4月, 2019年

「悪い予感」が的中した話

2019-04-18

書こうか書くまいか、私には珍しく迷った。けれども、もう20年も前のことなので“懺悔”的な意味も含めて書くことにした。先日、パリのノートルダム寺院が焼けたが、あの映像を見ていて、私には何故か20年前の“パリでの出来事”が悪夢のように蘇えった。あの日、私はパリ市内のホテルに居た。仕事仲間たち多数でヨーロッパ観光に来ていたのだ。それがノートルダム寺院だったかどうか確かな記憶はない。もしかすると別な教会だったかもしれない。とにかく教会内のロウソクに火を灯すオプションがあった。それを灯すことで“永遠の愛”が約束されるという言い伝えだったような気がする。ところが、私は何度試みても“火が灯らない”のだ。焦ったが、後ろで待っているのでどうしようもない。結局、灯せないまま、その列を出た。その時、連れ立っていた女性はすぐに火が灯ったのだが…。その晩、深夜、ホテル内から電話がかかってきた。おかしい。けれども、私にはその予感があったのだ。すぐに飛び起きて受話器を取った。ホテルフロントからで、私の名前を確認し、日本から電話が入っている、と告げた。私は蒼白になった。訊かずとも内容が把握できたからだ。やがて妻の押し殺したような声がした。「誰と泊まっているの?」「いや、独りだよ」「……そう言ってたわよね…フロントの人に確認したの…独りじゃなかったのね」「いや、違うんだよ。それは…」「信じられない」「いや、本当に違うんだってば…」「帰って来ても、家に入れないわよ」電話は一方的に切られた。後から起き出した女性が、きょとんとしていた。後悔しても遅いが、私は不倫相手と旅行に来ていたのだ。実は、私には何となく日本から電話が入りそうな予感があった。なぜか行くずっと前から、そういう予感がしてならなかった。だからツアーの営業マンにも、ツアーガイドにも、その両方に、万一自宅から電話が入っても部屋には繋がないようにと依頼していた。特に営業マンには正直に事情を話して、大丈夫でしょうかと確認までしていた。「大丈夫ですよ」営業マンは笑っていた。ところが、それらの防波堤をも乗り越えて、我が妻は北海道の江別からパリのホテルを探し当て、電話を入れて来たのだ。う~ん、あっぱれ、などと言っている場合ではない。私は蒼白になった。そうして、正直、その後どこをどう巡ったのか、今となってはよく覚えていない。とにかく、この件が元で私たちは離婚した。神の怒りが、私の“不徳の愛”を許さなかったのだ。

“最悪三人組”が経営する「怖~い病院」

2019-04-17

「類は友を呼ぶ」という言葉があるが、確かにそういう傾向はある。昨日、福岡県警に摘発された医師達などは正にその典型と言える。どういう仲間だったのかというと、まず一人目は院長で井上勉(61歳)。この人物は今から19年前にも医療診療の“水増し請求”で捕まっていた人物で、その時は6億3000万円という巨額だった。この事件の発覚によって、彼の病院経営は破産してしまった。けれども2年前から、彼はもう一度“この手法”でチャレンジしてきたのだ。そういう点ではなかなかのチャレンジャーではある。なぜ、彼はもう一度チャレンジしたのか。最強の“味方”を得ていたからだ。その一人は新しいクリニックの事務長に収まっていた“元警察官”宮内真二(50歳)、もう一人は宮内の古くからの友人で室長に収まっていた“元暴力団員”末崎信直(49歳)である。つまり、元犯罪者、元警察官、元暴力団の三人が強力なタッグを組んで始めたのが「いのうえクリニック」なのだ。けれども、このクリニック、何と“訪問診療専門”で“外来”を受け付けていなかった。そして訪問診療なのに、看護師は居なかった。もうこれだけで十分に怪しい。それでは、どういう風な患者を診療していたのかというと、生活保護受給者たちだった。生活保護受給者たちだから、訪問診療すれば医療費を国に請求できる。何しろ、元警察官と、元暴力団が付いているのだ。嫌だなどとは言わせない。こうして自宅訪問して本人のサインや印鑑を得ることが出来る。総計250人を診療し、“水増し”等で5500万円を得ていたことになっている。その全部が生活保護自給者かというと、実はそうではない。ほんのちょっとだけ会社員を混ぜている。そうしないと「疑われる」と思ったからだ。いや、そうしても疑われるんだけど…。生活保護自給者たちはどうしてサインや印鑑に応じたのか。もちろん、元警察官や元暴力団の二人が一緒に居ることもあったが、一つには無料で種々の薬をくれるからだ。また実際に診療もしてくれる。不届きな院長の井上勉だが、一つだけ彼に良心が残っているところがあったとすれば、実際の患者たちには医師として接していた点であろう。それにしても、そんな病院、嫌だ‼

ジェドカラー「貴族の墓」は“大発見”の予兆か⁉

2019-04-16

4月13日エジプトのサッカラで、今から4400年前のものとみられる「貴族の墓」が報道陣に公開された。古代エジプト王朝で言えば第5王朝の時代のもので、ギザの大ピラミッドで有名な「クフ王のピラミッド」から百年ほど後の時代の墓ということになる。実は最近、サッカラでは相次いで新たな遺跡が発見されていて、昨年12月には同じ第5王朝の「聖職者の墓」が発見され、さらに今年1月には第5王朝中期ネフェルェフラー王の王妃「ケンタカウェス三世」の墓が発見され、そうして今回公開された「貴族の墓」が今年3月に発見されたものなのだ。このようにサッカラだけで次々と遺跡が発見されるのは珍しい。しかも、そのどれもが“保存状態”が大変に良い。今回公開されたジェドカラー王時代の「貴族の墓」も色鮮やかな壁画が四方に描かれ、4400年前というのが信じがたいほどである。ただ「貴族の墓」なので、その使用人たちの農耕生活などが描かれているだけで、ファラオや神々は描かれていない。ちなみにネフェルェフラー王にしろ、ジェドカラー王にしろ、その末尾に「ラー」が付くのは太陽神である「ラー」信仰を崇める王であることを表わしている。ギザの“三大ピラミッド”でも「第2ピラミッド」はカフラー王が「第3ピラミッド」はメンカウラー王が、それぞれ建設したことになっていて「第1ピラミッド(大ピラミッド)」のクフ王だけ「ラー」の称号がない。つまり「クフ」は「クヌム・クフ」王とも呼ばれて“クヌム神”を標榜していたと考えられている。“クヌム神”というのは「人間を創造した」とされる“オヒツジ🐏の神”である。なぜかクフだけが“仲間はずれ”なのだ。だから彫像も「カフラー」や「メンカウラー」などは“立派な彫像”が遺っていたが、クフだけは7㎝の“みすぼらしい像”しか遺っていないのだ。ところで、第5王朝の遺跡が続々と発見され出したのは、もしかすると“予兆”ではないかと私は思うのだ。もっと大きな発見、もっと大きな遺跡、もはや“存在しない”と思われていた“もの”が何らかの偶然から出現する予兆ではないかという気がするのだ。「撮れない」と言われていたブラックホールが撮影できたように、もはや「存在しない」と思われていた遺跡が“ひょっこり顔を出す”そういう兆しとしての“聖職者・王妃・貴族の墓”であってほしい。

父親が「本当の父親」ではない…と知る時

2019-04-15

私は3~4歳の頃「将来、何になりたいの?」と問われて即「天皇陛下になりたい」と応えて母を困らせていたらしい。私自身にその記憶はないが、今考えると妙に気恥ずかしい。それでも十代になると「占い師」に変わった。それは英国の手相家・キロに憧れたからである。おそらく当時の私にはキロが“スター”のように格好良く見えたのに違いない。人は誰でも、幼少期の頃、そして青春期の頃、その育った環境とか時代とかに触発されて、誰かに憧れを抱く。そのまま“その世界”に進んでいく人もいれば、そうでない人もいる。比率的に多いのは、自分の両親の仕事や商売から影響を受けるケースだ。元々血が繋がっているのだから、似たような仕事に進めば適応していける可能性も高い。そういう意味では、私の父親は“和菓子職人”で店舗もいくつかあったが、商売に失敗して北海道に流れてきた。そういう中で生まれた私は“日雇い土方”の父親しか見たことがない。父親の職業に興味を示さないのは当然だった。一度だけ聞いた話によれば、私の父親の祖父は「易」や「家相」を行っていた人物であるという。おそらく趣味の領域だったと思うのだが、父親によれば「それで財産を食いつぶした」と恨んでいた。だから、私が十代で占いにのめり込んだとき、もっとも反対したのは父親だった。それは後から聞いた話で、それも詳しいことは解からない。「血は水よりも濃い」というが、自分の“出生”を知ることが良いとばかりとは限らない。昨日、オランダの医師が、不妊治療の際に、その女性達には無断で体外受精の際に“自分の精子”を混入していたことが発覚した。しかも1名や2名ではなく、49名もの“体外受精”に自分の精子を混入したというのだ。何人かの母親側が裁判を起こし、DNA検査の結果、その医師のDNAであることが確認されたという。ところが、その医師は89歳で既に亡くなっていて、病院も2年前に閉鎖している。したがって、詳しい経緯や動機がよく解かっていないのだ。生前の証言によると、1980年代に行われたケースが多いという。そうだとすれば、それによって生まれてきた子供達は、もはや30代後半の人物が多いに違いない。実はかなり以前から、そういう“噂”は出回っていたらしい。何しろ、成長するにつれて父親に“似て来る子”がいたからだ。欧米人の場合、髪の色、眼の色、肌の色など、同じ国民でも微妙に異なる。日本人のように、みんな同系色なら、それほど違いは目立たないが、明らかに髪の色や眼の色が両親と異なっていれば、おかしいと思うのは当然なのだ。違和感を感じながらも、医師となった男性がいたなら、彼は自分の父親を「忘れたい」と思うのだろうか、それとも「ありがとう」と思うのだろうか。

神が憑いた「幼児占い」は公開銃殺⁉

2019-04-14

「七星組」というグループで全国を回っていたらしい。もちろんアイドルグループなどではなくて、3歳や5歳の子供を使った“いかがわしい神霊予言”グループだ。けれども、元々が“占い大好き”な北朝鮮国民にとって、それは既存の占いよりも謎めいていて、可愛らしくもあり、しだいに評判となっていった。人気が出なければ良かったのだが、密かな人気が出て多くの人々に知られる存在となり、何者かに通報されてしまい御用となった。スナム市場の傍にある広場では“神霊予言”を行っていた子供達の親3名に対して「公開裁判」が行われた。被告3名のうち2名に「死刑判決」が下された。罪状は「迷信行為」だ。刑法256条には「金品を受け取っての迷信行為は1年以下の懲役に処す」とある。ん?「1年以下?」違うではないか。けれども、北朝鮮の法律にはどれも“抜け道”としての「例外規定」が設けられてあり、どのような犯罪であろうと最終的には「死刑」に出来る。その例外規定に引っ掛けられたのだ。こうして二人は大勢の群衆の目の前で銃殺された。「神がのりうつった」とされていた幼い子供達の眼にも、その様子は眼に焼き付かせる。成長して後、占いや呪術を行わないようするための見せしめなのだ。こうすることで北朝鮮では“社会秩序の維持”を保とうとしている。一時期、人権団体からの“批判”等を意識したのか、公開処刑は封印されていた。ところが今年に入って矢継ぎ早に、再び公開裁判と公開処刑を頻繁に実施している。特に「薬物の密売」に関しては中国の地下組織とつながっているという噂があり、例外なく公開処刑だ。北朝鮮の場合は“集中射撃方式”での銃殺刑だ。多数の兵士たちがいっせいに処刑者目掛けて射撃する。こうすると身体は分散して砕け飛ぶ。いっそうの恐怖を群集に与えることになる。ただ「薬物」というのは何となく解かるが「占い・予言」は違うのではないか、と思うかもしれない。そうではないのだ。これは国家や金正恩体制への“占い・予言”につながる可能性もあり、社会秩序の維持という点からは見逃せない犯罪となる。総じて共産圏や独裁政治を行っている国では「占い・予言」は“犯罪”として処罰の対象となる。さしずめ私など生きてこれなかったことだろう。日本に生れて本当に良かった。

自らの「死」で“教えた”スタントマン

2019-04-13

本来であれば「再現教室」に救急車が到着する予定はなかった。スタント会社で委託されていたのは「横断歩道でも事故は起こる」ということの再現、そのような事故が起きないためには「どこに気を付ければ良いのか」ということの注意点、それらをスタントマンでの事故再現によって検証していくというもの。本来なら「今回はスタントマンだったので大丈夫でしたが、高齢者ですと死亡してしまうかもしれない場面なので、皆さんも日頃から注意しましょう」で終わるはずだった。ところが、この日の“再現実験”はそうはならなかった。トラックが横断歩道を歩いている高齢者にぶつかってしまう場面で、本来であればスタントマンが素早くトラックのバンパーにしがみつき、そのまま10メートルほど引き摺られるはずだった。ところがバンパーにしがみついたはずのスタントマンは滑り落ち、そのまま中型トラックの車体に惹かれてしまったのだ。京都市内の中学校グランドで全校生徒など570名が見守る中で発生した事故である。すぐに救急車が呼ばれて緊急入院したが、昨夜のうちに死亡した。近年、学生たちを対象とした「再現教室」は人気を集めている。同じ日、四国高松でも高校生向けの「再現教室」が行われていた。こちらの方は“横断歩道”ではなくて、自動車と自転車とが引き起こしやすい事故の「再現教室」であった。どちらの教室でも、スタントマンが運転手の役と高齢者や高校生の役それぞれに扮して「再現教室」を行う。言ってみれば、映画撮影での“事故場面”を役者たちが演ずるのと大きな違いはない。元々スタントマンというのは、映画撮影での“危険な役”を本人に成り代わって行う“身代わり役者”からスタートしている。ところが近年はアクション映画が乏しくなった。“ヤクザもの”とか“ギャングもの”の撮影が滅多に行われない。そこで“危険な事故”等の「再現教室」を行うことで“生き残り”をかけているというのが実情なのだ。学校側としても、交通事故を防ぐための手段として「再現教室」は大いに役立つ。何よりも“眼で見ないと理解できない”現代の子供達には、もっとも解りやすい指導法だといえる。今回の事故で“高齢者役”を演じて死亡した中村佳弘氏(34歳)は、これまでに何度も行っている役柄で“失敗する”ような場面でもない。したがって運転士役の人物も、まさか失敗するとは夢にも思っていなかったのだ。一つだけ教訓があるとすれば、この事故を見守った生徒たちは、横断歩道を歩いていても決して安全ではなく「死ぬこともある」ということを目の前で教えられたことである。

無名のシングルマザーが大統領に一矢⁉

2019-04-12

ロシアの東シベリアにウスチイリムスク市という小さな地方都市がある。そこで行われた「市長選挙」で、6歳の息子をシングルマザーで育てている28歳の無名女性が当選し、4月11日にその就任会見が行われた。プーチン大統領率いる与党「統一ロシア党」候補で前市議会議長を破った新市長アンナ・シェキナ氏だが、実は“政治世界”にはまったくの素人で誰もが予想外の市長誕生となった。どうして彼女が当選したのかというと、有力野党候補の出馬を認めなかった選挙管理委員会への批判票、そして現与党であるプーチン政権への不満票が一気に流れ込んだからである。つまり、それだけロシアの辺境では現プーチン政権への不満が爆発しているのだ。一番の問題は経済の低迷である。ヨーロッパとの関係がギクシャクし続けているからだ。30歳以下のロシアの若者たちを対象とした調査によると、その44%が本国を見限り“外国への移住”を希望している。その第一は地域的にも近いドイツ、その第二は経済的に反映しているアメリカ、そして、その第三位がなんと我が日本なのだ。したがって、今回の地方都市におけるシングルマザー市長の誕生も、切実な庶民の「反旗」が呼び起こしたものだといえる。これまで全く実務経験はないという新市長アンナ・シェキナ氏の顔貌は、けれども政治家として中々に良い相をしている。まず額が高く広い。異様なほど広く高い。これは「天から使命を授けられている人」の相であって、政治家になることは必然だったのかもしれない。女性には珍しく額の左右も広くて、社会的視野の広いことを表わしている。眉がクッキリとし、左右がやや非対称なのは、血縁的には名家でも家族関係は複雑な事情を反映している。しかし発言にぶれはなく、意志は強い。ただ眼がやや「三白眼」に近く、光彩が吊り上がり気味ではある。これは周囲に「敵」や「ライバル」が出現しやすく、足元をすくわれやすい相である。口唇が大きく、発言力が大きい相で、やがて市長として実績を積めば、地方政治に終わらない可能性もある。額が大きすぎるので「結婚生活での幸福は得られない相」だが、政治世界で飛翔することは十分に可能だ。

「監禁されていた」のは事実なのだが…

2019-04-11

もう一人の自分を演じる……別に俳優でなくても、そういうことはたまにある。例えば、既婚なのに「独身」と偽ったり、会社員なのに「芸術家」と偽ったり、50歳なのに「34歳」だと偽ったり……その程度のウソなら、急場しのぎに誰でも一度くらいはつくことがある。けれども、世の中「ついてはいけないウソ」というものもある。別人に成りすますこと、それも「行方不明」の別人に成りすますこと。これは絶対にやってはいけない。その家族にとってみれば、ワラをもつかむ気持ちで捜し続けているのが普通だからだ。今月3日、アメリカのオハイオ州で8年前から「行方不明」になっていた少年が発見された、という第一報が届いた。その青年の主張によると、頑強な二人の男に監禁され、8年間にわたって各地を連れまわされていたが、すきを見て逃げ出し救助を求めたのだという。その青年の顔面には複数の打撲痕があり、着ているものもボロボロだった。だが、警察は慎重に確認作業を行った。行方不明当時の写真や特徴と相いれない部分があったのだ。もし青年のいうことが正しいなら、彼は14歳のティモシー・ピッツェン君でなければならない。それに14歳というには少し大人びすぎていた。言葉遣いにも首を傾げる部分があった。結局、DNA検査によって確認することになった。その結果出て来たのは、全くの別人、それも犯罪者リストに該当する人物がいたのだ。ブライアン・マイケル・リニという23歳の人物だった。しかも、この人物は一か月前まで一年以上も刑務所の中に居た。つまり「監禁されていた」という部分だけが事実だったのだ。この男は、強盗と器物損壊とで収監されていた。彼は出所後、たまたまTV番組で8年前の失踪事件を知った。そうして、そのTV番組に出ていた失踪少年の父親と自分の父親との違いに愕然とした。自分も、ああいう父親だったのなら、今のようにはなっていなかったのに…と感じたのだ。そうすると、あの可哀想な父親の“息子”に成り代わってあげたなら、あの人も、そして自分も、新たでハッピーな人生を歩めるのではないだろうかと思ったのだ。この「行方不明」事件は謎が多く、当時、失踪直前まで一緒だった母親はホテル内で自殺していた。そうして「息子は安全なところに居る。捜さないで欲しい」と記された書置きがあった。この“なりすまし”が発覚して報道された後もティモシー・ピッツェン君から連絡はない。

「友好の橋」は不思議な「転倒の橋」に変った⁉

2019-04-10

カンボジアと言えば「アンコールワット」の遺跡で誰もが知っている。日本との関係も大変に良い。首都プノンペンには日本の援助で建設・改修された「日本カンボジア友好橋」と呼ばれる主要道路がある。ところが、最近、この橋でのバイクによる転倒事故が相次いでいるのだ。一見、なぜ、転倒するのかわけが解からない。特別スピードを出している風でもない。それなのに、時々コロリと横倒しになる。ただ救いは大怪我にはなっていないようで、すぐに起き上がって、再び、何事もなかったかのように走り出す。後続のバイクがすぐ止まってくれるから良いが、もし、そのまま走っていれば必ず人身事故になる。それにしても、どうしてこんなに転倒が続くのか。パッと見では解からないのだ。もしかして、橋そのものが“斜め”にでもなっているのか、或いは路面に“滑りやすい何か”が塗ってあるからだろうか。だが、よくよく見てみると、車道とバイクレーンとの境に10㎝弱の段差があることがわかった。ナルホド、段差を移動する時に転倒するのかと気付いた。ところが、この段差が実に判りにくい。一応、境目に表示はあるが遠目だと判別できない。本当はバイクレーンからの“はみだし走行”をしなければ事故など起こらないのだが、境目があいまいなので混んでいるようなときにはどうしてもはみ出してしまうようだ。多分、日本がこの橋を作る時には、こういう事故は予測しなかった。なぜなら、日本ではこんなに多数のバイクが走らないからだ。常に重なり合うような感じでバイクが走行することはない。また日本人であれば、バイクレーンからはみ出して走行することは滅多にない。路面上の砂埃もこんなに立たない。つまり境目が確認しやすい。これらすべてがカンボジアと日本とでは異なるのだ。ベトナムもバイク天国だが、カンボジアも似たようなもので、とにかくバイク走行が多い。東南アジアはどの国でもそうだが、とにかく横断歩道を渡るのが大変に難しい。バイクがひっきりなしに通るからだ。私は一度カンボジアで地元の人たちが利用しているバイクに箱形の橇が付いた乗り物に乗ったが、全身埃だらけになった。とにかく路面近くは埃っぽいのだ。だからマスクが必要になる。そういうわけで「日本カンボジア友好橋」は予想外のところから“きしみ”始めているのだ。

日本企業を飛翔させる⁉“渋沢栄一の顔”

2019-04-09

2024年に「新たな円紙幣」が登場する。その1万円札には「渋沢栄一」が採用されるらしい。5千円札には「津田梅子」千円札には「北里柴三郎」の各氏らしい。特に渋沢栄一氏が採用されるのは大変良い。何しろ、明治時代の日本にさまざまな新しい企業を誕生させた人物である。その人柄も大変に優れていて、海外からも高く評価されていた人物だ。これまでの1万円札の顔となった「聖徳太子」や「福沢諭吉」も良いが、どちらかと言えば学術文化面で優れていた人たちで、日本の経済を発展させたという印象は乏しい。それに対して渋沢栄一氏は第一銀行を創設したり、理化学研究所を創設したり、帝国ホテルを建てたり、東急電鉄を開始したり、東京証券取引所を設立したりした。そのどれもが「日本の財力」を高めるのに役立った。それでいて彼は「儲け第一主義」を嫌った。「信用」と「誠意」を何よりも重んじた人物なのだ。成功したのちも努力を怠らなかったが、世の中には人知の及ばぬ部分もあることを見通していた。彼の言葉の中には《どんなに勉強し勤勉であっても、上手くいかないこともある。これは機がまだ熟していないからである》とか《一人ひとりに天の使命があり、その天命を生きることこそが処世上の第一要件である》といったものが遺っている。その顔貌を見ると、何よりも額上部の左右、つまり眉尻から垂直に髪際まで伸ばした仮想線の中間に位置する「山林・依頼・海外」などの部位が若い時から盛り上がっていた。ここは“仙骨”と呼ばれる丸い骨の位置でもあり、この仙骨が発達すると額の左右の部位が自然と高くなる。そうすると、俗にいう「勘」が鋭くなるのだ。この勘は、俗にいう「霊感」とも微妙に異なる。所謂、個々の動物が“生きていくため”本能として能わっている勘のようなものだ。奇妙なことに、世襲財産を受け継いで生まれている人には、この部位が発達している人が多い。ところが、世襲財産などなくても、山奥などで自然界と一体となって暮らし始めると、不思議とこの部位が発達するのだ。俗に、その集大成とでもいうべき人物が「仙人」なのだ。渋沢栄一氏が“山籠もり”をした記録は無いように思うが、一時期、思想犯として京都に追われ、かくまわれていた時期はあるようだ。さらに、フランスに渡った後、ヨーロッパ各国へと旅してさまざまな刺激を受けた。もしかすると、これらの時期こそ、彼にとっての「隠遁・修行」の時期であり、仙人のような意識・感覚で「西洋文化」全体を身体で吸収していた時期なのかもしれない。

「十代の結婚」を全うするのは難しい

2019-04-08

タレントの三船美佳氏が再婚報告を行った。世間的には“祝福コメント”が少ないようであるが、彼女の“初婚年齢(16歳)”を考えると、何となく“妥当”のような気が私にはする。どういうことかというと、十代で結婚した女性達の多くが、その後に離婚してシングルマザーとなり、しばらく経って後、再婚しているケースが圧倒的に多いからだ。つまり「初婚」を貫くというか、全うして生涯を添い遂げるというか、そういうことが実は大変に難しい。彼女の場合も、初婚はまだ16才であり、明治時代であれば妥当でも、現代としてはやや早すぎる結婚年齢だ。近年は十代で心ならずも妊娠し、それが元で急きょ入籍・結婚するというケースも多い。或いは入籍や結婚のないまま出産し、シングルマザーとなってしまうケースも増えてきた。日本の女性達は、近年逞しくなったといっても、アメリカ女性ほど体力的にタフではない。独りで産んで独りで育てるというのは、心身共に“強く”なければ出来ない。日本の場合、未入籍でシングルマザーとなった場合、一つのパターンとしてはシングルマザーの母親が傍に居て、実質、祖母が子供を育て、母親である自分の方は勤めに出るケース。もう一つのパターンとしては生活保護などを受けて、闇に紛れるような形で自分自身が子育てを行うケース。最近はもう一つ、子育ては保育園に任せて、実質、独身に近い状態で風俗などの仕事で高級を稼ごうとするケース。いずれにしても、変則的な家族生活になりがちである。これらに比べれば、十代からであっても“正式な結婚”でスタートできるのは恵まれた形といえるだろう。ところが、そういう形からスタートしても、十年以上経つとほころびが生じて来る。何も知らなかった十代後半と、さまざまなものが見えてくる三十代とでは、“辺りの景色”が違って見えるのだ。「運命」という観点からいうと、“早婚の運命”で子供も早くに産んでいる場合、三十代以降になると時間に余裕が生まれて来る。特に“専業主婦”的に生きて来ている場合はそうだ。奇妙なことに、そういう状態になると、その人本来が持っている“それぞれの運”が発動するようになる。つまり、仕事運とか、学習運とか、恋愛運とか、金運とか…改めて発動するようになる。「恋愛運」など、もう結婚して子育ても終わりかけなのだから無さそうなものであるが、ほとんど恋愛の期間なく結婚している場合、改めて発動することもある。したがって、十代で結婚した女性達が、何事もなく「初婚」を貫き通すのは、実は大変難しいことなのである。

「カッコいい」男の「カッコよくない」手紙

2019-04-07

彼が破竹の勢いだったころの《余の辞書に「不可能」という文字は無い》という有名なセリフ。或いはギザの大ピラミッドの前で《4000年の歴史が君たちを見ている》と士気を鼓舞した話。世界に名をとどろかせた歴史上の人物の中でも、イメージとして“カッコいい”印象を残しているのがナポレオン・ボナパルトだ。そのフランス皇帝ナポレオンが妻のジョゼフィーヌに当てて書いたとされる“手紙三通”が今月4日競売に掛けられ、合わせて約6400万円で落札されたらしい。そのうちの一通は1796年のイタリア遠征の時に書いたものらしいが《愛しい君から手紙が来ない(中略)夫のことを忘れてしまうぐらい、さぞ夢中になれることがあるんだろう》などと記されている。う~ん、この手紙の中身はわれわれの知っているナポレオンのイメージとは違う。寂しがり屋で嫉妬深いのか…。少し拗ねているような…。私信だから仕方がないが“ひ弱なナポレオン”の印象はぬぐえない。日本の歴史上の武将たちとも大いに違っている。まあ、でもギャップがあって、その方が“人間的”と見ることも出来る。そうでも思わないと何千万もの価値はない。昔、ナポレオンの手の“実物をかたどった彫像”写真を見たことがある。その「手」で一番印象的だったのは“人差し指の長いこと”で中指と同じくらいに長かった。人差し指というのは文字通り、人に対して命令・指図する時に用いる指で、プライドの高い人たちは例外なく長い。例えばデヴィ婦人なども人差し指は長い。だから、そういう意味ではナポレオンの人差し指が長いのは理にかなっている。ただナポレオンというと、どうしても革命武将的な印象が強いが、学術的にも優れていたらしく、エジプト遠征には100名以上の学者たちを従え、エジプト全土で遺跡調査を決行させている。そして、その学術成果を『ナポレオンのエジプト誌』として刊行させている。私はその翻訳書を持っているが、今はもう失われてしまった貴重なレリーフなどが、精密図解で残されている。だから、彼は良く言えば、とても人間味にあふれた芸術や学術にも精通していた革命児であり、悪く言えば、傲慢で鼻持ちならないプライドの権化であったに違いない。

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