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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「感動のない遺跡」が「世界遺産」だろうか


例えばエジプトには各地域に「古代エジプト遺跡」が遺る。それらは、それぞれに形状などは異なっていても、明らかに“古代エジプト文明”特有の様式というものがあって、それらは一見すればだれもが納得する。「古代マヤ遺跡」などもそうで、各地に点在する遺跡は、実質的には「マヤ」だけではなく「アステカ」「トルテカ」「オルメカ」「テオティワカン」などの時代文明が存在するのだが、それでも大枠としては「マヤ文明(或いはメソアメリカ文明)」で括られる特徴を持っている。ところが、今回「世界文化遺産」として認められることが決定的となった「北海道・北東北の縄文遺跡群」には、そう言い切れるような“判然としたもの”が、私には見受けられない。もう少し、それぞれが“遺跡”として確固な威容を持ち、視る者を感動させるとか、畏怖させるとか、納得させるものであれば良いのだが、このような“視た眼に解かりにくい遺跡”を強引に「世界文化遺産」として世界になぜ認めさようとするのかが、私にはわからない。一説によると、この“遺跡群”というのは“一万年以上の期間”に及ぶ遺跡群だと言うが、それだと“特定の文明”とも言い難い。北海道南部から東北三県にまたがる遺跡群ということになっているが、遺跡としては17か所に及ぶ。すこぶる多いのだ。それでいて、それらを“象徴するような遺跡”というものが存在しない。言葉は悪いが、あくまで“寄せ集め”で、それも「これがそうなんですか⁉」とでもいうような解かりにくい遺跡が多い。別に、エジプトやマヤのような判然とした遺跡ではなくても、何かしらの感動や畏怖や憧憬を与えるような遺跡が欲しい。誤解を与えるかもしれないので言っておくが“素朴な遺跡”が悪いわけではない。なぜ「文化」を感じさせないような“遺跡まで”ムリに加えて申請したのか。ケチをつけるようで申し訳ないが、何かしら「世界遺産」となって、かえって虚しい気持ちになるのはなぜだろう。

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