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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


わたし個人の「十年後」って何しているのか⁉


世の中のことばかり取り上げていても面白くない。たまには“わたし個人のこと”も書いてみることにしよう。と思って、過去を振り返ろうとしたが、その“過去”がいっこうに頭に思い浮かばない。たとえば十年前だ。十年前、わたしは何をしていたのか。これがまったく思い出せない。要するにたいしたことはしていなかったに違いない。なぜ、過去を想い出そうとしたのか。「歴史は後ろ向きの予言者だ」という言葉がある。だれが言ったか知らないが、確かに、そう言われれば「そうかな」と思うようなところはある。だから、自分の過去を振り返れば、つまり「十年前」を振り返れば「十年後」が判るのではないか、と思ったのだ。けれども、その十年前が霧に包まれている。要するに思い出せない。となれば、未来としての十年後も、要するに“特別大きなこと”は無いに違いない。というか、まず、第一にわたしは「生きているのだろうか」という大問題がある。全てに楽観的な私は「生きている」前提で考える。基本的に、いまとほとんど変わらないような健康状態として考える。病気になっていることを想定するにしても、どんな病気かが思い当たらないから、想定しづらい。一応、生きていて、一応、健康であることを前提とした場合、仕事をしているかどうか、が問題となる。わたしは昔から、自分の顔の中で“法令線が乏しい”ことがコンプレックスだった。もう少し法令線がクッキリしていれば、威厳の在りそうな顔になれたのに…といつも思った。そして、この“法令線の乏しい”ことは、自分の仕事への意識が“それほど強くないこと”を表しているような気がする。正直、もし経済面が許すのなら、もう仕事なんかしたくないなあという気持ちが根底にはある。ただ「仕事をやり切った」という感覚はまったくない。むしろ、まだまだやり切れていない気持ちの方が圧倒的に強い。特に“本を書く”という部分に関しては、まだまだ半分くらいしか“やり切った感”がない。けっこう書いて来てはいるのだが、それなのに充実感はない。それはたぶん“そんなに売れていない”からなのだ。もし、わたしが既にベストセラーと言わないまでも、10万冊くらい売り切った本があるなら、こういうふうには思わないことだろう。占いの個人鑑定とか、占い教室とか、そういうことに関しては正直もう良いかな的な感覚がある。イベントも好きではないし、TVとかも若い頃ならともかく、いまからではもう良い。だから、あと仕事として“やり切った感”の乏しい“本を書くこと”だけは需要があれば続けたい。そうして、少しでも後進の人たちの役に立ちたい。そういう感じで、満たされないまま十年後も執筆をしているのが、わたしのような気がする。
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