メキシコ南部アグアダ・フェニックス遺跡を調査していた猪俣健・米アリゾナ大教授などが、これまでの「マヤ文明」遺跡群よりも古くて、年代測定で紀元前1100年~紀元前400年と推定される478の遺跡群を発見した、と英科学誌に発表した。通常、こういう発見は“その遺跡群の写真・映像”が公開されるものだが、今回の場合、遺跡そのものの画像・映像はない。何しろ、その範囲が途方もなく広い。85000㎢という範囲に及ぶ。しかも、残念ながら未発掘である。では、どうして発見できたのかと言えば、レーザービームを使ったのだ。最新のレーザービームの解析によって、未発掘ながら“3D映像”として“その全体像”を立体的に浮かび上がらせることが出来た。地下に眠れる広大な遺跡群の全体像を上空から捉えることに成功したのだ。遺された建造物だけでなく、9本ある舗装道路まで確認することが出来た。こうして最新の科学は、こと“古代史”に関しては大いに役立っている。これまでマヤ遺跡は、かなり解明されてきてはいるが、その“誕生・発展の経緯”にはまだまだ不明な部分が多い。特に、マヤの天文学や暦、文字の誕生・発展の経緯はよく解かっていない。占いの観点から言えば、現在一般に日本などで行われている“マヤの暦”を使った占いは、原初マヤ文明のカタチではない。あくまでも現代人による「マヤ暦占い」であって、現地の人々の“占い方”ではない。マヤの場合、一般的な暮らしに用いる「365日の太陽暦」と、呪術的な意図で用いる「260日の神聖暦」とがあるが、その神聖暦がどのような理由から“260日間を一区切り”としているのかは不明のままなのだ。一説に“焼き畑農業”的な意味があるとか、梅雨期間との関連があるとか、呪術としての循環暦だとか、天文学的な意味を持つとか言われるが、ほんとうのところは解かっていない。猪俣教授によると、今回の発見で興味深いのは、3D映像での立体化した遺跡配置には「マヤ暦」や“天文現象”との関連性が読み取れる部分があるということで、もしかしたら各種「マヤ暦」誕生の根本的な解明にも役立つ可能性がある。中南米の古代遺跡は、密林や荒野に存在するものも多く、まだまだ未知数の部分が多い。マヤやアステカやアンデスに伝わる占いも、さまざまな史料が揃って、もっと本格的に究明できる日がやってくるかもしれない。
最近は「借金芸人」というのも“一つの売り”にできる時代となったが、その根底に“笑い”と“夢”とを備えている借金であれば、或る意味で芸人らしくて良い。金満家となった芸人は、総じて保守的になり、あちこちに気を遣って、だんだん当たり障りのないことしか言わなくなる。平成ノブコブ・吉村崇氏の場合、芸能界で一二を争うくらい早くから「仮想通貨(暗号資産)」に投資していたらしい。現在は680万円もする1ビットコインが3万円の時に始めたという。その時、同じ仮想通貨の1リップルは0.3円だったらしい。そのリップルを数百万円も購入したのだ。やがてビットコインと共にリップルも高騰する。あっという間に0.3円だったものが300円にまで値上がりしたのだ。もし、この時、リップルを売って日本円に換えていれば、彼は間違いなく“大金持ち”になっていた。ところが、彼はそれ以外の仮想通貨にも手を出した。次々と別な通貨へと転換させていったのだ。これは彼だけでなく、多くの人が行う手法で、それが上手くいけば、より多くの日本円を手にすることが出来る。但し、仮想通貨は変動が激しいので、あっという間に大暴落も珍しくない。その結果、多くの人は初期の“値上がり分”を失ってしまうケースが多い。さらに、仮想通貨の場合、通貨を“切り替えるごと”日本円で税金が掛かる。何回も転換を繰り返すと、税金だけがどんどん膨らんでいく。結局、彼は、定石通りの“失敗”で、いつの間にか借金だけが残った。税金の支払いで父親に借金をする身になってしまったという。競馬の方で「大儲けを失った」のが霜降り・粗品氏である。彼は自分のYouTube動画の中で「菊花賞」の予想を行った。ギャンブラーとして知られる彼は、いつもなら自分の予想通り馬連「3-18」を600万購入したのだろうが、最近は“負けが込んでいる”せいもあって買う勇気がなかった。さらに、その時間にラジオの収録があって視ることが出来ない、という不運も重なった。もし、自分の言ったとおりに購入していれば、1億4500万円の金額となったのだ。結局、ふたりとも「勝ったのに勝てない」状態で「夢はまぼろし」となったが、むしろ、そうなったことで“つまらない金満家”にだけはならなくて済んだようである。
ときどきネットニュースなどで「放送事故」という言葉が使われる。放送中に予期せぬ出来事が生じて“映ってはならないもの”が一瞬だけ映る…というケースが多い。けれども、実際にはそのほとんどは大したことがなく、“事故とまでは言えない”ケースが多い。ところが、米ワシントン州の「KREM」TV局が流したニュース番組内で、日曜日の18時30分ごろニュースデスクから「お天気コーナー」へと切り替えたところ、いつものように気象予報士が“気象情報”を解説しだした右側のスクリーンに“アダルトビデオの映像”が映し出された。明らかな女性の裸体映像が13秒間も流れ続いたらしい。これぞまさしく「放送事故」であり、或る意味では“正しい放送事故”だったのだが、原因不明で現在地元警察が調査に乗り出しているという。日曜日の夕方とあって、問い合わせが殺到したというが、私には「おやっ⁉」と思う部分もある。何故かというと、海外の「天気予報コーナー」の中には、どこの国だったか忘れたが文字通りアダルトビデオまがいの「セクシー天気予報」が存在しているからだ。例えば、若い女性が何故かビキニスタイルで予報するとか、超ミニのボディコン美女が“踊りながら予報する”番組も見たことがある。南国の“暑い国”だからなのか、大いに驚いたものだ。ところが、この放送局の場合は、本来がニュースTV局で真面目な放送を旨としているからか、警察まで動員する“騒ぎ”になっている。別に放送事故を称賛するわけではないが、多少のハプニングとか、アブないシーンなどが流されるのは“重苦しいニュース”内容が多い時には、むしろほほえましく感じる場合さえもある。そういえば日本のアダルトビデオの中には、こちらは天気予報番組ではないが「トビジオ」シリーズと呼ばれる“ニュース番組もの”があって、実はとんでもない映像の“ニュース番組”が売り出されている。もちろん実際のニュース番組ではなく「妄想の中のニュース番組」とでもいうべきAV映像なのだが、なかなかにすさまじい。そういうものを観た後に“普通のニュース番組”を視たりすると、なぜか途中からアナウンサーが入れ替わるのではないかと、妙な妄想が膨らんだりする。もちろん、そのようなことが起こりうるはずもなく日本のニュース番組では“放送事故”など滅多に起こらない。
栗山監督の引退で「日ハム」の新監督に新庄剛志氏が“有力候補”として浮上しているようだ。確かに今の「日ハム」には“人を呼べる選手”が乏しい。ここ2~3年、成績も低迷したが、それよりも“地味な球団”に変貌していったような印象が強い。かつて新庄氏は日ハムの選手時代に、さまざまなパフォーマンスを披露し、札幌ドームを沸かせて客を集めた。ダルビッシュ選手や大谷選手は“実力”によって集客したが、新庄選手の場合は“野球選手”としての常識を覆すようなパフォーマンスによって人々を魅了した。履歴的にも日本人選手として、大リーグで最初に“四番”を務めたこともある。或る種、華やかなスター性を備えている人物であることは間違いがない。但し、球団組織として考えた場合、“管理能力”を必要とする監督としての素質や能力が、新庄氏に備わっているのかには疑問がある。どちらかというと“個人プレー”で目立っていた選手だからだ。ただ「日ハム」の場合、球団移転の問題を抱えている。2023年から、その本拠地としての球場を札幌市から北広島市へ移すことが決まっている。現在は「札幌ドーム」だが、北広島市に建設中の「北海道ボールパーク」に転居するのだ。新しい球場は“球場らしからぬ外観”をしていて、その付近全体にさまざまな遊園地や娯楽施設やデパートやホテルなども設けて「IR構想」と似たような“集客施設”を予定している。つまり「単なる野球場ではない」というのが、会社側の意向なのだ。それゆえに札幌には“広範囲の土地”が確保できず、隣接する北広島市に“白羽の矢”が立ったという経緯がある。ところが、北広島市というのは、当然のことながら札幌のような大都市ではない。そこに球場を持ってきても、果たして“集客できるか”という問題が待っている。最近の「日ハム」は“スター選手”不在で「札幌ドーム」でさえ一時期のように客が集まらない。地味な新監督では、ますます客離れが進みそうな状況にある。そういう点から言えば、新庄氏が日ハム選手として活躍した時代は一気に“チーム全体”が活気づいて個々の選手の個性までもが引き出され、世間の注目度が増しただけでなく、勝敗の成績自体もアップしていったことは事実なのだ。そういう意味では新庄氏は「華やかな人気運」を備えているだけに、“新球場の顔”としてTVやスポーツ新聞などで扱いやすい素材であるのは間違いがない。これは日ハムだけではないのだが、感染症対策から2年間、球場自体が閑散としてきた。札幌から北広島まで足を運ばせる力を持っているのか、新監督の選択には「日ハム」の存亡がかかっている。
自分だけの“愉しみ”を持っている人は、それが“みんなの愉しみ”になることを根本的に好まない。それなのに、ひっそりと“自分だけの愉しみ”として始めたことが、いつの間にか世間の評判となり、あれよあれよという間に“社会的なブーム”にまでなって、もはや“自分だけの愉しみ”などではなくなってしまった。それが芸人ヒロシ氏の始めた「ソロキャンプの世界」だ。彼自身は“世間に広めよう”などという気持ちは全くなく、プライベートの趣味として「独りだけで行うキャンプ」を行っていた。誰に見せようというのでもなく、自分の「ソロキャンプ」の姿を撮影してYouTube動画として投稿していた。元々それを広めようという意識もなければ、それで人気を復活させようという意識もなかった。言ってみれば「寂しかったから…」誰かと“その雰囲気”だけでも共有したくて投稿していたにすぎない。したがって、面白いことをいうのでもなく、いろいろと解説するのでもなく、ただ単に“火を起こす作業”などを黙々と行っていた。ところが、世の中とはわからないもので、その黙々と作業し、ひとりの世界に浸っている彼を、閉塞感のある社会の中で働いている人達が徐々に支持していくようになる。つまり共鳴者が多くなり、自分も「ソロキャンプを行ってみたい」と希望する人たちが増えていった。さらにTVとか雑誌とかが、このブームを後押しした。いつの間にかソロキャンプ専用の販売コーナーまで出来るように変わった。そうなると、世間に「ソロキャンプの達人」が増えてくる。そういう人達の中には、元々は“ソロキャンプ”ではなくて、“普通のキャンプ事情”に詳しい人達、“山籠もり生活”に慣れている人達、“サバイバル生活”に憧れる人達なども出て来る。望んでもいないのに、いつの間にか芸人のヒロシ氏には「ソロキャンプの達人」が“第二の職業”であるかのようになってしまった。ところが、或る番組にゲストで呼ばれて、ヒロシ氏は「もう山に行きたくないんですよ」と告白している。「もう自分の家(うち)で寝たいんですよ」と言うようになった。「前は楽しかったんだけど…」と本音で語った。そりゃ、そうだ。元々「ソロキャンプ」は一人で行うものであって、TVスタッフが一緒だと本当のソロではなくなる。しかも、YouTube動画と違って、TV番組となってしまうと、いろいろ制約が出て来る。毎回、同じことだけでは飽きられても来る。自分ひとりだけの“愉しみ”などではなくなってくるのだ。最近になって「痔の手術もした」ヒロシ氏の場合、家の柔らかいベッドで寝たいのは当然だ。時に「人気」は、人の“倖せ”を奪っていく。
今年も年末が近づき「NHK紅白歌合戦」の話題が出るようになった。昨年で50回出場を果たした五木ひろし氏は「紅白を辞退する」らしい。それに関して、年々「演歌枠が時代にそぐわないと縮小していく傾向にある」と報道されていた。そうなのかもしれないが、大みそかに“TVを観る”という行為は、若者たちよりもお年寄りたちに“より顕著”だと思うので、そういう点から言えば、日本の“人口比率”に合わせて「演歌枠」を残しておいても良いような気はする。それよりも、私がこの“名物番組”で最も気になるのは「男」「女」を明確に分け、その二つを“対決”させ、勝敗を決める、という方式にある。タイトルが「紅白歌合戦」なのだから仕方がない、と言ってしまえばそれまでだが「紅・白」は「紅=女」「白=男」に決まっているモノなのだろうか。確かに昔は“祝い事”と言えば紅白饅頭だった。現代は「多様性の時代」などと誰もが口にしながら、それでいて、こういう時には「男」と「女」を明確に分け、しかも、その二つを“対決”させ、“勝敗”を決めようとする。娯楽番組として“勝敗”を楽しむのであれば、例えば日本列島を“南・北”や“東・西”の出身地域別に分ける方式もある。“老・若”歌手年齢で分ける方式もある。そうすれば、より郷土愛が高まるとか、世代愛(⁉)が高まるとか、これまでとは違った楽しみ方が出来ることだろう。大体が「紅白」への出場資格も、なにが基準になっているのか全く分からない。密室的な“出場決定”もおかしな話で、通常の歌番組としての選出なのか、特殊な“国民的番組(⁉)”なのか、ハッキリさせた方が良い。それに“国民的な歌番組”であるなら、ヘンなコントとか、お芝居とか、“友情応援(⁉)”のバックでの踊りとか、無理にさせるのもおかしいし、意味のない審査員方式も排除すべきだ。結局「紅白歌合戦」のような「男・女」分けに“違和感を覚えない”ようでは、いくら表面上“多様性”などと言っても「皇室は皇室らしくあらねばならない」的な発想は無くならないし、本質的には少しも“多様性”など認めていないことになる。大体が他人の“髪型”をどうのこうのいう時点で“多様性”など消し飛んでいるのだ。
私にそういう趣味はないが、世の中には“電車好き”という人も結構多い。純粋に“電車”そのものが好きだという人もいれば、“被写体としての電車”が好きだという人もいる。昔は「電車マニア」と言えば男性に限っていたものだが、最近では女性たちにも増えてきているというから驚く。個人的な感想を言えば、日本の電車は比較的オーソドックスなものが多く、そういう点から言えば欧州の電車の方が“個性”に溢れているような気もする。10月中旬、東急池上線の池上駅のホワイトボード上に手書き文字で「電車売ります」の広告が掲載された。実際に東急線で使用されていた車両を“まるまる販売する”というのだ。46年間、使用されてきた8500系電車が引退し“新たな車両”に引き継いだので不要となった車両のうち、運転席付きの車両を4両だけ一般販売しようというのだ。おそらく“マニアの人たち”にとっては「是が非でも欲しい商品」となるのではないだろうか。価格としては1両に付き176万円であるという。これが“高い”のか“安い”のか、私には判らないが、昨年10月に関東鉄道から一般販売されたDD502の車両は200万円だったらしい。そういう点からいうと“お買い得⁉”なのかもしれない。ちなみに「運転台のみ」となった場合には85万円である。もっとも、東急電鉄は、金を出せばだれにでも売るのか、というとそうではない。それなりの条件があるのだ。まず第一に「適切な状態で保存してくれる人」というのが“絶対条件”である。おそらく「海外に転売される可能性」とか「保存場所を確保できない人」などが出て来ると厄介だからだろう。こういう“巨大なもの”は当然のことながら輸送費がかかる。維持費がかかる。メンテナンス費用も掛かる。それらを考えると、ただ単に「好きだから買える」という商品ではないのだ。何かのTV番組で「車両をそのままレストランにした人」が紹介されていたが、そういう使い方も“有り”なら、巨富を生む可能性だってないとは言えない。ただ「運転席」だけを購入して、部屋の中に入れ、夜ごと“その運転席で一人愉しんでいる”ような人とは、ちょっと友達にはなれないかも…。
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