6月, 2023年

「単なる唾液」25万円は「ぼったくり」かも⁉

2023-06-06
世の中、需要と供給で成り立っている。だから、それで商売として成立し、どちらも満足であれば、それに対してとやかく言うのは“お門違い”かもしれない。ただ、ちょっとだけ高すぎると思うのだ。いくらなんでも「単なる唾液」を25万8千円(日本円換算)で購入させるのは……せいぜい3万円くらいまでで止めておくべきでは……。アメリカのニュースサイトに載って注目されたイギリス女性の話だ。彼女は貧しい家出身の医大生だった。彼女は最初、医学者になるつもりでその大学に通っていた。ただ医大というのは金がかかる。もちろん彼女は勉強だけでなく、アルバイトにも精を出した。それでも経済状況は苦しく、遂には借金をするまでになった。そんな時、少しでもプラスになれば……という意識から始めたのが、SNSを通じて自分の“何か”を購入してくれる見知らぬ相手との“取り引き”だった。その最初の高額需要が「唾液」であったらしい。これによって彼女は“自分のカラダから出る付属品”が収入につながることを知った。こうして味をしめた彼女は、やがて「唾液」だけでなく「爪」とか「汗の染みたシーツ」とか「汚れたスポーツウエア」とか「入浴後のお湯」とかまでも売る妖しい商売を始めた。今では大学を辞めて、ちゃんとした(⁉)職業として継続していくことを誓っている。彼女の“カラダから出る付属品”が高額で売れるのは、その“製造工程⁉”ともいうべき状態まで動画として見せ販売しているからだ。平均して月収200万円(日本円換算)を下らないらしい。この収入によって、彼女は自分の借金を完済し、母親の借金も完済し、妹の欲しがっていたものをプレゼントした。さらに住宅を現金で購入し、現在2件目を物色中であるらしい。ところが、母親は大反対でいまでは交流が絶えてしまった。彼女はまだ22歳であるが、今では医学の道に戻ろうという意識はない。なんども言うように、需要と共有の世界で堂々と仕事をしているのだから、それを批難する理由は誰にもない。ただ私は、もう少し価格を下げて“普通よりもちょっとだけ良い収入”程度にしておかないと、後になって後悔するような状態がやって来そうな気がして、それだけが心配なのだが……。

「将来への不安」が「投げ銭」を助長する⁉

2023-06-05
最近、ライブ配信アプリの「投げ銭」に関しての相談やトラブルが増えて来ているという。俗にいう「推し活」と呼ばれるもので、世間的にはそれほど知られていないが“現在売り出し中”とか“秘かなブーム”とか“地下アイドル的活躍”とかをしている人達がライブ配信を行う時、金銭に等しい「投げ銭」と呼ばれるアプリを贈ることで、その人物の支援者となれる。要するに、片想いの相手に“貢ぐ行為”という言い方がいちばん的を得ているのかもしれない。昔は、そういう形での支援というのはホステスとかホストとかの職業、もしくは完全に芸術家や芸能人などに限られていたが、現在のライブ配信者はなかなかに幅広く、売れない芸人とか、アスリート、特殊な技能者、地下アイドル、シンガーソングライターなど無数にいる。それらの中で自分が気に入った人物に対し、その人物を支えるべく「投げ銭」を与えるわけだが、実際には生活など支えずとも大丈夫な人もいて、その実態は闇に包まれている。通常「投げ銭」を貰った場合は、それに対して配信者が当然のことながら“お礼”を言う。そうすることで、その人物がいつも誰から「投げ銭」を得ているのか、どのくらいの額を得ているのか、何となくだが判別できる仕組みになっている。つまり「投げ銭」の額が大きくなれば、当然、その人物は“大切な支援者”として配信者も、それを視ている支援者たちも共通認識を持つ。たぶん、わたしが思うに、この“共通認識”というのが「推し活」を行う人たちにとっては、自身の悦びに繋がるのだ。つまり「自分の投げ銭で、この子は頑張っている」という密やかな満足感。それと同時に、視ている仲間たちの誰もが「それを知っている」という秘かな満足感。ところが、これが高じると、自らの生活というものを顧みず、どんどん「投げ銭」額が増えていく。ライブ配信されるごと毎回「投げ銭」しなければ気がすまなくなっていく。こうして、暮しそのものに支障が出て来て、自ら居住していたアパートに放火した人物が居た。その裁判記録がニュースとなってネット上で話題となった。相手に尽くすとか、貢いでいくこと自体は悪いことではないが、それが限界を超えてしまったとき、引き返せなくなったとき、危うい状況がやって来るのだ。

「秘密主義」の人に相応しい「セルフレジ」⁉

2023-06-04
最近、引っ越した後の大きな変化として、わたしは買い物をする時「セルフレジ」というものを使うことが多くなった。こちらに引っ越しをするまでは「セルフレジ」の少ないお店で買い物をすることが多かったせいもあり、その存在を知ってはいたが何となく敬遠していたのだ。だが、実際にセルフレジを使用する形になって、その方式に慣れてしまえば「こんなに便利なものはないな」と思うようになった。何でもそうだが、慣れというのは恐ろしい。カードにチャージして 現金を使わず清算する。そうすると“細かなおつり”を貰う必要がなく、財布も軽いままで済む。これが大変に心地よい。今までは買い物をすると、どうしても小銭が入るので財布が重くなって困っていた。セルフレジの場合には、どんなに細かな金額でも小銭が発生しない。もう一つ良いのは、誰にも購入したものを見られずに済むということ。これが意外にも気持ちがいい。わたしはそんなに秘密主義ではないが、それでもデパートとかスーパーとかコンビニとかで、何を購入しようかと迷ったとき、人に品物を視られてチェックされる形で購入するのと、誰にもチェックされることなく自ら袋に入れるのとでは択ぶ品物が微妙に違ったりする。つまり、セルフレジというのは基本的に“人の目を気にせず買い物ができる”という利点もあることに気付いた。もちろん私のように不器用な者には、レジ袋がなかなか開けられない。上手くコードの読み取りができない。画面の順番をうっかり間違えてしまうなど、慣れた人から視れば“不慣れな様子”が丸出しであるのに違いない。それでも、こうして一歩ずつでも“現代”に溶け込んでいく。そうしなければ生きていけない時代なのだ。なんでも「ユニクロのセルフレジ」というのは、黙って籠に入った品物をそこに載せただけで合計金額が出てくる仕組みらしい。どんなにたくさん購入しても、一瞬で金額が出るというのは素晴らしい。やがては、どの店でも“そういう方式”に変っていくのだろうか。それならありがたい。わたしは最近になってようやく自分のマンションの二重方式にチェックが入るエレベーターの仕組みがわかった。わかってみれば、何のことはないのだが、最初、知らずに乗って階数を押そうとしたとき“押すことが出来ない”仕組みに苛立った。鍵をかざして押す……と聴いていたので必死に鍵を当てたが通じなかった。「認証」の場所が階数ボタンから離れた位置にあり、何も記されていないので気付かなかったのだ。なんでも機能というのは、知ってしまえば何のことはないのだが、知らずに使用しようとすると解らずパニックになる。時代についてゆくのも容易ではない。

ドラマと現実の「違い」を教える教育が必要

2023-06-03
最近わたしには気になっていることがある。あまりにも世の中に「ドラマ」とか「漫画」とか「映画」などと、現実との違いを“わかっていない”人たちが多くなってきていることだ。ドラマや漫画の中では「鮮やかな場面」に視えていることが、現実の社会では、必ずしも、そうはならない。そんなことはちょっと考えれば解ることなのに、その“ちょっと”が考えられなくなってきている人達が多い。6月1日の夜、福岡県の八女市の路上で流血して倒れている女性がいる……との目撃通報が入った。女性はすぐに救急搬送されたが、いまだ意識不明の重体である。その後になって、その40代女性が、家族である男性たち二人と車に乗っていて口論となり、急にドアを開けて飛び降りてしまった……というのだ。車がスピードを緩めていたならともかく、勢いよく走行中の出来事で止める間もなかったらしい。こういう走っている車から、いきなりドアを開けて飛び降りる……というのは漫画や映画やドラマの“危ない世界”ではときおり使われるシーンだ。そして、主人公は“かすり傷程度”とか“軽い骨折程度の怪我”で済んでいる場合が多い。もちろん、それは「ドラマの世界」で、あくまでもそのドラマのヒーローやヒロインが“敵から逃れる”手段などとして用いられることが多い。だから、その程度の怪我で済んでいるのだ。だが、実際の車でスピードを出している時に“同じこと”を行って“軽い怪我”程度で済むはずがない。ところが、近年はドラマや映画ではCG加工やスタントマンを使って“ぎりぎりセーフ”を演出し、正義の味方は立ち直りが早い。観ている人達の中には“その程度”であるかの如く記憶してしまう人がいるように思う。これはあくまで一例だが、近年はさまざまな“危険なシーン”を特殊加工で“鮮やかに映し出す”ことで、ハラハラドキドキとともに、そのヒーローやヒロインのように自分も振舞えるのではないかと錯覚しているかのような行動をとる人たちがいる。漫画に夢中になる人たちだけでなく、ゲームの世界に没頭していく人たちにも、その種の傾向がみられる。ゲームの中ではみんな簡単に死んでいって、そのあとすぐ蘇って来たりもするが、現実世界では簡単に蘇ったりは出来ない。その世界に没入することで、日常との“垣根”が薄れていってしまうのではないか、そういう心配をするのは私だけなのだろうか。

「食」は「創業者」が去れば、ブームも消滅

2023-06-02
あらゆるものに「流行」とか「ブーム」とか呼ばれるものがある。「食」にも“それ”はあるが比較的“流行”や“ブーム”の入れ替わりが早い。中でも何らかの理由で“社長が入れ替わる”ような形となった場合、そのブームは一気に去って行く。まるで、その「食」から魂が抜け落ちてでも仕舞ったかのように、ブームは一気に消え失せてしまう。高級<生>食パンチェーンを展開してきた「乃が美」が窮地に陥っているとの報道が出た。一時期は全国250店舗を展開していたが、現在は141店。そのうち三分の二以上が近々に経営維持が困難で無くなってしまうという情報が流れている。本部と各チェーン店との確執も深いらしい。現在の会長・社長は創業者ではない。創業者の阪上雄司氏は既に本部を離れている。本人は、自分のやりたい食品を作る、ということで新たな店を立ち上げ、そのあとを継いで現会長・社長の森野博之氏がトップに立った。だが、わたしは何となく、創業者が“追い出された”ような印象を受ける。現在の会長はチェーン店の経営者たちと上手くいっていないようで、対立が深刻化している。本部自体が大赤字で“火の車”だという話まである。こういう場合、当然、食品そのものにも影響が出る。ブームに乗っていた時には、誰もが絶賛してくれた味も、今となっては賛否が入り混じっていて、応援一色ではなくなっている。いちばんの理由はブームが去ったからだ。もう一つ、わたしが指摘したいのは、現会長の“人相”が全国チェーンを率いる人物の相とはなっていないことだ。したがって、後継者とはなったが、実質的な組織経営者としての“器”ではなかったのかもしれない。或いは、各チェーン店経営者たちに対する“思いやり”が少々欠けているのかもしれない。いずれにしても「食」には流行とブームがあって、それらの期間は短く、いつまでも“そのブーム”だけで大衆を惹きつけることはできない。ましてや原材料が値上げされ、同業他社も窮地に陥っている中で、対立や確執がマスコミで報じられるのは本部そのものが「倒産」する前兆となるかもしれない。

もう一度「地球の歩き方」役立つ時が来る⁉

2023-06-01
ダイヤモンド・ビッグ社という出版社が倒産した。この出版社名は知らなくても、この出版社が手掛けていた『地球の歩き方』という書名を知っている人は多いだろう。マニアックな旅行者にとっては“欠かせない旅行案内書”である。ところがコロナ禍となって、海外旅行が禁止となり、国内旅行も限定的となり、この本にとって致命的な状態が続いていた。最近になって、ようやく元に戻りつつあるが“先取り型”の本であっただけに、窮地から抜け出すことは出来なかった。ただ『地球の歩き方』という書籍事業自体は、既に学研の方に譲渡されていた。したがって、この本が無くなってしまうことはないとしてマニアの方達をホッとさせている。私自身は、この本は海外旅行の時によく参考にさせていただいた。海外旅行ではグーグルマップも役に立つが、この本には現地に暮らさなければわからない情報とかも載っていて、何かの目的を持っての旅には大いに役立つのだ。一時期、海外での“占い書籍”を買い求めようとしていた私には貴重な情報源だった。もっとも、ここ5~6年は旅行そのものに行かなくなったので、もはや手に取ることは無くなっていた。今はスマホを頼りに海外旅行をしている人達が多い。もしかすると、それもあって『地球の歩き方』は昔ほどの需要が無くなったのかもしれない。もう一つ、近年『地球の歩き方』は情報量を詰め込み過ぎて“分厚く”なっていた。あまり分厚い本は持ち歩きに相応しくない。そういう意味で、この本のような場合、それぞれの章ごと個別に持ち歩けるよう“分散できる本”にしてくれていると役立つのに…といつも思った。わたしだけかもしれないが、わたしはよく“分厚い本”は一部分だけ引っこ抜いてホチキスで止めて持ち歩きやすいようにする。エジプトに行ったときなど、そういう形で各必要ページごと分けて携帯したものだ。大型本は別だが、小型の実用書などでは、そういう風な使用の仕方をする人が“多いはず”だと思っている。したがって、これからの時代は「それぞれ分解して持ち歩けます」ということも小型実用書の“売り”になっていく時代ではないだろうか。通常、旅行案内書のような本は一冊だけ購入する人は少ない。たいていは2~3冊まとめて買って、行きたい場所などの情報収集を行う。年齢と共に、わたしは海外が苦手となった。それでも、もう一度「行きたい」どうしても「行きたい」という場所が出て来るであろうか……。 Newer Entries »