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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「ココロ」は“揺れ動く”けど、誰も掴めない⁉


ときどき“録画してある番組”のタイトルを観ながら、なんで録画したのかわからない時がある。要するに「この番組の何が視たかったのか」想い出せないのだ。何かが視たかったから録画したはずなのだが、それが何だったか、わからない。それで一応、観てみるのだが、それでも録画時の目的は解からない。いまTV番組のことを言ったが、それだけではない。本とか雑誌とかでも、そういうケースがよくある。たまに書棚に入っている本を探している時「どうしてこんな本を買ったのだろう」というような本に出くわす。その時は何かが読みたくて、或いは知りたくて購入したはずなのだが、いまになってみると本来わたしが読むような本ではない。だから書棚に入れておいても意味がない。昨年、引っ越しをした時に、もう読まないし、不必要だと思った本は多数棄てたのだが、不思議と“棄てられず残っている本”というのがある。必要なものでも、書棚に入りきらず捨ててしまった方が多数あったのに、なぜか“読まない本”なのに紛れ込んでいる。ただ、どうしてこの本を購入したのかは謎のままだ。自分が書いた本はどうなのかというと、実は、どうして“こういう本を書いたのか”いまとなっては解からない本というのがある。2月に発売予定となっているわたしの本が“それ”だ。実は、この本の中身は5年ほど前に書いたもので、潜在意識に関する本なのだが、いまになってみると、何故あの時こういう本を書こうとしたのか、判然としないのだ。ちょっとした事情から、すぐには書籍化されず、5年ほど経った今になって書籍化されたのだが、そういうこともあって正直その時の気持ちというのがハッキリと想い出せない。何らかの理由があって“占い以外の本”を書いたに違いないのだ。ただ、その“何らか”が何だったのかが今となっては不明なのだ。そして、わたしは大昔といっても18年くらい前だったような気がするが、バリ島に行ったとき、そこで地元の霊感占い師に占ってもらったことがある。その当時はいろいろな国に行っていたが、行くごと現地の占い師に“観てもらうこと”を楽しみの一つとしていた。その時も、そういう感覚で観てもらったので、特別、何かがあってということではなかったが、相手が何を占って欲しいかと尋ねたので「わたしはどういう本を書けばヒットできますか」と訊いてみた。そうしたら、その霊感師は「あなたは潜在意識の本を書けば有名になれます」と断言した。その時、というかいつでもそうだが、わたしは自分が“占い師”であることを告げてはいない。ただ、その時には“手相の本”を書くか“風水の本”を書くかで迷っていたのだ。ところが“潜在意識の本”と言われて正直戸惑った。そして「当たらないな」と思ったものだ。今になって、あの時の予言が当たって欲しいと、ずうずうしくも願っている。
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