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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


清張作品の「翳りある成功者」に最適だった


俗にいう「成功者」には“過去の翳り”を持たない成功者と、そのどこかに“過去の翳り”を漂わせた成功者とがいる。作家・松本清張氏の作品が多くの人に愛されたのは“過去の翳り”を持つ成功者を描いたからである。単なる推理小説ではなく“人間の歪み”を犯罪者の性質に投影していたからである。ただ“そういうもの”というのは文字で表現するのは割合簡単なのだが、ドラマや映画として“映像として表現する”のは、それほど簡単ではない。映像の中では、俳優の“無言の演技”というものが要求されるからだ。そういった場面が多い「松本清張作品」の主演として、もっとも多く出演していたよう記憶しているのが古谷一行氏であった。その古谷一行氏が亡くなった。2011年に肺がんとなり、それ以降は入退院を繰り返すことが多かったらしい。それでも今回の入院は、特に“どこが”というのではなく、みずから志願し入院して、すぐに亡くなった。ハッキリとした原因は不明のようである。古谷一行氏は、俳優としては特別“目立った特徴”があるわけではない。その顔貌も体形も、いってみれば標準に近い。だからこそ「清張作品」にはうってつけだった。清張作品は、そのほとんどの作品において登場するのは“普通の人々”である。だから外貌的に“普通の外貌”を持っている人物でなければならないのだ。その一方で作品中に登場する人物の多くには“翳りある過去”がある。必ずしも“犯罪”とは限らないが、公けにしてはならないような“過去”や“履歴”がある。それを十字架として背負いながら“生きている人物”が多いのだ。そういう人物を映像の中で、しかも無言の表情とか挙動とかによって表現する。これは、ただ単に演技が上手ければ出来るというものではない。その俳優自身の中に“何らかの過去や問題”が存在していなければ表われがたいものなのだ。「古谷一行」という俳優の過去や背後に何があったのか、私は知らない。けれども、ただ単に役者として演じている以上の何かを、その横顔や背中は感じさせていた。もういちど無言で語る「清張作品」としての古谷一行が観たい。
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