4月, 2022年

議員ではなく、国民に問うべき「別姓」問題

2022-04-30
高知県の14の民間団体が集まって高知県議会の34名に対して「夫婦別姓アンケート」を実施した。その結果として6割以上が“無回答”だったと報道されていた。その記事を読むと、まるで無回答とした議員が「悪」でもあるかのような“まとめかた”をしていた。ただ県議会の議員は34名である。その程度の人数でのアンケート調査というのは意味があるのだろうか、と不思議に思う。しかも、こう言ってはなんだが高知県という“偏り”がある。せっかく14もの団体が集まってアンケートを行うのであれば、なぜ一般市民にではなく、少数しかいない議員に行うのだろう。これがもしも高知県民から無差別に10000名を選出して行った……とか言うなら、それはそれで「県民の声」ということで意義があると思う。けれども34名の結果で“何かを結論付けようとする”考え方自体に問題はないのか。もし、どうしても県議会のメンバーの意見を問いたいなら、アンケートなどでなく直接インタビューで34名に行えばいい。そうすれば、それなりの傾向などは推し量れるかもしれない。ただ私は、こういう問題は「高知県」などという狭い範囲で行うのではなく、日本人の“考え方”として“今後の在り方”としてどうなのか、国会で議論すべきことであり、TVなどを通じて国民全体の問題として、それこそアンケート調査でもして決めていくべき問題であると思う。しかも、これは別に“政党”とか“思想”とかの問題ではない。社会の“在り方”として、日本の場合は今後“どうあるべきか”という問題である。よく外国の例を持ち出す人がいるが、外国は外国であり、その国としての事情がある。日本の場合、例えば“通用名”としての“旧名使用”は現在でも認められている。芸能人などの多くは社会的に“旧名”を名乗り続けている場合が多い。それによって特別支障が生じた、という話を聞かない。そうであれば、特別“法的整備”を整えなくても良いような気が、私などはする。もしかすると、何かで“支障”が生じる場合もあるのかもしれないが、そういう場合には、多少、役所などが“融通を利かす”方向で調整していけば良いのではないだろうか。

「ウクライナ支援国」から除外の“日本の税金”

2022-04-29
私はときどき自分の考えが“一般の方々”とは違うのだろうか、と思うことがある。例えば戦争に対してだ。過去の歴史から見て「国」と「国」との“戦争”は、必ず双方に“多くの犠牲者”を生むものなので、極力避けるべきだと思っている。そして、正しいとか、正しくないとかに関係なく、人間同士の殺し合いに“正邪”はない、という考え方を持っている。したがって、その「殺し合い」に“お金”を投ずべきではない。ましてや国民の税金を投ずべきではない。ところが今回、その「殺し合い」に、我が国はウクライナ側に“税金”を投じた。それなのにその「ウクライナの支援国」から「日本」は外されていたのだ。しかも、日本の天皇は、ヒットラーと同列に扱われてもいた。そのような扱いをうけながらも、我が国は「今後も支援していく」などとのんきなことを言っている。マスコミも、なぜか、そういう状況でも政府を批判しない。ところが、これが秋篠宮家の“税金”になると、マスコミも、国民も、眼の色を変えて攻撃するのだ。その金額たるや“雲泥の差”であるのに、声を出せない、弱い者に対しては徹底的に叩く。それが今のマスコミであり、それに追従する多くの国民なのだ。国民の多くは、マスコミ報道に誘導されやすい。大体、戦争を「続けろ、続けろ」とけしかけて、殺人兵器を次々与えていくアメリカを、どうして「正義」と評価するのか。戦争が長引けば長引くほど、アメリカは石油王国と化していって儲かるように出来ている。また軍需産業でも潤うように出来ている。エネルギーや食品原材料などの高騰で苦しむのは欧州と日本国なのだ。特に日本の場合、輸入しなければ賄えないように出来ているので「円安」も今すぐは解消できないので、苦しむのが眼に見えている。それでも「日本」はウクライナ側の“殺し合い”は「正しい在り方」だと言い続ける。きっと、私の考え方が“間違っている⁉”と思いたいのだが、そのうち、きっと誰かが「戦争はどちらも悪い」と言い出すまで、じっと我慢するしかないに違いない。

「整形でなりたい顔1位」が“美容整形”だった⁉

2022-04-28
最近は、そこまで言っていいんだろうか、と思うようなことを告白する芸能人が多い。例えば「美容整形している」ということの告白。なにも自分から言わなくても…と思ったりもするが、美容整形後の姿を褒められることで“苦痛”を感じてしまうからかもしれない。TV番組の中で、タレントの明日花キララ氏が自らの顔が整形したものであることを告白した。15年前から目と鼻と口を整形し、小顔になるための整形も受けているというから、かなりの“整形率”と言える。確かに、その顔が、マスコミ調査の「美容整形でなりたい顔ランキング1位」となったのでは、本人として素直に喜べないのは当然かもしれない。韓国などでは以前から整形告白は「恥ずかしいことではない」として、むしろ自己アピールの手段として用いるようなところがあった。日本でも、最近は“整形告白”が当たり前のことに変わりつつあるのかもしれない。むかし読んだ小説で、美容整形をして美女となり恵まれた結婚をしたが、子供が産まれた時にバレてしまうのではないか、と脅えながら暮らす女性の心境を扱った作品があった。ところが、実際には、顔は元々徐々に変貌していくものなので、出産した子が“昔の自分”に似た顔貌であるとは限らないという。顔の“似ている”“似ていない”は、その“全体的な雰囲気”がいちばんらしいので、顔の部品の一部分が異なっていても、それによって“似ていない顔”とはならないらしい。だから安心して出産して良いのだ。それにしても、最近の日本人の“若者たちの顔”は、ほんとうにアニメ世界から飛び出てきたような“美形の男女”が多くなった。私が育ったころには、クラスに1人いれば良いような整った顔立ちの子が街中に溢れている。それだけ、日本が豊かになって、心身ともに恵まれて育つ家庭や社会に変わってきた証明でもある。顔の成り立ちには“暮らし向き”が大いに関わっている。単なる遺伝だけではないのだ。ただ「なりたい顔」の第1位が「美容整形が生み出した顔」だとすれば、そのうち“同じような顔”が街中にあふれて来そうで、そのことの方が怖い。

運命の人と“秘かに結ばれる”のか⁉小室佳代氏

2022-04-27
一時期、世間からの理不尽なバッシングを受けていたのが小室佳代氏である。そう小室圭氏の母親だ。婚約者から「借りたお金」を返さなかった……ということで週刊誌やTVから大バッシングを受け続けた。久しぶりの彼女の報道は、タクシーに乗り込んで出掛ける様子と、その後に逢っていた男性についての報道で、どうやら昔の恋人と、再び、愛が燃え上がっているようである。もちろん、それは金銭トラブルで“揉めた相手”ではない。大体、なぜあんなに世間が騒がなければならなかったのか、私には理解できない。婚約中の男性が、その婚約者の連れ子学生に対し、金銭援助をすることは決して稀な現象ではない。まあ、そのまますんなり再婚してしまえば、なんの問題もなく終わったことなのかもしれない。“婚約”が破棄されたことで“連れ子に対する金銭援助”は「元婚約者への借金」に変わった。そこから話がこじれて来ることになる。“金銭援助”を「贈与」と受け止めていた女性は、後になって相手側が“金銭援助”を「借金」と受け止めていたことを知り、返済をせがまれるようになる。世間の多くは、元婚約者側に味方したが、婚約中に男性が女性側に“貢ぐ”ケースはしばしばあることで、婚約が破棄となったから“借金に変わった”のだろう。けれども、なんの借用書も存在しない“貢ぎのお金”を「貸したもの」と主張するのは、本人の中にどこかで“お金で結婚を買った”意識が存在しているからのような気がする。そうでないなら、婚約時に貢いでいた金は“恋愛の勉強代”として払ったままにするはずだからだ。多くの男性は、そういう風に理解して“婚約破棄”となったのちも、相手を訴えたりはしない。実は小室佳代氏には“金銭トラブルの相手”よりも先に交際していた男性がいた。それが今回のお相手なのだ。“連れ子”が歓迎しなかったせいで、ふたりが結婚に辿り着くことはなかった。けれども、嫌いになって別れたわけではない。そうだとすれば、思いもよらぬバッシング報道を、複雑な思いで捉えていたに違いない。したがって、連れ子が海外に行って居なくなったとすれば、改めて“二人が接近する”のは無理からぬところがあった。私は、運命家として、この二人は結婚をするか、少なくとも同棲する可能性は極めて高いと思われる。もしかすると来年の1月か5月に「密やかな結婚」をニューヨークの息子夫妻に報告するかもしれない。

笑えない⁉「水道橋博士」の“根本的な間違い”

2022-04-26
数年前に芸人の太田光氏が同じ問題で週刊誌報道を訴え、勝訴した。あの事件を忘れたわけではないだろうに、今度は“同じ問題”で芸人タレントの水道橋博士が、大阪の松井一郎市長から訴えられた。芸人タレントが、口を滑らせるカタチで“言ってしまうこと”はよくあることで、そこで謝っていれば大きな問題には発展しない。けれども、そこで反論し、相手を敵対視し「受けて立つ」的な言動に出てしまうと、もうそれは裁判で争う以外にはない。本当に水道橋博士が「笑い」のつもりで言っていたのなら「これからも権力者と戦っていく」などというわけがない。私自身は、松井一郎市長が「裏口入学」であったのかどうか、何も知らない。別に知りたいとも思わない。太田光氏の「裏口入学」にしてもそうだったが、特に“芸人の学歴”など、問題視する方がおかしい。では政治家はどうなのだろう。例えば田中角栄氏は小学校しか出ていない。それでも一国の首相になった。金銭問題で世間の反感を買ったが、政治家としての頭脳や知識の問題では全くなかった。したがって、この分野でも“そこ”は追及すべき問題点ではない。ただ松井氏の方にとっては「名誉棄損」にあたる大問題であろう。水道倍博士と同じ芸人タレントであった太田光氏でさえ“名誉の回復”を裁判で行った。政治家の松井氏が“それ”を試みようとするのは、当然のことのような気がする。水道橋博士の一番の問題点は、松井氏との対決を「権力者との闘いだ」と捉えていることである。彼は「これからも、めちゃくちゃからかっていきたい、笑いにしていきたい」と述べているが、それは「笑い」ではなく「笑いもの」にしたいだけなのではないだろうか。そうであるなら、政治家であるとかないとかには関係なく、そういう“悪意ある行為”を「許せない」と感じるのは当然のことで、むしろイジメにちかい“そのような行為”で笑える人がいるなら、その人たちの方に問題がある。水道橋博士が勉強家であることは知っているが、頭から政治家を“権力者”と捉えている風な発言が目立つ。そういう“思い込み”で人を選別していくような生き方・考え方には、大いに問題がある。裁判がどうなるかわからないが、彼の「生き方」は、芸人としても容認できるものではない。

「中華系留学生」が増えるのは、“吉”⁉“凶”⁉

2022-04-25
数年前から中国で「日本留学」への関心が高まってきているらしい。日本のバブル期にそういう時期があり、その後は徐々に関心度が薄れて、今また静かなブームに変わりつつある。近年まで、中国ではアメリカへの関心度が高く、日本には“無関心派”が多くなりつつあったのだが、ここに来て再び注目を集めるようにになった。その理由の一つは、アメリカが「中国」へのビザ発給を引き締めていることだ。つまり、アメリカが中国を警戒しだしたことになる。一方で我が「日本」は、中国だけでなく外国人留学生に対して、感染症対策以外では比較的寛容である。その結果“円安効果”も手伝って、お得な「日本」が再び“留学先”として選ばれ出したということだ。そういう“択ばれ方”を気に入らない人も多いと思うが、優秀な中国人が多数、留学することは良いことだと私は思う。中国人だけでなく、優秀な外国人が「日本」に来て学ぶのは大変に好ましい。なぜなら日本語を習得し、日本の文化に溶け込まなければならない。英語のような“国際語”と違って、日本語はなかなかに難しい。日本の文化や習慣も、欧米とか他のアジア諸国とは明らかに違っている。そういう中で日本的な学識を習得していくことは、謂わば「日本」そのものを身に着けていくことでもある。よく中国の留学生は日本の“知識・技術・研究”を「中国本土」に持ち帰る“スパイ的な役割”でもあるかのように捉えている方もいるが、仮にそういう輩が居るとしても、日本に留まって日本のために貢献しようとする人物も必ず出て来る。現在、日本でもっとも中国人留学生を多数受け入れているのは早稲田大学である。38000名の学生のうち、5500名が外国人で、そのうち中国本土からの留学生が3370人、台湾からの留学生が270人、香港からの留学生が60人という内訳だ。日本の多くの大学で、このくらいの比率で、留学生を抱えるようになれば、日本の国際化も一気に進むのではないだろうか。そうして優秀な人材が多数、日本に誕生していく。外国人でもハーフでも、優秀な人材が多数暮らすようになれば、日本の経済力もおのずと高まっていく。それこそ「多様性のある日本」に進化しなければならない時期に来ている。「中国人だけは…」とか「韓国人だけは…」とか言っている時代ではない。少子高齢化を解消する秘訣ともなる“留学生の受け入れ”は大いに門徒を開くべきだ。

「日本」も、GW過ぎに「脱マスク」となるか

2022-04-24
世界各地で「脱マスク」が始まっている。今年の1月をピークに新規感染者が減少に転じたアメリカでは、ほとんどの地域で「脱マスク」に変わっている。アジアでも、シンガポールなどで「脱マスク」が始まっている。「完全都市封鎖」を崩さない中国では、それでも新規感染者が“高止まり”していることもあって、当分「脱マスク」とはなりそうもない。さて、わが日本ではどうだろう。とりあえず、ゴールデンウイーク期間中までは「脱マスク」へと移行できそうもない。日本の場合、新規感染者数が減少している地域と、逆にじわじわ拡大している地域と、奇妙に交錯している。さて、運命学的な観点から言えば、こういった“世界的現象”にはいくつかの周期がある。もっとも多いのは“ほぼ一年間”その現象が継続していくが、その後は急速に“下火となっていく”タイプの現象で、今回のウイルスの場合は“この法則”が適用されなかった。私は最初“ほぼ一年間の現象”と見立てたのだが、それは甘かった。そうなった場合、運命学的には次の期間は“ほぼ2年半の間の現象”となる。今回「脱マスク」がアメリカやシンガポールなど“流行先取り地域”において先行しているのは、今回のウイルスが、この“ほぼ2年半の間の現象”に相当しているからではないだろうか。私は、そのことを初年度を完全通過した時に、ここにも書いた。日本の場合、2020年1月下旬くらいから“騒ぎ”となったので、ちょうど今年6月くらいで“2年半”が経過する。もし、この時期も通過してしまうと、今度は長く“10年間”くらいの長期戦となる。なんとしても、そこまでもつれ込んでほしくないので、今年GW過ぎくらいに“減らない”までも“増えていなかった”という結果が欲しい。日本人は慎重なので、それでも「脱マスク」を行わない人は多いかもしれないが、少なくとも夏場の暑い時期に外出するとき、小さな子供たちが“苦しそうにマスクをしている”のを視なくても良いような状態に早くなってほしい。

「キティロボット」法人向けより個人の方が…

2022-04-23
サンリオとNTT東日本がタッグを組んで「ハローキティ」の卓上型ロボットを“法人向け”に発売すると発表した。NTTの人工頭脳を搭載したロボットになる予定で、身長33㎝で体重は1.2㌔と小ぶりのロボットだ。観光施設、駅案内、介護施設、学習塾などでの設置を希望していて、5年リースで月額76000円だという。卓上型ロボットにすること自体は面白くて良いと思うが、“お固い”イメージが強い法人向けの発売が適切かどうかには疑問が残る。本来「ハローキティ」のファンは個人に多く、それもかなりマニアックなファンが多い。したがって個人向けにロボットとして発売するなら確実に一定数は捌けると思うが、雑音が多い駅案内とか、観光施設とかで、どちらかというと“癒し系”のキティちゃんが、望まれるのかどうかは疑問でしかない。そのリース料金も“やや高い”ように感じるのは私だけであろうか。現在、産業用ロボットはあらゆる分野で活躍している。それに対して「人間用ロボット」とでも呼ぶべき、ヒューマノイド的な雰囲気を持ったロボットは意外なほど普及していない。これは製作側の方が、難しいからなのか、それとも需要自体が乏しいからなのか、理由は判然としないが停滞したままのように思われる。海外では、ユニークなロボットが続々誕生しているが、人間体形に近いロボットは“実験段階”のままで、あまり進化していないような印象を受ける。結局、人間のような体形にしてしまうと、現段階では十分にロボットとしての機能を果たせないような気がするので、そういう点から言うと「ハローキティロボット」は体型的に各種の人工知能を詰め込みやすく、そう簡単に故障・破損をしないのではないか、と思われる。海外セレブでも「キティちゃん」を愛する女性たちは多い。男性人気はいま一つなのが難点だが、それでも“癒し系キャラクター”としての会話内容を十分に装備して市場に出せば、リース形式ではないことが条件だが、30万円くらいまでに価格を抑えられるのなら購入したい人は沢山出て来るのではないだろうか。

「リオのカーニバル」で「平和」に戻れる⁉

2022-04-22
2年ぶりに世界最大の祭典である「リオのカーニバル」がブラジルで開幕した。もはや誰もマスクなどしていない。多少の不安はあっても、本来の祭典の姿に戻ったといっていい。ただ、これまでは世界中から観光客がやって来ていたが、今年の場合はどうなるか「予測がつかない」らしい。その点、若干、盛り上がりには欠けるかもしれないが、元々“踊り歩くこと”が好きな人たちなのだから、開催できた喜びは大きいようだ。日本でも、今年は各地で「お祭り」を再開しようとする動きが出始めている。世界各地とも共通して「お祭り」というのは“歌・踊り・演奏・出し物”などが主体となる。それは元々が「神様に奉納するお祀り行事」から始まっている。その地域を守護する神様への“捧げもの”としての歌や踊りや出し物なのだ。だから、なるべく“派手で華やかなもの”が好まれる。何しろ神様に“御見せする”のだから、解かりやすく華やいだものが良い。日本神話では、天照大神が“岩戸”に隠れた時、その手前で派手な歌や踊りを行って“引き摺り出す作戦”を取って見事に成功した⁉ 昔から古今東西の神様とも“華やかな祭りごと”は大好きなのだ。私自身は、幼い頃「お祭り」が嫌いだった。なぜなら無理やり“祭り”の袢纏を着せられて、祭りの列に加わるよう強制させられた。多くの人々が、好奇心の眼で“祭りの列”を見守っている。その中を子供たちがぞろぞろと歩く。私の記憶が確かなら“ほんのり化粧”もさせられた。すべてが嫌で嫌でしようがなかった。何が“メデタイ”のか、何が“ワッショイ”なのか解からなかった。そういう記憶があるから、大人になって「お祭り」は元々が「お祀り」であって「神様を悦ばすための行為」と知って妙に納得した。それなら、最初からそういう風に教えてくれれば、もっとちゃんと声を出し踊りながら歩いたのだ。私は“祭り”に加わったら貰える景品目当てのように思えて、それも嫌だったのだ。さて、世界各地で「お祭り」が再開されることで、果たして神様は悦んでくれるだろうか。悦んでくれて“感染症”や“戦争”を無くしてくれるだろうか。もしも、そういう願いを叶えてくれるなら、世界中の人々が自ら率先して“新たなる祭り”を開催していくことだろう。

「きぼう」でなら、82歳でも「中学」に通える

2022-04-21
現在、日本には40校の“公立夜間中学校”がある。そしてこの数は今後、増えてゆきそうな雲行きにある。さまざまな理由から、中学校に通えない人たちが増えてきているからだ。昨日、新たに福岡県に一つの夜間中学校が誕生した。公立「福岡きぼう中学校」だ。生徒数は30名。開校式と入学式とが同時に行われた。実は夜間中学は全国に40校あるが、九州では「きぼう」が唯一の公立夜間中学校になる。夜間中学校ではあるが、週5日、1日4時限の本格的な授業だ。教職員も15名いる。原則3年で操業だが、6年まで延長できる。制服や校則はなく、初年度は1年生26名、2年生2名、3年生2名からのスタートとなる。外国籍の生徒も3人いるので、その辺の対応も必要になる。15歳から30歳までの生徒が大半だが、60代とか70代とか80代の生徒迄いる。何歳であっても、受け入れてくれるのが、夜間中学の素晴らしいところだ。人は、さまざまな理由から、学校に通えなくなることがある。イジメによる不登校の場合もあれば、外国籍の場合もあれば、特殊な病気からの場合もあれば、経済的な理由からのこともある。人間社会は決して平等などではない。実際には夜間中学に通わなくても、十分にその学力を備えている人もいる。既に社会人として、その道のプロとして成功している人もいれば、日本語が不自由で再教育を受けたい、という人もいる。学校での友達を得たいという理由からの人もいる。学び出す動機もさまざまなのだ。現代の日本は、高校卒業や大学卒業が当たり前となっている。そういう時代から“食み出した人たちが増えていく”現状は大いに問題だが、このような形で、そういう人々を受け入れる社会が“出来上がりつつあること”は大変に喜ばしい。それだけ「日本」が成熟した国家になった証明だからだ。それにしても82歳から「きぼう」という校舎で学ぶとは、なんと素晴らしいことであることか。

「130円」は通過点、一気に「140円」目指す⁉

2022-04-20
「ドル円相場」が“怪しい段階”に入ってきた。年初から私がここで述べていた以上に“円安”が一気に進んでいる。何度も繰り返すのは好きではないが、島国で資源の乏しい日本にとって、本来なら“円安”は悪いことではない。問題は“一気に円安が進むこと”なのだ。「日本」は現在でも“先進国”の一員に居る。さまざまな事情において、後進国というか、発展途上国においては、こういう“一気の為替変動”というのは起こり得る。けれども、経済や社会が安定している先進国においては“緩やかな為替変動”はあるのだが、それこそ戦争でもしない限り、一気の為替変動は起こらない。だから、一時的にロシアの通貨である「ルーブル」は大きく下落したのだが、どういうわけか現在は再び戻している。この「ルーブル」と同じように下落していって、ルーブルが戻していったのに、逆に「いっそう下落している」のが、いまの“ドル円相場”なのだ。アメリカの通貨である「ドル」に対してだけでなく、どの通貨に対しても「円」は下落している。早い話、海外旅行に行って買い物をした時、あっという間に“お金が無くなってしまう”のが「円安現象」だ。もちろん、だから輸入品はいっせいに値上がりする。これまではガソリンなどの“エネルギー源”や“食品原材料”などに限られていたが、今後は衣料とか医薬品とか住宅価格とか、これまでにも徐々に上がっていたものが、今後は眼に見える形で“大きく値上がり”するようになる。もちろん、その反面で“輸出産業”には益々の追い風となって、大儲けの企業と大赤字の企業とに大きく二分されることになる。だから「日本」全体で観れば、吉凶が交錯するのが「円安」なのだ。ただ輸出企業は庶民の日常生活に直結していない産業が多い。だから「悪い円安」などと評されがちなのだ。この「円安」だが、どこまで進むのかというと、とりあえず「130円」は“通過点”でしかない。一時的な“呼び戻し”はあっても、必ず通過していく。次に留まるとすれば「140円」近辺である。或いはここも突破して「147円」付近まで行けば「日本国内」では一気にインフレが進んで、世間が騒ぎ出す。その辺りで政策転換が行われるとか、海外の投機筋が方針転換するとかして、今度は一気に「125円」くらいまで戻すかもしれない。とにかく、あきらかに海外の“投機筋”を巻き込んでしまったので、そう簡単には為替変動は留まってくれない。進むにしても、戻すにしても、激しく動きながら年末まで、目の離せないものとなっていく可能性がある。

日頃の「社内向け戦略」が気になる吉野家の顔

2022-04-19
常務取締役で企画本部長と言えば、その企業の実質上の「顔」ともいうべき存在である。その人物の指揮下で“今後の事業方針”が具体化されていく。有能な企画本部長が居れば、社長は何もしなくても、その企業の業績は右肩上がりとなる。そのくらい重要な役割を担っていた吉野家の伊東正明氏だが、早稲田大学で行われた社会人向けのマーケティング講座で、とんでもない講義を行っていたらしい。彼は若年の女性向けマーケティングのことを「生娘シャブ漬け戦略」と題して、田舎から都会に出て来たばかりの生娘を“牛丼漬け”にしてしまえばそこから離れない……風なことを社会人を相手に講義したらしい。伊東氏にしてみれば、やや強烈な比喩を使ってマーケティングというものの本質を語ろうとしたのかもしれないが、あまりにも比喩が過激すぎる。というか、一般人としての感覚から離れすぎている。もしかすると、彼は日頃から“やくざ映画”とか“任侠物語”とかの映画や劇画を見過ぎているのではないか。或いは、その種のトモダチなどいるのではないか、と疑ってしまう。あまりにも“例え”が悪い。確かに牛丼の店は、女性客が少なく、男性客が多い。なぜなのか女性同士が連れ立って“牛丼の店”に入るイメージがない。だから、若い女性客を掴むには、そのくらいの強力な戦略が必要なんだと、彼は言いたかったのかもしれない。それにしても、もう少し“一般社会人”らしい表現がありそうなものである。実は吉野家では、今日19日に“新商品&CM発表会”を予定していたのだが、この問題が表に出てすべて中止となってしまった。ただ私は思うのだ。彼は別に今回が特別だったのではなく、これまでいつも似たような発言というか、講義の仕方を社内の会議において得意満面にしてきたのではないだろうか。そうでなければ、社会人相手の講義でいきなり用いるはずがない。普段から、そういう“檄の飛ばし方”を彼はしていて、実際、その解かりやすさと過激さで、業績を伸ばしてきた人物なのではないだろうか。実際、だからこそ吉野家は“庶民の味”として多くの男性に受け入れられてきた。今後、強烈な戦略が消えて「吉野家」の業績が保てるのか、ちょっと気になる。 « Older Entries