。これだけ科学が進歩し、これだけ頻繁に天気予報を行い、これだけ種々な天気予報士が顔を出すなら、もう少し各マスコミ間で独自性を発揮しても良いのではないだろうか。たとえば当たらない長期予報はうちは扱いませんとか、紛らわしい降水確率は入れませんとか、世界の主要都市の予報も必ず入れるとか、30分ごとに「修正予報」を入れるとか、自分の所だけは他局とは異なった方法で予報するとか、去年の同一月日の天候映像を小さく映し出すとか、防寒具や雨具のお薦め品を同時に流すとか、的中率はあまり良くないのだから思い切って「占いとコラボした長期予報を流す」とか…まあ、実際には百%無理だろうけど、そういう何かしらの工夫が出て来ても良いような気はする。それにしても神に逆らい、北京オリンピックの開催日に天候を変えようと努力した中国の技術は、台風の進路を変更させるような技術への応用として、やがて活用できるようになることをぜひ期待したい。
掲載日:2008年12月07日
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