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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「研究」に始まりはあっても「終り」視えない


わたしが手相というものに興味を持って「占い」の研究を始めたのは十代半ばの頃だった。その頃、わたしは片っ端から手相の本を読み、解かったような気になっていたが、いざ実際に“他人の掌”を観るようになってみると、教科書的な知識は“まったく当てはまらない”ことが多いことに気付いた。それ以外の占いでもそうだったが、こと“占い”に関しては「教科書など信じられない」というのが、十数年後のプロになってからの感想だった。そもそも、それら教科書を書いていた人たちは、ちゃんと実際の手相と、その人物の“実像”が結びついているのを確認してきたのだろうか。例えば、一部の教科書には「古来、手相は生涯不変とされてきたが、三大線に関しては変化する人もいる」などと書かれた教科書があった。とんでもない話だ。生涯不変どころか、一週間もあれば、大きく変化していく手相もある。どの線であろうと、刻々と変化し続けている。ただ人によって、その変化が“目立たない人”もいれば、目立って変化する人もいる。それだけの違いだ。考えてみれば、顔である人相だって、日々微妙に変化し続けている。掌の手相が“変化しない”などというのは、微妙な変化に気付いていないだけなのだ。そして、そういう“鈍感な手相家たち”が教科書を書いていたのだから、学術として、進歩していくわけがないのだ。それなのに、わたしは愚かにも“古い手相の教科書”を丸暗記して、いっぱしの手相家になった気分で居た。いま思うと本当に恥ずかしい。けれども、わたしは、そういう事実に“早く気付いた”ので、ゼロからの“出直し”が早かった。もし、何十年も気付かずにいたなら、とんでもなく“迷信的な手相術”を守り抜いていたに違いない。基本的には「顔」と「掌(手指)」は、ほぼ同様“生まれてから死ぬまで”使い続けるもっとも大切な人体の一部だ。だから、その部分に“その人のすべて”が出て来るのは不思議ではなく、そして同時に“微妙に変化し続けている”のも当然なのだ。こういう“当たり前の事実”に、もっと早く気付いていれば、十代の頃から気付いていれば、もっと早く修正して、より“的確な手相や人相”の意味するところを、後世に伝えることが出来たであろうに……それが遅くなったことで、わたしの研究は中途半端なままで終わりそうな気がする。そして、未だ“古き時代の手相術”がはびこっていることが、とても残念だ。
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