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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


人は彼を観て「生きていく」との証しを考える


現在96歳になって、未だ東京新宿で「青空公演」を行うギリヤーク尼ケ崎氏について報道する記事があった。路上で踊る“大道芸人”になって58年。もはや、それは踊りではない。何しろ、現在はパーキンソン病を患い、心臓には機械が入っていて、脊椎管狭窄症で立つのも難しい。そういう満身創痍の中でも、必死に路上で半裸のまま踊り続けようとする。過去にはパリやニューヨークでも踊って、その気迫と異様さは高く評価されたが、普段はベッドで過ごす現在の姿からは、かつての気魄は感じられない。本人は「死ぬまで踊りたい」のだろうが、もはや限界といえる。それでも、こうしてしばしば取材を受ける。実弟が暮しの面倒を見ている。二人暮らしだが四畳半の小さな一室、それがギリヤーク尼ケ崎氏の拠点なのだ。わたしは大昔まだ室蘭市に居た頃、たまたま通りかかった路上で、熱心に半裸で踊りの練習を続ける彼を視たことがある。彼は多分まだ40歳前後で、つまり“踊る大道芸人”になって間もない頃であったように思う。わたしはまだ20歳前後の頃だったような気がする。わたしは別に彼を視ようとして、そこに行ったのではなかった。たまたま深夜放送で気に入っていた女性パーソナリティーが室蘭に来るというので、ちょっとだけ視てみようと買い物ついでに立ち寄っただけだった。もっとも、祭典とは別会場だったので見つけられず、帰ろうとして裏通りへ入った時、練習中のギリヤーク氏を視たのだった。もっとも、その時には彼の名前も知らず、どういう人物かも知らず、ただ単に「変った男性が踊りの練習をしているな…」としか思わなかった。もちろん練習中で“裏通り”だったので、誰も観てなどいなかった。わたしも横目で視て立ち去ろうとしたのだが、なぜか動けなくなった。わたしとの距離は4mくらいだったが、半裸の男性は何かのチェックポイントでもあるのか、繰り返し同じ部分を踊っていた。それからしばらく経って、わたしは彼が“それなりに有名な人物”であったと知った。週刊誌とかに写真が載っていたからだ。その後、映像もみたが、徐々に彼の踊りは“踊り”というよりも“祈り”とか“化身”とか“憑依”とかに近いものへと変わっていった。ハッキリ言って美しくはないし、見事でもない。ただ“生きる”ことに疲れた人たちに、無言で“生きて行くこと”の意味を伝える「念」のようなものだけがひしひしと伝わる……。
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