10月, 2022年

「身体に染み渡る知恵」というものがある……

2022-10-07
或るプロ占い師の方に、実占で使うので「家相」と「方位」について知りたいが、どのくらいで身に付きますか? と訊かれた。この答えは大変に難しい。その方は現役の“プロ占い師”である。だから、占いの基礎的な知識はすでに身に付いている。だから、そういう点から言うと素人の人と単純には比べられない。もう一つ、その方は或る事情があって、急に実占としての家相や方位学の知識が必要となったらしい。だから「出来るだけ短い期間で身につけたい」という条件を付けてきている。しかも遠方なので“電話による教授法”である。これまでも、その方には電話によって占術知識を授けてきているので、その点は問題ないのだが、家相とか方位とかは、通常、図解が必要なので、そういう意味でもほんとうは“電話での教授”は難しい。そういった様々な問題点はあるのだが、その方の状況を考えると、じっくり教えても居られないので、とりあえず基礎的なことだけであれば3回くらいのレッスンで身に付くのではないか、と話しておいた。ときどき、今回のような「占いの知識を短期間で身に着けて実占の場に活かしたい」という問い合わせをいただく。私の場合は、基本的には「短期速成講座」のようなものはやっていない。やっていないのだが、何かの事情から「仕方がない」と特別に引き受けることはある。ただ、それで実占としての知識が本当に身に付くかと言えば、それは付かない。けれども、どうしても短期間に必要なら、それはそれで一応なんとなく“身に付いたような気分”になることは間違いがない。そして、この“気分”が大切なこともある。たまに、そういう形で“実占の場”に送り出すこともする。それによって実占がこなせるかどうかは本人しだいだと言って良い。どのような知識・技術でもそうだが、或る種の“熟成期間”のようなものがあって、それを経ることで、その知識とか技術とかが本人の身体の中に染み渡っていく。だから、知識とか技術とかいうのは、頭の中に記憶することではない。記憶しようとすると身に付かない。あくまでも“身体で吸収していく”という本能的な感覚に変わった時、その知識や技術は身に付いていくのだ。

遺しておきたい「年賀状」という日本の文化

2022-10-06
毎年、この季節になると「年賀状屋さん」ではなかった「年賀状を扱う印刷会社さん」から「来年用の年賀状見本の案内」がメールで送られてくる。それが来ると、また今年も“そういう時期になったのか”という感慨を持つ。来年は、干支で言えば「癸卯」の年→“ウサギ(卯)年”ということになる。それで、新しいデザインをいろいろと視てみたが、いま一つ「これで行こう‼」と決断できるものが出て来ない。そこで、時間を食うのでいったんあきらめ、また時間が出来た時に考えよう、ということにした。毎年、私は年賀状の中に書き込む文章だけは“オリジナルのもの”を書き込むスタイルとしているので、そういうことが可能な「デザイン見本」の会社でないと頼まない。したがって、印刷会社なら“どこでも良い”というわけではない。それに、年賀状のデザインそのものも、なるべく“他の人とは異なるもの”を信条としているので、そうなると“択び出す”のも、そう簡単ではない。毎年、送る人自体はどんどん少なくなっていく。亡くなってしまう方もいるし、疎遠になってしまう方もいるし、最近はSNSの発達で、わざわざ「年賀状を出す」ということ自体を“無意味”と考える人も多くなった。そういう風に書いて来られる方には、迷惑かもしれないので二度と出さない。ただ「年賀状」という日本の風習自体は、私個人は“善いもの”だと思っている。いまは魅力が薄れてしまったが、年賀状の籤というのも、それ自体は魅力的である。近年、あまりにも“景品がお粗末”になって来て、あれはどうにかできないものだろうか。私は、こと年賀状に関しては「通常ハガキ」よりも十円くらい高くして、それを“景品”に充てると良いと思う。そうすれば、年賀状なのだから、多少高くなっても、用いる人は用いるし、ほんとうの意味での“ステキな景品”が当たるのであれば、何ら問題がない。欧米の場合、クリスマスカードが年賀状を兼ねているらしい。もっとも、あればキリスト教徒のカード交換だから、日本のような“習わし”とは微妙に異なる。中国や韓国でも「年賀状」そのものはあるらしいが「春節」と呼ばれる“旧暦の1月1日”から出す形で、やや季節的に「新年おめでとう」という感じに日本人の場合ならない。世界的にも「年の初め」は太陽暦としての1月1日を指す。「日本」は、古代エジプトと同じく“太陽神=ラー=天照大神”の国なので、太陽暦が相応しいのだ。

「ミサイル通過」より「金正恩の顔貌変化」⁉

2022-10-05
昨日の朝は「ミサイル通過」でマスコミが騒いだ。青森上空を飛ぶ……というのはいつものことで、在日米軍の上空しか、基本的には通過しない。本来、北朝鮮がミサイルで“脅し”をかけているのはアメリカであって、日本ではない。だから「日本通過」など、騒ぎ立てるほどのことではないのだ。それよりも、私にはちょっと気になったことがある。マスコミ各社によって「金正恩氏の画像」が微妙に異なるのだ。普段から、高カロリーのものを食べ過ぎているせいか、2017年ころから、その顔貌は丸々と太ってきた。そうして、それは2019年の年末くらいまで続いたように視える。身長170㎝とされている彼が、その当時は140㎏台にまでなっていると伝えられた。どう見ても太り過ぎだ。ところが、それから1年半以上もの間、彼の画像は北朝鮮放送から消えた。「病気なのではないか」という説もあった。そして、再び画像として出現した金正恩氏は「別人ではないか」という憶測が出るほど大きく変貌していた。明らかに顔の脂肪部分が抜けて、全体的にスッキリとした顔貌へと変わっていた。ダイエットに励んだのか、病気で痩せたからなのか、それとも美容外科で“脂肪吸引”でもしたのか、とにかく別人のように“スッキリとした顔貌”に変わっていたことだけは事実だった。ところが、昨日確かにミサイルは飛ばしたが、それに対しての特別な“演説”や“表明”や“意思表示”は今のところ公式には無いような気がする。つまり改めて、そのことを意思表示するほどのことではない、という考えのようだ。そのため、各マスコミで用いた彼の画像は「過去の画像」を用いたのであり、その“過去”をいつにしたかで“使用前”“使用後”のような“それぞれの顔画像”となったに違いない。いまの画像で“演説”でもしてくれれば、マスコミも“その画像”を使うのだろうが、顔出しが無いと、いずれの時期かの“昔の画像”を使わざるを得ない。そこで、何となく“ミサイルを撃ちそうな画像”の方を使いたくなる。ダイエット後の“スッキリ顔貌”でミサイルを扱わないで欲しい……という“願い”のようなものが、過去の画像を用いたくなった一番の理由ではないだろうか。観相学的には、顔貌が太っていくときには“楽観的”或いは“享楽的”になりやすい。顔貌が引き締まると“行動的”或いは“挑発的”になりやすいものなのだが、果たして彼は“どっちの顔”で命令を下したのだろう。

「三冠王」を示唆の「三つ揃い型で成功する」

2022-10-04
これは言っておかなければならないが、実際には“狙っていた”わけではなくて、たまたま的中したに過ぎない。そういうことがよくある。ヤクルト村上宗隆選手の「三冠王獲得」に関してだ。私は8月3日の“5打席連続本塁打”翌日に彼のことを書いたのだが、その中に《“財・官・印”の三つ揃い型で“必ず出世・成功する”生れ》であることを断言している。もちろん、この「三つ揃い型」という表現は、もしかしたら「三冠王だって取れるかも…」程度の意味合いであって、実際に“それ”を予告したわけではない。ただ彼に関してはホロスコープの方でも「大活躍」を保証していて、私にしては珍しく“大甘”の評価だった。ちなみに今年4月10日に“完全試合”を達成したロッテ佐々木朗希投手に関しては、その翌日に《“超天才”とか“超幸運”とかいうタイプではなく、比較的“凡庸”……マスコミに踊らされないことが必要》と記している。かなり手厳しい。それはどうしてかと言うと、この投手は果たしてこのまま“大投手”として成功できるのだろうか⁉ という疑問を抱いたからだ。もちろん、彼はその後も活躍し、終わってみれば9勝4敗という立派な成績ではあった。だが、アメリカに渡った大谷投手やダルビッシュ投手は15勝している。それらに比べると、やや見劣りする。一年を通じて、もう少し活躍してもよかった気がするからだ。それよりも心配なのは1シーズン中に4度も“出場選手登録”を外れたことだ。まだ「身体が出来ていない」という説もあるが、身体が出来ていないのに“完全試合をする”というのはおかしな話で、それよりも「精神的に脆弱な部分がある」とみる方が自然だろう。そして、もう一つは「運」の問題である。私は村上選手に対して“必ず出世・成功する”と断言した。それに対して佐々木選手に対しては、先天運としての四柱推命式やホロスコから観て“必ず出世・成功する”とは言えないのだ。「完全試合」は大記録だし、ただ単に技術が優れていれば達成できる記録ではない。「運」も加わっての大記録なのだ。それなのに、私は彼に“幸運な徴”を見つけることが出来なかった。もしかしたら、彼の繊細な精神が自らの身体から“才能を奪ってしまう”可能性はないのか、これが単なる杞憂であることを、運命を跳ね除ける強靭な精神や肉体を、佐々木投手は来季の活躍の中で証明してほしい。

「天国」から「地獄」へ中川翔子氏の“驚運期”

2022-10-03
「人間万事塞翁が馬」という中国の古い諺がある。つまり、人間、悪いことばかり続くものでもないし、良いことばかりが続くものでもない。だから“良いこと”が起こった時は楽観的になりすぎてはいけないし“悪いこと”が起こった時は悲観的になるべきではない、というような“教え”だ。なかなか“奥の深い教え”で、われわれは往々にして“この教訓”を活かせない。2日にタレントの中川翔子氏が自身のYouTubeで“自宅が悲惨な状態になった”ことを伝えている。外出中にネコが二階の洗濯機のホースを外してしまったらしく、自宅内が“水浸し”になってしまった、というのだ。悲劇としか言いようがない。実は彼女は9月29日に“一泊250万円也”の超豪華ロイヤルスイートルームに宿泊した様子をYouTubeで配信したばかりなのだ。都内一流ホテル“20周年”の特別ご褒美企画らしいが、文字通り“夢のようなホテル動画”で「一生、忘れない」と書いていたばかりであった。その超豪華な部屋に泊ったことが、まるで“悪い予兆”でもあったかのように、日を置かずに“自宅内が水浸し”となってしまったのだ。ただ“超豪華な部屋”に泊った2日前には、父親の墓前に置いてあった“ファンの記録ノート”が箱ごと盗まれてしまったと報告している。つまり、貴重品が盗まれ、超豪華ホテルに泊まり、自宅内が水浸しが、日を置かずにやって来ている。文字通り「人間万事塞翁が馬」の運勢を“体現するような運気”を歩んでおられるようである。その貴重品が盗まれる何日か前には、彼女自身が“神”と崇める松田聖子氏の楽屋に“ご招待”され直筆サインを貰えた悦びを記している。その何日か前には“身体の故障部位を手術しなければならなかった”と明かしている。つまり“吉事”と“凶事”が繰り返されている。こういう形で、ひんぱんに吉・凶が入れ替わるのも珍しいが、確かに“悪いこと”が原因で“良いこと”が起こったり、良いことがあったことで悪いことまで“出て来てしまう”ようなことは珍しくない。そういう意味では、何か“悪いこと”があったら、きっと“佳いことが始まる前兆”だと楽観的に受け止めるのが良いのだ。

結局「イエスの生れ変り」は“蘇えらず”死んだ

2022-10-02
世の中にはいろいろと“変わった人”が居る。自らを「イエス・キリストの生れ変り」として、美しい景色の観光地で騒動を起こし、結局、多数の警備員たちの目の前で“巨大なダム”に自ら飛び込み、そのまま死亡した男が南アフリカにいる。9月24日、観光地として有名な“巨大な水源”があるムプマランガ州のロスコップダムは、騒然としていた。自らを「イエス・キリストの生まれ変わりだ‼」と叫ぶ男が、自分が載ってきたフォルクスワーゲンのシートを引き剥がすと、車の窓を叩き割り始めた。当然、多数の目撃者たちが通報して、警備員たちがやって来る。既に車には火がつけられ文字通り炎上している。警備員たちは慌てて消火作業に取り組み、男を捕まえようとしたのだが「オレはイエスの生れ変りなんだ‼」と叫びながら茂みの中へと消えてしまった。やがて警備員たちは、ダムの中を裸となって突き進んでいく男を発見した。いまなら、まだ引き返せば助けられる。警備員たちは戻って来るよう声を張り上げた。男は一瞬ふり返り、躊躇したように視えたが、やがて意を決したように、そのまま急流へと飛び込んでいった。もちろん、その後で救助はされたのだが、既に死亡していた。一応、男が「イエスの生れ変り」を主張していたこともあり、だれなのか、どういう目的だったのか、調べたのだが現在までわかっていない。そうして聖書にあるような奇跡は起こらず、何日経っても“蘇ること”はなかった。歴史上、有名な人物の“生れ変り”と称されるような人物が時々出現する。ほとんどの場合は“自らが宣言をする形”だ。そして、多くの場合には“精神的に問題”がある。ただ宗教の分野などでは、稀に“奇跡的な力”を発現するケースなどもある。かつて美輪明宏氏は“天草四郎の生れ変り”とされていた。確かマクドナルドの日本の創業者は“弘法大師の生れ変り”と言われていたらしい。そういえば占星家のトービス星図氏はアラビアの“詩人オマル・ハイヤームの生れ変り”と主張されていた。一時期「前世を言い当てる」霊能者などが人気を集めた。私も、大昔、観ていただいたが「琴と書道を教授していた女性だった」と教えられた。う~ん、そうなのか、と解ったような解からないような納得の仕方をした。もう一人の方には「一心不乱に舞い踊る巫女さんの姿が見える」と教えられ、もう一人の方には「王の側近として砂上で雨乞いをしている呪術師」と教えられた。他にも、いくつかあった。もし、そういう人を見掛けたなら、過去世の私のはずなので、声を掛けてくれると嬉しい⁉

2022年10月の運勢

2022-10-01

「夢」程度じゃ我慢ができない「異食症」‼

2022-10-01
世の中には“変わった病気”がいろいろとある。9月27日にインドの病院で行われた手術は、その“変わった病気”の典型ともいえる患者に施された手術だった。その結果、手術は見事に成功し、その患者は無事数日の入院だけで退院できる。病後の薬など一切不要らしい。但し、患者本人とその家族などに向けて“注意事項”がいくつも述べられた。手術を担当したラケィ・フラーナー医師によると、患者は“激しい腹痛”を抱えて病院へと来たが、レントゲンやCT検査の結果、胃の中に“異常”が見つかった。多数の金属片が埋まっている「胃」となっていたからだ。そして手術により63本ものスプーンが摘出された。ただ、これらのスプーンはいずれも柄の部分だけにした後で飲み込まれていた。患者に対して、なぜ飲み込んだのかを問うと、患者男性は「無理やり飲み込まされた」と答えたが、実際にはそうでもないらしい。フラーナー医師によると、これは「異食症」という“摂食障害の一種”で、本来は“食べてはいけないモノ”が無性に食べたくなって吸収し続ける“稀なる病気”であるという。実際に、これまでの実例から“金や硬貨を食べ続けた女性”や“毛髪を食べ続けた女性”等の症例があるらしい。確かに、抑えきれない食欲を感じた時、冷蔵庫を開けて、とりあえずなんでも“食べてしまう”習慣を持つ人はいる。ただ普通は食品類を口に運ぶ。けれども何かの機能が狂ったとき、食品以外のものに“手を伸ばす”人たちも居るらしい。或る種の“精神障害の一種”という研究もある。もし、その人が日頃から“摂食障害”であったなら理解できないことはない。つまり、食べたいが、明らかに食べ過ぎとなるので、食品ではないモノで食欲を満たそうとする。そうであれば“土”や“硬貨”を食べる……という方法も有り得ないことではない。そういえば、大昔だが、一度だけ呪術で“半紙に呪形を朱書きし飲む”というのがあって、試したことがあった。だが、これは本当に苦しい。しかも効果がなかった。あんな一枚の紙きれでも大変なのに、スプーンとか、よく呑み込めるものだ。食べのも以外なら「夢を喰う」というのが、安心・安全でおススメだ。これなら誰からも文句が出ないし、身体にも支障がない。ただ「夢」ばかり食らっていると、ろくなことに出遭わない。「夢」は食べても良いのだが、それに対しての「実行」が大切で、夢を食べるのが好きな人には、実行力の乏しすぎる人が多いから問題なのだ。 Newer Entries »