大自然を“美しい”と感じることもあれば、“恐ろしい”と感じることもある。神々しく感じることもあれば、悪魔のように思えることもある。特に、地震、津波、噴火、台風、落雷、豪雨、大雪、寒波…嫌なものばかりだが、中でも地震は“予告なし”で突然やってくるだけに、恐ろしさを感じる筆頭かもしれない。そうして時に多くのものを奪っていく。家族の生命、暮らしてきた家屋、平穏な生活…一瞬で奪われたものは二度と戻らない。熊本地震や鳥取地震など、今年もいくつかの予期せぬ地震が“平穏な生活”を奪っていった。日本と同じように地震の多いイタリアでも、このところ地震が続いている。ニュースは日々“新たなもの”に塗り替えられていく。けれども、実際に“予期せぬ災難”の被害に遭った者の時間は、そこで止まっている。それまで積み重ねてきた“普通の暮らし”は、一瞬にして失われ、文字通り地べたに放り出されるのだ。大地震や津波は“家族を奪っていく”こともあるが、どこにもそれを訴えようがない。殺したのは「大自然」という名の悪魔なのだ。しかも、生命だけに飽き足らず、住宅まで奪っていく。生活用品なども含めて、根こそぎ奪っていく。殺人事件でも、住宅までは壊さない。生活用品すべてを滅茶苦茶にすることはない。地震や津波など一部の災害だけが、根こそぎ奪っていく。過去の“幸福”だった証拠品である写真とか、日記とか、贈り物とか、記念品とか、ありとあらゆるものまで根こそぎ奪っていく。しかも、それをどこにも訴えようがない。どんなに大自然に向かって「ばかやろう」と叫んでも、沈黙したままである。悪魔のように沈黙したままである。泣き疲れ、叫び疲れた被災者は、止まった時計の針を進めることもなく、ぼんやりと夕日を見つめる。
これまで韓国は世界各地に「慰安婦像」を作ろうと躍起になっていた。ところが、ここにきて“そんなことをやっている場合ではない”とようやく気付き始めたようだ。今、朴大統領は最大のピンチだが、どうやらそれは“親友の国政介入疑惑”だけがが問題となっているのではない。国民の多くは、韓国経済に対しての“危機感”を強めているのだ。最近行われた調査によると、韓国人の実に90.4%が自国経済の先行きに対して“危機感”を持っていることが明らかとなった。確かに、サムスンもヒュンダイも明るいニュースがない。韓国経済はこれらいくつかの企業だけがけん引している。したがって、これら主要企業の不振が続くと、一気に冷え込むのだ。元々そういう“危うさ”を抱えているのが韓国経済なのだ。日本との関係悪化、北朝鮮との関係悪化に加えて、最近は中国やアメリカとも“微妙な関係”に変わりつつある。世界各地への「慰安婦像」の設置は、必ずしも日本を攻撃する材料とはならず、むしろ、そこにこだわり続ける韓国民の“狭量さ”を浮かび上がらせるものに変わりつつある。結局、世界各地で戦争はなくならず、“昨日の友”が“今日の敵”となりうる事態は変わっていない。数百年の間に「世界地図」は目まぐるしく変わる。原初のまま永遠に続く国家も民族も、実は存在しない。世界地図が常に“塗り替えられながら”今日まで来ていることを、韓国民は忘れていたのだ。いつしか“敵”は“味方”に変わり、“味方”が“敵”へと変わっていく。哀しいかな、それが「歴史」なのだ。今後、数百年たった時、世界各地の「慰安婦像」はどうなっているだろう。それらが「朴槿恵像」に変わっているかもしれないという幻想を誰が否定できるだろうか。
男性の“生涯未婚率”がひそかに上昇している。もちろん“生涯未婚率”というのは“未婚”のまま人生を歩むことで、“離婚経験者”を含まない。基準は50歳で、それまでに入籍・結婚したことがなければ当てはまることになる。現在は23%だが、2035年には約30%になると予測されている。男性の三人に一人は“独身のまま生涯を送る”ことが特別なことではなくなるのだ。今から40年ほど前の日本では、考えもしなかった世界がやってくることになる。私が20代の時、周りは既にみな結婚していた。私はなんとなく“取り残されたような気持ち”だった。このまま独身で終わってしまうのではないか、と不安が過ぎることもあった。それがのちに二回も結婚することになったのだから、世の中は解らない。今にして思うと、私はあまりにも消極的で受け身であった。“恋愛”や“結婚”を重く捉えすぎると、実質的に“結婚”は遠のく。それは占い師として、これまで多数の男女を見てきて実感していることで、特に男性で未婚のまま終わる人には“結婚”を重く捉えすぎている人が多い。確かに就職と違って、合わないから辞めて別のところを…と簡単にはいかない。けれども実質的には、一緒に暮らしてみなければ本当に“合うかどうか”など解からないものである。「相性」を必要以上に気にする人がいるが、100%の相性などというものは土台がない。或る程度の協調性は、誰と一緒に暮らす場合でも必要である。同性の友達を得る場合でも、相性を気にして付き合うようなことは普通しない。いつの間にか仲良くなっていく、というのが最も自然で長続きもする。“恋愛・結婚”も同じようなものだと考えれば良い。無理をすると長続きしない。“恋愛”が長続きしない人には、無理をしてでも交際しようとする人が多い。“お見合い”でも、不似合いな相手とは当然のことだがまとまりにくい。基本、飲食の好み、服装の好み、著名人の好みが共通していれば、占いなど不必要で相性は良い。あとはタイミングの問題で「結婚」はタイミングが八割、どんなに相性が良くても時機を逸すると、その相手とは結婚できない。これらを参考にすれば、生涯未婚率は減っていく?
三笠宮崇仁親王が100歳で「薨去(こうきょ)」された。不勉強な私は「薨去」という文字も言葉も知らなかった。まあ、100歳というめでたい数字(?)で死を迎えたのだから、皇族として理想的な人生と言えるだろう。私が三笠宮氏に“興味”を持ったのはまだ十代の頃であった。それも書店で古代エジプト関係の書籍をさがしていた時、偶然、三笠宮崇仁氏の“顔写真”が大きく掲載された帯の本を見つけた。私はなぜか、その人物の“顔”に興味を持った。正確にいうと、顔そのものではなくて、顔の鼻脇から深く刻まれた“法令線”に興味を持ったのだ。それほど深く刻まれた法令線を見たことがなかった。近年の写真では何故か薄れてしまったが、若い頃には実に見事な法令線が刻まれていたのだ。しかも、それが“皇族の顔”であったことで、どうして皇族なのに“ゴリラのような皺”が出ているのか…という謎が、私の好奇心を捉えて離さなかったのだ。それまでにも「手相」の本は読み漁っていたが「人相」にはそれほど興味が持てず、深入りしていなかった。ところが、三笠宮氏の“深くて長い法令線”を見たことで「人相=法令線」への好奇心が強まり、本格的に人相学も研究するようになったのだ。その後に知ったことだが、三笠宮崇仁親王は日本における“オリエント史研究の権威”として教壇にも立ち、何冊も書籍を出していた。つまり彼は皇族として、同じような立場だったに違いない“古代の王族達”たちの歴史に興味を持ち、謂わば“王家の紋章”を求めて、古代日本とも似ているオリエント史の探索を続けていたのだった。したがって、彼の研究は本格的であり、自らの“使命”と感じての著述であり、教鞭であったに違いない。それが、そのまま“長く深く刻まれた法令線”として反映されたのだ。ところが、通常は年齢がいくほどクッキリする法令線が、近年ぼやけてしまわれ、それと並行するように体調を崩していったようだ。「法令線」は別名「寿帯」とも呼ばれ、それがクッキリ長いのは、その道の権威として長寿を全うする証と言われる。100歳の長寿はそれにふさわしいが「オリエント学会会長」としての要職での活躍は、あまり放映されないのが寂しい。
或る時、気が付いたら“底なし沼”のような状況に追い込まれていた、という境地の時が人生にはある。そんなはずはないと、もがけばもがくほど全身が引きずり込まれていくような恐怖がじわじわと襲ってくる。そういう時、人は自分自身で何とかしなければと焦りながらも、本能的に“救いの手”を求めようとする。ところが、周囲が見えないとか、周囲に声が届かないとか、身動きができないとか、何らかの理由から“絶望的な状況”にある場合、初めて人は神仏にすがる。それ以外にないからだ。「神・仏」は救ってくれるだろうか。実は、そういう時、何よりも力となるのは神仏ではない。自分自身なのだ。自分自身の「潜在意識」なのだ。“本能”と言い換えても良いし、“潜在脳”や“魂魄”と呼ぶのがふさわしいのかもしれない。とにかく、そういう“深い部分の自分自身”なのだ。なぜなら、この“深い部分の自分自身”が、すべてを知っているからだ。人間のようにではなく、コンピュータのように知っているからだ。だから、この部分に働きかけると“本当の答え”とか、“とりあえずの対処法”とか、“抜本的な解決法”とか、“救済システム”とかを引き出すことができる。緊急時には緊急時のような対処法を用意している。ただここは普段は“開かずの間”で、通常の意識からは遮断されている。どうしようもなくなった時にだけ、或いは緊急時にだけ、開くシステムになっている。われわれが“必死”になることの大切さ、“無我夢中”になることの大切さ、“一心不乱”になることの大切さは、実はそういう状態の時、この扉が往々にして無意識に“開く”よう設計されているからだ。だから、俗にいう「祈り」も「願い」も“我を忘れる”ほどの境地となって初めて通ずるのだ。多くの場合、偶然に見える“救いの手”の出現は「潜在意識」から差し伸べられた“自分自身の手”そのものなのである。
政治家・三原じゅん子氏が三度目の結婚をした。それだけでも“すごいこと”だが、お相手は24歳年下の議員秘書であり、面倒だから“結婚してしまった”という風な感じが大いにする入籍であった。何しろ、彼とは今年7月に出逢ったばかりなのだ。そして9月から同棲し『週刊文春』にそれをスクープされたので、急遽、入籍と相成ったのが真実のようである。政治家は秘書との結婚を法律で禁じられている。そこで、政治秘書を24日付で辞めての入籍なのだ。これなら問題がない? う~ん、急ぎすぎでは…という声が聞こえてきそうだが、彼女には“蓮舫氏”の顔や“ベッキーさん”の顔が脳裏をかすめていたに違いない。というのも、三原氏は蓮舫氏の“二重国籍問題”を追及していた。もしも、今度、自分の方が“秘書との同棲問題”を追求されたら、倍返しされそうである。だから、秘書を辞めさせ入籍してしまえば良い。品行方正で売っていたタレントのベッキーさんが、すべての仕事を失ったのは『文春』への対応を誤ったからである。自分はそうあってはならない。国民から批判を受ける前に、きちんと入籍してしまえば良いのだ。実は、彼女には“苦い思い出”があった。以前にも恋人のミュージシャンを“秘書”にして国民から批判されたのだ。要するに、それらから学んだのが、今回の“入籍劇”なのだ。もちろん、二人が愛情を育み、良い家庭を築いていけば何ら問題はない。ただ、この人、三度目の結婚になる。一度目はレーサー、二度目はお笑い芸人だった。そして三度目は「無職」。結果的に無職。なんとなく不吉な予感。過去に子宮がんを二度患い、子宮全摘出し、レース事故で骨折7回も経験している彼女は「強い女」。これしきの事で“政治家”の地位を失ってたまるか…。
「熱愛」という言葉が時々世間をにぎわす。その言葉がピタリとあてはまる人もいれば、首をかしげてしまう人もいる。この人たちの場合はどうなのだろう。もしかすると、本人たちの心さえ微妙に揺れているような…。元東京知事・猪瀬直樹氏と女優・画家の蜷川有紀さんとの“熱愛報道”である。猪瀬氏の方は43年間連れ添った最愛の妻を知事となってすぐ亡くしている。一方、蜷川さんの方も長年連れ添った夫と2年前に離婚したばかりである。つまり、一応二人とも独身だが、過去の相手との決別から間がなく、完全に心の整理が出来ているとは言えない状態にある。そういう中で出逢ったのだが、絵画に造詣の深い猪瀬氏に対して、創作のヒントを得るため知人を介して逢ったのが最初らしい。そこで猪瀬氏は蜷川さんの持っている絵画の才能にほれ込む。同時に数少ない“本当の理解者”となったのかもしれない。というのは、彼女の絵は抽象画的な要素を持ち、誰にでも共感できたり、理解できたりする作品群ではない。或る程度、芸術の素養がないと、本当に理解するのは難しい部分もある。但し感覚的に波長が合えば、理屈なしに受け入れられる要素も大きい。基本「薔薇」をモチーフとした作品ばかりだからだ。表現方法は違うが、同じモチーフで背景を埋めていくところはクリムトの絵画に似ている。そういう意味では今後“世界的に名を成していく”可能性もないではない。つまり、そういう意味でも猪瀬氏は美しい「薔薇」と「彼女」の両方にほれ込んだ可能性がある。但し、蜷川さんの方は来年5月に控えた「個展」を成功させたい一心である。そのためのアピールなら「熱愛」でもなんでも、どうぞ好きなことを書いてください、と言わんばかりの受け答えである。少なくとも、二人が「薔薇」に熱を上げていることだけは間違いがない。
今年の「ノーベル賞」はいろいろなことを教えてくれる良い機会になった。まずはノーベル賞の“選考基準”が実際にはよく分からないという問題。前から一部で指摘されていたが、今回の“文学賞”はそれをよく表していた。別に“応募”によって選考しているわけではない、という部分だけがよく分かった。基本「ノーベル賞」に対する一般的な認識は“科学者たちへの功績を称える賞”で、“文学者とか芸術家の功績を称える賞”としての認識は乏しい。確かに「文学賞」が認識されていないわけではない。けれども、例えば毎年名前が挙がる「村上春樹」が何故“候補者”なのか、多くの人たちにとっては不思議でしかない。要するに“世界的に売れている作家”という、ただそれだけではないか。例えば、日本国内において“世界に読み継いでほしい文学作品”というテーマで作家名を挙げてもらったとしたなら「村上春樹」という名前は出て来るであろうか。多分、ベスト20にも出てこないだろう。その程度の作家でしかない。それなのに毎年、何故か名前が挙がるのは“世界で売れているから”以外の何物でもない。そして、どうして世界で売れているのかと言えば、そのほとんどの作品が英訳されて出版され、最初から“英訳を意識して書かれている”からである。彼は元々が“翻訳家”でもあったからだ。ここが問題なのだ。文学というのは、どうしても「言語」という問題を切り離せない。自然科学のように、数式も使わないし、実験で証明もしない。世界的にみると“元々が公平に出来ない”作品群なのだ。それに対して、公平に選出しようとしても出来るはずがないのだ。さらに解からないのは“今年の賞”という与え方で、文学や芸術作品の“今年”は、それを公に“発表した年”を指すはずだ。したがって、ボブ・ディランなど“はるか彼方に居る人物”で、とても“今年の賞”を与える人物ではない。あらゆる意味で「ノーベル賞」に“文学賞”は不似合いなのだ。
朝、窓のカーテンを開くと、真っ白い“雪の世界”が広がっている。前日まで地方へ行っていた私は、秋晴れの中で終日を過ごした。そのせいで“冬が迫っている”ことを忘れかけていた。私が暮らすマンション12階の窓枠下には豊平川の流れと河川敷の運動場が広がっている。カーテンを開くと、そこに“真っ白い世界”が出現したのだ。北国の冬は、一瞬にしてやってくる。おそらく、こういう風な色の変化で“季節の変わり目”を一瞬で教えられたことは過去の記憶にない。いや、正確にいえば、あるにはあった。それは幼い頃、障子窓の隙間に白い雪が入り込んで僅かに積もっているのを見つけた時、あの時にも「冬が来た!」と幼心に思った。冬は嫌いだった。寒くて、風が強くて、路が滑るからだ。私が育ったのは室蘭で、冬場は強風が吹く。“吹き飛ばされる”ほどの強風が吹く。雪はあまり積もらない。強風のせいで飛ばされてしまうからだ。だから、いつも冬は粉雪が舞っている。言葉で表現すると何となく美しいが、実際には、地べたにしがみつくような意識で立っていないと粉雪に取り巻かれて身体が宙に浮く。だから冬は大嫌いだった。みんな顔を真っ赤にしながら歩いていた。滑りそうな道を、滑りそうな靴を履いて、滑りそうな格好で歩いた。私が子供時代から地元を愛せなかったのは、工場の街で空気が汚れていたせいでもあるが、何よりも冬の強風と凍った道が嫌いだったからだ。札幌に移り住んで初めての冬、私は“風がない”ことに驚いていた。“雪が白い”ことに驚いていた。“道が滑らない”ことに驚いていた。けれども、あの“強風と格闘しながら歩く”冬の道を懐かしく思い出すこともあった。あそこで少年時代を過ごしたことで“耐える精神”が培われたし、“挫けない意志”が養われた。人は寒さの中で「愛」を知る。暑さでは知りえない「愛」を知る。真っ赤に燃えるストーブに集まった顔に裏切りはなく、顔に深く刻まれた年輪のような皺には誠実さがこびりついていた。
本が売れない…と言われて久しいが、御年92歳にしてベストセラーを出し続けている女性作家がいる。佐藤愛子氏だ。特別宣伝費をかけて売り出されたベストセラーではない。『九十歳。何がめでたい』は20万部を超え、『人間の煩悩』も12万部を突破している。つまり、両方とも小説ではなく、本音をぶちまけたエッセー本だ。それらの本を週刊誌では老齢の著名人たちがこぞって絶賛し、愛読書としていることが述べられている。『人間の煩悩』というタイトルは一見難しそうな印象を与えるが、その中身は明快で「人間も死んだらゴミだ」とか「傷つかず、傷もつけない人生はつまらない」とか「愛される老人になんかなりたくない」とか「人を救えると思うのは傲慢である」とか…。まあ、言いたいことをずけずけ言っているに過ぎない。けれども、これだけの支持が集まるというのは、実際に共鳴し、納得しているご老人たちが山ほどいるということの裏返しでもある。私の記憶が正しければ、この人は直木賞作家だが、その受賞連絡の場には存在せず、それよりも恋人との“デートの約束”の方を優先していたというエピソードも持ち主である。これも大昔の記憶で、雑誌に掲載されていた彼女の手相は“二重頭脳線”と呼ばれる形状の典型で、つまりは二本の平行する頭脳線を持っている手相だが、良くも悪くも“二重人格”の持ち主である。よく手相の本には“二重頭脳線”をやたら持ち上げて解説している本があるが、とんでもない誤解で基本的に“うそを平気でつける人”の典型である。だから、役者とか作家のような“別人を演ずる職業”としてはうってつけなのだ。つまり、何を言いたいのかというと、この人のエッセー。実は100%思いのままを“ぶちまけている”かのように装いながら、案外、本音とは違っているのかもしれないという…その辺を差し引きながら読まないといけない“危険な本”なのかも(?)しれないのだ。
『かぐや姫』と言えば「月」に帰って行ってしまうお話しだが、今様「かぐや姫」とも呼ばれる大塚家具の大塚久美子社長は、自分の帰るところを見失ってしまったようだ。マスコミ騒動からすでに一年半以上が経ち、もう落ち着いてよいはずの久美子氏だが、未だ迷走中のようで赤字が膨らみ、近く中古・アウトレットの家具店を展開するらしい。経営者としての素質は十分あるのに、自分が“進むべき道”を見失っているため、焦りが目隠しをして“帰るべきところ”を忘れてしまったのだ。この人が「大塚家具」の後継者となったこと自体は決して間違いではない。当初の対処の仕方も、特別おかしかったわけではない。問題は“分裂騒動以降”で、その後の方針が完全に誤っていた。「大塚家具」が「ニトリ」や「イケヤ」をマネて勝てるはずがない。そんなことがどうしてわからないのだろう。もし、“安売り”で勝負したいなら、徹底的に安くしなければだめなのだ。「安物」を求める人たちというのは“1円の違い”で流れていく。そういうところと、なぜ張り合おうとしたのだろう。元々が“高級家具”で売ってきたのに、なぜ今更“中価格帯で勝負”などするのだろう。彼女が売るべきものは「お姫様家具」でなければならない。それならば、みんなが「助けてあげようかな」という気持ちになるのだ。元々「かぐや姫」と呼ばれるくらい“お嬢様”で育った人物である。それなら、なぜ、それを活かそうとしないのか。なぜ、解ってもいない“庶民”の暮らしに介入しようとするのか。それが間違いなのだ。だから中古・アウトレットの家具店も100%失敗する。そういうものを購入したことのない人が手出しすべき商売ではない。「ニトリ」が“低価格商品”で成功したのは、元々が“そういう家”でひもじさの中で育っているからだ。リヤカーを必死で引っ張りながら仕事をした少年期の記憶が、ニトリ少年を大成させたのだ。もちろん、彼が“高級家具”に手出しをしたなら、即座に失敗する。「お姫様家具」だけが、彼女自身を救うことに早く目覚めてほしい。
奇妙な会見である。ギザの大ピラミッド内に“隠れた空間”を二つ発見したというのだ。そういう記者会見だが、今一つ盛り上がらない。ニュースの伝え方もなんとなく地味である。なぜなのか。一つには画像がない。今時、お話しだけでは“この手の話”誰も納得しない。そんなことは解っているはずなのに、誰もが納得できるような画像がない。調査方法がラジオグラフィや3次元再構築技術やサーモングラフィといった方法なので“すぐ形に出来ない”のだろうか。そうなら、何故、図解が出来上がってから発表しないのか。「北壁の裏側に空間がある」「もう一つの通路も形成している可能性がある」「北東の側面部にも空洞がある」実は、彼らの地味な調査は二年ほど前から始まっていた。地元エジプトの研究者だけでなく、フランス、カナダ、日本の研究者が加わった四か国混成チーム「スキャンピラミッド」だ。最新の科学技術を用いているので、その話自体は信頼できる。大体、あやしいエジプト学者が混じっていない。けれども、彼らの話を聞いても、誰も驚かない。感動などしない。何しろ、その話“初めてのような気がしない”のだ。というか、前から言われていたよね、と誰かがささやく。そう、80年代~90年代の雑誌『ムー』などで、盛んに語られてきた話ではないか。日本の単独チームが、既に同じことを主張していたではないか。そして何よりも、それって見ることができるのですか、という話なのだ。せめて“精密な図解”として公開できるものなのですか、という話なのだ。実は、このチーム、間もなく解散することが決まっている。タイムリミットでの発表なのだ。最初から予算は限られている。なんとなく、誰もが、そうだったのか、と納得してしまいそうで、それが怖い。
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