「single-blog.php」* 有料カテゴリ:「今日の迷信・余言・禁言」は月額1,200円で読むことが出来ます。// ざっくりとは終了 // Header画像を変更する事

今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


子供を奪い合う「元夫婦」“所有物化”の危うさ


最近、この種の“報道”が多くなった。元夫婦が“我が児”を奪い合うような感じのニュース記事のことだ。格闘家の才賀紀左衛門氏とタレントのあびる優氏が、一方は週刊文春誌上で「娘の親権は自分にある」と主張し、もう一方は女性セブン誌上で「逢いたい時だけ逢うなんて都合が良すぎる」と反論している。似たような騒動は、卓球の福原愛氏のところもそうだった。元夫婦が子供のことで衝突するのは互いに“所有物意識”があるからだ。愛情だけの問題なら、実質的にどちらが育てていようが、子供が望むのなら「逢わせてあげよう」と思うのが、本来の姿であるよう私には思われる。才賀氏のところは、離婚後に男性側の才賀氏の方が“子育て”をしているので、より“自分の子”としての意識が強まっているのであろう。たまに逢って“母親面”をされるのが気に入らないのかもしれない。福原愛氏のところも、或る意味では同様で、単身日本に戻った母親とは何となく「逢わせたくない」気持ちが強いのかもしれない。正直、私は最初の妻との間に出来た娘を“置いて出ている”ので、この問題に関しては何も言う資格がない。途中から“子育て”を放棄したので、偉そうなことは言えないのだ。ただ子供というのは、途中から“片親”になった場合、その後その子の“愛情観”や“生き方”に微妙な変化を与えるのは間違いがない。片親で育てていくことでの意識が強すぎると、どうしても“我が児”を自らの「所有物」として意識するようなことになりやすい。それが逆に反発を招くと、子供の制御が利かないものになる。良く作用すれば早くから自立の意識が目覚め、生活力の旺盛な子になる。悪く作用すれば“親の言うことを聴かない子”となって、親にも学校にも反発しやすくなり、みずから“流離の人生”を求めるようになる。或いは“完全引き籠り型”となって、世の中への歩みを止めてしまおうとする。もっとも、どの場合でも共通しているのは“自分の人生”を、親とは切り離して考えるようになることである。社会的な“成功”や“失敗”は、片親であることとは直接なんの関係もない。ましてや「運命」全体で考えるなら、片親で育つことが生きていくうえで“不利”に働くようなことは何一つない。むしろ早くから、自分の力ではどうすることも出来ない「運命」を意識することで、世の中の不条理を悟り、親子の関係性を意識する傾向が見受けられる。
「ex-module-past-post-list-01.php」出力:single-post用の過去記事ループ処理

過去の記事一覧今日の迷言・余言・禁言