3月, 2024年

「トランプ」VS.「ミシェル・オバマ」で熱狂⁉

2024-03-07
アメリカの次期大統領選挙で共和党は対立候補がいずれも居なくなって、トランプ氏で一本化された。あれだけさまざまな問題を起こしても、不死身に復活してくるあたりは、出てくる方もそれを応援する方も、いかにもアメリカ人気質らしい。おそらく日本でなら、ちょっとしたことでも過去に汚点があれば、出馬自体が難しいことだろう。良くも悪くも、トランプと言う人は解かりやすい。そういう“解かりやすい人”をアメリカ人は好む。そういう意味では、現バイデン大統領はそれほど解かりやすいタイプではない。そのせいか最近は人気に陰りが出て来ている。今のままではトランプ氏に勝てない、という声も出始めている中で急浮上しているのが、民主党からは元大統領オバマ氏の妻であるミシェル・オバマ氏を担ぎ出そうという動きだ。確かに、ミシェル・オバマ氏は知名度もあり、トランプ氏の対抗馬として“解かりやすいタイプ”で大統領選自体が大いに盛り上がりそうな気がする。いまのまま「トランプ」VS.「バイデン」としたのでは特に国際的には盛り上がりに欠ける。これを「トランプ」VS.「ミシェル・オバマ」に変えてしまえば、何となく解かりやすくなって、世界的にも名の知られた二人になって、さまざまな意味で“よそ者たち”もあれこれと騒ぎやすい。混沌とした世界情勢の今だからこそ、この二人の組合せは「絵になる」とでもいうか、興味深く、がぜん面白い対決構造が生まれる。ロシアのプーチン大統領は、どちらかと言えば「バイデン氏に大統領になって欲しい」とインタビューで答えた。一部には、そういうことで“逆効果”を狙ったのではないかという説もあるが、わたしは本音であると思う。トランプ氏は何をしてくるか読めないので、戦略家のプーチン氏にとっては“苦手なタイプ”なのではないだろうか。日本にしても、トランプ大統領が誕生したら、プラスに働くかマイナスに作用するか、安倍晋三氏亡き現在、微妙としか言いようがない。こういう“解かりやすい人”を敵に回してはいけない。日本は誰が首相となっているのか、それすらも、現時点では判然とはしない。なぜか岸田総理の人気は一向に浮上しないが、だからと言って、いったい次に誰が出来るのか……正直、名前の浮かぶ人が出て来ない。

やはりそうだった‼「実姉毒殺容疑」で再逮捕

2024-03-06
一連の流れから、ただ単に次女・美輝ちゃんだけなのだろうか……と誰もが思っていたに違いない。実の娘を毒殺した細谷健一・志保夫妻の容疑だ。ついに警察は細谷健一の実の姉である美奈子さんに対しても2018年4月に不凍液を飲ませて殺害したとして、細谷夫妻を再逮捕に踏み切る。まったく同じ“不凍液”を用いたことで、執念の捜査が実姉の腎臓に遺った異常から、同じ成分が潜んでいたことを突き止めたのだ。わたしは、この事件が起こった時、すぐ、実姉も同じ手法を用いたのではないかと感じたが、何しろ5年以上が経過している。どんなに怪しくても、もはや証明できないのではないか、と思っていた。ところが“不審死”の要素があったせいか、実姉の美奈子さんは行政解剖され、その腎臓が保存されていたようだ。その時の鑑定では「敗血症による病死」とされたが、検査官は疑いを持っていたに違いない。だから保存したのだ。そして、その腎臓から不凍液を摂取した時に生じる「シュウ酸カルシウム」が検出された。単なる敗血症ではなかったのだ。同時に、その年の3月か4月にインターネットで不凍液を購入していた履歴も出て来た。細谷健一と実姉とは経営方針を巡って対立も明らかになっている。つまり殺人容疑の証拠品が揃ったのだ。それにしても、5年以上も前に行政解剖で「病死」と判定されていても、その詳しい記録や遺体の一部は保存されている場合があるのだ。足がつかないと思われがちなネット通販での購入も、専門家が過去を辿っていくことで履歴が明らかになる。そういう意味では、今回の事件は最新の科学捜査の素晴しさを証明するものとなった。やはり、こういう事件が起こると、マイナンバーなどで履歴や病歴を辿ることで解決する事件もあるような気がしてくる。近年は防犯カメラが事件解決の重要な役割を果たしている。IT社会、AI社会には弊害も多いが、少なくとも犯罪抑止や犯罪捜査においては、きわめて効果を発揮していく存在としての認識が必要なのかもしれない。

「命」よりも「待遇改善」を要求する研修医⁉

2024-03-05
日本でも似たような部分はあるが、一時期に比べて医師不足の問題は沈静化している。お隣の韓国は“地方の医師不足”が極めて深刻な状態を迎えているらしい。そこで韓国政府は2025年度から2000人の医師を増員する政策を打ち出した。ところがこれに医師や研修医たちが大きく反発。なんと全国で8900名もの研修医たちがいっせいに職場放棄を行い出した。地方の医師不足は定員数にあるのではなく、医師の待遇制度に問題があるという主張だ。それにしても研修医たちがいっせいに職場放棄したならどうなるか、おのずと解りそうなもので、今度は地方だけでなく首都圏でも医療崩壊の危機となっている。そこで政府は、すぐ職場に戻らなければ研修医たちに対して「免許停止手続きを開始する」と警告した。どうも韓国人というのは“強硬手段”に訴えるのが好きらしい。既に昨日から、今回の首謀者たちより順次“3か月間の免停”手続きを始めている。現在まで職場放棄した8900名のうち、戻ったのは1100名ほどで、それ以外は職場放棄のままらしい。彼らの言い分としては「人員数を増やすよりも先に職場環境の改善や長時間労働の禁止をすべきだ」という。ただこのままでは、それでなくとも不足している医師の数がますます不足になって、職場放棄していない医師たちにその負担がかかることになる。そんなことは誰でもすぐ判りそうなものなのに、どうして“免停”となっても待遇改善を要求するのだろう。日本人的な感覚からすれば、その気持ちは解かるが、まずは患者さんたち優先ではないのか。人の命が掛かっている職場を、あっさり放棄してしまうなど、どうしてできるのだろう。政府が地方の医師不足の改善を目指して、人員数を増やそうとするのは当然と言えば当然の処置である。もちろん労働時間や待遇の改善は必要だが、それは“次の課題”として取り組むべきことのような気がする。数だけ増やせば良いということではないとしても、まず、数を確保しなければ次の改善策を打ち出せない。そういう意味で、内側事情は分からないが、少なくとも職場放棄して“人の命を軽んじる”生き方や主張が、正しいようには日本人には思えないのだが……。

「だれでも変貌していく」と教えてくれる人⁉

2024-03-04
最近は韓国芸能界やセレブ世界の影響などからか、日本の若い人達でもTVやSNSを通じて自ら整形する“変貌前”と“変貌後”とを公表する人たちが出て来た。だんだん外見を変えていくことが“普通のこと”に変わりつつある。そのこと自体は大変に良いことであると私は思う。もし、人が“見た目”によって「運」を味方につけることが出来るものなら、悩まず“味方”を増やした方が良い。ただ、それだけで「運」が人生に味方してくれるかどうかはわからないが……。セイン・カミュ氏は、そういう方法によって外貌を変えてきたのではない。ごく自然に、若干、自らの“生き方”を変えたせいで、20年以上前にTVに出ていた頃とは大きく変わった。元々が父親がアメリカ人、母親がイギリス人であるから、その容貌は西洋的である。けれども20代から30代にかけては金髪で清潔な印象のハンサム外人型とでもいうか、そういうふうな外貌だった。けれども日本で育った期間が長いせいで、その日本語の発音は完ぺきだった。現在はそういう人が多くなったが、その当時はスマートな金髪美男子でありながらの“完璧な日本語”は魅力的だった。ところが所属事務所と契約上のことで揉めて以降、TVで観る機会が乏しくなった。そうしているうちに、彼の風貌は徐々に変わっていった。もちろん、年齢的なこともあるが、それよりも“生き方”そのものの変化が、そういう風にさせたのだと思う。短髪だった髪を伸ばし始め、髭も伸ばし始めた。もともと窪みがちだった眼窩はますます窪み、昔で言う「ヒッピー」のようなワイルド型の風貌へと変わった。テレビ東京が開局60周年の記念番組を作るらしく、そのナレーター役がカミュ氏であるらしい。53歳になっている現在、表舞台に出て来ることは少ないが、タレントとしての活動は継続している。最近は、福祉世界やボランティア団体でも活躍しているらしい。現代は美容整形とか、ジムとか、エステとか、さまざまな方法で外貌を変化させていく方法もある。けれども、そういう方法ばかりが外貌を変える方法ではない。“生き方”そのものを変えることで、驚くほどの変貌を遂げる人物がたくさんいるのだ。

「半導体バブル」は、わたしの去年の流行語⁉

2024-03-03
今頃になってTVや雑誌が盛んに「半導体バブル」と騒ぎ立てている。わたしは昨年の春から“その言葉”が使われて広がり、やがて「流行語大賞」を得てくれるかもと……ここで予告した。もちろん、その時には誰もまだ使っていなくて、けれども「今年中には流行するに違いない」と予告しておいた。ところが、案の定というべきか、世間が遅れているのか、わたしが早すぎたのか、昨年はさっぱり“その言葉”を誰からも聞くことが出来なかった。ところが、ここにきて、一年も経った今頃になって、まるで私をあざ笑うかのようにTVや新聞や雑誌は、盛んに「半導体バブル」という言葉を使い出した。「わたしが最初じゃないか」と言いたいが、まあ世間とは往々にして私のあとから一歩遅れて付いてくるものだから、仕方がない。昨日見たTV番組でも、わたしが前から述べていたことを“その道の専門家”と称する人たちが何人も出て来て、それを解説していた。わたしがだいぶ前にここに書いていたことを、引き写しのように言っていた。こういうことを何度も何度も経験すると、次のように思えてくる。わたしは多分、死んでから世間に“大きく評価される”代表的な人物なのに違いない。たとえば画家のゴッホは生前に絵が1枚だったか2枚だったかしか売れなかった。それが現在は1枚につき何十億円とか何百億円とかの価格で売れている。絵そのものの評価だって、当時とは天地ほどの違いがある。世の中というのは「早すぎる人」にも「遅すぎる人」にも厳しい。「ちょっとだけ先を行く人」がいちばん得をするように出来ている。コペルニクスは「それでも地球は廻っている」と言ったが、結局は火炙りの刑で殺されてしまった。当時の世間の多くの人には“それが正義”だったのだ。まあ、こういう歴史的な人物に並べるわたし自身もどうかと思うが、もうちょっとだけでも「波木星龍のすごさ」に気付いてくれる人たちが増えてくれると、わたしも枕を高くして眠られるんだけど……まあ、保証はしないけど「日経平均42000円が桜満開のころまでに…」という予言も、まだ独り歩き中ですが……。

「世界に10億人」ぎりぎりセーフ⁉日本の肥満

2024-03-02
いつの間にか増えていたものの一つが“肥満の人々”だ。予定よりも早くに世界で10億人の壁を突破した。日本の通勤風景など見ていていつも思うのは、欧米などと比較して“肥満している人”が少ないことである。日本人の場合、或る程度太っている人は必ずしも少なくないが、一見して“肥満”と感じられるほど太っている人は極めて少ない。これは一つには肉食を好む欧米人に比べて、野菜を多くとろうとする人が多い日本人の生活習慣的なものも影響しているのかもしれない。今回の数字は世界保健機関(WHO)が1500人もの研究者を使って、世界190か国で2億2000万人もの人たちから得られたデータを基に算出したもので、本来であれば2030年の頃に突破するはずだった“10億人の壁”が、2022年であっさりと越えてしまった。つまり何らかの理由で、肥満する人たちの比率が異様に上昇していることを意味する。研究者たちによれば、本来であれば“低体重の人たち”が増えるはずの貧困国において、肥満率が上昇している。それが推計的な予測とは符合しなかった一番の理由らしい。おそらく食料が十分ではない人たちは、これまでならどんどん痩せていったのに、そういう人の中にも“肥満する人たち”が出て来ているのだ。研究者たちによると、肥満の原因としては、偏った食生活がいちばんで、次が運動不足、続いて睡眠不足、さらにストレスなどと続く。そういう点からみると、日本人には当てはまるものが多く、わたしなどすべてが当てはまるのだが、それでいながらまあまあ普通を保っている。思うに、日本人というのは体質的に腸が長く、それが肥満にストップをかけている可能性もある。更に大食漢が比較的少ない。欧米の食品類はどれもこれもサイズが大きい。同じ食生活でも量的に少なめの日本人は、自然に胃も小さいまま過ごせるので、極端に太らない場合が多いのではないだろうか。もう一つ、欧米人は酒量も多い。それも肥満しやすい一因かもしれない。今回の調査では子供たちの肥満指数が上がって来ていることも10億人を超えた一因だった。体質というのは、父母や家系的な遺伝素質も見逃せない原因の一つだ。丸々太っている子供は可愛いが、後々本人が苦労をする。そう思えば、ペットなどでも同様だが制限を掛けてあげる方が、親の愛情なのだ。

「孤独死しそう」と感じる80年代アイドルの今

2024-03-01
わたしの最初の妻は小泉今日子が好きで、まだ結婚して間もない頃には“小泉今日子のポスター”が壁に貼ってあった。確かに、あの頃、アイドルとしてのキョンキョンは輝いていたものだ。月日が経って、小泉氏は結婚し、そして離婚し……やがて豊原功補氏との“不倫騒動”などが知られるようになった。わたしの最初の妻が現在も小泉氏を好きかどうか知らない。たぶん、それほどには……。その小泉今日子氏だが、ラジオの番組で“事前アンケート”に答える形式で回答を寄せ「芸能人は派手だと思われがちだが、自分の私生活は地味そのもので外食もせず、旅行も行かない。このままだと孤独死しそうだ」というふうなことを記して注目されている。彼女は目立たない芸能人ではなかった。80年代トップアイドルの一人だ。もっとも、本人は最初から“表舞台”よりも、どちらかと言えば“裏舞台”の方に興味があったようで、それが俳優として才能在りながらも脚光を浴びていない豊原功補氏を“支える裏方”に駆り立てたような気がする。けれども、公私とも入れ込んだはずの彼から、いまは距離を置いたように思われ、それが「孤独死しそう」という不安感をもたらしているような気がする。もっとも、彼女は現在自ら起業した芸能事務所の社長でもある。おそらく“従業員を抱える身”であると思われ、それも手伝って“お膳立てをする側”に廻った苦労が滲み出た言葉となったかもしれない。わたしは「人生は回り舞台である」と思う。華やかな表舞台でスポットライトを浴びる時もあれば、表舞台から消えて裏方として舞台を支えなければならない時もある。けれども、一度でもトップアイドルとして脚光を浴びている彼女の素質は、けっして失われたものではない。長い人生には、また何らかの形で華やかな脚光を浴びる時が必ず出て来るに違いない。自暴自棄になって人生を投げ出してしまわない限り、運命の女神は彼女を見捨てないものだ。だれでも、その人に見合った“座所”というものがある。時として人は、それが解からなくなり、破滅的な行動に出たりするものだが、そういうことにならない限りは必ず、やがては“本来の座所”が出迎えるように出来ているのだ。 Newer Entries »