11月, 2021年

窃盗は「二宮金次郎」無縁な外国人労働者か

2021-11-06
日本人の多くは「二宮金次郎」という名前を知っている。それは多く“銅像”として知っているもので、“薪を背負いながら勉強する姿”としての銅像だ。昔は多くの小中学校に、その銅像があったように記憶する。正直「とにかく立派な人」という印象しかないが、歴史的には江戸末期に“多くの農民を救った人物”として記録されている。栃木県・真岡市はその“金次郎が30年ほど暮らした所”として知られている。今月4日、地元住民が「歴史資料保存館」の入り口付近に設置してあった「二宮金次郎の銅像」が無くなっていることに気付き、市教委の方に連絡した。高さ1メートルほどの銅像は台座との接合部分を壊して“持ち去った”と推定される。実は金次郎の“ゆかりの地”である真岡市には13もの銅像が設置されている。そのうちの一つが盗難に遭ったことで、それ以外の銅像も狙われるのではないか、と地元警察は警戒している。私は最初マニアックな金次郎ファンの仕業かと思ったが、あちこちに設置されているなら、わざわざ盗む必要がない。それであれば近年の“銅の希少価値”に目をつけての犯行以外には考えられない。一時期、銅線などが盗まれたのと同様な発想なのではないか。もっとも銅線ならどこにあったものか判らないが、銅像の場合は“すぐ判明してしまう”ので地元民は心情的にも盗めない。何しろ、貧しい中で勉学に励み、栃木の農民たちを“救った人物”なのだ。ただ地元に暮らしていたとしても“金次郎を知らない人々”、例えば外国人労働者などであれば「銅像は高く売れる」と発想するかもしれない。けれども、ひとりだけで台座部分を壊すとか、それを持ち運ぶのは大変なはずで、犯行計画を練って複数の人物が関わっていた可能性もある。コロナの影響を受けて、外国人労働者にも“勤め先を失った人々”が多くいるに違いない。そういう人達のなかで“銅関連の仕事”に携わった経験ある者なら、売りさばくルートを知っているかもしれない。もっとも地元業者なら、いくら金になると言っても「二宮金次郎」に手出しは出来ない。もっと“巨富を得ていた人物”の銅像なら、良心が咎めないかもしれないのだが…。

「ビッグボス」の“成功理論”を理解できれば…

2021-11-05
世の中には「左脳型」の人と「右脳型」の人とが居る。さしずめ「日ハム」の新監督になった新庄剛志氏は典型的な“右脳型の人物”である。簡単にいえば“自らの感覚”を重視し、ヒラメキで動く。アスリートで成功する人には“右脳型”の人物が多い。一方の“左脳型”は“合理的な理論”を重視し、過去のデータに基づいて動く。男性にはこちらの方が多いのだが、瞬時の判断力や動きを必要とするアスリートには“右脳型”が多いのだ。そして“右脳型”の方が「奇跡」を起こしやすい。昨日、正式契約を結び、その後すぐ新監督は記者会見に臨んだが、その配られた名刺には「監督」とは書かれていなかった。その代わりに「ビッグボス」という“呼び名”が記されていて、それを記者にも選手にも「使ってほしい」とお願いをしていた。「監督という言い方は何か好きじゃない」という理由からである。そういう点も、いかにも新庄氏らしい。彼は開口一番「優勝なんか一切考えていません」と繰り返した。その代わり「世界一の球団にしたい」とも熱弁した。こういう一見、矛盾したことをいうのが“右脳型”の人の特徴で、彼らの中では矛盾などしていないのだ。私が彼の言葉の中でもっとも“その通り”だと思ったのは「プロとして球団に入っている選手たちのレベルなんて、みんな一緒だから…」と強調したことだ。これは、ものの見事に「人間」の本質「運命」の本質を言い当てている。或る程度のレベル以上の人間しか“その世界”には入らない。或いは残らない。これは、どのような分野でもそうなのだ。だから、よく「自分には才能がない」などと嘆く人が居るが、少なくとも“自分の住む世界”を間違えてさえいなければ、周囲から特別に劣っているようなことはない。個々の“レベルの違い”というのは“ほんのわずかの差”でしかない。しかも、その“ほんのわずかの差”は、往々にして“メンタル的な差”に由来するものだ。だから、新庄氏の言うごとく「メンタル的なものを引き出す力」さえあれば、いくらでも“レベルを上げる”ことは可能なことなのだ。ただ才能の進化には“徐々に進化していくタイプ”の人と、何かのキッカケから“一気に進化していくタイプ”の違いがあって、その点が“レベルが違う”よう見えやすい点なのだ。「日ハム」の場合、選手全員が新庄氏のような“右脳型”の指揮を十分に“理解”して“追従”出来るかどうか、という点に掛かっているよう私には思われる。特に根本的に“左脳型の選手”たちの場合、彼をどこまで理解して、どこまで追従できるかは謎である。もし誰か“左脳型のコーチ”が居て「ビッグボス」の意図や指示を技術的理論で補足してあげられれば間違いなく「世界一の球団」が誕生していくだろう。

ジャイアント馬場が「守護する」レディ・C 

2021-11-04
一時期、凋落していた時期のあった「女子プロレス」が近年になって再び活気づいている。その頂点にあるのがスターダムと呼ばれる団体だ。そのスターダムで現在“フューチャー・オブ・スターダム王座”のベルトを保持しているのがデビュー5年目・琉悪夏(るあか)選手だ。昨日そのチャンピオンに対してデビューしてまだ1年にしかならないレディ・C選手が挑戦する試合が行われた。格闘技では身体づくりだけでも最低1~2年は掛かる。昨年11月からリングに登場しているレディ・C選手は、26歳だが前職は教員で中学や高校で家庭科を教えていた。しかも幼い頃から格闘技など特に興味もなく、運動神経も良くはなかった。それなのに、たまたま誘われプロレスの試合を見に行ったことから“運命の歯車”が動き出した。彼女には、一つだけ他の選手が持ち合わせていない利点がある。身長が高いのだ。スターダムの日本人選手ではもっとも高く177㎝ある。格闘技者にとって身体が大きいことはそれだけで武器になる。日本人のプロレスラーでもっとも高身長だったのはジャイアント馬場選手だ。そういえば馬場氏もほんとうは野球選手を目指したのに途中からプロレスに転向した。177㎝のレディ・C選手は「女ジャイアント馬場」としての呼び声が高い。おそらくスターダムの団体としても、そういう意識を持たせて育てているようだ。そうでなければデビューして1年で“挑戦者”にはしない。昨日の試合は敗れたが、それでも随所でジャイアント馬場が得意とした「脳天唐竹割り」「ジャイアントバックブリーカー」「ココナッツクラッシュ」などの技を披露した。本人も“馬場選手”を意識して成長していこうとしている。実は、なぜ私がこんなことを書いているのかというと、その生年月日から気になったことがあるからだ。彼女はホロスコープで太陽と木星とが0度一体化した日に誕生している。太陽と木星とが“0度一体化”している人には、私の実例研究では「後継者(或いは何かの継承者)」がすこぶる多いのだ。つまり、彼女はただ単に“高身長”からだけではなく、運命学的にも「ジャイアント馬場の後継者(継承者)」としての素質を持っているのだ。そうであれば、今後は馬場選手がもっとも得意としていた必殺技「ジャンピングネックブリーカードロップ」と「河津掛け落とし」を身に着けることによって、世界王者としてのベルトを巻くことができるようになっていくのではないだろうか。その「運」は十分に持っているのだ。

大掃除をしなければ「ダイヤモンドは永遠に」

2021-11-03
或る大金持ちの女性が「私がこれは本物よ」と言えば、偽のダイヤであっても誰も疑わない、それが「世の中というものなの」という言う話を、何かで読んだことがある。確かに“世の中の基準”というのは、大体がそんなものである。イギリスのノーサンバーランドに住む70代の女性が、久しぶりに家の中の大掃除をした。一人暮らしの彼女は“大掃除”など十数年もの間していなかったが、その日はちょっと片付けものがあって、そのついでに部屋の中で使わなくなっているものを次々整理していたら、いつの間にか“大掃除”になっていたのだった。そうやって片付けているうちに、一つの宝石がクローゼットの隙間から出て来た。3㎝ほどの楕円形をしたダイヤモンドだった。おしゃれ用品のお店から20年ほど前に購入したもので、もちろん本物だとは思わないが、とても見栄えが良いので新しいドレスに似合いそうだと購入したのだった。その店では売るだけでなく“買い取り”もしているので、年代物のネックレスやブローチもあり、値段は店主の一存で決めている。楕円形のダイヤモンドはイミテーションながら8万円と高価だったので、一瞬迷ったのだが見栄えの良さで奮発したのだった。店主は「本物かも知れないわよ」と冗談で言い、女性も「この輝きは絶対よ」と笑って応じたが、もちろん、二人とも信じてなどいないのだった。3㎝もする楕円形のダイヤモンドが街外れの店に持ち込まれるはずがない。だから、どこかにそのダイヤを失くしてしまったと知った時にも、もう着ける機会もないから別に良いか…と大慌てすることもなかった。さて彼女は使用で街に出た時、先日、発見したダイヤモンドも他の指輪やアクセサリーなどと一緒にビニールの袋に入れて、宝石店に持っていった。もう使わないものばかりだから、お金に換えて久しぶりに贅沢でもしようと思ったのだ。ところが、他の宝石類はすぐ換金してくれたが、そのダイヤモンドだけは「ちょっと預からせてください」ということになった。こうして正式な鑑定士が念入りに鑑定した結果、このダイヤモンドは本物で、34カラットで3億1200万円もすることが判った。もしも、あの時、ついでにと大掃除までしなければダイヤモンドは発見できず、永遠にクローゼットの隙間に眠り続けていたことだろう。

20年後の「富裕国」は豪州・コンゴ・チリ⁉

2021-11-02
いつの頃からか「脱炭素」という言葉が盛んに使われるようになった。地球環境を維持するために、新しい形の“エネルギー資源”に変えて行かなければならないらしい。その結果として、現在「資源大国」として“金持ち国”に躍り出ている国々が徐々に“退いていく”らしい。つまり、いつまでも石油大国が「アラブの大金持ち」ではいられない、ということだ。この“地球規模での転換”が、我が「日本国」には今一つ“中心的話題”として上らないのは、我が国にとっては“悦ぶべき”ことでも“悲しむべき”ことでもないからだ。変わっても、変わらなくても、日本国内には“なんのエネルギー資源”も存在していない。日本近海には“海底資源”が眠っているとして、一時期うれしがらせてくれたが、どうやらその“採掘”も“実用化”も簡単ではなさそうなのだ。ハッキリ言ってしまうと、我が「日本国」には“眠れる秘宝”は今のところ乏しそうなのだ。そこで、これから最も価値が出て来る資源とは何かといえば「リチウム」「コバルト」「ニッケル」「銅」などである。これまでの「石油」や「ガス」の使用量は半分以下に抑えられていく。これまで「富裕国」でいられた国々は少し後退して、新たな「富裕国」が誕生していくことになる。新たに必要とされるリチウム、コバルト、ニッケルは、一部の国にしか眠っていないことが判っていて、それも、どちらかと言えばこれまではそれほど「富裕国」ではなかった国々である。つまり、豪州(オーストラリア)、コンゴ、チリ、インドネシアといった国々なのだ。リチウムなどは20年後に今の12倍以上の必要性が予測されている。つまり「脱炭素」が進むことによって、サウジアラビアやアメリカやイランや中国やロシアといった“現在の資源大国”が後退して、豪州、コンゴ、チリ、インドネシアといった国々が「富裕国」にのし上がっていく。コンゴやインドネシアなどは“眼を見張るような発展”を遂げていくかもしれない。長期的に財産を寝かせられる“余裕のある人”なら、今のうちからインドネシアの不動産や株を保有しておくことによって、大財産を築き上げることが可能となるかもしれない。もっとも、これを読まれるような方に、それほどの“余裕のある人”が居るかどうか疑問なのだが……。ところで日本の政治家は目先のことしか興味がなさそうであるが、ほんとうに「日本」には“資源が何もない”のか、調査をすることに大金を投じるのも「投資」として悪くないのだが……。

2021年11月の運勢

2021-11-02

なぜ向いていない人物を「選挙特番」起用⁉

2021-11-01
最初から判っていたはずのことを何故TBSは「選挙特番」で行ったのだろう。芸人・太田光氏のMCへの起用についてである。これは絶対に起用した側に問題がある。彼が“政治的な問題”に関心を持っていることは誰もが認めるだろう。けれども、日頃からの言動をみれば“真面目に対応できない”ことは眼に視えている。これまでの彼のキャラクターから言っても、真面目にし過ぎたなら、それはそれで“起用する”意味がない。本来、こういう番組には“芸人色”の強い人は起用すべきではない。例えば東国原英夫氏であれば、同じ“芸人”出身であっても、政治の現場で働いた実績があり、さまざまな観点から“そつなく切り込む”ことは可能であろう。けれども、太田氏の場合、これまでも感情的な発言とか、行き過ぎの言動とかが、ぎりぎり許されてきている人物で、それは“芸人だから”許されてきたのである。政治とか社会問題とかは、ムリに“笑いを取っては”いけない場合もある。その手加減が解かっていない。いや、解かっているのかもしれないが、制御できない。そういう人物は政治に不向きであり、そんなことは誰でも判るはずのことである。では、なぜTBSは“判っていて”起用したのか。私には二つの理由が考えられる。その一つはTBS上層部に「野党側に勝たせたい」意図があって、今回の選挙は「野党側が有利なはずだ」という“読み”があって、野党側が“大きく勝利した時”もっとも“大喜びしそうな人物”として白羽の矢を立てたのではないのか。もし、そうだとすれば、選挙情勢の読み違えであり、自民の総裁選でもそうだったが、TBSだけではないが最近のマスコミの“事前予想”は、どうしてこんなにも当たらないのか。真摯に反省すべき時に来ている。もう一つ考えられる理由として、TBSは単純に「選挙特番」の視聴率が欲しかったのではないのか。“危ない芸人”をMCとして起用することで、どんな“危ない発言”をするのか、観たい人たちが多くなる、と期待したのではないのか。そうだとすれば、これまた根本的な“誤り”であって、だれも「選挙特番」に“危なっかしい笑い”など求めてはいない。特に今回の場合には、コロナ禍の中で“景気悪化”の中で行われた選挙であり、将来に対しての不安や願望が有権者に込められている。そんなときの特番で“危なっかしい笑い”など観たいと思うはずがない。どちらにしても、TBSは“報道の立場”というものを根本的に考え直すべき時期にあるといえよう。 Newer Entries »