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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「愛」が孤立し「非婚化志向」が加速していく


「昭和」の時代、結婚は誰もがするもの、と思っていた。「平成」に入って、結婚のカタチは“複雑化”していった。そして「令和」となって、結婚は徐々に“人生の表舞台”から後退りしつつある。2021年に行われた18歳~34歳の男女に対しての調査で、男性は17.3%、女性は14.6%の人たちが「一生、結婚するつもりはない」という回答をしている。この数字は、もちろん過去最高で1982年時点では、同じ調査で男性2.4%、女性4.1%という数値が出ている。そう、自分から「結婚しない」と言い切れる人なんて、このくらいしかいなかったのだ。なぜなら「結婚→家庭」は“倖せ”を得るための“第一の条件”と考えられていたからだ。それは別に「昭和」に始まったことではなくて「明治」「大正」の時代を通じてそうだった。いや、もっと大昔から“倖せの条件”として、最初に名前の上がるものだった。ところが、ここに来て“そういう考え方”は時代錯誤に変わりつつある。一つには「ひとりでも生きられる」世の中に変わったことである。家電が発達し、男性でも家事に困らなくなり、女性でも自立できる収入を得られるようになり、職場の定年が引き上げられ、年金制度が発達し、家庭における力仕事も不要になった。子どもの教育にはお金がかかり、成長後に親を観てくれる保証もない。離婚をするカップルも多くなり、周りで独身を貫く人も多くなった。経済的な面と健康的な面さえ不安がないなら、一人の方がはるかに気楽で責任や負担を感じなくて済む。誰からも干渉されず生活できる。さまざまな理由が「非婚化志向」を後押ししている。ただ私は思うのだ。「愛」はどこへ行ったのだろうと……。もちろん、結婚しなくても恋愛は出来るのだから「愛」にも「恋」にも困ることはない。むしろ、そういう意味では結婚したら最後、二度と恋愛は出来なくなる。結婚して後、相手側の親戚とのかかわりも煩わしい。そういう「令和」の時代になっても、結婚に“倖せ”を見つけようとする人も多い。仕事を終えて、帰っていくとき、そこに“癒される家庭・家族”を持っていることが、人生における幸福の重要な要素と考える人たちだ。「親」が居て「配偶者」が居て「子供」が居て、古今東西を問わず何千年もにわたって、繰り返されてきた営みには、それなりの根拠がある。果たして「令和」の新しい法則は、それに打ち勝つことが出来るのだろうか。
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