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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


慣れは人間を堕落させる「あの感動よ甦れ⁉」


何でもそうだが“慣れ”というのは良くない。最初の時の感動を忘れさせるからだ。ここに引っ越してきたとき、徒歩6分以内に“三つのもスーパー”が存在していることに、私は感動した。当たり前の話だが、それぞれの店には、それぞれの商品があり、それぞれの陳列方法があった。前に住んでいたところには三つものスーパーがなかった。その代わりのように“四つのコンビニ”がすく近くにあった。ローソンがあり、セブンイレブンがあり、ファミリーマートがあり、セイコーマートがあった。それらにはそれぞれ“魅力的な商品”があって、だから、今日はどのコンビニに行こうかというより、どの商品が欲しいか、で行く店を決めていた。ところが、引っ越し先にはスーパーは三つあるのだが、コンビニは近くに一つしかない。ローソンしかないのだ。これまで、わたしはあまりそういうことで迷ったことがないのだが、四つのコンビニに慣れてしまっていたせいか、どうも一つだけだと使い勝手が悪い。そこで“三つのスーパー”から択ぶことになる。最初、ここに来た時、わたしは“それぞれのスーパー”に感動を覚えたものだ。スーパーにはスーパー独自の魅力があったからだ。商品数もコンビニなどとは比べようもない。それなのに、最近はスーパーに行っても別に感動しなくなってしまった。慣れてしまうと、商品数の多さや安さは当たり前で、特に“目新しい印象”も無くなってしまう。あんなに商品数がたくさんあって、どれにしようか択び放題だなって……感動できたのに、その光景が日常になってしまうと、別に感動もクソも無くなって、その安さも当たり前になって、いつも“似たようなものばかり”購入してしまう。そうなると、その他大勢の商品は“無駄なモノ”にさえ見えてくる。いったいどうしたというのだ。結局、なんでも慣れというのは“感動を奪っていくもの”なのだということに気付いた。つまりは、どこに暮らそうと、感動するのは最初の2~3か月だけであって、それを過ぎてしまえば“平凡で退屈な日常”が待っている……その中に“新たなる感動”を見つけ出さなければ……。
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