6月, 2022年

2022年6月の運勢

2022-06-05

83歳「今も青春まっただ中」って言ってみたい

2022-06-05
私がまだ小学生の頃に「すごい偉業を成し遂げた」ということで有名だった人物がいる。それが冒険家・堀江謙一氏だ。彼は1962年に小さなヨットで独り太平洋を横断した、ということで有名になった。そしてすぐ『太平洋ひとりぽっち』という本を書き、この本もベストセラーとなった。あれから、もう60年が経っている。その今年に入って、なんと83歳になって堀江氏は再び“ヨットによる太平洋横断”に挑戦したのだ。今回の場合は初回の時とは逆で、サンフランシスコから和歌山に向かっての69日間となった。昨日、無事にゴール地点へとたどり着いた。その時の悦びを述べた中に「今も青春まっただ中の気分」という一節がある。文字通り、青春でなければ気恥ずかしくて発せられない言葉だ。私が子供の頃に有名だった人は多いが、その記憶にある名前の人たちのほとんどが既に亡くなっている。例えば力道山とか、市川雷蔵とか、美空ひばりとか、島倉千代子とか、石原裕次郎とか、栃錦とか、三島由紀夫とか……。彼の場合には、23歳という年齢での快挙だったので、現在までも生きている。生きているどころか、青春を謳歌しているのだ。なんと素晴らしいことであることか。肉体的に健康であることはもちろん、精神的にも、知能的にも健康でなければ、達せられない偉業なのだ。それに、もう一つ「運勢的な勢い」というものの作用もある。この運勢的な“勢い”の力によって、多くの人は「ヒーロー」や「ヒロイン」になる。もちろん、その人自身の才能や力量や容貌などが、その人を押し上げていくのだが、それにもまして力を発揮するのが運勢的な“勢い”なのだ。だから、通常は“青年”のときには「ヒーロー」として脚光を浴びても、“老境”に達した時には脚光を浴びていることはない。それなのに、堀江氏の場合は60年経って後、再び“偉業”を達成し、静かな脚光を浴びている。それよりも「今も青春まっただ中」と言い切れる精神が素晴らしい。「コロナ」や「戦争」の“汚れた外気”をものともせず、ただ“我が道のみ”邁進し続けた結果なのだ。

いつからか「名誉運」の塊となった林真理子氏

2022-06-04
人間の運命というのはわからないもので、自分自身は“それ”を求めていないのに、なぜか、どんどん“それ”が引寄せられてくるような人生がある。例えば、作家の林真理子氏だ。この人は、いつの頃からか“名誉運の塊”となっていて、いつの間にかさまざまな「地位・名誉」を与えられている。今回は次期の「日大理事長」というトップの座を与えられた。日大は前理事長の“脱税事件”などあり、学内における改革が必要とされていた。日大の評価そのものが世間的に良くないせいもあって、さまざまな学識者らに打診しても、誰もその“改革”に乗り出そうという人物は居なかったようだ。そこで最後に名前が出て来たのが、この大学の卒業生でもある作家の林真理子氏だった。だから“名誉なこと”ではあるものの、引き受け手のなかった「冠」を何となく“人が善さそう”だから平身低頭して頼み込めば被ってくれそう……というところからの選出であったような気がする。まあ、そういう経緯はともかく、この人は、いつの間にか“さまざまな称号”を授けられることになったようだ。私は、彼女が直木賞を取って作家デビューした時、将来、こんなにさまざまな形で活躍し、さまざまな「地位・名誉」を得ていくようになるとは、正直、思わなかった。正直に言うと、それほど才能がある女性には思えなかったのだ。もっとも、その評価が大きく変わったのか、と言えばそうでもない。小説にしてもそうだが、ほんとうに素晴らしいと絶賛できるほどの作品を読んだことはない。ただ、この人は正直だし、努力家でもある。そういう部分が多くの人から支持されているに違いない。結局、才能のあるなしよりも、人間的な“善し・悪し”の方が最後には評価される。さらに、もう一つ、忘れてならないのは「運」というものだ。この人は、才能はともかく「運」は間違いなく持っている。特に中年以降の「名誉運」というものを間違いなく持っている。だから、さまざまな称号をあたえられるのだ。「称号」は、お金では買えない。時々、お金に恵まれずに「称号」だけに恵まれている人を見るが、それもちょっと寂しい。彼女の場合は「称号」だけでなく、大きな「財運」にも恵まれた。大昔は「結婚できない」と嘆いていたが、それも“お見合い”という方法を活用してみごとに“素晴らしい旦那様⁉”を手に入れた。もし彼女が「恋愛でなきゃ嫌だ」とごねていたなら、もしかしたら、すべての「運」はやって来なかったかもしれない。

「美」に対し“優劣”をつけない方が「不自然」

2022-06-03
最近、私は「世界遺産」のような“特別ひいきした自然風景”に対して違和感を持つようになっている。どうして、わざわざ「世界遺産」を申請して、その“称号”を貰おうとするのだろうか。その“称号”がなければ、人々は「美しい」と感じないのであろうか。もし、そうなら、それはわざわざ申請すべきものでもないし、認定すべきものでもない。“強制的な美”など、私個人は視たくない。それと同じような意味で、人間に対しての“美の基準”もそれぞれに違っている。だから個人的な主観で自分のホームページ上に「世界美人図鑑」を載せたところで全然かまわないと思うのだが、どうも世間はそうではないらしい。数日前から自民党の西村康稔氏が十年ほど前から自分の公式ホームページ上に「世界美人図鑑」というコーナーを作り、その時々で気に入った“美人写真”の投稿を掲載していたことが“差別”とか“セクハラ”とかに該当するというので批判を浴び、結局、そのコーナーの全面的な削除を余儀なくされたらしい。彼は別に、何かの審査基準を持って「美人」掲載をしていたわけではない。あくまでも自分自身の趣味的感覚から「美しい」と感じた女性を、その時々の場所で写して載せていたにすぎない。もし、これが“絶対的な基準”を示して「美人はこうあらねばならない」などと述べたのであれば“差別”と評価するのも良いだろうが、あくまでも単なるスナップ写真だ。たまたま各地を移動した場所に居た三人組の女性を写し「誰がいちばん美人でしょう?」とコメントをつけたりしたことが、どうしていけないのか。時には“後ろ姿”だけを写して「美人」として掲載している。この人は顔だけで「美人」を判定していないのだ。或る意味では“ジョーク的要素”を含んだ写真集ではないか。ただ単に写真だけでは殺風景だから、軽いコメントも添えた、それだけで他に何の意図があるのか。こういうものまでも、思想的な角度からどうこう言う神経が私には解からない。だいたい、そういう批判をする人に限って「世界遺産」などは、認定されたとたんに「美しい」と評価したりする。自分の眼を持っていないのか、と言いたい。それに、大自然の美を称賛するなら、人間の美を称賛して何が悪いのか、と言いたい。“美”に優劣があるのは厳然たる事実だが、個人的な“美の基準”がそれぞれ違っていることも紛れもない事実で、個人的な“美の感性”を無くそうとさせるのは“芸術的感性”を奪うことで、人類の才能そのものを奪おうとする暴挙に思える。

2月に離婚、6月妊娠判明の「妻&夫」YouTube

2022-06-02
最近の若いカップルには“複雑なカタチ”が多い。格闘家の久保優太氏と歌手のサラ氏の場合などは、その典型と言える。今年の2月に離婚したばかりなのだが、その後も二人で一緒に「サラ久保ちゃんねる」というYouTube動画を発信し続けている。いったん、離婚してしまったなら「連絡も取り合わなくなる」のが“昔の夫婦”だが、現代では経済的な事情などから「一緒に暮らし続けている」ような場合も多い。この二人の場合には、仲良く(⁉)YouTube発信だが、その中で正式に病院へ行って「妊娠したことが判明した」と報告している。離婚して4か月目に入ろうというタイミングでの妊娠の判明。それを仲良く自分たちのYouTube動画で世間に発信をする。離婚した後も、一緒に動画を続けていること自体も驚きなのだが、計らずも「妊娠してしまった」ことまでも正直に伝える。なんと公明正大な“元夫婦”であることか。そして、それぞれに、その心境を明かしている。久保氏の方は、胎児の鼓動を聞いたことで感動し「涙が出そうになって、産んでほしいと思った」と言えば、サラ氏の方は「出産するタイミングじゃない」「親になる自信もない」「身内全員から反対されている」と正直に明かす。それにしても2月に離婚して6月に妊娠判明というのは、どう考えれば良いのだろう。離婚しなくても良い二人だったのではないのか。ただ本当は“出産するタイミング”というより、“妊娠するタイミング”として、あまりにもさみしい。もし妊娠判明でも気持ち変わらず“復縁”しないのであれば、“出産した場合”がいろいろな意味で心配ではある。ただ、もしかすると離婚後も「サラ久保ちゃんねる」を継続していたのは、ふたりが「そういう子供をどうやって育てていくか」を動画として発信するための布石だったと思えば……。冠婚葬祭などにおいて身内全員が反対する場合、何につけ“それなりの道理”を持っている場合が多い。私の予感では、産んだ場合も、掻爬した場合も、その両方が“微妙な後悔を生む”可能性が強い。その両方とも一部の人たちからは“批判を浴びる”可能性が強い。やはり最初の“妊娠するタイミング”として明らかに間違っていたのだ。

「脚光を浴びる」だけが芸能界の成功ではない

2022-06-01
先日、タレントの矢部美穂氏が騎手の山林堂信彦氏と結婚したことを公表した。矢部美穂氏も特に有名というほどではないし、山林堂氏の方は元々地味な騎手であるから知られてはいない。けれどもネットニュースで取り上げられていたのは矢部氏の方が一応アイドルとしての過去を持ち、一時期はグラドルとしても活躍したせいかもしれない。私は矢部氏本人ではなく、そのお母さんとは何度かお逢いしたことがある。まだ美穂氏がアイドルとしてデビュー間もない頃だった。つまり自分の娘が「芸能界で成功できるかどうか」観て欲しいとのことだった。このお母さんは元々が占いの知識を持っている方で、そういう意味からいろいろ調べて、自分から観ても「娘には成功できる素質があると思う」というようなことだった。実際、私が観ても芸能界で成功できる素質は十分に窺われた。ただ「どういう風にすれば成功できるか」という点はなかなかに難しい。彼女の場合は目上からの「引き立て運」を持っているので、その点を強調したように思うが、正直、具体的にどう話したかは憶えていない。ただ歌手よりも女優の方が良いということと、あまり「アイドル路線にこだわらない方が良い」と言ったような気がする。とにかくその後「グラドル」的な形で、一時的には各誌で取り上げられたような気がする。ただ「成功」と言えるところまで行ったのかどうかは微妙と言えるだろう。実は、芸能界の場合、全国的に名前が知られているのは“ほんの一握り”だと言える。多くの芸能人は“無名”であるか、或いは“なんとなく名前だけは知っている”程度だ。そして、この“なんとなく知っている”というのが実はとても重要で、芸能人として“生き残っていく”秘訣ともいえるものなのだ。矢部美穂氏以外でも、私は北海道出身の“タレントや歌手の母親”を何人か知っている。それは母親の方から「どうすれば成功できるか」問われる形だったり、占い教室で教える形だったり、風水のプラス効果を訊ねてくる形だったりした。いずれも、大きく成功したようには見えないが、それなりに芸能界的な方面で頑張っている。人気商売というのは浮き沈みがあるし、収入的にも安定しないが、名前は知られていなくても意外な収入を得ているとか、逆に名前は知られていても生活は苦しいなど一様ではない。ただ運命学的な観点から“成功しやすい人”と“成功しにくい人”がいることは事実で、どういう方法でなら生きていけるかは“先天運”に暗示されている。 Newer Entries »