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過去の占いコラム

素顔のひとり言(エッセイ集)


何かある…最近の芸能ニュース


市川海老蔵が顔面や頭部を負傷し血だらけで帰宅したという。本人は酒の席で知り合った人達と口論となり殴られたと話したらしいが、どうもこの話、額面通りに受け止められない。そもそもスナックとか、バーとかで“重症の怪我を負う”ほど殴られていたなら、それを店側が放置するはずがない。必ず、その時点で110番通報しているはずだ。ましてや海老蔵の顔は判別しやすく、放置できる相手ではない。何かあるのだ。大体、重要な記者会見を体調不良を理由に欠席した当日の夜に外出し、何軒も飲み歩く…という行為自体に何かある。本当に“体調不良”だったのだろうか。最初から、記者会見に出席出来ない“別な理由”があったと推測できないことはない。先日、大晦日の生番組の司会を小林麻央から姉の小林麻耶に変わったとの報道があったが、この変更にも違和感を抱く。本来、梨園の妻である小林麻央にとって“忙しい日”であることは最初から承知なはずで、この時期まで出演予定を入れていたのは海老蔵側からOKが出ていたからではないのか。仮にそうだとすれば海老蔵本人か市川家かに何かが起こったから…とも解釈できるのだ。そして、それが今回の記者会見“体調不良”と“深夜の重傷”にも関わりがあるのでは…と想像は膨らむ。父親がすぐに会見を開いたのも“心当たり”があるからだろう。この事件、何かが隠れている。

宇多田ヒカルが“人間活動に専念する”ためアーティスト活動無期限休養…というのも額面通りには受け止められない。大体“人間活動”って何だ。まるでアーティストは“人間ではない”とでもいうようなニュアンスがあって、今一つ理解しかねる。先日ラジオ番組の中で「イタイ大人になりたくないから…」と表現したそうだが、もう立派な大人である宇多田が、十代の若者のようなことを言ってもらっては困る。確かに十代半ばで華々しく脚光を浴び、一生喰うに困らない財を得て、普通の青春を送ってこなかったのは事実だ。だから普通の人なら出来ることを出来ない部分がある…というのも事実だろう。けれども天皇家に生まれれば天皇家としての生活があり、私のように極貧の家庭に生まれれば極貧としての生活があり、それぞれに“生まれ持った星”というものがある。例えば私は極貧の家に生まれたが、正直、母親や兄弟や近所の世話好きが日常のことをいつも手伝ってくれたので“何も出来ない大人”となった。大人になってもカップラーメン一つ作ることは出来なかった。母親が急死した時、何もしてこなかった私は、まさしく“イタイ大人”で大いに困った。それでも、そうなればなったで何とかなっていくものだ。宇多田ヒカルが普通の会社勤めをするつもりがあるなら、あのような発言をするのも理解されるが、ボランティアだとか、フランス語だとか言いだすと、とても “イタイ大人”から抜け出せるようには思えない。多分、頭脳優秀な宇多田が、そのようなことを解からないはずがなく、真意は別なところにある…と私は視ている。つまり何かがあっての休養なのだが、それは言えないから“人間活動”にしてしまっているよう私には感じられるのだ。これも、何かが隠されているのだ。

水嶋ヒロの“文学賞受賞”も、何かが変である。まず、彼は水嶋ヒロでなく「齊藤智(さとし)」名義で小説を応募した…と言っていたのに、実際に出版されるときには「齊藤智裕(ともひろ)」の本名で出すらしい。作家のペンネームを出版社が勝手に変えるのは妙だ。第一、どの活字媒体も“水嶋ヒロの小説”と書いていて、書店でも“齊藤智裕の本”として予約を取っていない。つまり、あくまでも“俳優・水嶋ヒロが書いた小説”として売られている―ということだ。まあ、知名度の点から当然といえば当然だが、それならペンネームを何故強調したのか。多分、それは“有名人だから受賞したのではない”と言いたいからだろう。けれども、この受賞経過がどうもおかしい。賞金が2000万円だったこの賞は何年も「該当者なし」が続いていた。そして今回受賞者が出て、本人がその賞金を辞退し「新たな才能発掘のために活かして欲しい」と言ったのにも拘らず、来年度からは賞金は200万円に変更される。今回の受賞は“編集部員13名”だけで最終審査を行ったらしい。通常、この種の賞は“候補作”に関しては編集部か、もしくは依頼している外部関係者に択ばせるが、最終審査というのは著名作家何人かに依頼して行うのが通例だ。しかも、この賞金は日本の小説の賞金として最高額だった。それを編集部員だけで択び出す―ということは常軌を逸しているとしか言いようがない。要するにハッキリ言えば“出来レース”だったのではないか、という疑いが拭えない。そうさせなければならない、何かがあったのだ。

私は昔、原稿枚数制限の書かれていなかったノンフィクションの賞に応募した時、確か370枚程度の原稿枚数だったが、審査員の選評の中で「この作品は応募枚数を守っていない」と書かれたことがある。冗談じゃない。何枚以内とも書いてなどいないじゃないか。私は憤慨したが、そういう奇妙な理由から落とされた。ともかく、約束を守らないのはマスメディアの常識のようなものである。マスコミ報道の“鵜呑み”は危険なのだ。

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