10月, 2022年

「個人情報」より「犯罪抑止」で安心な世界⁉

2022-10-19
マイナンバーカードの普及率がとうとう50%を超えるようだ。2024年には「健康保険証」を廃止するということで、マイナンバーカードを“実施義務化”に踏み切ったようだ。最近、矢継ぎ早にさまざまな法律が制度化されている。このところ支持率が“落ち目”の岸田政権だが、不安視されていた実行力という点は杞憂だったようだ。私は「マイナンバー制度」は早く義務化してしまった方が良いと思っている。かつて“防犯カメラ”を普及させるときに、国民を“監視下に置く”ということで反対する人も多かったが、今やさまざまな犯罪立証の“決め手”になっている。同じように「マイナンバー制度」についても、個人情報の漏洩につながるということで反対する人たちも多いが、そんなに“後ろ暗い生活”をしていないのなら「国家」に情報を把握されたとして、何かしら問題が起こるとも思えない。それよりも「顔」の入らないことで、これまで健康保険証が犯罪に利用されたケースは多い。マイナンバーとの一元化によって、そういう犯罪も減っていくのではないだろうか。アメリカや中国など、多くの国が“個人情報”を把握している。「日本」はどちらかと言うと単一民族で、あまり人種・民族間でのトラブルが多くないこともあり“一元化”しなくても、しているのとあまり変わらないような状況にあった。けれども少子高齢化で、これからは多数の外国人を“受け入れる国”に変貌していかなければならない。そういう時代には、やはり“素早いデータ管理”と“身分保障”を行えるようにすることも必要で、それに適しているのがマイナンバーカードなのだ。現在は住所や電話番号など次々と変えて行く人の場合、役所では追跡調査ができない。したがって重要な犯罪者でも“抜け道”が用意されていることになる。確かに、さまざまな理由から“個人情報”が守られなければならない場合もある。したがって、その情報の管理・公開には“慎重な手続き”を必要とした方が良い。ただマイナンバーの普及によって“死んでいた人が生きていた”とか“生きているはずが死んでいた”とか、そういう“笑えない事実”がいくつも明らかになっていくのではないだろうか。

そのまま「ドラマ化」ができる“工事”&“純歌”

2022-10-18
かつては一世を風靡したドリフターズの仲本工事氏と、彼と結婚したことで“世間的に認知された”演歌歌手の三代純歌氏が、プライベート的なことで注目を浴びている。二人が結婚したのは2012年7月だが、仲本氏の方は“三度目の結婚”にあたる。あれから10年が過ぎたが、現在は別々に暮らしているらしい。現在、夫の方は夫婦で経営していたスナックの二階を寝床としていて、妻の方は2021年7月に家を出て、別な男性と“駆け落ち状態”のように報道されている。子供の居ない二人は複数のペットを飼っていたが、妻が家を出る時に一匹だけを引き連れ、その他はこのしていった結果、夫だけでは十分面倒が見きれずに“ゴミ屋敷状態”の中で暮らしている旨が伝えられた。その結果、演歌歌手という“公的な仕事”をしている妻のSNSには“批判”や“疑問”が多数寄せられているらしい。もっともなことである。何しろ仲本工事氏は81歳だ。一般的に言えば54歳である純歌氏が傍に居てやらなければ、まともに暮らすことさえも難しい。報道が確かなら、夫婦で経営していたスナックに通う常連客と純歌氏が“恋に落ちてしまった”らしい。彼女のSNS上には、同じドリフターズの加藤茶氏の妻と“比較するコメント”も多数見られるそうだ。年齢差のある女性と晩年になってから一緒になったという共通点がある。比較されてしまうのは仕方がない。その一方で仲本氏の方に“孤独死”とならないよう早目の方策をアドバイスしている人達もいる。この場合、どちらが“良い”とか“悪い”とかよりも、実質的にどういう方法を採れば、仲本氏の方が“ゴミ屋敷状態”のところから脱却できるかを考えるのが良い。加藤茶氏の妻は、結婚当初から“いわれなきバッシング”を受けた。それによってかえって“夫婦の絆”が強まっていった可能性が強い。「日本」は、稀な長寿国でありながら“孤独な老人たち”や“経済的に枯渇する老人たち”が増えてきている。さらに一人暮らしで癒しを求めて“世話しきれないペット”を飼う人達も多くなっている。この種の問題は“じわじわと増えていく”ので社会問題化しにくい。それに決定的な解決策があるとも思えない。われわれは「長寿」と言って、長生きを祝うが、必ずしも「長寿」ではない“老後”も多いのだ。

自らの役割に目覚め、マスコミも支持する“運”

2022-10-17
人間の「運命」というのは“微妙なところに潜んでいる”と感じることが多い。昨日16日、秋篠宮佳子さまがガールスカウト日本連盟が主催する「ガールズメッセ2022」に出席された。この種の催し物への出席は珍しいことではないが、各マスコミが競って報道している。それも、どちらかと言えば“好意的”に報道している。このところ佳子さま自身も、積極的に足を運んでいるようにも思うが、一時期に比べてマスコミ側も好意的な報道の仕方が多い。奇妙なことだが“長女・眞子さまの婚約・結婚”に絡んで、秋篠宮家全体がバッシングを受けた時期があった。マスコミからも受けたし、大衆からも受けた。まるで“不祥事を起こした芸能人”でもあるかのように、徹底的にバッシングされた。そして、その当時は佳子さまも“皇室の一員”であることに苦渋しているように見えた。けれども、実姉が「日本」を離れ「アメリカ」に居住し、それでいながら、まだアメリカを“安住の地”と出来ていない現状を見て、感じるところがいろいろとあったことだろう。今年に入って、佳子さまは以前よりも積極的に“公務”に向かわれているような気がする。それも、義務として……というのではなく、むしろ“自分の役割”に目覚めたかのように積極的である。国民から慕われた“英国女王が亡くなった”ことも、多少、影響しているかもしれない。そして、もう一つ、マスコミや日本国民の方も、一時期ほど秋篠宮家を叩かなくなった。家の改修費用が巨額過ぎるとして、一部マスコミは報道しているが、すべてマスコミがそれに追従する雰囲気はない。ニューヨークで“つつましい生活”を送っている眞子さまを、これ以上、追い詰めるのは酷である。マスコミも、大衆も、何となくその辺は解かっている。その“裏返し”の気持ちが、積極的に“公務”へと向かわれている佳子さまを支援するかのような報道に変わりつつあるのかもしれない。そして、本人も“自らの運命”を自覚し、おそらく実姉の分も含めて、今後は一層“公務に励む”ような気がする。これまでのような義務感からではなく、むしろ自らの“使命”として、やらなければならない、と悟ったのだ。こうして「国民に寄り添う佳子さま」という形でマスコミが持ち上げ、新しい「佳子さまブーム」が静かに訪れる。

「芸術環境」を破壊している「環境保護団体」

2022-10-16
最近、この種の事件が多い。14日のロンドンでゴッホの名画「ひまわり」に対して“トマトスープ”を投げつけた青年たちだ。青年たちと言っても、おそらくまだ10代半ばであろう。環境保護団体のTシャツを着て、名画にトマトスープを投げつけたのち、座り込み「芸術と生活、どちらに価値があるのか」などと動画上で訴えた。二人組は、そのすぐ後、警察に逮捕された。一応、英国政府の石油やガスなどエネルギー政策に対しての抗議というのが動機のようだ。だが、どうみても10代前半か半ばにしか見えない二人が、いきなり学生服を脱いでトマトスープを取り出すところから動画が始まっている。明らかに環境保護団体の誰かがシナリオを描いて、それに沿っての若者たちの行動だ。動画そのものは全世界に伝わったが、その主張するところは支離滅裂である。もし「環境保護」をほんとうに訴えたいのであれば、芸術環境を“破壊する行為”など許されるわけがない。ゴッホ「ひまわり」の名画はガラスの額縁だったので、直接の損傷を免れた。もし、これが剥き出しの画面だったら莫大な損害になる。いや修復そのものが不可能になるかもしれない。最近の環境保護団体には、このようなギリギリの“危ない行為”が目立つ。そういう形にしなければ、世界に訴えられない、とでも考えているようだ。とんでもない誤りだ。かえって“意味不明の事件”を起こすことで、世間的な信頼を失い、その主張への賛同者が減る。それに“芸術”と“暮らし”を天秤にかけようとすること自体、考え方としておかしい。それは、もしかすると「経済的なゆとりの中で芸術が育まれる」と考えているからかもしれないが、その考え自体が間違っている。どんなに経済的に窮地にあっても、芸術を志向する人は芸術を志向する。むしろ、われわれの環境を“心豊かにする”ためにも芸術は必要なのだ。環境保護団体が自ら“環境を破壊して”どうして、自分たちの主張が正しいなどといえるだろうか。年齢的に時として“若すぎる”人たちを、自分たちの主張の“実行部隊”として取り込んでいるような気がして、それも問題がある。あまりにも“幼い年齢”の時から、まだ“自分”というものが確立されていない段階から思想・主義の活動に参加させること自体が危険でもある。幼い頃に“叩き込まれた思想”というのは、なかなか抜けないからだ。どのような主張であれ一応“法律”は守るべきだ。

「民法改正」で“昨日離婚”→“明日再婚”急増⁉

2022-10-15
明治から続いてきた「民法」による“100日間の再婚禁止”制度が廃止される。これは女性だけに定められてきた制度で、妊娠・出産の問題が絡むからだ。すぐに再婚すると、前夫の児であっても新夫の児になってしまうことを防ごうとした制度だ。これまでは基本的に離婚後300日以内に産まれた子供は“前夫の児”として扱う「嫡出推定」制度があった。したがって、もしも離婚して間を置かずに再婚した場合、いや再婚しなかったとしても、その年のうちに出産すれば、それは“前夫の児”として扱われる。それを嫌った女性たちが出生届を出さないままにする「無戸籍者」が徐々に増えつつあるというのだ。さらにコロナ禍も手伝って出生率が大きく低下し“少子化対策”が急務になっている。離婚後100日間の“再婚禁止”は、現代のような変転の激しい世の中においては、福祉制度上でも各種の問題が生じやすい。特に妊娠期間中に離婚している場合、或いは既に“再婚を誓った相手”がいる場合、新たな暮らしには不都合が生じやすい。現代は“前夫の児”と知ったうえで「自分の児として育てたい」という新世代の新夫が多くなっているという。また現代は、もしどうしても必要ならDNAの検査によって“どちらの児”であるか判定する方法もある。さまざまな世の中の情勢が“100日ルール”や“300日ルール”に対して否定的である。女性の離婚が仕事上でハンデになる時代ではない。もっとも、妊娠の有無などに関係なく“離婚そく再婚”を望んでいる女性たちは多い。或る意味では、この“100日ルール”があったことで“離婚”に対して歯止めが掛かっていた部分もある。極端なことを言えば、その日のうちに“離婚”して、そのまま“再婚手続き”が可能になっていくのかもしれない。現代は社会的な「姓(苗字)」を、結婚しても変更しない女性も多くなった。したがって離婚したことも知られず、再婚したことも知られず“同じ姓名”でずっと過ごしていくことも可能になった。その都度“苗字”を変えなければならない時代は終わった。妙な言い方だが何回“離婚”しても“再婚”しても社会的に“最初の姓名”で通せば、なんのブランクもなく、平然とした顔で離婚→再婚を繰り返すことが出来る時代になったのだ。

「我が頭脳線」に祈るような気持にさせる記事

2022-10-14
私が週刊誌を読むのは書店に行ったときくらいである。書店に行ったときには、一応さまざまな雑誌・週刊誌の表紙を見て“面白そうな記事”や“興味深いニュース”を取り上げている雑誌はペラペラとめくってみる。そうしてじっくり読みたい場合にだけ、その雑誌や週刊誌を買う。まあ一般的な行動のような気がする。時には、雑誌記事の一部分だけを読み、ナルホドと頷きながらも「買うほどでもないな」と自分を納得させ、そのまま立ち去ってしまうこともある。たまには、買うような気にはとてもならないが、それでいて、その走り読みの部分が、あとになって妙に気に掛かってしまうようなこともある。昨日、気に掛かったのは中村玉緒氏が昨年引っ越したばかりの住居付近を真夜中に「徘徊している」という“噂”があり、それを調査してみたという記事だった。近所の人が彼女に気付いて声を掛けたら「家がわからなくなっちゃった」と答えたそうだ。近所の交番に連絡して巡査の方に来た貰った……というような話だ。そういうことが1回だけではなく何度かあったらしい。もっとも本人や関係者は“それ”を否定している。ただ“道に迷ったのは事実”と一部は認めている。誰でも、齢を取ると記憶力が衰える。私自身もそうだから、こればかりはどうしようもない。ただ夜中の2時3時に“出歩く”のは、仮に“徘徊”ではなかったとしても、彼女の場合は年齢的に83歳と高齢であるから、若い人達と同じには扱えない。第一“危険”でもある。高齢になって、単なる“物忘れが多くなる”“記憶力が薄れる”程度の人と、それから本格的な“認知症に移行する”人との違いは、なかなかに微妙で“見分け”が難しい。一つの判定方法として、わたしがお勧めしたいのは手相の“頭脳線による判断法”である。要するに頭脳線が長い場合は多少記憶力が衰えても、生活には支障がないし、頭脳線が短い場合には高齢になると“認知症となる”確率が高いことだ。どの程度までが“長い頭脳線”で、どの程度からが“短い頭脳線”かの見極めは難しいが、普通に“握りこぶし”を作って、それよりも食み出ていれば“長い頭脳線”で、それより短く“完全に中に隠れる頭脳線”は“短い頭脳線”と思って良い。但し、頭脳線というのはその時々で長くなったり、短くなったりする。総じて“若い時”には短い。だから、65歳以上になって“完全に隠れてしまう”ようであれば、75歳以降になったら“その可能性がある”と踏まえておくのが良いだろう。そういう人は信頼できる“誰か”を常に身近に置いておくと良い。

日本の百貨店が「世界から注目」浴びる好機⁉

2022-10-13
いよいよ「円安」の勢いが止まらなくなってきた。私が5か月前に「140円はまだ通過点」と言ったとおり、年初115円くらいだったドル円相場は、今や1ドル147円に手が届きそうなところまで来ている。このままいくと年内150円に到達するかもしれないが、途中で“為替介入”して若干呼び戻す可能性もある。実は“147円”というのは“ドル円相場”にとっては“一つの節目”なので、もし、ここをすんなり通過すれば150円まで達するのはほぼ確実なのだ。多くのマスコミは「円安」は日本経済にとって“マイナス”として報道するが、必ずしもマイナス面だけではない。そこでプラス面の一番は、日本には輸出企業が多いという点にある。何と言っても「円安」は輸出産業において“収益拡大につながり”やすい。もちろん、エネルギーや食品原材料などは輸入に頼っていて、その結果として庶民の家計からの出費が増えていくマイナス面も否定できない。ただ最終的に“多くの起業”が潤えば、日本全体ではプラスだということになる。実は「日本」はこれまで世界に向けて“技術”を売って来たのだが、もしかするとこれからは“観光”と“安い品物”を売っていく時代に変わったのかもしれないのだ。この「円安」の急激な低下は、欧米人にとって、或いはアジア各国の富裕層にとって「日本」が、ただ単に“観光の国”としてだけでなく“買い物天国”として意識され始める可能性が極めて強い。実際、これまでは「日本に行きたい」人々の多くは、その観光が目当てだった。だが、それは徐々に変わりつつある。観光をしない観光客が増えてきているのだ。いわゆる“買い物をするためだけ”に日本へとやって来る外国人が急速に増えつつある。もちろん、ホテル代や飲食代も含めて、日本は“超安い国”へと変わったからだ。だから、これからは黙っていても外国人観光客がやって来る。特に富裕層は日本のデパートでブランド品を大量購入していく。かなり前に“中国人観光客の爆買い”というのが注目を浴びたが、これからは“欧米人の爆買い”も増えていく可能性がある。欧米人は中国人ほど気前が良くないが、それでも“バイヤー的な感覚”で大量購入をする人は増えていく。そうなっていくことで、日本はいつの間にか“観光ではないけど”インバウンド収入というのが一気に増えていく。特に「日本のデパート」のサービスは“世界の一級品”である。それこそが世界から“再評価を受ける”時期が、もうそこまで来ている。

「3人目となった」可能性強い「女子大生殺人」

2022-10-12
“嫌な事件”なので、あまり扱いたくないのだが、運命学的な問題も絡んでいるので、書くことにした。小樽出身の女子大生が札幌の元自衛隊員(現在は無職)の自宅で遺棄されていた事件だ。マスコミは何故か二人の22歳と53歳の年齢差に注目しているが、この事件の場合SNSで結びついたことがほぼ確実なので年齢差は関係がない。既に容疑者・小野勇のSNSは特定されていて、事件の詳細が判明しつつある。問題は、この容疑者がSNS上で「また踏み外しちゃった」と書き「ひとり増えて3人になった」と記していることにある。つまり容疑者は、初めてこのような殺害を行ったのではない、という点にある。日本医療大学に通う優秀な学生であった瀬川結菜さんは“3人目だった”可能性が強いのだ。この容疑者のSNSに記してある内容が皮肉にも信じられるのは、殺害する直前に投稿した「意外と寝相がワイルド」という発信に信憑性があるからだ。これは初めて殺害行為に及ぶ人間ではとうてい考えられない冷静客観的な視点である。或る種の経験値が感情を荒立てることなく、被害者の意外なほどに乱れた寝相を観察している。もしも空想で書くのであれば、彼女の寝相を“はかなげに描く”はずだ。したがって、彼が自己紹介の中に記した「……人ごろし」という記述も、一見、ジョークに思えるが本当だったのだ。私は彼の生年月日からホロスコープなどを作成し、彼が仲間的・同志的な人たちとの“繋がり”が極めて強い生れであることを知っている。妙な言い方だが、この容疑者には或る種の同情心と殺害欲求とが一体化して存在しているのではないだろうか。だから、彼の中では或る種「仕事人」的な意識の中で“厭世的欲求”の強い人達に対して、その理解者としてSNS上でアピールしていた可能性が強い。そして、そのアピールに“吸い寄せられる”ように被害者女性は彼の元を訪れていたのではないだろうか。おそらく彼は彼女を優しく迎え入れたに違いない。つまり、彼にはもともと或る種の“殺害欲求”があり、それと並行して“同志的”な一体感を持ちながら、或る種“宗教的な同情心”も伴いながら“あの世に送ってあげる”という役割を演じようとした。彼のような星の配置を持っている場合、その“仲間意識”や“宗教的同情心”はホンモノに見えやすい。だから吸い寄せられたように、彼に従ってしまったのだ。これ以上の犠牲者が出ないためにも、警察は彼女以前のふたりもぜひ早期に発見してほしい。

「運の良し悪し」は「お金」で買えるものか⁉

2022-10-11
人はときどき「運」という言葉を無意識に使う。確かに、どういうものなのか“説明は難しい”のだが「運」はある。ただ人によって、その「運」の捉え方はさまざまで、どれが正しいのかは誰にもわからない。或るレポートを読んでいて、その筆者が「運」という言葉を奇妙な形で使っていた。彼は経済的な部分で日本には約1%の富裕層が居るとして、それに該当する人たちを“運が良い人”と表現していた。そして、約10%の超貧困層が居るとして、それに該当する人たちを“運の悪い人”と表現していた。さらにそれ以外の人たちに関しては“運が良いとも悪いとも一概に言えない人”と表現していた。これらの表現は、何となく理解できないことはないが、日頃から「運」というものを“扱っている”私からすると、少し違うような気がするのだ。まず「運」というものを“収入だけ”で捉えている部分が、わたしには引っ掛かる。確かに収入というものが我々の人生において“重要なカギ”となっていることは否定しない。けれども、いわゆる“お金では買えない倖せ”というものがいろいろとある。たとえば“愛情関係”は、どんなに収入に恵まれていたとしても、それだから入手できるとは限らない。その結果、いわゆる“富裕層”と呼ばれる人たちの中に「運が良くない」と感じている人が居ても不思議ではない。実際ヘンな言い方だが“愛のない暮し”を「運が良い」とは言いにくい。逆に超貧困層だから、その全員が「運が悪い」とも決めつけられない。確かに収入が乏しいということは“生活の苦しさ”に直結しているが、自ら“自由な生活”とか“忙しくない生活”とか“妄想に明け暮れる生活”を送っている人もいる。生活自体に余裕はなくても、のんびり、ゆったり、好きなことをして、自由を愉しみ、小さなことに悦びを見出し、家族や友人にも恵まれているなら、そういう人を「運が悪い」と決めつけることは出来ない。結局、運の良し悪しというのは、本人が“どういう生き方”を望んでいるか、ということと無関係ではない。もし、本人が社会的な成功とか出世とか財産の獲得とか、そういうものを望んで生きているとすれば「運が悪い」は正しいのだが、もしも本人が競争社会を避け、のんびり自由に生きていくという、その希望が叶えられているなら、それはそれで「運が良い人生」と言えるのではないだろうか。

欧米女性に人気「分厚い唇」にする“唇タトゥ”

2022-10-10
欧米では若い人たちを中心にタトゥを“刺青”としてではなく“アート”や“美容目的”で施すケースが多い。そういう謂わば“美容外科手術”感覚で人気となっているのが「リップブラッシュ」と呼ばれるタトゥだ。要するに口唇、及びその上下に刺青を施して、インクを入れて“分厚い感じの口紅色”にしてしまうアートメイクの一種だ。これを施すことによって平均1~2年間は、その分厚い真っ赤な唇を継続させることが出来る。欧米女性は元々“分厚い唇”を「セクシーな唇」として切望する人たちが多い。確かに、アジア系やアフリカ系に比べて、欧米系の女性の唇は“薄目”の傾向がみられる。どちらかと言うと“薄い口唇”というのは見た目的に“怜悧な印象”を与えやすいもので、そのせいか欧米のセクシー女優は昔から“分厚い唇”であることが求められた。観相学的にいうと、分厚い唇は“愛に対して能動的”である。つまり、自分の方から愛を表す。一般的には身近な人たちに対して献身的な場合が多い。必ずしも“セクシー”とは言えないが、相手に応ずる形でなら、どういう愛の行為にでも及ぶような傾向がみられる。口唇の薄い人は根本的に理性的な傾向があって、性愛行動だけにのめりこめない。また性愛に対して淡白な傾向がみられる。おそらく、そういう本能的な自覚もあって「リップブラッシュ」を望む女性が多いのだろう。そういう女性の一人であったアメリカのアリアナ氏は自らのリップブラッシュ施術の“ビフォーアフター”をSNS動画で公開した。あまりにも唇が腫れ上がった口唇姿の動画は240万回も再生された。そう彼女の唇はなぜか極端に腫れ上がってしまい、それが再生数を増やしたのだ。施術から6日経って、ようやく“その腫れ”が引いたそうだ。おそらく日本人女性は口唇にタトゥを入れること自体に抵抗感があり、また“分厚い唇”がなぜ“セクシーな唇”なのかがよく解からないから、マネをする人は少ないだろう。なお、通常は“極端に腫れ上がる”ようなことはないそうだが、それでも2~3日の間は“ソーセージ型の唇”になるケースも珍しくない。口唇が分厚くなれば“愛情の本能”が高まることだけは間違いがなく、そういう意味では「人を好きになったことがない」人などが用いれば、効果が大きいのではないだろうか。

前年比「83.45%上昇」トルコの今後がヤバイ⁉

2022-10-09
最近は少しくらいの“物価上昇”ではだれも驚かなくなった。けれども、さすがに前年比83.45%の上昇となれば話は違ってくる。これはトルコの9月の物価上昇率で、8月は80.21%だった。したがって10月の上昇率はもっと高くなる可能性が強い。どうして、こんな大変なことになっているのかというと、エルドアン大統領の強硬姿勢の結果なのだ。彼は自分の政策に反対する中央銀行幹部たちの首を次々と切った。だから銀行幹部たちも従わざるを得ないのだ。その結果、政策金利は9月22日も1%引き下げられ、その結果として通貨が下落し、1ドル=18リラと最安値を更新した。おそらく、この政策は続行するものと思われ、だからトルコの通貨は今後も下落していく。日本など“金利を引き下げていない”(厳密にいうと引き下げる余地がない)のに下落していくのだから、1%も引き下げたら“激しく下落する”のは当然の結果なのだ。そうすれば輸入品など軒並み上昇するから上昇率に拍車がかかるのは目に視えている。エルドラン大統領がなにゆえに“金利引き下げ”に固執しているかは定かではないが、もしかすると“欧州に対抗する”狙いがあるのかもしれない。なぜなら、アメリカと同様ここに来て欧州各国も軒並み金利上昇が行われている。10年物でドイツが1.86%→2.02%、フランスが2.46%→2.63%、イギリスが3.86%→4.02%、イタリアが4.16%→4.45%といずれも上昇している。特にイギリスの上昇率が高いのはトラス新首相の政策に対して市場が“疑問視している”表れともいわれる。つまり、いまイギリスは“ヤバイ国”の一つになったのだ。イタリアも新首相になるから今後の状況によっては“ヤバイ国”となる可能性が強い。ちなみにアメリカの10年ものは3.63%→3.76%で、いまのところイギリスよりも低い。そこで、これらの国に比べて「インフレ抑制には動かない姿勢」を貫いているのがエルドラン大統領なのだ。政治家として自らの信念を貫くのは立派だが、83.45%の物価上昇率では国民の方がギブアップして暴動にでもならないか、よそごと乍らいささか心配のような……。

もしも、わたしが「宗教家」になったなら……

2022-10-08
ときどき「宗教」がニュースにも登場する。だが最近の「宗教」は高度成長期のような“勢い”がない。高度成長期には、さまざまな新興宗教も“成長していった”が、急速に膨張した宗教ほどトラブルを起こし、世間との間に亀裂を生じた。多くの場合、宗教が勃興するのは世の中が荒廃してきたときで、いまのように世の中がまあまあ秩序だっている時には、あまり発展しないものである。商売や事業にしてもそうで、世の中の秩序が乱れて来たときに“新たな商売”とか“ユニークな事業”とかが誕生しやすい。だから日本の場合、戦後の荒廃した時期に誕生した“新宗教”や“新商売”には飛躍的な発展を遂げたものが多い。「旧統一教会」も実質的にはその頃に誕生した宗教の一つだ。世の中が乱れる時というのは、どちらかと言うと“絵になる人物”が、その分野におけるカリスマとして華々しく登場したりもする。私は自分の過去を“悔いる”ことはほとんどないのだが、十代半ばから後半にかけて、いくつかの宗教から勧誘を受けた。また実際に、ほんの少しの期間だが、それらの組織の中で活動したこともある。どうして活動したのかというと、その組織の人に「実際にやってみてから批判するなら批判してください」と言われたからだ。確かにその通りだなと思ったから“3か月間”という期限を設けて、その組織の中で行動してみた。あの時、わたしは宣言通りに期間を過ぎたので止めたが、もし、止めていなかったなら、どうなったのだろう。もしかしたら、占い師にはなっていなかったかもしれない。その代わり、こんなことを自分で言うのもヘンだが、私はその組織の中で“大いに出世していた”に違いない。20代にボランティアの組織に加わった時も、1年半くらいの間に日胆地域の理事にまでなったのだから。もっとも、宗教世界で出世はしても、その組織自体に馴染むことはなかったので、多分、独立するような感じで“新宗教”でも起こしていたのに違いない。どんなって、決まってるじゃないか。右手で「ダイジョウブダ~!」と木魚を叩き、左手で「元気ですか‼」とこぶしを突き出す。「ダイジョブダ~!」「元気ですか‼」「ダイジョブダ~!」「元気ですか‼」「ダイジョウブダ~!」「元気ですか‼」……けれども、セクハラとか、モラハラとか、ハラハラとか、そういう感じのもので獄につながれる。う~ん、最近、妖しいドラマの見過ぎか。 « Older Entries Newer Entries »