5月, 2023年

「手相刑事」が「敏腕刑事」になっていない‼

2023-05-20
最近、きちんと最初から最後まで本を読み切ることが難しくなった。そういう中で昨日読み終えた本が『手相刑事の鑑定術』という本だ。正直、がっかりした、というのが私の感想だ。書店でこの本を見つけて、その著者の経歴を見て刑事から鑑識に進み、犯罪者多数の指紋や掌紋を観察してきた……という触れ込みに期待を寄せたのだ。だが読み終わっての感想は、この人は「敏腕刑事とは言えなかっただろうな」という印象だ。なぜなら、この本の内容は決して“元刑事”や“元鑑識課”を連想させるものではなく、ごく平凡な“手相好きの庶民”が書いた本にしか過ぎなかったからだ。正直、わたしとしてはものすごく残念なのだ。どうして、せっかくのキャリアを活かせないのだろう。鑑識課で何千人もの“犯罪者たちの掌紋”を見たなら、どうしてそこから“各犯罪者たちの共通の相”を見出すことが出来なかったのか。一般の人と同じような感覚で「感情線が波打っている」とか「頭脳線が切れている」とか「房状、鎖状の線が多い」とか「傷害線が多い」とか、その程度のことしか読み取ることが出来なかったのだろう。せっかく何千人もの貴重な手相を観察しながら、その各犯罪に対しての“違い”“特徴”“共通点”を把握できなかったのか。本当に残念でならない。もし、彼がそれらの職業時には「手相の知識を持たなかった」というなら話は別だが、元々「刑事になろうか、手相家になろうか、迷った」と記しているのだ。それならば、もっと犯罪者たちの手相を身近なモノとしてきちんと記録するとか、写真に残すとか、スケッチし続けるとか、その微妙な違いをデータ化するとか、天が与えてくれた“貴重な職場”を活かすことが出来なかったとしか思えない。だいたい犯罪者の手型は外部に出すことは出来なくても、自らが記録として残して、図解だけでも精密に描いて読者に提供するとか、もう少し研究者らしい姿勢があっても良さそうなものではないか。ただ単に“手相好きだった刑事”が想い出話と共に、ごく一般的な手相の本を書きました、にしてほしくなかった。先輩研究者として、ほんとうに残念で残念で仕方がない。

生れ変る札幌「新しい商業ビル」が続々誕生

2023-05-19
今年になって“生れ変った”のは、なにも我が「波木星龍の鑑定室」だけではない。わたしが居る札幌ではなぜか“新しい商業施設”が続々とオープンしている。まず札幌と言えばススキノということで、そのススキノの玄関口に誕生するのが「COCONO SUSUKINO」という地上18階、地下2階の商業ビルだ。3~4階が飲食エンターテイメントフロアとなって、5~6階がシネマコンプレックスとなって、7~18階がホテルとなるらしい。南1条通りにオープンしたのが「IKEUCHI GATE」というファッションなどが主体のビルで、南2条西3“狸小路”角に誕生するのが「moyuk SAPPORO」という地上28階、地下2階の複合型商業ビルで、ここの目玉は4階~5階に“都市型水族館”が含まれていることだ。7月にオープン予定だ。少し遅れて11月にオープン予定なのが新札幌に出来る「BiVi新さっぽろ」地上5階の広々とした複合施設。中島公園のパークホテル跡地に出来るのが「インターコンチネンタルホテル」などが入居予定の複合施設で地上14階となる。来年春開業予定なのがJR札幌駅に直結する地上48階建てで、途中から高層マンションとしての入居も可能な「ONE札幌ステーションタワー」だが、高額物件があっという間に完売となったらしい。私など12階から5階の“低層型マンション”に変ったが、これまでとは異なる“地上に近い景色”を眺めるのも悪いものではない。札幌駅のすぐ傍にある「東急百貨店」もリニューアルオープンを控えていて、続々と新しいビルに模様替えしていきそうな状況にある。札幌の場合、70年代にオリンピック開催に向けて新しいビルが林立したので、その“建て替え時期”が重なっていることも作用している。日本の新しい半導体の千歳誘致が本決まりとなり、まだまだ札幌周辺では他にも広大な敷地が眠っていて大企業工場誘致など可能なので、そういう意味では内からも外からも再開発が進んでいくかもしれない。ビルが誕生し、そこに新たな命が吹き込まれ、やがて成長し、徐々に衰退する。そこに入ることで、人も建物も“新たな命”として生まれ変わっていく。

「日経3万円」は「4万円」への“序曲”なのか⁉

2023-05-18
私が日本経済に対して4月12日に予見したことが徐々にカタチとなりつつある。何をどう予見したのかと言えば、このまま「再び円安がゆっくりと進めば」やがて「日経平均3万円に手が届くようになる」と書いておいたのだ。それが昨日ちょっと予定より早すぎるが実現した。日経平均は“終値”で3万円を突破し、日本株の“勢い”が徐々に増してきていることを窺わせた。これまでであれば、目標価格は一時的に突破しても、午後になるとじりじりと後退して“終値”では届かないようなケースが多かった。ところが、ここにきて“終日その勢いが衰えない”ケースが目立ってきた。これは海外勢が午後になって後押しをしているからだ。こういう形が続くと「日本株」に勢いが生まれる。著名投資家が日本株を購入しだしたことで、世界的にも秘かに注目が集まりつつある。そういえば岸田総理も海外で“日本株”を推奨していたではないか。G7で日本にマスコミが集結するのも多少プラスに働きそうだ。アメリカ株や欧州株など金融市場は“立ち直りつつある”とはいうものの、その経済政策から言って急速に元には戻らない。ところが日本市場の場合、まだまた金融緩和策は続いている。だから、それを踏まえて考えれば「日本株が買い時」という岸田首相のアピールは遅ればせながら意味を持ち始めたともいえる。大体、80年代バブルの株価を超えていないのは「日本」だけである。3万円突破とか言うと“すごい”かのように聴こえるが実際には三十数年前の株価にまだ届いていないのだ。いかに日本の経済が“逆行していたか”が解かろうというものだ。そこで世界の眼が「日本株」に向けられれば、まだまだ“お安い”ということに気が付く。しかも、今後しばらくは金融緩和が維持され、その点でも極端な急落などの心配がない。さらに、こういう情勢に日本人は慎重なので、あとから付いていく。つまり、或る程度上がってから、慎重な日本人の大多数が“乗り遅れる”ことを嫌って日本株を買い出す可能性があるのだ。そうすれば、再びバブルがやって来て4万円は“通過点”となって5万円台へと一気に突入という“夢”のような舞台が待っている……。

車内で突然「ヒトラーの演説」流れて騒然⁉

2023-05-17
もし、同じようなことが走行する列車の中で起こったならどうだろう。たぶんパニックになるに違いない。走行中の列車の車内でスピーカーから普段とは異なる奇妙な音楽と途切れ途切れの会話が聴こえて来て、やがて突然それが「ヒトラーの演説」に切り替わる。そしてどんどん音量が増していく。「ハイル・ヒトラー」などのスローガンも次々と飛び出す。車内の人たちは一様に驚きの表情で顔を見合わせる。途中から笑い出すものもいるが、怯えたように押し黙る者が多い。それがしばらく続いて元に戻ったが、そのことに対して車掌などの説明は降りるまでの間一切なかったという。オーストリア連邦鉄道の列車であり、ブレゲンツとウィーンの間を走行中の出来事だったらしい。この事件について、その後いくつものSNS投稿があり、それらに応えるように広報担当者から「何者かが複製した鍵を使って車内の内部通話装置を開き、ヒトラーの演説をスピーカーから流したもの」と説明し、現在、警察が捜査中であることを伝えている。監視カメラの映像分析などから“二人組の犯行”であることが推定されている。それにしても、問題はその後も何も説明せず、普通に走り続けたという点にある。だれだって「ヒトラーの演説」と解るものが大音量で聴こえて来れば恐怖を抱く。その種の思想を支持する過激テロ集団が車内を占拠したのか、という妄想に駆られるだろう。或いはナチの亡霊的政治集団が居て、車内に何かを仕掛けたのかとも考えるだろう。何の説明もなければ、車内は恐怖のまま走行し続けることになる。日本でなら終戦時の「天皇陛下の言葉」とか「三島由紀夫の自衛隊への呼びかけ」とか「オウム真理教の麻原彰晃の説教」とかが音量を上げて流れ出したならパニックになる。特に「麻原彰晃の説教」には不気味な怖さがある。現代のように“何が起こるかわからない時代”には何を目的としての犯行なのか解からない事件がいちばん恐ろしい。

別荘を「借りる」という発想で「2拠点生活」

2023-05-16
「別荘を持ちながらの2拠点生活」などと言うと、私などはどうしても“富裕層による別荘暮らし”か“リタイア層の週末2拠点暮し”などを思い浮かべる。ところが最近はそうではないという。ごく普通の会社員とか公務員とかの若い人たちが“2拠点生活”それも「別荘」を借りる形での2拠点生活を始めている、というのだ。まず「別荘を借りる形」というのがよく解からないが、ふつうに賃貸物件を“借りる形”で所有して2拠点生活を始める人たちが多いというのだ。確かに時代は変わって、仕事をする場合でも、必ずしも出勤しなくても良い企業が多くなった。パソコンやスマホがあれば、どこに居ようと仕事は出来る、という人たちも多い。わたしのように「そういうのは落ち着かなくて嫌だ」と言っていられる時代ではない。それは解かっているが、別荘所有者に通常の会社員や公務員の若い人たちが多くなってきている、というのが今ひとつ解からない。自宅とは別に“別荘”を持つということは、それだけの経済的な余裕があるからではないか、と思ったりもするが、必ずしもそうではないという。まず自分が“所有する別荘”を賃貸にしているのは、先行き不透明な時代で何が起こるかわからないので「いつでもすぐ手放せる」よう“賃貸が有利だ”という発想に基づくらしい。確かに購入した物件の場合は、すぐに売れるとは限らない。その不動産価格が大きく下落してしまうリスクもある。その点、賃貸ならすぐに手放せる。そして新たな物件に切り替えることも容易だ。ただ、そういう所有の仕方ならムダな経費になるとは言えないか。ところが“共同所有”という方法や“使わない期間の貸し出し物件”とする方法もあるという。そういう形を取れば、たいした経費など出さずとも「別荘所有が出来る」というのだ。実際、コロナ禍以降に“そういう所有の仕方”が急速に増えつつあるという。もう、富裕層だけが別荘を所有する時代ではないということか。不動産流通経営協会というところの調査によれば、実際に2拠点生活を実施している方達の平均世帯年収は764万円であるらしい。確かに現役世代の上場会社や公務員の年収くらいと言えそうだ。最近は芸能人などでも“2拠点生活”をする人が多くなった。気分の切り替え、頭の切り替え、仕事の切り替え……として令和の時代としては“理想の働き方”になっていくのかもしれない。

女性→メンズカット、男性→レディスカット⁉

2023-05-15
大昔、わたしは髪を長くしていた関係で2度ほど美容室でパーマをかけてもらった記憶がある。まだ20代の時だ。その当時は今のように「メンズ美容室」などと言うものは無かった。だから髪が長くても普段は理容室に行く以外は無かったのだが、その時、美容室と理容室の違いを知った。美容室では“顔剃り”というものを行わない。一方、理容室の方では“パーマ”をかけられない。今は、どちらでもOKなようだ。その当時、どうして美容室では“顔剃り”を行ってくれないのか、私には理解できなかった。それでは“美容ではないではないか”と思ったからだ。別にバンド活動をやっていたわけではないが、十代のわたしはグループサウンズのような髪型が希望だった。ところが、その希望はなかなか叶わなかった。どうしてこんなことを書くのかというと、現在の流行が気持ち的に解からないではないからだ。その現在の流行とは、女性が「メンズ美容室」に行って好きな男性芸能人の髪型にしてもらおうとする。つまり女性なのに“メンズカット”を要求する、というのだ。自分の“推し”と同じ髪型にしようとする。だから通常の美容室ではなく「メンズ美容室」に行く。そうすることで、その芸能人と“一体化していこうとする”らしい。奇妙な流行だ。ただ考えてみると最近の“若い男性芸能人”には、一見すると、男性なのか女性なのか判別できない髪型をしている人物が多い。顔貌そのものも中性的な場合も多いが、特に髪型は男女の区別が不明確になっている。したがって、若い女性たちがメンズ美容室へ行って、ちゃんとメンズカットをしてもらって、その“推し”の髪型に近づけようとする、というのも奇妙だが解らないではない。逆に男性の方にも、同じような意味合いで女性アイドルと“同一の髪型”にしようとする若い人たちが徐々に増えて来ているという。つまり、女性がメンズカットで、男性がレディースカットというわけだ。単に名称が異なるだけではなく、技術的にもカットの仕方、セニングの仕方、レイヤーの入れ方などが微妙に異なるという。こうして、いつの間にか「メンズ美容室」は若い女性たちで溢れ出すという光景が、そのうち見られるかもしれない。

「王室外交」は、日本国の「国益」となる‼

2023-05-14
秋篠宮夫妻が「チャールズ国王戴冠式」に出席し、無事にその役目を終えて日本に戻った。秋篠宮夫妻が出席するということに関して、一部からは批判や反対も出たようだが、英国側からの受け入れ態勢は上等で“一部のネット民”たちを黙らせた。長女の“結婚騒動”以来、秋篠宮夫妻やそのご家族に対して心無い中傷や批判を繰り返す人たちがいる。彼らは「国家」というものの存在性の本質が解かっていない。今回、秋篠宮ご夫妻は21か国の“王族たち”と親しく話される時間を持ったと言われる。人間社会というのは、一部の人たちが言うほど平等なものではない。そんなことは誰だって数十年間も生きていれば解りそうなものではないか。もし、解からないという人がいるなら、その人はあまりにも鈍感なだけだ。不平等な中でも「王室」とか「皇室」とかいうのは、その最たるものといえる。生まれながらにして、或る種の“特権”を与えられている。けれども、それは日本国だけではない。タイ、ブータン、ブルネイ、マレーシア、オランダ、ギリシャ、スウェーデン、スペイン、デンマーク、ノルウェイ、ブルガリア、ベルギー、モナコ……など数え上げればきりがない。それらの国にも、そういう人たちは居て、本人が望む望まぬに関わりなく、王族・皇族としての出生となる。そして、ほとんどの場合は、そのまま一生を終える。彼らは“無意味な存在”だろうか。そうではない。ちゃんと“その役割と職務”を持っている。同じような王族や皇族との交流を持ち、俗に「王室外交」と呼ばれる外交を行っているのだ。親しく交流を持つこと自体が外交となる。それによって、何かの非常事態とか、衝突局面とかになった時、調停役を担ったりもする。或いは、その時々の政府に対しても強い影響力を発したりする。各国大使より、或る意味では潜在的に大きい影響力を備えているのだ。したがって、王族や皇族が何もしていないかのような批判は当たらない。汗水流すだけが仕事ではない。今回、秋篠宮紀子さまの“和服姿”は各国の王族たちに大変に評判が良かった。多くの王族が一緒に写真を撮りたがった。それらは各国の王室に飾られるのだ。これ以上の外交があるだろうか。表面上の握手より、はるかに重要な“意味”があることに批判者たちは気付くべだろう。

「同・両・無・非・全」それぞれの「性愛者」

2023-05-13
「LGBT理解増進法案」という名の修正法案を自民党が了承した。要するに「ふつうの愛」ではない人たちへの理解を深めていきましょうという感じの法案なのだ。まあ強制的な法案ではないのだから、そんなに揉めなくても良いような気がするが、日本ではいろいろな意味で揉めてきた。まず「LGBT」を理解しなければならないわけだが、これが簡単そうで簡単ではない。大雑把な括りで言えば「同性愛」だが、実際にはもう少し分かれる。つまり「L=同性愛(女同士)」「G=同性愛(男同士)」「B=両性愛(男も女も)」「T=自認性愛」「無性愛」「非性愛」「全性愛」のすべてをひっくるめて「性的少数者」として、このLGBT法案ではカバーしようとしている。要するに、そういう方達を「差別してはならない」「理解しなければならない」という法案なのだ。そんなことは何となく理解できているようにも思うのだが、これを“形”にすることで国際的に「進んでいる国」と見せかけられるし、学校教育として本格的に組み込むことが出来る。こういう“形”的なものが無いと、日本の場合にはなかなか学校教育としては教えづらい。もっとも、その中身はかなり抽象的であいまいな部分が多く、野党などが受け入れるかは微妙な情勢だ。ただ、これは与党とか野党とかいう問題ではなくて、たぶん個人的な“理解力の大小”によるところが大きいように思われる。わたしには昔から同性愛を自認する人たちが多く鑑定に訪れていた。そして異性愛を語るのと同じような感じで恋愛相談をしてきている。もちろん相談されたら、わたしも“そういう方達”と同じような感覚に立って、どうすれば「その相手と上手くゆくか」「その相手に愛を伝えても嫌われないか」「一緒に暮らしていくことは可能か」「どちらの相手を選べばよいか」「その相手と別れられるか」など、オーソドックスな恋愛や結婚相談と変わらないスタンスで応じて来ている。わたしが変わっているのか「その人レズじゃないんですけど告白しても大丈夫でしょうか」とか訊かれて「大丈夫、手をつないだりしてるんでしょ、何となくは感じていますよ、だから受け入れられるかは微妙だけど嫌われることはないから大丈夫」などと励ましたりする。まあ、そういう風な感じで来ている私には「いまさら」という感じさえある法案だが、とりあえず通しておくのが良いような……。

「正式結婚」して「何か」が崩れていく運命

2023-05-12
世の中には“正式入籍”“正式結婚”というものが、倖せにつながらない人たちがいる。北欧フィンランドの若き女性首相サンナ・マリン氏もそういう一人のようだ。日本ではあまり馴染みがないが、世界でもっとも若い34歳で首相になった女性ということで注目を集めた。同棲している恋人はいたが、シングルのまま子供を産み、その当時は独身でもあった。その翌年の夏、世界のメディアの注目を集めながら“倖せいっぱい”の結婚式を掲げた。そのマリン首相が3年も持たずに夫とともに共同で「離婚した」ことを公表した。彼女にとっては「結婚」は儀式だったにすぎなかったらしく、同棲期間である19年間の方を回顧して、感謝の気持ちを述べている。運勢的な観点からみると、シングルのまま出産した2018年1月くらいから政治家として人気を高め、遂には、その翌年12月に首相となった。つまり、実際にはほとんど出産後の2年間近く子育てを放棄して「国」のリーダーとなった。そして、なぜかそのあとに正式入籍をし、盛大な結婚式を掲げた。最近の若い人たちの中には、これと似たようなケースで“長く同棲生活”をしていて、妊娠や出産をしてから正式な“入籍・結婚”をしていく人たちがいる。同じ“入籍・結婚”をするなら、同棲して間もない段階でしてしまった方が良いような気もするが、いつの間にか年月が経過し、そのタイミングを逸してしまっているカップルも多い。だから「結婚」という約束なしに同棲を始める場合、最初の2年間を経過した段階で、今後についてほんとうは一度話し合うべきなのだ。通常、2年間経過すれば、その後も一緒に暮らしていけるかいけないか判別は付く。一年でも良いのだが、慎重な人なら二年間くらいが丁度良い。それ以上、何も約束がないまま経過すると、改めて「結婚」というタイミングを見出すのはなかなかに難しい。多くの場合、女性側が妊娠したとき、双方とも結婚を考えるようだ。それ以外にはご両親の死亡とか、兄弟や同僚の結婚とか、それなりのタイミングはあるのだが、元々の“約束”がないと、そのままに流れていってしまうケースが多い。もしも十年以上一緒に暮らしながら、互いに愛情を認め合いながら、なんの約束もないまま経過している場合、そのまま“事実婚”という形にして継続した方が、その後も上手くゆくケースを何組も観ている。どういうわけか、十年以上経ってムリに入籍すると、その後になって別れてしまうケースが多いのだ。もしかすると、そういうカップルの場合は「公にしない」ことが愛情を持続させる秘訣となるのかもしれない。

2023年5月の運勢

2023-05-11

「海老蔵」から「團十郎」でそれぞれの出発‼

2023-05-11
「市川團十郎」と言ってピンと来なくても「市川海老蔵」と言えば誰もが理解する、そういう人物が襲名披露をしてもうすぐ一年になろうとしている。海老蔵から團十郎への変化は“運勢的”にも様々な変化を生み出しつつあるような気がする。女性週刊誌が、かつて小林麻央氏と暮らした豪邸を売却したことを報じている。確か著名な風水師の指示のもと改造などをした家だったはずだが、さまざまな凶事が続いた。結局、途中からはマンション暮らしに移行し、それでも麻央氏は早世した。ただ遺された娘と息子は順調に成長し、今年、娘の方は芸能事務所に所属し、本格的な芸能活動へと進むようだ。息子の方も團十郎氏の後継者として順調に育っている。「市川海老蔵」の名前は“人格・外格・地格”いずれも画数が悪い。特に家庭運が良くない。それに対して「市川團十郎」の名前はそれらの画数が比較的良い。特に健康的に良い画数が並んでいる。そういう意味では家族の心身それぞれに良い影響を与えた「襲名」だったのかもしれない。もう一つ、自宅の売却は運命学的に“過去を引き摺らない形”としてプラスの影響を与える。よく家族が亡くなると、ずっとその想い出の場所を残したまま暮らしていく人たちがいるが、運命学的な観点から言うと感心しない。文字通り「過去を引き摺る形」となって、新しい世界に踏み出していくことが出来ない。たとえ踏み出しても、何年もせず引き戻されてしまう出来事が生じがちとなる。だから、そういう点では、若い人たちの場合は“そこにそのままのカタチ”で暮らし続けてはいけないのだ。これは亡くなった心霊にとっても“未練が残る形”となって成仏しにくい。だから良くない。そういう意味で言うと、ようやく市川團十郎一家にとっても“新たなる旅立ちの時”が来たといって良い。或る意味では子供たちが成長し、團十郎氏にとっては少しだけ責任が果たせたと言える状態に入ったと言えるかもしれない。ようやく一人の男性として、新たなる「愛」を授けられるに相応しい運気が訪れようとしている。

ライブ配信アプリの「投げ銭」で人生が狂う⁉

2023-05-10
人は誰でも、孤独に耐えられない。だから孤独な状況の中では「まっとうな思考回路」が停止してしまう。コロナ禍になって、外出を控える人が多くなった。家族、家庭のある人は、外出を控えても“完全なる独り”にはならない。けれども単身の場合、それは孤独と向き合う生活を意味する。それでも仕事が充実している場合は“妖しいもの”に嵌まることはない。仕事にも将来的に不安を抱えている場合、どうしても救いを求めるかのような気持ちで“妖しいもの”に嵌まっていく。ネットニュースで報道されていた懲役2年(執行猶予3年)の「投げ銭」に嵌まった“放火男(53歳)”は、もうどうすることも出来ないと自らの自宅を放火した。幸いすぐに消し止められたので彼自身は一時的に意識不明となったが大事には至らなかった。木造二階の建物も“一部損傷”だけにとどまった。或る意味で、彼は“幸運な部分”を持っていたかもしれない。その木造アパートには多数の住人が居たからだ。彼自身も、たいした火傷ではなく職場にも復帰できそうなのだ。もし、大火傷するとか死亡してしまうとかしていたなら母親などにも“大迷惑”が掛かる。そういうようなことが考えられないほどに彼は「投げ銭」に入れ込んでいた。好みの女性歌手に「投げ銭」を続けていたのだが、自分の暮らしがままならないほどの金額を投じていたのだ。もちろん、その女性歌手が“売れていく”ことは彼にとって悦びだったに違いない。けれども、それよりは自分の孤独が、毎回ごと名前を呼ばれ、その女性に感謝され、ライブを見る人々に知られ、トップに立てることで精神的に癒されていたのかもしれない。そうなると、もう、そこから抜け出せなくなった。自分の生活が圧迫されるのは眼に見えていても「投げ銭」を止められなくなっていた。その結果、もう、これ以上はムリだというところまで行って自宅に火を点け自殺しようとした。あまりにも短絡的だが、似たような“孤独”と“推し活”を行っている中年男性は多いのかもしれない。それがたまたま“事件として表に出た”だけなのかもしれない。女性よりも、男性の方が、そういう“虚しい貢ぎ行為”に走りやすいような気がする。 « Older Entries Newer Entries »