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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「ブーム」で“世に出る”と、その後が辛くなる


この人の場合に“それ”が当てはまるのかどうか、ほんとうのところは解からない。ただ何かのブームが巻き起こると、それに付随してマスコミから注目を浴びる人たちというのが必ず出て来る。エスパー伊東氏は世の中の“超能力ブーム”に、やや乗り遅れたような形で出てきた人物のように思う。彼の得意技はみずからが持ってきたボストンバッグの中に、その全身を折りたたみながら入れていき、最終的に“顔だけ出ている形”とすることだった。だれもまねのできない芸ということで一世を風靡した。表現が適切かどうかわからないが「宴会芸」としては理想的ともいえる“ユーモラスな芸”だった。ただ、それにプラスアルファする“何か”があれば良かったのだが、それだけだったため、飽きられやすい。時代的にも、バブルが終わって“宴会が自粛される”風潮が目立ってきた。そうすると、だんだん“お声”が掛からなくなる。メインはそれで良いが、もう一つ何か“気の利いた芸”を持っていれば良かったのだが、彼には他に目新しいモノがなかった。その結果TVに出なくなると、需要が乏しくなってしまった。彼が受けたのは、あくまでも“超能力ブーム”や“超人ブーム”が一時期やって来ていたからだった。彼自身は“もっと小さく”を追求していたようだが、移ろいやすい世間は“そのこと”自体の興味は薄れ、多少、より小さくなっても“目新しいこと”とは見てくれなかった。往々にしてブームに乗って、あっという間に“世の中に出た”人たちは、忘れ去られるのも早い。晩年の彼は、関節や骨に異常が出て来てしまったようだ。おそらく年齢的に、若い頃と違って“柔軟性が失われて”来ていたのに、無理に身体を酷使したからに違いなかった。彼は「エスパー」と名乗ってはいたが、超能力者でも何でもなく、単なる努力家だったのだ。特異な“芸”や“能力”で、ある時を境に急に人気沸騰する人たちがいる。そういう人たちの中には、それなりに“生き残っていく”人もいれば、いつの間にか“消えて行く”人もいる。その違いは微妙で、能力的な違いなどではない。或る種「運」というものが作用して「世の中に出た」人たちには、その「運」に翻弄されて消えてしまうか、その「運」に縋って何とか生き延びていくか、二つに一つしかない。そして、その二つを分けるものは、最終的にその人物が“自分を客観視”出来ているかどうかなのだ。
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