1月, 2021年

「運命」に翻弄される「マネーの虎」

2021-01-07

「ひばり御殿」とも称される「美空ひばり記念館」の経営危機がこれまでにも何度か報道されている。それが今回は実弟の長男で“養子”となっている加藤和也氏が泣きついて、パチンコメーカー「京楽」が“肩代わり”する形で窮地を救っていたことが報道された。生前、美空ひばり氏が実の子供のように可愛がり、その“全遺産”を相続した加藤和也氏だが、近年は「借金」の話しか聞こえてこない。多くの人が最初に加藤氏を知ったのは昔、異色のTV番組として注目を浴びた「マネーの虎」に出演して以降のことである。その番組では、当時、一世を風靡していた“大金持ち”たちが、何らかの事業を立ち上げようとしている若者たちに“必要な資金”を提供して、その後の事業を応援する、という内容だった。もちろん投資資金なので、もし儲かれば“出資金”以上の見返りがある。但し、事業が失敗して投資金を失ったとしても、それは自己責任という方式で、“事業企画”を持ち込む方も、受けて立つ出資者の方もガチンコで真剣なやり取りが大変に面白かった。その“貸し出す側”として「若き成功者」として、大金持ちとして出演していたのが加藤和也氏であった。言ってみれば、現在とは“逆の立場”だったのだ。もっとも、この番組は奇妙な番組で、ここに出演した多くの“大金持ち”が、その後になって事業が破たんし、零落してしまっている。まさに、奇妙な“因縁”としか言いようがないが、中には無一文になってしまった人物さえいる。そういう意味では、まさに「マネーの虎」の典型が加藤和也氏なのだ。私の研究によると「金運」が身に付く人というのは、決して“一挙に”身に着けてはいない。もちろん、或る時期から“急拡大”することはあるのだが、基本的には“徐々に増えていく”タイプの金運を持っていて、一挙に何千万とか、何十億とか、あっという間に手にしていくような人は稀である。大体、あっという間に手にする場合というのは、何の苦労もなく“手に入れる形”で、そういう形で手に入れたお金というのは“身に付かない”ケースが多い。もっとも、中には“投資”や“ギャンブル”や“遺産”によって、何千万、何十億と手に入れる人たちがいないわけではない。ただ、そういう人で、その後もお金を増やしていくのは元々“特別な金運”を持っている人で、十代の内に何千万なり、何十億なりを手にしている場合が多い。もちろん、そういう人であっても、長い人生の内には“借金”を背負うようなことがあったりする。それでも、そういう人達は、仕事に対しては人一倍“意欲的”である。黙っていても、お金が増えていくような人ほど、仕事を“生きがい”としている人が多い。そういう意味では加藤和也氏は本当に“自分の仕事”と言えるようなものを持っていたのだろうか。

「重要」な人たちと「不要」な人たち

2021-01-06

「成人式」が各地域によって、対応が分かれそうである。元々「成人式」は“地域差”の大きい行事だが、今年の場合には特に、そうなってしまいそうな雰囲気である。既に「執り行う」と宣言している地域と、早くから「中止」と宣言している地域とがあるようだ。各地の行政に任せられている行事なので、最終的には各地行政のトップが決断する事項となる。私、個人は「成人式」に参加したと思うが、まったくと言ってよいほど、その記憶がない。まあ、記憶に残らないほどの平凡な儀式だった。むしろ、私が記憶に残っている「成人式」は“占いイベント”に呼ばれて参加した方の成人式で、確か、2度参加しているのだが、一度目はまだ若い頃で、成人式を終えたばかりの若者たちを、私一人が“5分刻みに占っていく形式”のものだった。多分、私の生涯で「もっとも長蛇の列となった」記念すべき“占いイベント”だった。どうして、あんなにたくさんの人たちが並んだのか。理由は簡単で、その会場にやってくると主催者側から“記念グッズ”がもらえるからだった。つまり、私の「占い」が目当てなのではなくて、あくまでその“グッズ”欲しさにやってきた人達が「ついでに占ってもらおうか」という感じで並んでいたに過ぎない。もう一つ、理由があって、そのイベントでは主催者側からギャラが出ていたので「占い」そのものは無料であった。もしかしたら、5分間という短時間なのも、並んでも大したことはない…という気安さも手伝っていたかもしれない。とにかく、そのイベントは大成功だった。私は“安いギャラ”でくたくたになった…ということを除けば…。大体、その時の質問は決まっていて、相手のいない人からは「良い人が現れるか」であり、既に相手がいる人からは「いつ結婚できるか」だった。昔の占いは、今と比べて、質問の方も単純なのが多かった。二度目は札幌に来てからで、3名くらいの占い師と一緒に出たので、前のようなことはなかった。成人式会場そのものであったため、女性は“晴れ着・振袖”の人達が圧倒的に多かった。考えてみると、女性が本当の意味で「日本女性」となるのは、この時が最初で最後かもしれないのだ。ほとんどの場合には写真撮影も行う。和服による正式な写真撮影は“記念”になる。だから、あの当時はほとんどの人達が“それ”に習った。現代はどうなのかわからないが、基本的には似たような面があるかもしれない。そういう意味では、男性よりも女性の方にとって「成人式」は必要な儀式なのかもしれない。昔は“結婚”すれば必ず“写真撮影”も行ったが、現代は“結婚式”自体を行わない人も多い。そうすると、和装の記念写真は永久に残らなくなる。そう思う人達には、大切な儀式なのだが…。

「カリスマ」なき「創価学会」の残像

2021-01-05

「週刊ダイヤモンド」が特集記事として「創価学会90年目の9大危機」を載せている。日本最大の宗教団体である「創価学会」も、かつてのような“勢い”は既にない。その創価学会は昨年、二つの“区切りの時”を迎えた。その一つは5月3日に訪れたもので、現在の池田大作名誉会長の「会長就任60周年」という区切りであり、もう一つは11月18日に訪れた「創価学会創立90周年」という区切りである。ところが、そのどちらもが“コロナ騒動”の中で“形式的なもの”に留められた。これは、創価学会だけではないのだが、世の中に存在する宗教は、どの宗教たりとも“視えない病原菌”に立ち向かえない。最初の頃、イタリアでは多数の神父たちが“立ち向かおう”として感染してしまった。だから、イタリアはヨーロッパで最初に蔓延した地域なのだ。とにかく、信仰があろうとなかろうと、感染するものは感染する。さて、創価学会だが、現在、公称では827万世帯が信仰していることになっているが、その実態は激減しているとも言われていて、確かなところはわからない。この宗教が“勢い”を得ていたのは、池田大作氏が「会長」として手腕を振るっていた時である。元々、この宗教は教育者である初代・牧口常三郎氏の元で“産声”をあげ、二代目・戸田城聖氏が“屋台骨”を作り、三代目・池田大作氏が“急拡大”させた。この中でも特に池田大作氏はカリスマ性があって、世界普及の立役者ともいえる。ところが、その反面トラブルも多く、その最大のトラブルは、この宗教の土台となっていた「日蓮正宗」と対立してしまったことにある。本来は“日蓮宗”の一派である「日蓮正宗」の在家信者団体として発足したはずの「創価学会」なのだが、池田大作氏は自分の上に“僧侶”が位置していることに我慢がならなくなった。どこまで巨大化しようと、僧侶を崇めなければならない立場にあることが許せなくなった。こうして「創価学会」は「日蓮正宗」と袂を分かつことになる。池田大作氏が“名誉会長”という形で、実質的権限を振るっていたのは2010年頃までとされている。既に、公的な場に姿を見せなくなって久しい。生きているのか死んでいるのかさえ不明なのだ。カリスマ無き宗教団体は、実質、その余命をどうやって保っていくか…に移っているように見える。

2021年1月の運勢

2021-01-04

「性別変更」が「十倍」に加速している

2021-01-04

日本で「性同一性障害特例法」が施行されたのは2004年のことである。それから15年が経過した2019年までの統計が、昨日3日、司法統計として公表された。それによると、2004年以降、日本には「性別を変えた人」が9625人誕生している。年々増えていて、昨年は“最初の年”のほぼ十倍にあたる948人が性別を変えた。この分で行くと、今年は春頃に総計で一万人を突破し、年間でも一千人を突破するだろう。もちろん、これらの“数値”は正式な“役所手続き”を経ている人たちの数なので、実際には、種々の事情から“正式手続き”を行わないままの人達も多数存在するに違いない。今から50年ほど前には、考えられない数値である。さらに、これらは当然のことながら「同性愛」そのものではない。出生時の「性」に“違和感”をいだき、“本来の性⁉”を獲得しようとした人たちである。もし、これらの人達にプラスして“女装者”“男装者”さらには“外見的に普通⁉”の“ゲイ”“バイ”の人達をも加えると、いまや驚くくらいの数に膨れ上がる。このような変化は“文明の進化”と関係があるのだろうか。だが、どうも、そういうことでもないらしい。古代エジプトの時代から“異装者”も存在したし“同性愛”も存在した。古代エジプトでは、女装者であったと言われるアメンヘテプ四世(アクエンアテン)が有名であり、男装者であったと言われるハトシェプスト女王も歴史に名をとどめている。しかも、二人とも、それを隠したのではなく、堂々と公開していた。今から何千年も前の人々が、あらゆる部分で現代と変らない生活をしていたのかと思うと、それはそれで妙に親しみが持てる。もっとも、古代の王侯貴族たちは、身を飾り立てるのが好きで、別に女装ではなくても、体のあちこちを着飾っている。ファラオが濃いアイラインを入れるのは砂漠の砂嵐や虫から眼を保護する目的もあった。眩い冠を被るのは“太陽神”にあやかってのことであった。自らが“神王”として崇められるためには、自らの身体全体が輝いていなければならない。ファラオの“指サック”なるものが遺されている。各指に文字通り“金色の指サック”を嵌めるのだ。「生き神様」も楽ではないのだ。

「変異種」は「次のコロナ」として予告された

2021-01-03

皆さんは憶えているだろうか? 私がここで昨年10月28日に記したことを…。多分、憶えてはいないだろう。タイトルを示せば《不気味な「予言論文」が示唆する「次のコロナ」》という暗示的なもので、その内容は大まかに言えば2008年に医学専門誌で発表された論文の中に、今日の「新型コロナウイルス」の“正式名称”が記されてあり、そこには“或るシステム”によって「実験的に作られた」と記されている。しかも、この論文には“もう一つの名称”も存在していて、実験室内においては「次のコロナ」も作られていた…という風なことを紹介していたのだ。そして、ここに来て「次のコロナ」は「変異種」という名称で発生していたことが明らかになっている。イギリスから発生したことになっているが、おおもとの発生源については不明のままである。その感染力が、これまでのコロナよりも強力だとは伝えられる。既に33か国で確認されている。一般に「変異種」と呼ばれてはいるが、どう考えても「次のコロナ」であったことは間違いがない。ただ医学専門誌に掲載された論文であるなら、どうしてもっと“大きな騒ぎ”にはならないのか。多分、それは「コロナの正式名称」だからだ。実は一般に“新型コロナ”の病名は「COVID-19」と呼ばれる。その論文に記されていた「SARS-Cov2」ではないのだ。これは、あくまでも、その“ウイルス名”であって“病名”ではない。だから、一部の研究者を除き、ウイルス名称は医療関係者の間でもそんなに浸透していないのかもしれない。世界保健機構は最初に“病名”を世界で統一にし、その後で“ウイルス名”を統一化した。もしかすると、そのことで、医学界においても十分に“ウイルス名”は浸透していないのかもしれない。また、公表されたのが12年も前の医学専門誌で、もしかすると欧米研究者が読み損ねたままになっている可能性もある。著名な人物が執筆した論文であれば見逃すはずはなくても、中国人名らしき8名の共同執筆となっていて、出処が今一つ判然としていないことも、スルーされた原因かもしれない。それにしても「変異種」ではなく「SARS-Cov3」という名称は、いかにも「2」よりも“強力にしたウイルス”の印象を与える。実際、こちらの方がはるかに感染力が強いことで怖れられている。都市伝説的な“予言論文”だが、その共同執筆者たちは、いま、どのように過ごしているのだろうか。

2021年は「結婚ラッシュ」の年になる⁉

2021-01-02

「一年の計は元旦にあり」なので、元日に起こる出来事やニュースは、その年を“象徴している”場合が多い。そういう点から言えば、今年はさまざまな著名人の「結婚」に関してのニュースが駆け巡っていた。もっとも、その中には、あとから“否定”された「結婚」の話も多い。実質的には31日夜からのニュースが含まれるが、元SMAPの草彅剛氏の結婚、NHKの桑子真帆氏&俳優の小澤征悦氏の年内結婚、声優の尾崎真実氏の結婚、同じく声優の森谷里美氏の結婚、元新体操五輪の田中琴乃氏の結婚、フジテレビの久代萌美氏の結婚、元AKB48の佐藤すみれ氏&愛鷹亮氏の結婚、騎手の北村友一氏の結婚、そして「結婚報道」が出た後、本人など否定をしたのが徳井義実氏、藤森慎吾氏、河北麻友子氏の面々である。元旦に“ニュース”として流れて、それを否定する形で「新年が始まる」のは、幸先として良いことではない。彼らは順調に結婚まで辿り着けるのだろうか。それはともかく、“コロナに奔走された”一年が終わったのだから、新たな年は“明るいニュース”の方が良いに決まっている。そういう意味では“結婚のニュース”で始まってくれて良かった。私は、昨年“コロナに奔走された”ことで、一つだけ良いと思えたのは「家族」という“単位”が、改めて重要視されたことである。どちらかと言えば、家庭内だけが“マスクなし”でも大丈夫で“気を許して良い範囲”という形で、一般に浸透した。その結果として、恋人たちは「家族になろう」という意識が無意識に強まったのではないだろうか。そう考えると、今年は“コロナの終息(⁉)”や“五輪の開催(⁉)”が、より以上に「結婚」を促しやすくする効果が出て来るかもしれない。考えようによっては、完全に“終息してしまわない”方が、好都合なカップルもいるはずで、双方の親戚が集まることなく“入籍・結婚”が可能となって、その方が「煩わしくなくて良い」と思うカップルもいるに違いない。逆に、八割方“終息”してくれれば、念願だった結婚式や披露宴、さらには新婚旅行が出来る…と待ち望んでいるカップルもいるかもしれない。さらに、遠距離恋愛のカップルの場合には、ようやく“逢う”こと自体が可能となって、一気に“婚約”へと突き進むようなケースも出て来るかもしれない。“コロナ騒動”は、最終的に人は一人で生きていくのが難しいこと、誰か傍に居るという安心感を求めている部分があること、実際の会話のやり取りを必要としていること、家庭や自宅が“心地良い”ものである必要があること…などを教えた。果たして、今年一年は、われわれにどんなことを教えてくれるのだろうか。

「おまじない」としての“貨幣で顔を洗う”

2021-01-01

今年はいつもの新年に比べると“旅立つ人達”が極端に少ない。“海外”はもちろん“国内”でも乏しい。“自粛”要請が出ているのだから、或る意味では当然である。私には昔から、自宅で新年を迎える時には、必ず行う“おまじない”がある。元旦の“日の出時刻”に合わせて、顔を洗うのだ。ただ単に洗うのではない。洗面器の中に、5百円玉、百円玉、五十円玉、十円玉、五円玉、一円玉を何百枚も入れて、それらの硬貨を何度も救い上げながら、顔面を洗うのだ。こうして“初日の出時”に顔面を貨幣で洗うと、その一年は「お金に困らない」と言われる。私のような仕事は一般に“浮き沈み”が激しいし、どこからも何の保証もない。そういうこともあって、いつからか、この「おまじない」を実行するようになった。もちろん、旅行中のホテルなどではムリなので、あくまで自宅で新年を迎える時に限るのだが、これを実行することで一応の安心感を得る。人間というのはもろいもので、ちょっとした安心感や不安感から、がらりと違った心境になる。日本の正月に行われている風習の多くは、実はこの種の「おまじない」が浸透して習慣化したものである。だから、ほとんどの人は無意識に行っているもので「初詣」だって、本来は“新年の願掛け”のようなものである。「門松」とか「締め飾り」とか「破魔矢」とか「羽子板」などにしても、或る種の“呪術”に由来している。“呪術”と“占い”は親戚関係のようなもので「初夢占い」とは、その両方をミックスしたものだ。昔から「初夢」として善いのは「一ふじ、二たか、三なすび」などと言って、それらを観れば“幸運な年”だとされているが、富士山はともかく、鷹の夢とか、茄子の夢とかは、なかなか簡単に視られるような夢ではない。よく、元旦の日ではなく、正月二日の日に視るのが“初夢”だと教えているものがあるが、正確にいうと、それは違っていて、夜の十二時を過ぎてから寝た人は元日に視た夢が、そのまま“初夢”になる。私は、坂道を登るような感じの夢はたまに見るが、富士山とか山を特定できるような夢は見たことがない。鷹だけではなく、鳥類もほとんど夢に出て来たことがない。さらに茄子というのは食事の夢でも見なければ出て来ないような気がするが、私の場合、夢に出てくる食事はほとんどが“お弁当”で、しかも普段から野菜類は好まないので、出て来たことはない。このように考えると、縁起が良いと言われる夢を見る確率は、ほとんどゼロに近い。“吉夢”と呼ばれる夢で、時々見るのは“大便の夢”と“火事の夢”と“蛇の夢”である。なぜか、これらはときどき見る。すぐ忘れてしまうことが多いので、その後“吉事”があったのかどうか、確かめていない。

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