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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


私の本を読まずに、私の本を「書評」するな


人間には「嘘」をついても、道徳的に“許される行為”と、“許されない行為”とがある。私には、ときどき、私の本をきちんと読まずに「書評してくる」人物がいて困る。アマゾンの書評欄で私が書いた『全身観相術の神秘』に対し、あえて「星一つ」として、あきらかに「読んでいないのに書評している」投稿者が居る。なぜ「読んでいない」と、私が決めつけるのか、そこに書かれてある内容を、そのままここに転載したい。これが書評だろうか。 《何かを人相で鑑定するとします。ところが、ホクロでは大吉、しかし、手相では大凶で、人相では吉、骨相では大凶というのが、人体に見られる現実(よくあること)のはずです。この手の占いは、血液型や星座と同じ遊びであって、矛盾だらけです。こんな高価な書籍をまじめに読むのは、ただの時間の浪費です。(中略)この手の書籍は遊戯に見合った価値であるべきです。》 という内容なのだ。どうして、これが私の『全身観相術の神秘』を読んでの書評なのだろうか。この人の言うべきことが、現実的に“起こり得ない”とは私も思わない。人相で「吉」と出て、手相や骨相で「凶」と出ることはあり得るだろう。けれども、少なくとも私のこの本の中には、そういう種類のことは書かれていない。なぜなら、ホクロには「吉」として作用する場合「凶」として作用する場合の“両方について”書かれてあるからだ。つまり、この人は、私の本を読んで書いたとは思われないのだ。しかも「骨相」については“歴史的な研究課程”を詳細に記したもので、骨相そのものの判断方法を“私の観方”として、具体的に述べた本ではない。また「手相」に関しても、最新の研究事例について述べたもので、一般的な手相を語ったものではなく「掌紋研究」という特殊な観方について述べている。書評を書かれた方は、私の本が「人相」についても「骨相」についても「手相」についても「ホクロ」についても、すべて“型どおり”の同一線上で記された書籍内容だと思っているから、こういう書評になったのだと思うが、私の書籍は“さまざまな観点”から記しているのが特徴で、一般的な“占い書籍”とは根本的に違うのである。それは、だから実際に読んでいただければおのずと解かることで、読んでいないから、あてずっぽうで書くから、こういう“わけのわからない書評”になるのだ。実際に買わなくても良いから、ページをめくってみれば、なぜ高価なのかが解かる。批判するのはかまわないが、とりあえず、きちんと内容を把握してから書評すべきではないだろうか。
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