5月, 2021年

テーマパーク「タイタニック」は完成するか⁉

2021-05-31

歴史的に有名な出来事は“映画化”されやすい。近代英国の“栄華”の象徴として登場した豪華客船「タイタニック」は、1912年4月10日イギリスのサウザンプトンを出発してアメリカのニューヨークへと向かうはずだった。ところが、その5日後、巨大な氷山に激突して海底へと沈んだ。デカプリオが主演した映画「タイタニック」は、あまりに有名だが、その「タイタニック」の“再現”を試みようとする人たちがいる。映画としてではなく、一人はレプリカを用いた“テーマパーク”として、そしてもう一人は“完全復元”して実際に洋上を進水させようというのだ。ところが、タイタニック号の再現には膨大な費用が掛かる。なにしろ巨大な豪華客船なのだ。もちろん、復活させようとしている人物たちは大富豪である。タイタニックのテーマパークを作ろうとしているのは、中国人実業家で2015年から着工して2019年に完成させる予定だったが、残念ながらいまだに完成していない。この“テーマパーク化”に関しては、多数の犠牲者を出した“悲劇の客船”を“遊園地化”すること自体が不謹慎であるとして、当時の関係者などから批判を浴び続けている。確かに、予期せぬ事故で多くの犠牲者が出ているだけに、遊具のアクシデントなどによって悲劇が生まれなければ良いが…と私は懸念する。もしかすると、完成が予定通り進まないのも、何かしら不吉な気がしてならない。一方の“復元プロジェクト”の方はオーストラリアの富豪が手掛けているのだが、こちらの方もなぜか2016年には進水予定だったのに、未だに未完成なのだ。乗船していた1517名が犠牲になった船だけに、未だ成仏していない霊が引き留めているような…。

昨年、予告した「論文」は真実だったのか⁉

2021-05-30

私は自分の書いたものをすぐに忘れるので、詳細に記憶しているわけではないが、少なくとも昨年の内に、中国武漢のウイルス研究所における“ウイルス研究”に関して、興味深い論文が海外でウェブサイト上に掲載されていることを指摘した。その論文によれば、十年以上も前の科学雑誌で、奇妙なことに武漢のウイルス研究所において、人工的に“新たなウイルス”が作られ、それらには今回の一般に「新型コロナウイルス」と呼ばれているものと、医学上の学術名が“同一”のものが含まれていて、それに続く“もう一つのウイルス”も含まれていること、が記されている。したがって、もしかすると「新型コロナウイルス」は、これで終わりではなく、“もう一つのもの”が誕生するかもしれない…といった種類のことを記しておいた。あれを書いたのは、まだ“変異ウイルス”などが登場して来る前の話で、だから、私自身も疑問符付きで書いていたことで、それからしばらく経って“もう一つのもの”が実際に出現してきた。そうなると、十年以上も前の論文が、とてつもなく奇妙なものに思えてくる。その論文の執筆者は、複数名の中国人名による“共同執筆”なのだが、そうは言っても十年以上も前の段階で、なぜ「新型コロナウイルス」の学術名称を知っていたのか、たまたま偶然に“符合した”ものなのか。また、仮に知っていたとしても、どうしてそのような“国家機密的研究”を雑誌上などで公表したのか。さらに、そのウイルスが、なぜ十年以上も経って、拡散することになったのか。疑問だらけなのだ。いったん収まっていたはずの「武漢研究所起源説」はしかし、ここに来て急展開を見せようとしている。アメリカのバイデン大統領が、本格的な調査を命じたからだ。昨年、研究機関が武漢を立ち入り調査したが、結局はうやむやになった。今回の場合でも、けっして私の述べている昔の雑誌論文は対象としていない。したがって、どこまで追求できるか疑問なのだが、もしも十年以上も前に人工的に作られたウイルスで、それを昨年になって研究者3人が“誤って封印を解いた”としたら、つじつまとしては合うことになるのだが…。

「LGBT法案」と「トイレ使用訴訟」の解決法

2021-05-29

昨日、中国の雲南省でどこからやって来たのか野性のゾウの群れ15頭が、夜の市街地の幅広い公道に紛れ込み、黙々と行進していく動画が撮影された。その直前には、不意の来襲で、多数の人達が道路から逃げ惑う様子も映っていた。ゾウは普段は人間を襲わないが、興奮すると敵とみなして襲ってくる習性がある。そこで地元当局ではまず、その付近に居た人達を道路から遠く離れるよう促し、その後で一部道路を封鎖してゾウを上手く誘導する形で市街地から離れさせた。一人のケガ人も出なかったそうである。「ゾウ」と「人間」は“上手く”共存しなければならない。さて、日本では昨日「LGBT(広義の同性愛者等)法案」が審議日程不足を理由に“見送り”となった。今は、それでなくても「他人との間に距離を取るべき時期」であるから、その時期が過ぎてから“審議した方が良い”問題であるよう、個人的には思う。ここで誤解を避けるため記しておくが、私個人は“異性愛”でも“同性愛”でも“両性愛”でも“自己愛”でも“性愛拒否”でも、何でもアリだと思っているので、別に議論して決めるようなものでもない。本来こういうものは、“感覚的なもの”であり、“趣向的なもの”でもあるから、法律で決めつけるようなものではないと思っている。古代エジプトの時代から、“同性愛”や“女装者”は存在していて、時には“神王”自身がそうだったのだから、それでいて何の問題もなく共存出来ていたのだから、今になって「その権利を法律的に定める」ということ自体おかしいのだ。その前日、東京高裁は経済産業省に勤務する“性同一障害”の50代の職員が「女子用トイレを利用する権利」を求めて行った裁判で「逆転敗訴」を言い渡したばかりだ。つまり、男性として入省し、途中から“女性になった”原告は、同僚から観れば“変わっていった人”であり、途中から「女子トイレを使用させてね」と言われても、違和感を抱くのは自然なことであろう。それは法律的に“認めさせる”というような問題ではなく、感覚的に「彼女なら好いんじゃない」と言えるかどうかなのだ。観た目的に「女」や「男」に視える場合、戸籍が違っていても誰もがスムーズに受け入れる。結局、われわれは感覚的に生きているのだ。

「感動のない遺跡」が「世界遺産」だろうか

2021-05-28

例えばエジプトには各地域に「古代エジプト遺跡」が遺る。それらは、それぞれに形状などは異なっていても、明らかに“古代エジプト文明”特有の様式というものがあって、それらは一見すればだれもが納得する。「古代マヤ遺跡」などもそうで、各地に点在する遺跡は、実質的には「マヤ」だけではなく「アステカ」「トルテカ」「オルメカ」「テオティワカン」などの時代文明が存在するのだが、それでも大枠としては「マヤ文明(或いはメソアメリカ文明)」で括られる特徴を持っている。ところが、今回「世界文化遺産」として認められることが決定的となった「北海道・北東北の縄文遺跡群」には、そう言い切れるような“判然としたもの”が、私には見受けられない。もう少し、それぞれが“遺跡”として確固な威容を持ち、視る者を感動させるとか、畏怖させるとか、納得させるものであれば良いのだが、このような“視た眼に解かりにくい遺跡”を強引に「世界文化遺産」として世界になぜ認めさようとするのかが、私にはわからない。一説によると、この“遺跡群”というのは“一万年以上の期間”に及ぶ遺跡群だと言うが、それだと“特定の文明”とも言い難い。北海道南部から東北三県にまたがる遺跡群ということになっているが、遺跡としては17か所に及ぶ。すこぶる多いのだ。それでいて、それらを“象徴するような遺跡”というものが存在しない。言葉は悪いが、あくまで“寄せ集め”で、それも「これがそうなんですか⁉」とでもいうような解かりにくい遺跡が多い。別に、エジプトやマヤのような判然とした遺跡ではなくても、何かしらの感動や畏怖や憧憬を与えるような遺跡が欲しい。誤解を与えるかもしれないので言っておくが“素朴な遺跡”が悪いわけではない。なぜ「文化」を感じさせないような“遺跡まで”ムリに加えて申請したのか。ケチをつけるようで申し訳ないが、何かしら「世界遺産」となって、かえって虚しい気持ちになるのはなぜだろう。

心配される“門倉投手コーチ”の「行方不明」

2021-05-27

人相学的には“顔の長い人”は総じて神経過敏である。さらに“下頤の長い人”は愛情豊かで献身的である。文字通り「失踪中」の中日2軍投手コーチだった門倉健氏は、そういう顔立ちである。失踪中の本人直筆とみられる「退団届」が5月26日に受理された。したがって、正確に言えば“元2軍コーチ”だ。本人の安否が解からない段階で、退団届を受理したのは、一見、中日球団が“冷たい”ようにも思うが、おそらく本人の意志で“提出したもの”と判断したからに違いない。実際、退団届は“15日付”となっているが、投函された日付は20日のようで、球団に届いて後、本人家族に“筆跡確認”をしたのちの受理となっている。15日からの“無断欠勤”だが、家族は16日に“捜索願”を警察に届けている。つまり、退団届の日付は15日になっているが、本人がそれを書いたのは18日~19日のように思われる。もし、失踪当初から「退団」の意志を持っていたなら、失踪したその日に投函するだろう。おそらく、家族からの“捜索願”が提出されていることを報道などで知って、そのあと球団や家族に迷惑が掛からぬよう「退団届」を書いたのではないか。私は、彼のこれまでの履歴に注目する。彼は一筋に「野球人生」を歩んできた人物ではあるが、なぜか、どの球団にも長く留まっていない。中日3年、近鉄3年、横浜2年、巨人1年、SK1年、サムスン1年、病院1年、サムスン1年、中日(2軍投手コーチ)2年…といった具合なのだ。もちろん、これは仕事の成果が十分ではなかった結果として、本人の意志とは無関係に「短くなってしまった」可能性もあるが、自ら辞めてしまった可能性もある。実は彼の四柱命式では「傷官」が多い。傷官の多い人は“批評眼”や“観察眼”が鋭い。部下後輩からは慕われることが多いのだが、経営陣とか目上に対しては“対立する”ケースも多い。無類の愛犬家であっただけに、そのうち、ひょっこり“我が家”に戻ってくる可能性もあるが…。

「気遣う」のは吉「気遣いすぎる」のは凶⁉

2021-05-26

昨日も“哀しいニュース”があった。福岡の30代の女性がコロナの陽性判定を受け、自宅療養中に自殺してしまったのだ。自分自身が「死ぬ」と思って自殺したのではなく、周囲の人に「うつしてしまったかもしれない」と感じ、その自責の念から自殺してしまった。世界中に、この病気は蔓延しているが、自責の念からの自殺は、日本人特有の行為であるような気がする。例えば、誰だって、私だって、いつ「陽性判定」になるかもしれない。本人が知らずに“陽性”で動いていたとしても、誰がそれを責められるのか。不可抗力のことにまで“自責の念”を負いすぎるのは、日本人の改めた方が良い「癖」であると私は思う。これと対照的な記事が、韓国から発信されている。韓国で人気の女性歌手ジェシのトーク番組での発言だ。彼女は優れた歌唱力と共に“セクシーさ”を前面に出して人気を得ている歌手だ。そして、もう一つ、自分自身が“眼”や“鼻”や“唇”や“胸”を整形してきたことを堂々公言している歌手でもある。ところが、その彼女に対して、SNSでは最近、批判的な意見が多いのだそうだ。例えば「その服はセクシーすぎる」とか「その唇は大きすぎて似合わない」とか……。けれども彼女はそれらの意見に対して、真っ向から否定する。あなたたちを満足させるために私は生きているのではない、という考えなのだ。「私が満足なら、それでいい」ネット民から攻撃を受けそうなことをあえて言う。そして「セクシーすぎる」と言われれば「もっとセクシーにする」いかにも気が強そうに思えるかもしれないが、ほんとうの彼女は繊細だ。彼女自身が「今でも辛くて崩れそうなときがある。一人で泣いてしまうことがある」それでも「これは私の顔、私が満足なら、それでいい」と言い聞かせて鏡に向かう。周囲をおもんばかり過ぎる日本人には、なかなかこういう人は少ないが、彼女の言うように「自分の人生」なのだ。自分が“なりたい姿”になっていくのは、或る意味で“幸せを掴む”もっとも普遍的で重要なテーマなのだ。

なぜか怖い「合同結婚式」という名の祝典

2021-05-25

どうも我々には「合同結婚式」という名称には何となくのアレルギーがある。別に“祝典”なのだから、そんなことを想い出す必要はないのに、やっぱり頭の片隅の「大丈夫かな」という想いを拭い去ることが出来ない。一時期、世間を騒然とさせた「統一教会」による合同結婚式の光景だ。あれからもう何十年も経って、おそらく“統一教会の合同結婚式”に関しては、知らない世代のカップルたちが今また「合同結婚式」を行っている。もっとも今回の舞台は韓国ではなく、中国の上海だ。上海の「海洋公園」と呼ばれるところで、22組のカップルが、多くの観光客などに見守られながらタキシードとウエディングドレス姿で「合同結婚式」を行った。式のクライマックスでは、花婿たちがドレス姿の花嫁に対して何故かヘルメットをいっせいに被せる。実はこの「合同結婚式」に参加している新郎たちは、いずれも中国の“ネット出前サービス”大手の「ウ―マラ」に所属する配達員たちなのだ。上海市では、社会全体に“新業態”で働くグループや個人に理解を求める意味も兼ねて、この「合同結婚式」を企画したという。つまり、宗教ではないのだが、どことなく“統一化”されているのは、中国の“国家意志”のようなものが垣間見られるからなのか。最近は何でも、アメリカに次いで新しいものが“すぐ社会に浸透していく”傾向を持っているのが中国社会だ。まるで「もう一つのアメリカ」のような感じさえあるのだが、アメリカが“無差別に生み出す”のとは違って、中国の場合には何となく「国家」として“生み出させている”感が否めない。だから何であれ“統一感”が出てしまうので、そこが奇妙なことには“宗教”と、ちょっと似てしまうのだ。つまり何でも“統一し過ぎる”のは、妖しくなっていく前兆なのかもしれない。

「個人的能力」と「経営的才能」との違い

2021-05-24

人間には先天的に或る程度の「能力」と「運勢」とが与えられている。その“先天的なもの”を、どれだけ生きていく中で現実に“引き出せるか”は「本人」に掛かっている。つまり“生まれつき”でけでは人生は決まらない。多くの人は“勘違い”しているが、“先天運”だけですべてなど決まらないのだ。但し、やはり「運」の“良し悪し”だけは、いかんともしがたい。さて、その“能力”の方だが、何度も言うように“先天的な能力”ももちろんあるが、それをどの程度まで、実際に“引き出せるか”は、本人の努力しだいのようなところがある。また、世の中には“無駄な努力”というものがある。自分自身を解かっていない人の多くは、無駄な努力をしがちなものだ。その結果として「どんなに努力したって、ダメなものはダメさ」とあきらめの境地に至る。無駄な方面にいくら努力したって、結果がついて来ないのは当然なのだ。努力は“その成果”の伴う方に行うのが正しい。その点を解かっていない人が多い。昨年から今年にかけて、芸能界などで“独立”して「個人事務所」を持つに至った人が多い。昨日、個人事務所となった剛力彩芽氏が「出費が多くて大変」と嘆き、同じく個人の柴咲コウ氏の方はアパレル経営の方で“四期連続赤字”となったことが報道された。特に柴咲コウ氏の方は“地球環境”を意識した未来の繊維ともいうべきものによって誕生した洋服類を販売しているのだが、いま一つ評判が良くない。理由は二つあって、その一つは“高い”こと、その一つは“デザインが素敵ではない”ことだった。つまり、高いわりに格好が良くない、ということらしい。私はアパレル業界についてはよくわからないが、どんなに環境に配慮してあっても、実用性に乏しければ、オシャレに不向きであれば、意味をなさない。柴咲氏も、剛力氏も「先天運」という観点から見れば、共に大変に“恵まれた運”を持って生まれている。やがては、経営面でも才能を発揮し始めるであろうか。それとも、経営者に踊らされる“人形のよう”華やかに演じる昔に戻ろうとするだろうか。

堀江氏の「アメリカ型生き方」を嫌う日本人

2021-05-23

ライブドア事件から、もう15年になるが堀江貴文氏のネット上の“評判”を見ると、あまり芳しくない。私には、彼は典型的な「アメリカ型生き方」を歩んでいるように見えるが、どうも、その根本の部分が日本人からは“好意的”に受け入れられていないらしい。もっとも彼自身はそんな風評を気にすることもなく、どんどん新たなることに“挑戦”し続けている。今度は“新しい球団”を立ち上げるらしい。今度立ち上げようとしているのは“プロ野球”の球団ではなく「独立リーグ」と呼ばれる“セミプロ球団”だ。現在、九州には2球団が存在しているが、2球団だけなので今一つパッとしない。そこで、その“手薄”の部分に“新風”を吹き込もうという構想らしい。そして「プロ野球ではできないイベントやコラボを導入する」計画でもあるらしい。ただ心配なのは、この人の“構想”は良いのだが、なかなか思い通りには進んでくれない傾向を持っている。彼の“宇宙ビジネス”も今一つ停滞気味である。日進月歩の“宇宙ビジネス”は本来なら停滞などしていられないはずだが、何しろ「低予算」が彼の“売り”なので、なかなか思うようには進んでくれない。やっぱり、お金のかかるものは、掛かるところにはお金を掛けないと、失敗し続ける。それが解かっていないのか、解かっているけど、掛けたくないのか掛けられないのか、その辺微妙だが、とにかく、彼のビジネスには滞りが多い。それだけに、ネット民が彼の構想に対して“懐疑的”になるのは仕方のない部分もある。ただ今回の「新球団設立」は、一つの“新しいやり方”として徐々に人気を集めていく可能性もあるように、私は思う。一つで失敗しても次のことで巻き返せばよい、とするアメリカ型生き方は、残念ながら、なかなか日本人には受け入れられない。そういう点で日本人は“狭量”のように見える。基本的に日本人は「他人に迷惑をかける奴」を許さない傾向が顕著である。要するに「はた迷惑なことはするな」というのが大方の日本人なのだ。けれども、そのことが“日本のビジネス”をどんどん縮小してしまっているのは間違いがない。多少、破天荒でも「やってみなければわからない」ものはたくさんある。慎重さと配慮のし過ぎが良いとは限らないのだ。

「神田うの」&「花田美恵子」2人の共通点

2021-05-22

花田美恵子氏と言えば、花田虎上氏と結婚・離婚し、ハワイに移住して子供たちを育て、2018年には13歳年下の男性と再婚されたことでも知られる。その一番末の子が「20歳となった」ことを感慨深げに昨日伝えて、それと同時に「《花田》から卒業します」とも付け加えている。公的な名前を“変える”“使わない”という意味なのか、精神的な意味なのか、そこはハッキリ書かれていない。ただ「花田家」に嫁いだ“過去”から、子供たち全員が20歳を過ぎて、ようやく“解放される”的ニュアンスが強い表現のように感じられる。一方の神田うの氏と言えば、いくつかの恋愛を経て、最終的にパチンコチェーンの経営者である西村拓郎氏と結婚し、その後お子さんも産れて、世間の予想に反し現在も仲良く暮らし続けている。昨日、自らがプロデュースするコスメ発売に向けたアピールと共に、昨年11月に夫が脳梗塞で倒れ、緊急入院となったが、幸い現在は後遺症も少なく元気になったこと、同時に自らも脳脊髄液減少症という珍しい病気で緊急入院し、この人と結婚して良かったという気持ちを改めて抱いたそうである。ここに二人を取り上げたのは、ただ単に二人の発言が気になったからではない。双方ともに、ホロスコープにおいて太陽と冥王星とが180度位置にある時、出生しているからである。太陽と冥王星との180度位置で生まれた者は「変身をする運命」にある。生きながらにして“生まれ変わる”人生なのだ。したがって、花田美恵子氏は途中から日本国を離れて、ハワイで生れ変り、ようやく「花田家」からも解放され、生れ変った悦びを伝えた。神田うの氏は“愛する人と別れた”反動で、自分にとってすべての“わがままを許してくれる相手”との結婚を択んだ。それがいつの間にか、自分にとって“かけがえのない相手”に変わっていることを語った。おそらく、これからは「セレブ妻」としてではなく「献身妻」を目指して生きていくのに違いない。長い人生で、人は変わっていくけれども、それを“出生時の時点”で「運命の星」は予告しているのだ。

「株」も「仮想通貨」も“大変動”直前の動き

2021-05-21

このところ「仮想通貨(暗号資産)」の“上下動”が激しくなっている。以前は、仮想通貨と言えば「ビットコイン」だったが、このところはそれだけではない。さまざまな仮想通貨が登場し、それが数日にして二倍となったり、半分以下となったり、とても「通貨」と言えるような動きではないが、それでもギャンブルとしてみれば“魅力的な存在”なので注目度を高めている。今のように、上下動が激しいと、よほど資金に余裕のある人以外は手出しをしない方が良い。この「仮想通貨(暗号資産)」の上下動に刺激されたかのように、世界の株価も上下動が激しくなっている。特にアメリカの株価は、現在がまだ一時的な“調整局面”としての下落なのか、それとも本格的な“大暴落”の始まりなのか、微妙なところに差し掛かっている。当然、日本の株価もアメリカ株の影響を受けてはいるが、ここに来て、その影響や関係性が妙に“薄れ出して”いる。それは海外の投資家たちが、一時的に「日本株」から“距離を置いている”ように視えるからだ。おそらく、それは日本の“コロナの収束”や“ワクチン接種”の状況、それに何よりも“オリンピック開催”の有無が判然としていないせいであると私は思う。それらが判然としない内は「買う」も「売る」も出来ないということで、とりあえず“ようす眺め”の時期にあるので、いったん売り込まれたのちの「日本株」は“放置状態”にされているような気がするのだ。したがって「アメリカ株」が大きく上がっても「日本株」は下がったり、逆に「アメリカ株」が下がっても「日本株」が“少しだけ上がる”結果になったりする。今の状況は、おそらく“オリンピック開催”の有無が判然とするまで続くかもしれない。或いは“ワクチン接種”が眼に視えて上昇して来るまで続くかもしれない。もっとも、いつも言うように“株価”というのは、実体経済に“先行して動く”もので“後追いをして動く”ようなものではない。私は、世界の株価が本格的な暴落をする時期が来るとすれば、それは早ければ8月だと思っている。それまでは少なくとも“調整”はあっても、本格的な“暴落”はない。したがって、そういう意味では「日経平均」はしばしの間は停滞するかもしれないが、もう一度勢い良く上昇し始める時がもうすぐやってくるに違いない。

 

強引に「殺人者」に“仕立てよう”とする検察

2021-05-19

世の中には“奇怪な事件”というものがある。最初から“容疑者らしき人物”というものが浮かび上がっていて、検察としては、その威信にかけても逮捕しなければ気が済まない事件だ。「紀州のドンファン殺人事件」は、検察内部に最初から元妻を“犯人”と決めつけている幹部がいて、その筋書きに従って捜査が行われてきたような“逮捕劇”だった。そして、拘留ぎりぎりまで粘って“自白”を求めたが、それが得られないので、状況証拠だけで「起訴に踏み切る」という情報が流れている。最初から「犯人」と決めつけているのだから、そうするのは自然のことなのだろう。確かに、下手な推理小説なら、結婚して3カ月後に資産家が急死したなら、極端に齢の離れた新妻が“殺した”とするのは自然な筋書きと言えるだろう。けれども、ふたりの生年月日のデータを持っている私は、彼女の背後に“ワルイ男”がいて、示唆していたというなら別だが、それ以外で彼女が“殺す”という筋書きはあり得ないと観ている。多くの人は、彼女の行動を「未亡人としておかしい」と指摘しているが、それは違う。彼女は、資産家男性から懇願されて「妻」となったのだ。恋愛的に“愛して”結婚したのではない。だが同時に“金目当て”だけで結婚したのではない。もちろん、彼女自身が後に語ったように「それも魅力」だったことは間違いがないが、それだけで結婚したのではない。元々彼女には「自由な愛人生活」を“一つのライフスタイル”のように感じていた部分があり、野崎氏との結婚も“その一環”だったに過ぎない。彼女は野崎氏に対して“男女間的な愛情”を抱いていたのではないが、“祖父的な愛情”を抱いてはいた。彼女の金星は彼の太陽や金星と、その出生時において“同一位置”に来ているからだ。謂わば“同情的な愛情”を彼に対して持っていたのだ。彼女は、自分自身が“我が侭で自分本位”なことを知っている。だから、本来、普通の結婚向きではないし、“普通の結婚”をしようという気持ちもなかった。だから、彼女にとって「自由な愛人生活」を送ることが出来る“彼との結婚”はギブ&テイク的な意味合いがあった。一番良いのは、彼には“お手伝いさん”がいて、自分は主婦としての仕事をしなくても良いことだった。もう一つ良いことは、野崎氏の“性機能”が不完全で、そういう意味での“相手”をしなくても良いことだった。自分は、和歌山県の田舎町で一般的な結婚生活を送る気持ちは最初からなく、そのことは野崎氏にも伝えてあった。だから、普通の人達が想うような“夫と妻”の関係では最初からなく、それは双方とも了解の上だった。ただ入籍したことで、野崎氏の独占欲が強まったのは感じていた。一緒に居ることは嫌ではなかったが、一緒に居続けることは苦痛だったに違いない。けれども、殺すことなどは考えもしなかった。もし、離婚されたなら、別な相手を探せばよい。そういう風に生きて来たし、これからも、そういう風に生きていくつもりだった。彼女は、元々「お金」に執着の強い人間ではなかった。金銭管理は苦手で、地味な“暮らし方”が出来ない。ただ、それだけだった。世間的に観ると、ちゃんとしていないのかもしれないが、人を“殺してまで”お金を得ようとするような人間ではない。ドバイに行こうとしたのも、いつまでも警察が疑って付け回し、何もしていないのに、ずっと“疑いの眼”で視られて生きなければならない。頭から犯人扱いをされ“管理される”のは嫌なのだ。もし彼女が“殺す”ことを考えたのなら、もっとうまく殺す方法はいくらでもあっただろう。自宅で殺したなら、嫌でも疑われる。そんなことは小学生でもわかる。もし、殺したなら、葬式の時に“疑われないよう”演技するのが犯人と決まっている。ところが彼女は“他人事”のように振る舞った。文字通り、殺人は“他人事”だったからだ。

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