こういう場合「損害賠償請求」は成り立つものなのであろうか? 前澤友作氏の「お見合い企画」に応募した女性の中には“会社を辞めた”という人までいるらしい。その場合の「損害賠償請求」だ。まあ、ちょっと気が早すぎるし、択ばれてもいないのに辞めたこと自体が問題だけど…。とにかく、さまざまな女性が応募者の中にいたことだけは間違いがない。彼が「お見合い企画」をぶち上げたのは1月9日のことである。その結果「宇宙旅行で一緒に行くパートナー」に応募した女性は27722人に達していたらしい。なかなかの数である。ところが、1月30日になって、急遽、前澤氏は「やっぱり止める」宣言をした。何んとも人騒がせなことである。止める理由として「自分の気持ちを整理することが出来ない」との“奇妙な言い訳”を掲げている。何かがおかしい。元々これはTVの企画番組である。しかも“素人参加型”の企画番組である。こういう場合、参加するタレントの方に先に打診する。この企画の場合、宇宙が絡んでくるので、本人が持ち込んだ企画なのか、TV局側が働きかけた企画なのか、その部分は私は知らない。どちらにしても、本人の方に“やる気”がなければ番組として成立しない。何しろ宇宙が相手なのだ。身代わりが利かない。だから当然、番組としての趣旨内容を把握したうえでOKを出していたはずだ。まあ、そうでなければ自分からも募集を掛けたりしない。したがって今更「気持ちの整理がつかない」というのは理由にならない。ただ私には前から奇妙に思っていることがある。彼は元々「独身主義」ではなかったのか。だからこそ、恋人を公言した剛力彩芽氏とも入籍しなかった。それなのに何故「お見合い番組」なのだろう。ただ、実はここが重要なのだが彼は最初から「入籍する」とは一言も言っていない。あくまでも「一緒に月まで行ってくれる相手」を求めていたのだ。ところがTV的には「お見合い企画」ということで、当然「結婚を希望する女性達」が大挙応募してくることになる。もしかすると彼は、どこかでTVの企画番組だから「一緒に月旅行を楽しんでくれる女性」が応募してくるものだと勘違いしていたのではないか。実は、これに応募した女性達の種類選考を始めたのが数日前なのだ。そこで彼は初めて数多くの「真摯な花嫁希望者」たちと向き合うことになった。そこで初めて、あまりに真剣で「結婚」を前提にしている女性達と向き合うことになった。宇宙飛行の訓練を想定して、既に会社を辞めて準備しているという女性までもがいる事実を知った。何かが違う。彼の中では「一緒に月旅行を楽しんでくれる女性」だったはずだ。みんな必死過ぎるのだ。だんだん彼自身の気持が萎えてきた。「気持ちの整理がつかない」という彼の言葉は、あまりにも真剣で「結婚前提」とした女性達が眼前にちらつき、うろたえてしまった彼の言葉なのだ。
本人はもしかしたら「ちょっとした出来心」で行った行為であったかもしれない。携帯電話に“自撮り”してあったというから、その犯行を動画サイトに投稿しようとする目的があった可能性は高い。おそらく「俺がこうして唾を吐きかけたピザでも、美味いって食べるヤツがいるんだ」とのメッセージでも付けたかったのか。ところが、このふざけた行為が「懲役18年」を求刑される結果となる。どうして、そんなにも重い求刑をされてしまったのか、答えは簡単で「生命を脅かす危険が潜んでいる」と裁判所で認定されたからだ。近年、トルコでも“不適切投稿動画”が大はやりで、一つにはそれら全般に対して「警告」の意味も含めて、このような重刑を与えたのではないかと推測されている。それにしても、トルコでは殺人未遂でも“15年”なのに、どうして“18年”なのかというと、あとの3年は「ピザ店の財産と信用を損なった罪」が加わっているからだ。実は、この男はピザ店の宅配バイトの店員だった。その日、彼は指定されたアパートの敷地内まで着て後、持ってきたピザに唾を吐きかけた。その後、きちんとピザを宅配したのだ。男にしてみれば、唾を吐きかけたところで、どうせわかるまい、という気持ちがあったに違いない。ところが、後日、彼は捕まった。なぜ、捕まったのかというと、商品に唾を吐きかけているところを、同じアパートの住人が目撃していたからである。さらにアパート敷地内にあった監視カメラが彼の行為の一部始終を記録に留めていたからだ。証拠が残っていては、言い逃れが出来ない。通常ならもっと“軽い罪”で済むはずだったが、検察は「唾の中に万一毒物や針など含まれていれば死に至る」と主張し、18年の求刑となった。こうして「ちょっとした出来心」は、自らの人生を窮地へと追い込むことになった。もっとも、これによって、トルコにおいて“不謹慎な投稿動画”が減っているかは定かではない。
ときどき「凄腕セールスレディー」の話は聞く。けれども、50歳までは専業主婦だった女性が、その後に仕事を始めて89歳になった時70億円を売り上げ“日本一”に輝いたとなれば、誰でも驚嘆する。しかも現在は99歳だが、今もって“現役セールスレディ―”なのだ。厳密にいうと、明日30日で99歳になる川上二三子氏である。彼女は、それを記念して『99歳、現役です!最高齢ニッセイセールスレディ―の生きかた働きかた』という本を上梓した。長すぎるタイトルが気になるが、99歳になって本を書くというのも中々珍しい。考えてみれば自伝というのは、このくらいの年齢になって書けば、文字通り“自らの人生”を語りきることが出来る。そして彼女のような人物がいるなら、50歳前後で専業主婦として生きてきた女性であっても「これからだって遅くない」と闘志を燃やすことが出来るかもしれない。奇妙なもので、人間は「ダメ」と思ってしまうとダメになってしまうし「これからだ」と開き直ると新たな展開が見えてくる。もちろん、やる気だけでなく「運」というものが微妙に関わっていることは否めない。その一つに、この川上二三子氏の場合、出生時のホロスコープで太陽が冥王星と150度アスペクトを持っていた、という重要な事実がある。私は昔『占星学秘密教本』という本を書いているが、その中で太陽と冥王星の150度アスペクトについて、何人もの実例を挙げながら「霊的生命力の持ち主」に見られるアスペクトだと表現した。つまり、特殊な生命力を秘めていて、それが個々の職業とか運命とかに強く作用していることを解説した。彼女の場合にも、このアスペクトの威力が働いていたことは間違いがない。99歳で現役であること自体が“特殊な生命力”であるともいえる。そればかりではなく、彼女の仕事が「生命保険」であること、まさに生命そのものは喪われたとしても、その後に亡くなった霊的生命が「保険金」を届けてくれる。これほど“霊的生命力”と奇妙な結びつきを持つ仕事は珍しい。もう一つ、彼女の初婚の時の夫は、結婚してすぐ戦地へと旅立ち、帰らぬ人となった。もしかすると、その“亡き魂”が生命力を発揮し、彼女の奨める「生命保険」契約を後押ししていたのかもしれない。
近年「LGBT(性的少数者)」に対しての認識と理解は急速に進んでいる。そのため公的な機関でも、それに対しての専門的対応が求められ始めたのは言うまでもない。以前なら公的な機関では、ろくに相手にもしてもらえなかった彼ら・彼女らが、或る意味では“貴重なお客様”として扱われるように変わりつつある。ただ実際には、そのための“特別枠”はまだまだぎこちない。そこで、ということか兵庫県の明石市ではLGBTに対しての施策を専門に担当する職員を公募することになった。これは地方のニュースで報道されたに過ぎなかったのだが、意外なほどの大きな反響を呼び、全国から応募者が殺到しているらしい。もちろん、採用されれば5年の任期付きだが市職員としての待遇になる。それはそうなのだが、何しろ募集枠は2人なのだ。まあ妥当な人数ではある。その採用枠に対して今現在で99人の応募が関東や九州なども含めて来ているらしい。明石市に転居する覚悟なのだろうか。実は、この公募には条件が付いている。つまり「専門的な知識や経験の持ち主であること」という部分だ。専門的な知識はともかく、専門的な経験ということは、当然のことながら採用される人物もLGBTの性的少数者であるということになる。逆に、それだからこそ99人もが応募している可能性もある。つまり、そういう人達は“通常の就職先”がなかなか得られにくいからだ。或いは得られても、不当に扱われるなど困難に遭遇している場合も多い。例えば男性でトランスジェンダーの場合、日本では“ニューハーフの店”であれば就職は簡単なのだが、必ずしも“水商売”を志向しない人もいる。そういう人の就職先は極端に乏しいのが現状だ。それだからこそ明石市としては、それらに対しての施策などを担当する専門部署を設けたわけだ。本当は全国にあるべきだが、今のところ対応できていないのが実情かも知れない。その結果として、全国から応募が殺到したのだと思われる。イスラム教国では法律的に“裁かれる”場合も多いLGBTだが、少なくとも日本は“法律的に救われる”方向に向かって徐々に動き出している。
イギリスはイタリアやフランスと並んで“ファッション最先端”の国であったはずである。美的意識の高さは、近年まで街のいたるところで感じられたものだ。ところが最近は、どうも“美的感覚”が鈍っているようで、ブレグジット(英EU離脱)記念硬貨を今月31日から発売することになったが、昨日、公開されたデザインはあまりにお粗末である。まず、記念硬貨にしては材質が良くない。おそらく、これまでの“50ペンス硬貨”と同一なのだろうが、そうだとすれば銅とニッケルとを混ぜたもののはずである。したがって、まず輝きが乏しい。色合いも、どこかくすんで見える。さらに、外形の形がおかしい。丸でも多面形でもない。奇妙にカーブの入った“七角形”である。どうせなら“正七角形”にすべきだった。また、表には文字が浮き彫りとなっている。「平和、繁栄、そして全ての国との友好」この言葉自体は素晴らしい。けれども、要するに“それだけ”をぎっしりと浮き彫りにしている。その下に小さく記されているのは、発行日の2020年1月31日の日付のみである。要するにデザインと言っても、これだけなのだ。何の図柄もマークも紋章もない。いや、文字を記入したいなら、せめてその文字だけでも、もう少しデザイン的にセンスを見せて欲しいのだ。さらに裏面は、これまでの“50ペンス硬貨”と同様エリザベス女王の横顔らしい。一応、予定では年内に1000万枚の発行を予定しているらしい。実は、今回の発行は“三度目の正直”で、最初は昨年3月29日に、次は昨年10月31日に、それぞれ発行予定だった。けれども、そのたび、合意出来ずに中止となった。そのためか、今回のデザインも、実は最初の時と全く変わらない。日付だけが入れ替えられている。そういう意味でも、記念硬貨にしては“手を抜いている”ような印象を受ける。しかも、最初の時には、金、銀、白銅の三種のコインを予定していたようなのだ。ところが、その準備に金を掛け過ぎたとかで、批判が大きく、何んとも“見栄えの良くない”記念硬貨の発行となった。イギリスの国会が時々テレビで放映されるが、その椅子など前時代的で古めかしく、あまりに質素な印象を与える。その割には極端に家賃が高騰している。もしかすると我が国以上に大変なのがイギリス国民なのかもしれない。
作家の伊集院静氏が、くも膜下出血で倒れて緊急搬送され、翌日手術して一応その手術自体は成功はしたが、まだ眠っている状態で意思確認は出来ていないようである。それに伴い妻で女優の篠ひろ子氏が本名の「西山博子」名義でのコメントを公表した。伊集院氏と言えば、幅広いファンを持つ小説家で、豪快な切り口で人生を語るエッセイストとしても人気があった。したがって新聞や週刊誌や月刊誌での連載が多く、それらを休止せざるを得ない状況に至っている。酒豪家、ギャンブラーとしての「顔」も持つ伊集院氏のことを、私が一番最初に知ったのは“作詞家”としてだった。誰のどんな歌だったか忘れてしまったが、その頃、新進気鋭の作詞家として「良い歌を書く作詞家だな」と思い、同時に「静だから女性なのだな」とも思ったものだ。ところが、そのすぐ後、今度は小説雑誌で“新人賞”を得ていた。そして、そのプロフィールを読んで「男性だったのか」と驚いたものである。さらに、それから少し経って、今度は週刊誌で女優・夏目雅子氏との恋愛・結婚が報道されるようになる。ところが、この結婚生活は長続きせず、あっという間に夏目氏は天国に旅立ってしまった。それからしばらく経って、伊集院氏は小説家として本格的に脚光を浴びだした。そうして私生活の方でも、今度は女優の篠ひろ子氏と結婚してしまった。大物女優二人と、次々と結婚したのは伊集院氏くらいではないだろうか。しかも、彼は夏目雅子氏との結婚以前にも結婚をしていて、実際には夏目氏とは長く不倫関係だったらしい。その一番最初の結婚で産まれた娘さんは、現在女優として活躍しているらしい。とにかく波乱の人生を歩んできたのが伊集院静氏なのだ。酒もギャンブルも健康には良くないが、何よりもがむしゃらなくらい仕事に取り組む姿勢に定評があった。だから、いつも多数の連載を抱え込んでいた。俗にいう「仕事に忙殺される」という状態だったに違いない。それが健康に良いわけがない。「忙殺」という言葉には真実が含まれているのだ。適度に忙しいのは良い。忙しすぎると寿命を縮める。忙しいことが“成功の証し”だと思っているような人が、もっとも危険なのだ。
私の懸念していたことが奇妙な形で実現しつつある。「豪」→「比」と続いた自然災害。その次の“自然災害”発生を「 」として、それが台湾か、日本か、ロシアか…と記しておいた。もちろん、中国も意識していたのだが、その“自然災害”が予期せぬ形で猛威を振るっている。これを自然災害と観て良いかは微妙だが、とにかく新型肺炎コロナウィルスの感染が止まらない。一番の問題は治療薬が見当たらないことで、急拡大していく中で早急な対策が求められている。北京大学の教授による推計では既に5500人もに感染している可能性があるという。公式な発表では23日午後3時までで876名、死者26名なのだが…。日本でもすでに感染者が出ている。ただ“死の病”ではない。重症となれば、その可能性もあるということ、さらに適切な治療薬が見いだせていないということ、丁度、中国の春節時期にぶつかったことで、一気に世界に広がる可能性が危惧されているだけだ。今回に関しては、各国とも対応が早く、今のところ一気に世界に広がる懸念は少ない。私は、もしこれが“自然災害の一種”と扱えるなら「豪」の森林火災も「比」の火山爆発も、その国の災害に留まっているので、同じように「中」の“新型ウィルス”に留まるような気がする。けれども、問題は“そこで終わるのか”ということだ。こういうものは体験的にいうと半年間くらいは連鎖する。したがって、もう一ヵ所くらいは“何らかの形”で起こって来るだろう。運命学を志す人にとって重要なのは、こういう一見関係ないような出来事を“共通パターン”として瞬時に把握できるかどうかなのだ。自然界の出来事というのは、ランダムに起こっているように見えながら、必ず、何らかの法則性を持っている。それらを的確に把握できれば、極端なことを言えば「占い」など知らなくても、占うことが出来るようになる。元々が古代の“賢人”と呼ばれた人には、そういう意味での予見能力を持っていた人が多かったような気がする。
アイドルグループ欅坂46で不動のセンターとされた平手友梨奈氏が「グループ脱退」を発表した。アイドルグループで使われる「卒業」ではなく自らの意志で「脱退」という表現を択んだらしい。強烈な個性でグループを牽引してきただけに、いろいろな憶測を呼びそうな「脱退」ではある。“不動のセンター”と祀り上げられながら、その一方ではグループ内で孤立していたとも言われる。私がここで彼女を取り上げるのは、その四柱命式でも、ホロスコープでも強烈な個性や才能が感じられ、そういう意味では“つくられたスター”“偽装されたカリスマ”ではないと感じるからである。但し、アイドルグループという観点から見ると、個性が強すぎるので、扱い辛い存在であったことは間違いがない。したがって「脱退」は、或る意味で当然と言えるものだった。このグループのデビュー当時から、私には気になっていたことがある。平手氏の額に掛かる前髪が少し長すぎるのだ。時々目までが隠れる。最近、こういう髪型というか、オシャレというか、意図的に行っている方々もいるが、目まで隠してしまうような髪型は良くない。前髪は眉までで留めておいた方が、運命学的に良いのだ。眼を隠すと、文字通り「心」を隠す。嫌でもそうなる。また上瞼一体が完全に隠れると、目上との間にトラブルが生じやすくなる。言ってみれば“反抗的”になるのだ。或る意味で、このグループにとってはその方がパフォーマンスに合っていたともいえる。その代表曲は「不協和音」で、正にその曲名通りにグループ内に不協和音が生れて、最終的に“弾き出された”のが平手氏なのかもしれない。だから「卒業」ではなくて「脱退」なのだ。さて“不動のセンター”が消えた槻坂46は継続できるだろうか。新たなるカリスマが出て来なければ、このグループの場合は難しい。一方の平手友梨奈氏の方はどうだろう。こちらの方はそれほど心配いらないが、十代半ばで「カリスマ」に祀り上げられた彼女は、自分をどこまで客観視できるかが、今後の運命を左右していくことだろう。特に目上の人達との関係をどう構築できるか、グループを脱退した今から、それは始まるのだ。
文春報道で俳優の東出昌大氏と女優の杏氏とが別居していることが明らかになった。そして同時に、東出氏が共演女優・唐田えりか氏と“不倫”したことがその決定的原因であるとも報道された。それらの報道を受けて、不倫恋愛となった双方が、それぞれの事務所を通じ「謝罪コメント」を発表している。もちろん、不倫そのものは良いことではない。けれども、世間に対しても謝らなければならない、という風潮が私には今一つ理解できない。本来、別居とか離婚とかはプライベートな問題である。そして“不倫”と呼ばれる既婚者が絡む恋愛も、プライベートな問題である。もしも仕事上で、例えば年間“CM契約”等で違反契約に属する条項に含まれていれば、それはその仕事関係者には謝罪が必要であろう。けれども、そういうたぐいの仕事がないならば、配偶者や家族への謝罪は行うべきかもしれないが、世間一般に対しての謝罪は必要なことなのであろうか。近年、何かと世間はこの種の有名人を叩くが、古今東西の歴史を調べても“不倫恋愛”や“愛人関係”が存在していなかった歴史など、どこを探してもない。かつて俳優の石田純一氏は「不倫は文化だ」と発言して徹底的にたたかれた。その一方で街には男女関係で山ほど遊んでいる人たちがいる。今から60年前には存在しなかった「ホストクラブ」が繁栄しているのは、男性達だけでなく、女性達も遊び出した証拠であろう。或いは、女性達もそれなりの収入を得て来た証拠ともいえる。家庭・家族を顧みない恋愛や遊びは確かに悪い。だから、その配偶者や家族に謝るのは当然である。けれども個々の家庭・夫婦・家族の“事情”のようなものもある。その全部を“一律”には論じられないのではないだろうか。けれども近年はどのような状況であれ「不倫は悪」として世間から裁かれる。言い訳など通用しない。今回も、だからこそ、双方が“謝罪コメント”を出した。ふたりは、本当に“過ち”だったのだろうか。それは“純粋な恋”ではなかったのだろうか。もし、その“ひとかけら”もなかったのだとすれば、そのことの方が“謝らなければならないこと”のような気が、私にはする。
それが何であっても、1位に選ばれるのは気持ちが良い。ましてや“おめでたいこと”ならなおさらである。このほど中国の旅行予約サイトで、興味深いランキングが発表された。今年の春節期間中、どこに出掛けるか、その海外ランキングで「日本」がダントツの1位となったのだ。都市別では、1位が東京、2位が大阪、3位が札幌、4位がソウル、5位がシンガポール、6位が京都、7位がプーケット…と続く。また国別では、1位が日本、2位がタイ、3位がフィリピン…と続く。このランキングを見ると、中国の富裕層は「日本がお好き」ということになる。ところで今年の中華圏における「春節」は1月25日である。つまり25日が「元旦」に当たり、その前日から1週間ほどが“春節休み”ということになる。なぜ中華圏では、毎年、異なる日にちを「春節」とするのか。もちろん、それは「旧暦」による1月1日を春節=元旦と見ているからだが、どうしてそうなのだろう。実は中国には昔から“二つの捉え方”がある。その一つは、日本と同じく24節気による「立春」を、文字通り「春節」とする観方だ。そして、もう一つが「旧暦=太陰太陽暦」による1月1日を「春節」とする観方だ。ところが、占いを嫌う共産党が支配するようになって以降「立春=春節」は排除されていったように思われる。もっとも、紫微斗数という占いでは、この太陰太陽暦による1月1日を、そのまま“年の区切り”として用いている“流派”もある。“24節気”の誕生は、中国の「殷の時代」まで遡る。最初は「二至(冬至・夏至)・二分(春分・秋分)」が突き止められ、やがて中国の戦国時代の頃に“24節気暦”は完成した。24節気暦というのは紛れもなく「太陽暦」である。けれども、その一方で、実生活においては“月の見えない夜”が「1日」で“満月の夜”が「15日」となる「太陰暦」の方が、何かと重宝しやすい。だから「24節気暦=干支暦」と「旧暦=太陰太陽暦」とを“重ね合わせながら使用する”風習が残った。それは、日本でも同様で、昭和の前半までは「日めくり」や「カレンダー」の中に、その両方が記載されていたものである。ところが「日めくり」などが廃れていって、しだいに「旧暦」は日常から排除されていった。だから、中華圏が東南アジア諸国も含めて「春節」を維持し続けたのに対し、日本では「カレンダー」にさえ記載されない国になったのだ。或る意味で、日本はアジア圏なのだが、文化的には欧米文化に近い「特異な東洋」となったのだ。
アメリカ人には時々、ユニークな行動を真顔でとる人がいる。カンザス州に暮らすデビット・オストロム氏もそういう一人だ。彼は今、妻から“離婚訴訟”を起こされ、その内容にひどく憤慨していた。そこで彼は真摯に裁判所に“難しい試み”の申請許可を願い出ていた。彼によれば、妻による“離婚訴訟”によって「自分の人生は台無しにされた」なんとしてでも、この屈辱は晴らさねばならない。そこで一番良い解決方法がある。決闘をするのだ。決闘によって、正々堂々決着をつけようじゃないか。ここは昔から、血統によって“正邪”を付けてきた街だ。まあ、確かに昔の“西部劇”では、そういうような決着のつけ方もあったとは思うが…。こうして、彼は裁判所に対して正式に「決闘による離婚」を許可してほしいと願い出ていたのだ。しかも、この決闘、銃口を向け合うものではなかった。なぜか彼は“日本刀での決闘”を望んだのだった。日本の漫画の読みすぎなのか。彼は真剣だった。彼は、今回の“離婚劇”は妻側の弁護士による“入れ知恵”に違いないと踏んでいて、だから、妻の魂と、その弁護士の魂とを、真っ二つに分つ必要があった。そのためにはどうしても日本刀なのだ。だから、それを購入・輸送するのに必要な12週間だけ待ってほしい。そういう形での「決闘許可」を我が州の裁判所が下してほしい。誰が、どう考えてもおかしな要求なのだが、本人は真剣そのものだった。やがて、彼は、あることに気が付く。もし、この決闘によって死者が出た場合、裁判の本質が歪められるのではないか。元々、この“離婚訴訟”そのものの“不当さ”を訴えたいのだ。けれども、死者が出てしまった場合、その本質は歪められ、理解してもらえなくなる可能性が強い。やっぱり、決闘の申請は取り下げよう。けれども、今のところ、裁判所は「審議中」として、彼からの“申請取り下げ”も認めていない。ここで興味深いのは、彼が買い求めた日本刀だが、ただ単に“二刀”だけを求めたのではない。“脇差”と呼ばれる“短い刀”まで求めていたのだ。普通の日本人なら、東映映画でもない限り日本刀で決闘はしないが、その場合でも“脇差”は差さない。左右に刀を差したら、重すぎて素早く動けない。大体、袴でも穿かないと、おかしなスタイルになる。どう考えても、裁判所はわざと決定を遅らせているとしか思えない。
或る雑誌に、12歳から芸能活動を始め、17歳で歌手になってTV番組エンディングでも使われ、その後大学に入って大学院まで出て外資系製薬会社で働き、33歳から別な大学で法律を学び、5年後に司法試験を突破し、3年前から弁護士事務所を開業し、時々ステージに立って歌も歌う。元アイドル・平松まゆき氏の記事が出ていた。弁護士になろうと決意したのが33歳、すぐに会社を辞め一日16時間の猛勉強を始めたという。彼女の場合、アイドル歌手としても、まったく目が出なかったわけではない。けれども、純粋にもっと勉強がしたいと大学に進んだ。歌手を継続しながら学ぶことも出来たかもしれないが、それを択ばなかった。芸能界を完全に引退したのだ。そして大学院に進んで外資系企業に入り、そのままいれば出世した可能性もありながら、生きがいを感じられずすっぱり辞めている。そしてぜんぜん別個な大学で新入生として法科を学んだ。人は“一度手にした座席”をなかなか手放せない。それに手放して、その後が上手くいくという保証もない。けれども、昔から「二兎を追う者は一兎をも得ず」というではないか。本当に何かを得ようと思うのであれば、何かは犠牲にしなければならないことが多い。彼女の場合、最初「歌」を犠牲にして「勉学」を得た。そして外資系企業で普通に働いた。けれども何かしら“満たされないもの”が残った。そういう中で報道ドキュメンタリーで弁護士の必死な活動を見た。ぬるま湯につかっている自分が許せなくなった。そこで会社を辞め、振出しに戻って法科に入学した。一日16時間の勉強が始まる。それでも、すぐに合格はしなかった。司法試験の壁は生易しくなかったのだ。もし彼女に“アイドル歌手”としての“過去を懐かしむ”部分があったなら、途中で挫折していたことだろう。昔、マライア・キャリーに憧れた少女は、完全に“過去の自分”を葬っていた。その結果、5年の年月を経て見事合格し、故郷に弁護士事務所を開設出来たのだ。そして、いつの間にかステージで「歌」まで歌うようになっていた。ちょっと意地悪な神様は、時々人間を試したりする。すべてを奪ったりする。そうして、見守りながら、ギリギリのところで、そっと手を差し伸べる。
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