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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「嫌いな仕事」の方が“評価される”こともある


世の中とは奇妙なもので、だれもが“好きな仕事”をやっているとは限らない。本当は嫌いなのに、さまざまな事情から、仕方なく行っている場合も多い。それなのに、嫌々行っている仕事がなぜか“評価されている”ケースは意外なほど多い。その逆に、好きで行っている仕事だから世間から“好印象で迎えられるか”というと、必ずしもそうではない。好きなのに、一生懸命行なっているのに、まったく評価されないという場合だってある。丁度、恋愛で“好きな相手”からは振り向かれないのに“嫌いな相手”からは追いかけられるのと、どこか似ている。ながらくTVで「笑っていいとも」後番組だった「バイキング」の総合MCを続けた坂上忍氏が“あの頃”を振り返って「大嫌いだったもん、あんな番組」とぶっちゃけている。もう番組自体が無くなったとはいえ、自らの看板番組をこき下ろすことは珍しい。元々この人は“本音を言う”ことで人気を得ていった人なので、そういう意味では正直な気持ちなのだろう。ただ彼だけではなく、過去に行っていた自分の仕事を振り返って「あんな仕事」と思うようなケースがないとは言えない。しかも、そういう仕事でありながら、高く評価されていたとか、人気を得ていたとか、それなりの立場にあったとか、そういうケースがときどきある。運命学的な観点から言うと、人の仕事には二種類があって“食べるための仕事”と“天命としての仕事”の二種類だ。多くの場合、嫌々でも“高い評価”を受けたり、或いは“一生懸命でも収入にならない”のは後者の方の仕事の場合だ。仮に、嫌々行っていたとしても、それが本人の“天命”として与えられていた仕事の場合、その人自体の“課業”としての結果がもたらされる。それは予想以上の高収入とか、大人気とか、地位名誉をもたらすこともあるが、逆に、世間からのバッシングや無反応や低評価をもたらすこともある。それらは“課業”として先天的に与えられている場合が多く、その“課業”をクリアした後には“大いなる成功”に変わるのだが、途中挫折してしまうケースも多い。したがって“天命としての仕事”というのは“食べるための仕事”に比べて波乱が多く、予期せぬ事態を招きやすい。それに対して“食べるための仕事”の方は、決して本人にとって“生きがい”や“やりがい”を感じられるものとは限らないが、少なくとも生活をしていく上では、無理なく与えられやすいし、継続もしやすい。この法則を理解していれば、少なくとも仕事で苦境に立った時、どうすれば良いのか、その答えを見つけやすくなるだろう。
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