1月, 2021年

仙台には「生きたままの恵方巻」がある⁉

2021-01-19

今年の「恵方」はどの方位だったか、自分自身が「開運暦」を制作しなくなると、私などは“それ”すらも忘れてしまう。大体、今年の場合、どの方位が「恵方」であれ、その方位に出掛けることもままならない。だから、そういう意味では「恵方巻」などどうでも良いのだが、仙台市には世にも珍しい「生きたままの恵方巻」が存在していた。この恵方巻にはアナゴが“生きたまま”詰まっている。まさに“詰まっている”としか表現のしようがないほど、びっちびちにアナゴが顔を出しているのだ。これを展示しているのは仙台市の水族館で、節分を前に水槽の中に「恵方巻の模型」を作り、2月3日の節分まで「生きたままの恵方巻」を展示している。元々アナゴには“細長い空間”に隠れたがる習性があり、放っておいても“擬似恵方巻”の中にアナゴが入っていくらしい。しかも何匹も何匹も入っていくので、ぎゅうぎゅうに詰まってしまうのだ。その姿が実際の恵方巻に“詰まっている具”のようにも見えるから不思議だ。ところで「恵方」に戻るが、書いている内に想い出した。開運暦的には「歳徳神」の宿る方位ということで、今年の場合には「南南東」が“その方位”にあたるはずだ。今年の十干である「辛」と“干合する方位”で、この方位盤としては「24山方位」と呼ばれる方位区分を用いる。断っておくが、その年の“吉方位”は「歳徳神」の方位だけではない。実際にはさまざまな“吉神”や“凶神”が居る。それらを気にし過ぎると、コロナでなくても、どこにも出かけられなくなってしまう。「方位信仰」としか言いようのないような人が世の中には居て、どこに出掛ける場合でも“吉方位”“凶方位”を気にしているが、こういうものは気にし出すときりがないもので、海外旅行とか、国内でも長期旅行とか、住居の移動とか、職場の移動とか、それら以外はあまり気に掛け過ぎない方が良いような気がする。ただ毎日のように出掛ける方位がある場合は、それは気にした方が良い。なぜなら“繰り返しの方位”が、方位効果としては最も強いからだ。だから仮に今年の場合「南南東」に向かって毎日出掛けていれば、それは「歳徳神」の“恵”を受けられる。もっとも、南南東に商店街とか神社仏閣とか公園とか飲食店とかでもない限り、毎日通うのは難しい。まあ6月に「南南東」に“長距離旅行”でもすれば効果はあるのかもしれないが…。

人生は元々「不公平」「不平等」なもの

2021-01-18

菅内閣の支持率が低下している。さまざまな状況から見て、それは致し方がない。菅氏自身が、総理誕生の時には“運気の絶頂”であり、それが自分の“人生の頂点”でもあることを、どこかで予感していたのではないだろうか。「GoToトラベル」にしろ「緊急事態宣言」にしろ、マスコミがあおったことであって、必ずしも“政府主導”で動いた施策ではない。一般大衆というのは、脆くて移ろいやすい習性を持っている。マスコミが連日、煽り続ければ黙っていても“風向き”は変わる。そういう点では、日本の場合、マスコミ操縦の上手い人物が人気を一身に集めたり、権力を握ったりできる。ネット上の記事を読んでいたら、東京では飲食店を経営していれば、その規模に関わりなく、一日6万円もの“給付金”が出るらしい。その人は本業ではなく、副業的に「バー」を2件営んでいて、したがって一日12万円もの“給付金”が入って来ることになったらしい。その金額は、実際に営業して得る“売り上げ”よりもはるかに多いのだという。そうかと思うと、店舗規模が大きい店では、一日6万円ではとても経営が持たないという。もちろん、これは東京の話で、この“給付金”に関しては全国一律ではない。私の暮らす札幌では、とてもそんなに大きい額の“給付金”など得られないはずだ。また、仮に得られたとしても、実際に大変なのは飲食店だけではない。ホテル業界でも、旅行業界でも、土産品業界でも、タクシー業界でも、医療業界でも、アパレル業界でも、航空業界でも、芸能関係でも、接客業界でも…数え上げればきりがないほど、“コロナ余波”を受けている業界は多い。そうかと思うと“コロナ特需”に沸く産業もさまざまあって、一概に「良い・悪い」を決めつけられない。ただ、明らかに国家としての財政はひっ迫しつつある。多くのマスコミは「このようなことはかつてなかった」とか「人類がこれまで経験したことのない」などと言うが、決してそうではない。われわれは昔、何度か“疫病”や“感染症”に苦しめられた歴史を持っている。欧州でのペスト流行など、当時の人口の3割を失ったという地域さえある。第一次世界大戦や第二次世界大戦だって、多くの人達が犠牲となった。そういう時に“節目の行事”が重なっていた人たちもたくさんいる。みんなが「同じ環境・時代」を与えられるわけではない。多くの人は、“生まれて来る環境の違い”には理解を示すが、“生まれてくる時代の違い”にはそれほど関心を示さない。時代的な“違い”の方が、或る意味一律で「吉・凶」を与えられている。比較的「穏やかで恵まれていた時代」が長く続いたので、あたかも“そういう時代”がずっと続いてきたような錯覚を持っているに過ぎない。われわれは元々“公平”でも“平等”でもなく、それぞれの違いの中で“もがきながら”生きて来たのだ。

「葬儀」は消えても「銃」は消えない社会

2021-01-17

アメリカのテキサス州は昔から“銃規制の緩い”地域で、あそこへ行けば「再生できる」と自信をもっていうのもわからないではない。昨日、アメリカのニューヨークにある「全米ライフル協会」が経営破たんし、日本の“民事再生法”にあたる“連邦破産法”の申請をしたことが明らかになった。今日のアメリカは「銃」よりも「コロナ」の方が“怖い”ということか、“銃規制”を求める声が強くなってきたからか、最近は銃の売れ行きが芳しくない。そんな今でも、テキサス州であれば間違いなく「再生できる」のだ。だから「ニューヨークでの仕事に見切りをつけた」というのが本音らしい。例え経営が破たんしようとも、“銃販売”を止めようなどとはさらさら思っていないのだ。アメリカ人の多くは、自分の生活に「銃」が必要だと思っている。周りが持っているのに、自分だけが持っていなければ「自分も、自分の家族も守れない」というのが、彼らの言い分なのだ。そんなアメリカにも「銃」よりも怖い存在が出て来た。もちろん「コロナ」だ。日本の何倍もの比率で感染死者数が増えていく現状は、アメリカ人がほんとうは「銃を棄てる」良い機会なのだが、“銃で飯を食っている者”たちが多数いる現状では、われわれが想うほど簡単ではない。コロナによる死者数は、銃による死者数よりもはるかに増えたが、その一方で「葬儀会社」が天手古舞になっている。なにしろ、死者はどんどん運ばれてくるが、うかつに手を触れることが出来ない。或る程度、遺体には“距離空間”が必要である。そうなると、次々と葬儀を依頼されても簡単には引き受けられない、という状況が出てくる。ロサンゼルスにあるボイド葬儀社では、今年に入って既に16家族からの“葬儀依頼”を断ったという。遺体を安置しておける場所がないのだ。今では葬儀の8割が“コロナ死”によるものなので、増えていく死者数を消化しきれない。通常、仕事が増えれば“儲かる”はずなのだが、通常よりも時間と労力を必要とし、感染の危険をも背負っている葬儀会社では簡単にアルバイト要員を増やすことも出来ず、疲労困憊の中で仕事を続けている。

首相が「自転車通勤」しているのが“驚き”

2021-01-16

オランダと言えば車の数よりも“自転車の数”が圧倒的に多いことが特徴の国だ。もちろん、これは“環境”への意識が強いことを表している。ただ、そのオランダでは首相自身も「自転車通勤」であるとは知らなかった。それを知ったのは、いみじくもマルク・ルッテ首相自身が15日「内閣総辞職」を決断したことが報道されたからだ。ほんとうは“総辞職”しなくても、3月17日には“任期切れ”となって、総選挙が行われる予定であった。しかも、情勢分析では“選挙に勝利する”可能性が高いとされていた。それなのに、2ヶ月も早く自ら“総辞職”を決めてしまった。どうして決めてしまったのかというと、自分たちの政権が犯した「過ち」に気付いたからである。税務当局が、貧しい約一万体の世帯に“不当自給”の疑いをかけて、いったん支払った「児童手当」を強制的に返還させたのだ。当然、困窮する家庭が続出し、改めて調査し直して“不当返還”であったことが明るみに出た。この責任を取っての“内閣総辞職”なのだ。詳しい経緯がわからないので、うかつなことは言えないが、ただ首相自身は知らないうちに“行われていた”出来事であった可能性が強い。それでも、世論とは関係なく自ら“総辞職”を決意したらしい。そこで、自転車通勤の首相を報道陣が取り巻くような景観となった。報道写真から見る限り、SPが警護している様子もない。毎日、こうして“自転車通勤”をしていたのだろうか。もちろん、彼が“まだ若い”ということも、これを実行させる一つの理由かもしれない。けれども同時に、これはオランダ国民の「政治に対する考え方」を表す“行為”でもあるような気がする。彼らは、あくまでも“政治家”を“公務員の一種”として捉えているのではないか。もちろん、そのこと自体は日本だって、世界だって変わらないのだが、そうではあっても「政治家」という職種を、一般の公務員と“同列”に捉えている国民は少ない。少なくとも日本人は違う。おそらく、オランダでは“同列”なのだ。だから、仮に首相自身が知らなかったとしても、一万世帯の国民が“不正”を受けたなら、その内閣は責任を取らなければならない。そういう国民であり、そういう首相だったのだ。

「アンチはゴキブリ」という表現力は優秀⁉

2021-01-15

格闘家の中には俗に「ビッグマウス」と呼ばれる人たちがいる。つまりは対戦相手を“威嚇する”かのような発言を繰り返す人物のことだ。その一人に、昨年の大みそか格闘技大会「RIZIN」に出場して2回途中で“TKO負け”を喫した平本蓮(22歳)選手がいる。元々K-1の戦士で、今回の“総合格闘技”はやや勝手が違ったのかもしれないが、それにしても2回途中でTKO負けは大戦前に“豪語”していた内容とはあまりに違い過ぎた。しかも、試合後のインタビューもすっぽかしたらしい。まあ“お行儀”が良くない選手の代表のような人物だが、格闘技で戦う選手には、多少そういう“向こう見ず”な部分を宿している方が良い。彼は自身のYouTube動画の中で、自分はまだ負けていないからインタービューを避けた。“アンチはゴキブリ”だから、そういう奴の意見なんか聞く気はない、という種類のことを言ったようだ。これまで自分に対して批判的な人のことを、さまざまに表現する人がいたが「ゴキブリ」と言い切ったのは、私が知る限り彼が初めてで、その表現力には感心させられる。ただ彼に“意見”する人の中には、彼のことを思っての人も、中に入るかもしれないので、その全部をひっくるめて「ゴキブリ」と表現するのは、いささか配慮には欠ける。けれども、まだ22歳であるから、その辺は大眼に視よう。格闘技で「ビックマウス」と呼ばれた人の中には、その後に大成していった人が少なくない。或る意味では、相手を威嚇したり、挑発したりすることで、自分自身を鼓舞しているともいえる。昔から「弱い犬ほど良く吠える」と言って、ほんとうに自信のある者は、決戦前は無口な場合が多い。口数が多いのは、それだけ“不安”があるからだ。ところで、平本蓮選手は、今後、練習の拠点をアメリカに移すらしい。もっと総合的な観点から、入門・志願できる人物や環境がアメリカにあると踏んでいるようだ。確かに、格闘技者は昔の“道場破り”ではないが、さまざまなところで“腕を磨いた”方が良い。これは“格闘技”だけでなく、あらゆる世界に通ずることである。優れた仕事人ほど、自らの“わざ”に満足していないものだ。

 

「日経平均」が「バブル期」を超えた⁉

2021-01-14

昨日、4日続伸の「日経平均」は292円高の28456円で引けた。このニュースは「緊急事態宣言」の府県が拡大する現状を伝える報道に隠れて、ほとんど取り上げられていない。それもそのはずで「どうってことのないニュース」だからだ。ところが、一見、どうってことのないニュースに思われるが、実はそうではない。この“株価”は、あくまでも「円」での価格なのだが、欧米人投資家の多くは“ドル換算”をする。そうすると世界各国の株価を“同一基準”で判断しやすいからだ。そうすると、どうなるのかというと、何んとかつてのバブル期1989年12月27日につけた「273.07ドル」を抜き「274.46ドル」となるのだ。もちろん、為替レートが当時と今とでは全く違うので、単純な比較はできないが、ただ“抜いた”ことだけは間違いがないのだ。そして、それは、私が昨年、いみじくも“冗談っぽく予言した”「ニューヨーク・ダウ」も「仮想通貨」も「日経平均」も、そのすべてが“最高値”を得ていくという“期待を込めた予告”を、或る意味で実現したことになる。もっとも、それはあくまでも「ドルベースの話」で、やはり「円」によって実現しなければ、ほんとうの実現とは言えない。ただ、3月までに「日経平均」が3万円にタッチすれば、或いは超接近すれば、その可能性は大いに出てくる。前にも述べたように、11月以降の「日本株」は“何かが変わった”のだ。それまで、ちょろちょろとしか動かなかった「日経平均」が“のびのび動く”ように変わったからだ。もちろん、それに比べて実体経済の方は、ますます悪くなっている。なにしろ感染に“歯止めが掛からない”のだから、どうしようもない。このままでは「明るい未来」が描けない。ところが「占い」でも、そうなのだが、一見、どうしようもないような“どん底”の中で、新たなる「運」が始動し始める。だから、ほとんどの人は、その“新たなる動き”に気付かない。「幸運」というのは「不運」の“どん底”にある時にスタートするものなのだ。だから、そういう意味では人はどんな時にも「希望」を失ってはならない。多くの人は「もうダメだ」と簡単にチャンスを投げ出してしまいがちなものだが、そういう中で“小さな幸せ”を見つける“研ぎ澄まされた感覚”こそが、幸運を引寄せる“第一の鍵”なのだ。

「五輪」のイメージが「プロ選手」を直撃する

2021-01-13

外食チェーン大手のリンガーハットがコロナ禍による“業績の悪化”で「プロ契約」を結んでいた男子体操選手の内村航平氏との所属契約を、昨年12月31日で打ち切っていたことが明らかになった。本来であれば2021年12月までの契約であったが、本業の赤字幅が“想定以上”ということで打ち切らざるを得なくなったらしい。これは企業として当然のことで、大手企業に所属する“プロスポーツ選手”はことごとく、そういう可能性を持っている。CMに使われている映画俳優やタレント、芸人でもまったく同様であって「企業の顔」として有名人を“広告塔”にするわけだが、その企業自体の成績が悪化していけば“広告宣伝費”としての契約を見直すのは当然のことと言える。さらに、もう一つ、今回の場合には“別な理由”がある。ここに来て「東京五輪」そのものが、もはや“不要”とする意見が目立ち始めていることである。なにしろ、今の状況が続けば、実質的に観客を入れての開催が難しい。そうなれば「五輪」の魅力は半減するわけで、そこまでして開催すること自体が危うくなっている。「五輪」自体の“人気”が低落すれば、それに対して多大な広告宣伝費を割くことは出来ない、ということになってくる。私はあまり有名人のことに詳しくないので、よく知らないが、おそらく内村航平選手だけでなく、さまざまな五輪候補や人気選手が大手企業の所属となって、事実上の“プロ選手”になっていることだろう。けれども、コロナ禍によって、その影響をあまり“受けない企業”と、もろにその影響を“受けている企業”によって、収益の増減が真っ二つに分かれつつある。どちらかというと、あまり広告宣伝を必要としない地味な企業は影響が少なく、広告宣伝を必要とするような派手な企業・職種ほど、その影響が強いように思われる。したがって、そういった企業がスポンサーとして就いているスポーツ選手たちは今後の“契約更新”が業績不振から危うくなっている。もちろん、スポーツ選手だけでなく、映画俳優とか、歌手とか、タレントとか、芸人とか…企業“お抱え”で生きてきた人達は、危うい可能性が出て来たのだ。これ以上“コロナ”が拡散し、経済活動が収縮してしまうと、大手企業であっても予断を許さなくなる。生き残れるか、恵まれていたプロスポーツ選手⁉

知らず「無申告」となりそうな人たち

2021-01-12

昨年から今年にかけて“コロナ拡大”の影響によって、多くの職種で“勤務”や“収入”の変化が生じた。その結果、時間の余裕や収入の不足から“副業”を始める人も多くなった。副業と言ってもさまざまで、女性の場合には会社通勤の仕事や収入が減った分を“接客業”や“風俗業”の所謂「水商売」で穴埋めしようとする人が出てくる。これは何も今に始まったことではなくて、大昔から家庭の事情などで、そういう人達は居た。昔は、保険の外交員とスナックなどのホステスが多かった。それが現代では「保険」では高収入を得られなくなったせいもあって、キャバクラなどに流れていく。昨年12月、大阪地検に告発されたキャバクラ勤務のホステスは会社勤務と並行してホステスをしていたため、税務署に「無申告」でも気付かれにくかった。もちろん、会社からは黙っていても税務署に納税される。だから、本人も「行っている」ような錯覚を持ちやすい。そうでなければ、いくら何でも三年間で数億円もの収入がありながら「無申告」で居られるわけがない。実際には何年にもわたってそうしていたのだが、法律上、遡れるのは三年前までなので、その間の金額となったのだ。法律上では課税分も含め6千万円以上の“脱税”となり、悪質ということで刑事告訴もされたらしい。思わぬ副収入とかアルバイトの“金額”の申告は難しいもので、大体が本人自身が“申告の義務”を知らないでいる場合も多い。会社勤めで得ている収入から申告していれば、予期せぬ収入が入っても、課税されない錯覚に陥りやすい。これが大きな遺産相続などだと、最初から“税金分はいくら”として伝えられるので問題ないが、例えば「仮想通貨=ビッドコインなど」に課税されるというのは見逃しやすい部分で、会社勤めの場合に「無申告」となりやすい。これは、同じ仮想通貨同士の交換時点で“発生”する仕組みだそうで、そういう点を見逃しやすいのだ。だから、実際には日本円に現金化していなくても“課税対象”となる。もっと、やっかいなのは「ちょっとしたバイト」という形で近しい人から、お店の店員とか、土曜日だけのホステスとか、人手不足の時の作業員とか、そういう形での“副収入”の場合だ。これはきちんとした会社だと明細書をくれるが、家族とか親戚とか友人とかだと、現金の手渡しで終わりとなるようなことも多い。ささいな金額の場合には税務署も追及しない。ただ何かのコンテストで賞金を得るような場合、これは賞金が20万円以上だと“課税対象”となる。私は昔、丁度20万円の賞金をいただいた時、その新聞社はわざわざ申告用に「199999円」と記してくれたものだ。

「氷点下」の冬になると…

2021-01-11

当たり前の話だが真冬は寒い。私が暮す札幌は北海道の中では“比較的暖かい方”なのだが、それでもやっぱり寒い。ただ、30代まで暮らしていた室蘭と比べると「天国」のように暖かい。実は「気温」だけを比べると、札幌と室蘭とではそんなに違わない。なのに私の記憶では、室蘭は「極寒」で、札幌は「寒冷」といった表現が当てはまる感じで、室蘭の方がはるかに寒かった。それは海岸が近く、真冬になると強風が吹き荒れるからだ。体感温度は、この強風の吹き荒れる大地の記憶を消すことが出来ない。とにかく身体の中を強風が吹き抜けていく。防寒具など、いくら着ていても話にならない。強風は大地の真下から怒り狂って走り抜けていく。そういう表現がぴったりの風が行く手を阻む。私は車を持っていなかったので、歩くしかなかった。強風に逆らって前に進むのは容易ではない。一歩進むと、二歩押し戻されるのだ。これではいつまで経っても、目的地に着かない。ところが、時々、強風が無風に変わる時がある。ほんの7~8秒くらいなのだが、無風状態となる。だから、その時に、必死で進む。だが、またしても大地の底からの強風が襲ってくる。いったん、強風が吹き荒れだしたなら、4~5分は吹き荒れ続ける。だから、4~5分間はその場に耐えて、7~8秒間進んで、また4~5分間耐えて…の繰り返しとなる。そうやって、私は学校や職場に通った。だから、奇妙なのだが、もうあれから何十年も経っているのだが、未だに夢の中で外に出ると、そこは十代・二十代の時に視た室蘭の道路なのだ。どうしてなのかわからないが、札幌の道路は出て来たことがない。整備されている札幌の道路ではなく、土色が剥き出しになっている室蘭の道路なのだ。夢の中から目覚めて、札幌に居ることを確認して、私はホッとする。職場に向かって家を出る夢の時にも、私の意識は室蘭にあって、冬場は人気ない道を歩いていくのだが、強風のため仕事に遅れる時間になってしまう。あの真冬の大地から吹き荒れる強風が嫌で、子供の頃から早く室蘭を出たかった。それなのに、室蘭を出て何十年も経ったのに、未だに“全身を吹き抜けていく強風”を怖れるのはなぜだろう。しかも、今は職場に向かうという行為さえしていないのに…。

人生の「スタート」は“記憶に残る”方が良い

2021-01-10

人生、何事にも“スタートの時”というものがある。「出生」に始まり「入園」「入学」「卒業」「就職」「結婚」「出産」「独立」「開業」などなど、さまざまな“スタートの時”がある。例えば、去年、学校を卒業して、就職したような人の場合、みんなに祝ってもらう形での“卒業式”も“入社歓迎会”も、おそらくだがなかったに違いない。今年、入学予定の子供達も、入社予定の新社会人たちも、同じように周囲から祝福される形での入学や入社は出来ないかもしれない。“結婚式”だって、昨年の春に予定していて、一年“延期”して待ったような方達にとって「来年なら出来るだろう」と待ったあげくに中止するのは、いかにも“縁起”が良くない。世の中、昨年から今年にかけては、改めて「運」というものを感じた人が多いのではないだろうか。けれども、私は“こういう事柄”がある方が、あらゆる人間にとって「運」というものが関わっていること。コンピュータでは「未来」は正しく予測できない、ということを理解させるうえでは良かったと思っている。多くの人は、時代が進めば「運命」などというもの自体が“絵空事になる”と捉えていた。ITが“すべてを解決”するかのようなことを言う人達がいた。けれども、そうではないこと。やはり、眼に視えない「運命」或いは「運」というものが、それぞれの人生の根底には横たわっていること、それを無視しての人生はあり得ないこと、それに気付かせてくれたのだ。誰もが、時代というものと無関係では生きられない。嫌でも“時代の洗礼”は受けながら生きていく。長い人生には“良い時代”もあれば“悪い時代”もある。人生、ずーっと良いことばかりの人生もないし、ずーっと悪いことばかりの人生もない。それは“長く生きなければわからない”部分で、あとから想い返した時に“普通に良かった事柄”はいちばん記憶に残らない。どういうわけか、ものすごく「幸運だった時」と、ものすごく「不運だった時」言い換えれば、悦びにあふれていた時期と、哀しみで打ち震えていた時期とは記憶に残るのだが、“普通に良かった時期”というのは記憶から抹消されていく。だから、誰が悪いのでもなく、不運によって「周囲から祝福されないスタート」を迎えたとしても、それがかえって記憶に残り、のちのち“あのときの経験”が活かされる時が、必ずやってくる。だから、人生のスタートは多くの人から“祝福されない”方が良い。

「見えない敵」の次は「見える大雪」が来た

2021-01-09

“感染症”は「見えない敵」だが、“大雪”とか“猛吹雪”とかは「見える敵」となる。その「見える敵」が猛威を振るいそうなのが、この冬である。大雪のためか、寒波のためか、秋田や新潟では4万戸以上で“停電”が発生し、本来は「見える敵」なのだが、視えなくなったりしている。北陸では120㎝、東海、近畿、中国では70㎝、東北、北海道では60㎝、福岡でも15㎝…と、全国的に「雪が降る」。私は昔、この「雪が降る」という歌が大好きだったが、大雪になると、話が違ってくる。それこそ停電が起きたり、交通がストップしたり、孤立する地域が出てきたりする。真冬の停電は、北国においては一刻を争う。あらゆるものが電気と繋がっていて、使用できなくなってしまうからだ。特に氷点下の中で暖房が止まってしまうと、生命の危険にも直結する。とにかく、このところ「我が地球」は、なぜか自己主張が強くなっていて、視えない敵、視える敵…といろいろ“刺客”を各地に送り込んでくる。まるでアニメの主人公のように、われわれは“それら”に立ち向かわなければならない。アニメの主人公たちの場合は、いろいろなアイテムによって“打ち勝てる”から良いかもしれないが、われわれの場合には「マスク」とか「スコップ」とかのヘンチョコなアイテムしかない。これらだけでは、とうてい“視えない敵”にも“視える敵”にも、勝てそうにもないぞ。どうすれば良いのか。「我が地球」は、もし“打ち勝つことが出来た”なら、プレゼントしてくれるということで、どんどん“世界の株価”を吊り上げて来ている。確かに、それらは魅力的だが、その前に「マスク」や「スコップ」みたいなヘンチョコなアイテムではなく、もっと強力なアイテムを与えてくれないか。そうでないと勝負にならない。“強力な敵”にあっけなく打ち滅ぼされてしまう。われわれは案外ひ弱でデリケートなのだ。ん? もしかして、かつて地球を支配していた恐竜たちも、われわれと同じように“視えない敵”や“視える敵”にやられたのか。それにしても、どうして「地球」は怒っているのか。いつから、人間たちを嫌いになったのか、いつから「敵」に回ったのか。

「超大物」なのか「ヤバい奴」なのか

2021-01-08

どちらかと言えば「堅実志向」の若者が多くなった中で、異彩を放っている人物がいる。「霜降り明星」という漫才コンビの1人「粗品」こと佐々木直人氏である。競馬や競艇が好きで大金をつぎ込む“破滅型⁉”の芸人らしい。芸能人には昔から“ギャンブル好き”な人が少なくないが、借金してまで行う人物はそうそういない。「粗品」(それにしても、どうしてこういう名をつけたのか、この名前だと手元に残らないではないか)の場合、これまで常に借金生活だったようで、もちろん“ギャンブル”に負け続けての借金である。つまりは、ギャンブルの才能はない。漫才の方は人気急上昇であるから、十分に才能を持っていると思うが、それに“売れっ子”で忙しいはずなのだが、その忙しい合間を縫って“大博打”をうち、その結果として負け続けているようだ。昨年10月には「3日間で700万円失う」として、ニュース記事にさえなった。また昨年末にも競輪で大博打をうって400万円を失っている。もちろん、これらのお金は「借金」による。大体、借金でギャンブルを行うこと自体が問題だが、所属事務所だけからの借金では足りず、身近な人たちからも借りまくっているらしい。本人曰く、人気が出て収入が多くなったので、“借りる枠”が増えて、その分借金の金額が増えているそうだ。昔から芸人には“借金まみれ”の人物も多いが、この“ギャンブルによる借金”というのが、いちばんたちが悪い。なぜなら、こういう人達は「ギャンブルで一発当てて借金を返そう」という発想の仕方をするからで、大体が“借金”を生み出した元凶で「勝てば返せる」と思うこと自体がおかしい。ただ、昔から「ギャンブルで借金をする人」には芸術・芸能の分野で“とびぬけた素質・才能”を秘めている人が多い。そういう意味では、この人も間違いなく芸人として才能は持っている筈で、今後も活躍するに違いないが、昔、横山やすし氏もギャンブルで“借金まみれ”だったが、そのうち生活が荒れて来て、その後半生は“トラブルだらけ”に変わってしまった。実は「粗品」の四柱命式は「棄命従財格」に近く、この干支配合は「才能」か「女性」か「お金」か、そのどれかに人生を捧げて生きていく生れである。そのため「我が命」さえも棄てる可能性ある生れなのだ。早く結婚してしまえば「妻のために命を捧げる」人生に変わる可能性もあるのだが…。

« Older Entries Newer Entries »