10月, 2021年

大槻義彦氏vs.韮澤純一郎氏が30年バトル⁉

2021-10-31
正直それを知った時、私は「もう30年にもなるのか」と思った。そして30年にもなるのに、相変わらず“同じ形”で嚙み合わない論争をするのは、なんだか滑稽であり、或る種の漫才コンビのような役割で“引っ張り出されている”ようで何かが釈然としない。最新の『週刊ポスト』で、物理学者の大槻義彦氏と超常現象研究家の韮澤純一郎氏とを招いて、TV番組で30年以上続いた「UFO論争」を誌上の中で再現させているのだ。TVの「超常現象スペシャル」などでは、超常現象の“肯定派”の代表的存在が韮澤氏であり、一方“否定派”の代表的存在が大槻氏であった。いつも二人の議論は嚙み合わず、その“噛み合わなさ”がTV的には面白かった。始まったのは80年代後半で、まだ“UFO事件”が頻発していた頃だった。奇妙なことにTVが「UFO論争」を取り上げ出したころから急速に“事件としてのUFO現象”は減っていく。この二人が“肯定派”と“否定派”とに分かれたのは、実は小学生時代の“実体験”が大きく影響している。大槻氏は小学生の頃に「火の玉」を観たのだ。韮澤氏は小学生の頃に「UFO」を観たのだ。大槻氏は「火の玉」の正体を知りたいと思ったが、だれも納得がいくようには答えてくれなかった。それが後年“プラズマの研究”で第一人者と呼ばれるような方向性を定めた。つまり、観たからと言って、それが「火の玉=魂」とは限らない、というのが根本的なスタンスなのだ。韮澤氏はやがて出版社に勤め「眠れる預言者」とも呼ばれたエドガー・ケイシー関連の出版物を多く手掛けるようになる。エドガー・ケーシーは宇宙人が人類文明の進化に“寄与した”と主張している。現代から観ると、ケーシーの予言には首をかしげる部分も多いが、あきらかに“これを示唆していたのか”と思える予言も多い。例えばニューヨークの9.11の事件を示唆していると思える予言、日本の東日本大震災3.11を示唆していると思える予言などがある。しかも、これらはすべて“催眠状態での予言”だという点に特異性がある。したがって、そういう出版物を扱ってきた韮澤氏には「超常現象も宇宙人も実在する」と主張したい事例に後押しされている。多少、論理的にはおかしくても“体験”を否定することは出来ない。実際、UFOに限らず超常現象は体験的に“信じている”人が多い。自分が体験したものは、多少、理論的におかしくても“肯定”せずにはいられないのが人間なのだ。世の中には「運命」を否定する人も多いが、それは“奇跡的体験”とか“運命的現象”を体験していないからで、それだけ“平穏な人生”を歩んできた証拠なのだ。

誰からも“咎められない”「離婚」の仕方

2021-10-30
女優の長谷川京子氏とミュージシャンの新藤晴一氏が“連名”でコメントを出して「離婚」を報告した。これに対して、数多くの“激励コメント”が寄せられているらしい。最近、この種のことに関しては“批難コメント”が多いだけに、珍しい現象と言える。おそらく、そのような反応に至った理由は三つある。まず一つは、二人の場合、13年間の結婚生活で十年以上という長い期間を一緒に過ごしてきているという事実。どんなカップルでも十年以上の月日を一緒に過ごしてきていれば、多少の“ずれ”や“食い違い”は出て来る。二人のコメントでは、それを「価値観や生活スタイルの違い」と表現している。さらにコメントでは「熟考を重ねた結果」の結論だとしている。人は“衝動的な行動”に対しては批判的になるものだが、熟考を重ねた…と言っているのだから、もはや他人の入る余地はない。そして多分もっとも“激励コメント”に変えた秘密は、互いに“それぞれの仕事”には今後も「尊敬は変わらず」と加えている点だ。どちらも“互いの批判”をしていない。ここは重要なところだ。特に有名人カップルの場合は、それぞれにファンや関係者が居る。お互いの“今後”に「疵」が付かないよう配慮することは重要なのだ。さらに二人の場合、子供の問題に関しても“双方が協力し合う”ことを鮮明にしている。一部報道では、週末と他の曜日とで互いに“子育て”業務を分けているらしい。一見、そのような関係がすでに築かれているなら、いまさら「離婚」しなくても…と思う人が居るかもしれない。けれども日本の場合、正式離婚をしている場合と、していない場合とでは「世間の眼」というものがまったく違ってくる。極端な話、離婚していれば「新たな出逢い」を堂々と求めることが出来る。いくら本人たちの間で“終わっている関係”でも、正式離婚されていないものに対して日本人は許そうとしない風潮がある。報道されて傷つくのは本人たちより子供や親などの“周り”である場合も多いのだ。最近の長谷川京子氏は“セクシー路線”に切り替えているようにも窺えるが、そういう方向性も“籍が抜けていない”場合は、非難の対象となったりする。ところで私は今年の10月1日、別居報道が出た翌日に長谷川京子氏を占い《…妥協の余地とぼしく“正式離婚”は時間の問題⁉…》というふうにブログに記した。ホロスコープから考えると、来年3月まで待った方が本当は良いのだが、待てなくなったのだろう。それでも、連名で「離婚コメント」を出して、予想以上の“激励コメント”にあふれ、非難するものがほとんど見当たらなかったのは「熟考を重ねた結果」が効いていたのだ。

「因縁渦巻く」としか言いようのない女の闘い

2021-10-29
私たちは普段「因縁」などというものから距離を置いて暮らしている。けれども、そういうものが何となく“存在”していることは多くの人が認めている。文字通り、それを感じさせる“女同士の闘い”が繰り広げられているのが北海道11区の選挙戦だ。北海道のど真ん中に位置する選挙区には、ふたりの女性候補が立っている。その一人は立憲民主党から出ている石川かおり氏(37歳)であり、もう一人は自由民主党から出ている中川郁子氏(62歳)である。その二人が「一つの座席」を争っている。実は、この石川氏の方は元々“夫が議員”だったのだが“金銭トラブル”から議員資格を失い、中川氏の方も元々“夫が議員(元大臣)”だったのだが“急死”して、共に“夫の身代わり”からスタートしている政治家なのだ。ところが通常“夫の身代わり”などというと、名前だけになりそうなものだが、二人とも今や“一流の女性政治家”に変わりつつある。実は石川氏の方は元々がBS放送のアナウンサーで“喋りのプロ”だった。したがって即興で立ったのに立派に議員を果たしている。夫の知裕氏は、元々小沢一郎氏の秘書をしていた過去が金銭疑惑に巻き込まれる発端となった。本人の金銭疑惑ではないのだ。一方の中川氏も夫が急死しての選挙戦では真冬の北海道の雪道に土下座しながら選挙戦を戦った。夫の昭一氏は政治家としては優れていたが、アル中気味で失態が多く大バッシングを受けて大臣の椅子を失った。そしてその直後に急死した。郁子氏は気丈にも、そういう中で跡を継ぎ、当選して比較的すぐ要職に就いたのだが“路上不倫キス写真”を掲載され、一気に信頼を失った過去がある。この二人に妙な形で関わっているのが「新党大地」代表の鈴木宗男氏である。今回の選挙では“中川氏側”に附いて応援している。元々この鈴木宗男氏は、中川郁子氏の義父に当たる“57歳で自殺した中川一郎氏”の秘書をしていた人物だ。中川一郎氏も、その息子であった中川昭一氏も、共に“将来の総理候補”と期待されていた人物である。ところが秘書だった鈴木宗男氏は、或る日、反乱を起こして自らが立候補した。中川氏の自殺は「そのことも関係している」という説もある。そういうややこしい事情もあって、鈴木氏は一時は“石川氏側”に附いたりもした。今回は秘書時代を想い出したのか“中川氏側”に附いている。こうして、なにがなんだかわからない感じで「因縁の闘い」が繰り広げられているのだ。自殺した故・中川一郎氏は「あの世」から、郁子氏を応援する鈴木氏を許すのだろうか。

スポーツ強豪校に潜む「金」と「性」の問題

2021-10-28
現代においては「プロスポーツ予備軍」として位置付けられているのが“スポーツ強豪校”と呼ばれる有名高校である。近隣地域も含めて、多くの有望な選手たちが、それらの高校に入学してくる。学校側としても、有名選手を育成・輩出することは“名誉”であり、“学校経営”という観点からもプラス効果が大きい。但し、スポーツ面で優れているから“精神面”でも優れているかというと、その点はまったく関係がない。大阪府にある大阪偕星学園高校と言えば野球など各種スポーツで全国に名の知られた高校の一つだ。その野球部や柔道部などで今年に入って相次いで不祥事が続いている。まず柔道部だが、4月に寮に住む男子部員が女子部員の着替えを“覗き見した”ということで問題となった。その結果、覗かれた女子部員一人が、その後も不安が解消されないとして退学してしまった。野球部では監督のパワハラが問題となって世間的にも注目を浴びた。ところが、もっと重要な問題が明るみに出て来た。7月に寮に住んでいた野球部の部員4人が結託して、寮内に置かれていた野球部監督の財布から1万円札数枚を“抜き取る行為”を繰り返していたというのだ。その金を使って後輩たちに対して食事をおごるなどしていたらしい。何故、発覚したのかというと、数枚では物足らず一度に40万円も抜き取ってしまったからだ。そんな大金を財布に入れたまま寮内に置いておく方にも問題があるが、この事件が発覚して、関与した4人の野球部員は自主退学する形となった。さらに8月、今度は野球部の元コーチが男子部員14人に対して、性器を弄ぶなどした準強制性交事件が発覚した。なぜ、このようなことが続いたのか、もしかすると「名門」と呼ばれるところの“寮生活”に問題があるのではないか。スポーツ部門は未だに縦社会で上下関係が“絶対”とされる。監督やコーチに逆らえない慣習のようなものが根強い。今日的な社会からみれば「ハラスメント」が横行しやすい成り立ちとなっている。また、名門校や有名校には各プロスポーツ界から“引き抜き”や“勧誘”が訪れやすい。その際に“裏金”的なものが、選手にではなく有名監督とかコーチとか経営者側に手渡されるようなケースも多いと聞く。この学校の監督の場合には、自分自身の“お金”のようだが、生徒の前で札束を見せるなど、指導者として首をかしげるような人物を監督にしていたことにも問題がある。一番問題なのは、4月に柔道部で“覗き問題”があったのに、8月にふたたび“性的事件”が起きてしまっている。せっかく有能な選手を、そういうことで失ったのに、少しも教訓になっていない。この学校だけでなく、“スポーツ強豪校”と呼ばれる学校はどこも、同じような問題で十代半ばの“優秀な素質と将来”を失ってしまわないよう早急に対策を練るべきだ。

堀江氏は「N党」でなく“自身の党”で出るべき

2021-10-27
衆院選の街頭演説に「N党(NHKと裁判してる党)」の党首である立花孝志氏と共に実業家・堀江貴文氏が登場して「N党」の“応援演説”を行ったらしい。ライブドア時代に自らも“無所属”で立候補したことがある堀江氏だが、その時以来の“街頭演説”になる。そして、各党に対して堀江氏らしい切り口でダメ出しをし、それらの「党」に比べて「N党」がいかに“時代に沿っているか”を力説したようだ。既に“政見放送”の時に、立花氏とはタッグを組んでいて、珍しく相性は良さそうである。比例区から当選者が出た場合は「秘書としてサポートをする」とまで言い切っている。つまり、頼まれたからの“応援”ではなくて、買って出ての“応援”なのだ。もっとも、最近の「N党」は一時期のような“勢い”はない。立花氏自身の人気も凋落しつつある。大体がその“党名”を何度も変えすぎる。“党名”を何度も変えるということは、その“主張”や“方向性”もクルクル変わっていく可能性がある。そういう人達を日本人はあまり信用しない。ところが堀江氏は、その部分について「意志決定が早く、柔軟にどんどん変えていける党」とべた褒めである。う~ん、どんどん変えて行くって……恋愛なんかだと“最低な奴”ということになるのだが…。ただ堀江氏の言うように「立花さんは決してイロモノではない」という部分に関しては、私も同感ではある。或る意味では“不器用な反骨者”のように視える。自らが勤めていたNHKという巨大組織に“歯向かっている”のだから、要領の良い人物ではない。但し政治というのは“法律を作る側”なのだから、その党首が“法律的に危うい存在”なのはいただけない。その立花氏と堀江氏とが“仲が良い”のは、もしかしたら堀江氏も“法律的にアウト”で刑事罰を受けた身なので、そういう点で何となく“親しみやすい”部分があるのかもしれない。けれども、私はどちらかというと、堀江氏のようなタイプは“他人が創った党”を応援するのではなく、自らが創った「党」で「政界に出ていくべきだ」と思っている。彼の“生き方”“考え方”というのは誰にでも簡単にマネの出来るものではない。したがって追従者がそんなに多数いるとは思わないが、新しい時代の“在り方”を示唆する存在として政治世界に“風穴を開ける”可能性はある。政治に必要な“底辺への理解力”が乏しすぎるが、世界と“渡り合う度胸”は日本に必要な存在と言えるのではないだろうか。

レーザービームで発見された「最古マヤ文明」

2021-10-26

メキシコ南部アグアダ・フェニックス遺跡を調査していた猪俣健・米アリゾナ大教授などが、これまでの「マヤ文明」遺跡群よりも古くて、年代測定で紀元前1100年~紀元前400年と推定される478の遺跡群を発見した、と英科学誌に発表した。通常、こういう発見は“その遺跡群の写真・映像”が公開されるものだが、今回の場合、遺跡そのものの画像・映像はない。何しろ、その範囲が途方もなく広い。85000㎢という範囲に及ぶ。しかも、残念ながら未発掘である。では、どうして発見できたのかと言えば、レーザービームを使ったのだ。最新のレーザービームの解析によって、未発掘ながら“3D映像”として“その全体像”を立体的に浮かび上がらせることが出来た。地下に眠れる広大な遺跡群の全体像を上空から捉えることに成功したのだ。遺された建造物だけでなく、9本ある舗装道路まで確認することが出来た。こうして最新の科学は、こと“古代史”に関しては大いに役立っている。これまでマヤ遺跡は、かなり解明されてきてはいるが、その“誕生・発展の経緯”にはまだまだ不明な部分が多い。特に、マヤの天文学や暦、文字の誕生・発展の経緯はよく解かっていない。占いの観点から言えば、現在一般に日本などで行われている“マヤの暦”を使った占いは、原初マヤ文明のカタチではない。あくまでも現代人による「マヤ暦占い」であって、現地の人々の“占い方”ではない。マヤの場合、一般的な暮らしに用いる「365日の太陽暦」と、呪術的な意図で用いる「260日の神聖暦」とがあるが、その神聖暦がどのような理由から“260日間を一区切り”としているのかは不明のままなのだ。一説に“焼き畑農業”的な意味があるとか、梅雨期間との関連があるとか、呪術としての循環暦だとか、天文学的な意味を持つとか言われるが、ほんとうのところは解かっていない。猪俣教授によると、今回の発見で興味深いのは、3D映像での立体化した遺跡配置には「マヤ暦」や“天文現象”との関連性が読み取れる部分があるということで、もしかしたら各種「マヤ暦」誕生の根本的な解明にも役立つ可能性がある。中南米の古代遺跡は、密林や荒野に存在するものも多く、まだまだ未知数の部分が多い。マヤやアステカやアンデスに伝わる占いも、さまざまな史料が揃って、もっと本格的に究明できる日がやってくるかもしれない。

 

吉村崇氏&霜降り・粗品氏の「大儲けが一転」

2021-10-25

最近は「借金芸人」というのも“一つの売り”にできる時代となったが、その根底に“笑い”と“夢”とを備えている借金であれば、或る意味で芸人らしくて良い。金満家となった芸人は、総じて保守的になり、あちこちに気を遣って、だんだん当たり障りのないことしか言わなくなる。平成ノブコブ・吉村崇氏の場合、芸能界で一二を争うくらい早くから「仮想通貨(暗号資産)」に投資していたらしい。現在は680万円もする1ビットコインが3万円の時に始めたという。その時、同じ仮想通貨の1リップルは0.3円だったらしい。そのリップルを数百万円も購入したのだ。やがてビットコインと共にリップルも高騰する。あっという間に0.3円だったものが300円にまで値上がりしたのだ。もし、この時、リップルを売って日本円に換えていれば、彼は間違いなく“大金持ち”になっていた。ところが、彼はそれ以外の仮想通貨にも手を出した。次々と別な通貨へと転換させていったのだ。これは彼だけでなく、多くの人が行う手法で、それが上手くいけば、より多くの日本円を手にすることが出来る。但し、仮想通貨は変動が激しいので、あっという間に大暴落も珍しくない。その結果、多くの人は初期の“値上がり分”を失ってしまうケースが多い。さらに、仮想通貨の場合、通貨を“切り替えるごと”日本円で税金が掛かる。何回も転換を繰り返すと、税金だけがどんどん膨らんでいく。結局、彼は、定石通りの“失敗”で、いつの間にか借金だけが残った。税金の支払いで父親に借金をする身になってしまったという。競馬の方で「大儲けを失った」のが霜降り・粗品氏である。彼は自分のYouTube動画の中で「菊花賞」の予想を行った。ギャンブラーとして知られる彼は、いつもなら自分の予想通り馬連「3-18」を600万購入したのだろうが、最近は“負けが込んでいる”せいもあって買う勇気がなかった。さらに、その時間にラジオの収録があって視ることが出来ない、という不運も重なった。もし、自分の言ったとおりに購入していれば、1億4500万円の金額となったのだ。結局、ふたりとも「勝ったのに勝てない」状態で「夢はまぼろし」となったが、むしろ、そうなったことで“つまらない金満家”にだけはならなくて済んだようである。

これこそ「正しい放送事故」の在り方かも⁉

2021-10-24

ときどきネットニュースなどで「放送事故」という言葉が使われる。放送中に予期せぬ出来事が生じて“映ってはならないもの”が一瞬だけ映る…というケースが多い。けれども、実際にはそのほとんどは大したことがなく、“事故とまでは言えない”ケースが多い。ところが、米ワシントン州の「KREM」TV局が流したニュース番組内で、日曜日の18時30分ごろニュースデスクから「お天気コーナー」へと切り替えたところ、いつものように気象予報士が“気象情報”を解説しだした右側のスクリーンに“アダルトビデオの映像”が映し出された。明らかな女性の裸体映像が13秒間も流れ続いたらしい。これぞまさしく「放送事故」であり、或る意味では“正しい放送事故”だったのだが、原因不明で現在地元警察が調査に乗り出しているという。日曜日の夕方とあって、問い合わせが殺到したというが、私には「おやっ⁉」と思う部分もある。何故かというと、海外の「天気予報コーナー」の中には、どこの国だったか忘れたが文字通りアダルトビデオまがいの「セクシー天気予報」が存在しているからだ。例えば、若い女性が何故かビキニスタイルで予報するとか、超ミニのボディコン美女が“踊りながら予報する”番組も見たことがある。南国の“暑い国”だからなのか、大いに驚いたものだ。ところが、この放送局の場合は、本来がニュースTV局で真面目な放送を旨としているからか、警察まで動員する“騒ぎ”になっている。別に放送事故を称賛するわけではないが、多少のハプニングとか、アブないシーンなどが流されるのは“重苦しいニュース”内容が多い時には、むしろほほえましく感じる場合さえもある。そういえば日本のアダルトビデオの中には、こちらは天気予報番組ではないが「トビジオ」シリーズと呼ばれる“ニュース番組もの”があって、実はとんでもない映像の“ニュース番組”が売り出されている。もちろん実際のニュース番組ではなく「妄想の中のニュース番組」とでもいうべきAV映像なのだが、なかなかにすさまじい。そういうものを観た後に“普通のニュース番組”を視たりすると、なぜか途中からアナウンサーが入れ替わるのではないかと、妙な妄想が膨らんだりする。もちろん、そのようなことが起こりうるはずもなく日本のニュース番組では“放送事故”など滅多に起こらない。

“集客効果”だけで言えば「新庄新監督」が一番

2021-10-23

栗山監督の引退で「日ハム」の新監督に新庄剛志氏が“有力候補”として浮上しているようだ。確かに今の「日ハム」には“人を呼べる選手”が乏しい。ここ2~3年、成績も低迷したが、それよりも“地味な球団”に変貌していったような印象が強い。かつて新庄氏は日ハムの選手時代に、さまざまなパフォーマンスを披露し、札幌ドームを沸かせて客を集めた。ダルビッシュ選手や大谷選手は“実力”によって集客したが、新庄選手の場合は“野球選手”としての常識を覆すようなパフォーマンスによって人々を魅了した。履歴的にも日本人選手として、大リーグで最初に“四番”を務めたこともある。或る種、華やかなスター性を備えている人物であることは間違いがない。但し、球団組織として考えた場合、“管理能力”を必要とする監督としての素質や能力が、新庄氏に備わっているのかには疑問がある。どちらかというと“個人プレー”で目立っていた選手だからだ。ただ「日ハム」の場合、球団移転の問題を抱えている。2023年から、その本拠地としての球場を札幌市から北広島市へ移すことが決まっている。現在は「札幌ドーム」だが、北広島市に建設中の「北海道ボールパーク」に転居するのだ。新しい球場は“球場らしからぬ外観”をしていて、その付近全体にさまざまな遊園地や娯楽施設やデパートやホテルなども設けて「IR構想」と似たような“集客施設”を予定している。つまり「単なる野球場ではない」というのが、会社側の意向なのだ。それゆえに札幌には“広範囲の土地”が確保できず、隣接する北広島市に“白羽の矢”が立ったという経緯がある。ところが、北広島市というのは、当然のことながら札幌のような大都市ではない。そこに球場を持ってきても、果たして“集客できるか”という問題が待っている。最近の「日ハム」は“スター選手”不在で「札幌ドーム」でさえ一時期のように客が集まらない。地味な新監督では、ますます客離れが進みそうな状況にある。そういう点から言えば、新庄氏が日ハム選手として活躍した時代は一気に“チーム全体”が活気づいて個々の選手の個性までもが引き出され、世間の注目度が増しただけでなく、勝敗の成績自体もアップしていったことは事実なのだ。そういう意味では新庄氏は「華やかな人気運」を備えているだけに、“新球場の顔”としてTVやスポーツ新聞などで扱いやすい素材であるのは間違いがない。これは日ハムだけではないのだが、感染症対策から2年間、球場自体が閑散としてきた。札幌から北広島まで足を運ばせる力を持っているのか、新監督の選択には「日ハム」の存亡がかかっている。

気がつけば「達人」もう引き返せない“ヒロシ”

2021-10-22

自分だけの“愉しみ”を持っている人は、それが“みんなの愉しみ”になることを根本的に好まない。それなのに、ひっそりと“自分だけの愉しみ”として始めたことが、いつの間にか世間の評判となり、あれよあれよという間に“社会的なブーム”にまでなって、もはや“自分だけの愉しみ”などではなくなってしまった。それが芸人ヒロシ氏の始めた「ソロキャンプの世界」だ。彼自身は“世間に広めよう”などという気持ちは全くなく、プライベートの趣味として「独りだけで行うキャンプ」を行っていた。誰に見せようというのでもなく、自分の「ソロキャンプ」の姿を撮影してYouTube動画として投稿していた。元々それを広めようという意識もなければ、それで人気を復活させようという意識もなかった。言ってみれば「寂しかったから…」誰かと“その雰囲気”だけでも共有したくて投稿していたにすぎない。したがって、面白いことをいうのでもなく、いろいろと解説するのでもなく、ただ単に“火を起こす作業”などを黙々と行っていた。ところが、世の中とはわからないもので、その黙々と作業し、ひとりの世界に浸っている彼を、閉塞感のある社会の中で働いている人達が徐々に支持していくようになる。つまり共鳴者が多くなり、自分も「ソロキャンプを行ってみたい」と希望する人たちが増えていった。さらにTVとか雑誌とかが、このブームを後押しした。いつの間にかソロキャンプ専用の販売コーナーまで出来るように変わった。そうなると、世間に「ソロキャンプの達人」が増えてくる。そういう人達の中には、元々は“ソロキャンプ”ではなくて、“普通のキャンプ事情”に詳しい人達、“山籠もり生活”に慣れている人達、“サバイバル生活”に憧れる人達なども出て来る。望んでもいないのに、いつの間にか芸人のヒロシ氏には「ソロキャンプの達人」が“第二の職業”であるかのようになってしまった。ところが、或る番組にゲストで呼ばれて、ヒロシ氏は「もう山に行きたくないんですよ」と告白している。「もう自分の家(うち)で寝たいんですよ」と言うようになった。「前は楽しかったんだけど…」と本音で語った。そりゃ、そうだ。元々「ソロキャンプ」は一人で行うものであって、TVスタッフが一緒だと本当のソロではなくなる。しかも、YouTube動画と違って、TV番組となってしまうと、いろいろ制約が出て来る。毎回、同じことだけでは飽きられても来る。自分ひとりだけの“愉しみ”などではなくなってくるのだ。最近になって「痔の手術もした」ヒロシ氏の場合、家の柔らかいベッドで寝たいのは当然だ。時に「人気」は、人の“倖せ”を奪っていく。

誰もなぜ指摘しない「紅白歌合戦」の問題点

2021-10-21

今年も年末が近づき「NHK紅白歌合戦」の話題が出るようになった。昨年で50回出場を果たした五木ひろし氏は「紅白を辞退する」らしい。それに関して、年々「演歌枠が時代にそぐわないと縮小していく傾向にある」と報道されていた。そうなのかもしれないが、大みそかに“TVを観る”という行為は、若者たちよりもお年寄りたちに“より顕著”だと思うので、そういう点から言えば、日本の“人口比率”に合わせて「演歌枠」を残しておいても良いような気はする。それよりも、私がこの“名物番組”で最も気になるのは「男」「女」を明確に分け、その二つを“対決”させ、勝敗を決める、という方式にある。タイトルが「紅白歌合戦」なのだから仕方がない、と言ってしまえばそれまでだが「紅・白」は「紅=女」「白=男」に決まっているモノなのだろうか。確かに昔は“祝い事”と言えば紅白饅頭だった。現代は「多様性の時代」などと誰もが口にしながら、それでいて、こういう時には「男」と「女」を明確に分け、しかも、その二つを“対決”させ、“勝敗”を決めようとする。娯楽番組として“勝敗”を楽しむのであれば、例えば日本列島を“南・北”や“東・西”の出身地域別に分ける方式もある。“老・若”歌手年齢で分ける方式もある。そうすれば、より郷土愛が高まるとか、世代愛(⁉)が高まるとか、これまでとは違った楽しみ方が出来ることだろう。大体が「紅白」への出場資格も、なにが基準になっているのか全く分からない。密室的な“出場決定”もおかしな話で、通常の歌番組としての選出なのか、特殊な“国民的番組(⁉)”なのか、ハッキリさせた方が良い。それに“国民的な歌番組”であるなら、ヘンなコントとか、お芝居とか、“友情応援(⁉)”のバックでの踊りとか、無理にさせるのもおかしいし、意味のない審査員方式も排除すべきだ。結局「紅白歌合戦」のような「男・女」分けに“違和感を覚えない”ようでは、いくら表面上“多様性”などと言っても「皇室は皇室らしくあらねばならない」的な発想は無くならないし、本質的には少しも“多様性”など認めていないことになる。大体が他人の“髪型”をどうのこうのいう時点で“多様性”など消し飛んでいるのだ。

46年間で引退した電車1両「176万円」で販売

2021-10-20

私にそういう趣味はないが、世の中には“電車好き”という人も結構多い。純粋に“電車”そのものが好きだという人もいれば、“被写体としての電車”が好きだという人もいる。昔は「電車マニア」と言えば男性に限っていたものだが、最近では女性たちにも増えてきているというから驚く。個人的な感想を言えば、日本の電車は比較的オーソドックスなものが多く、そういう点から言えば欧州の電車の方が“個性”に溢れているような気もする。10月中旬、東急池上線の池上駅のホワイトボード上に手書き文字で「電車売ります」の広告が掲載された。実際に東急線で使用されていた車両を“まるまる販売する”というのだ。46年間、使用されてきた8500系電車が引退し“新たな車両”に引き継いだので不要となった車両のうち、運転席付きの車両を4両だけ一般販売しようというのだ。おそらく“マニアの人たち”にとっては「是が非でも欲しい商品」となるのではないだろうか。価格としては1両に付き176万円であるという。これが“高い”のか“安い”のか、私には判らないが、昨年10月に関東鉄道から一般販売されたDD502の車両は200万円だったらしい。そういう点からいうと“お買い得⁉”なのかもしれない。ちなみに「運転台のみ」となった場合には85万円である。もっとも、東急電鉄は、金を出せばだれにでも売るのか、というとそうではない。それなりの条件があるのだ。まず第一に「適切な状態で保存してくれる人」というのが“絶対条件”である。おそらく「海外に転売される可能性」とか「保存場所を確保できない人」などが出て来ると厄介だからだろう。こういう“巨大なもの”は当然のことながら輸送費がかかる。維持費がかかる。メンテナンス費用も掛かる。それらを考えると、ただ単に「好きだから買える」という商品ではないのだ。何かのTV番組で「車両をそのままレストランにした人」が紹介されていたが、そういう使い方も“有り”なら、巨富を生む可能性だってないとは言えない。ただ「運転席」だけを購入して、部屋の中に入れ、夜ごと“その運転席で一人愉しんでいる”ような人とは、ちょっと友達にはなれないかも…。

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